おはようございます。
昨日は朝から一日中雨が降っていました。
土曜日からJR貨物もダイヤ改正されました。
夕方になって貨物時刻表が送られてきましたが、6070列車(ワム貨車)梅田ー稲沢間がなくなっていました。
見るからに懐かしい写真も入っています。
1900系の製造当時からのことで、私が覚えていることを入れて行きますが、資料はほとんど譲ってしまったので
不確かなこともありますのでお許しください。
昭和38年4月15日に淀屋橋地下線開通に合わせて1900系の1913・1915~1924・1927~1931(片運転台車)(16両)
1925・1926(両運転台車)(2両)1954~1957(付随車)(4両)1981~1986(中間電動車)(6両)の281986両がS38.1.~39.2.に製造された。
旧1810形の1900系化
1901-1811 1902-1812 1903-1813 1904-1814 1907-1817 1908-1818 1909-1819 1910-1899(Mc化)
1905-1815(両運転台車)1906-1816(両運転台車)1912-1890(Mc化) 1914-1891(Mc化)
1950-1888(Tc→T化) 1951-1885 1952-1886 1953-1892
1900形 1901~1931 31両 (うち両運転台車 1905・1906・1925・1926 4両)
1950形 1950~1957 8両
1980形 1981~ 1986 6両 45両がそろった。
その後の移り変わりについても入れていきたいと思っています。
資料としてはメモ書きノートだけですので間違っていればお許しください。
(1) 1907 特急三条 木津川橋梁 S47.8.
(2) 1907 普通萱島 古川橋 S55.5.
(3) 1910 A急行淀屋橋 森小路 S55.9.
(4) 1910 普通淀屋橋 森小路 S55.6.
(5) 1910 特急淀屋橋 森小路 S48.4.
次回は3月23日(金)の予定です。
これたらの予定は3月28日(水)4月2日(月) 7日(土) 12日(木) 17日(火) 22日(日) 27日(金) になっています。
最初と最後の画像、1900系特急のカラーは貴重ですね。
よく見ると、1枚目の1907は前灯2灯のシールドビーム、
1910は1810系以来の砲弾型の白熱灯ですね。
それぞれ特急車時代と一般車に格下げされた後が
比較できるのは面白いものです。
いつもコメントありがとう!
昨日はよい天気になりましたので小栗栖の兄貴の老人ホームと家内のお母さんの墓参りに行ってきました。
よい天気にめぐり合い名神高速も順調で8時過ぎに出かけて京都東で降りて老人ホームへそして一般道路を通って京阪橋本駅近くの久修恩院の墓地に参ってきました。
途中食事をしてそのまま帰ってきました。
15時過ぎには帰ってきました。
墓地からは京阪電車が見えましたが、撮影はできませんでした。
また改めて行きたいです。
またコメントください。
さて、小生の小学生~高校生のころ特急は1900でしたが、何時も乗るのは端正なマスクの旧1900でした。ピンク色の化粧板の車内で特急に乗ったという気持ちになりました、(一般車は黄緑)
それと七条~京橋無停車(京橋を出ますと京都七条まで途中の駅には止まりませんという車内放送。
発電連動の自動ブレーキを上手に操作され、曲線通過も上りこう配であれば曲線進入時から力行という現在からみれば「職人の運転」で三条淀屋橋45分運転は大変魅力でした。
今は電気指令ブレーキで何事もデジタルですが
減圧式は「技」そのものでした。
何事も先人の技を後世に伝えていただきたい願っています。
コメントありがとうございます。
嬉しいコメントですねぇ!
あの頃は自動ブレーキは嫌でしたねぇ!
あまり速度計もない時代でしたので自分で速度観測をして制動距離を計算して減圧してブレーキをかけるのですが、1810系は発電制動が付いていたのでモーターカーはブレーキシリンダーにエアーはあまり入ってなく階段緩めをしていくと速度が落ちてきて電制が切れる頃にはブレーキシリンダーにはエアーがなく慌てて減圧(ブレーキ)をしたものです。
あの頃私たちは減圧式のブレーキの基本は1段制動階段緩めと教えられました。
これは制動は一回制動して数回階段(緩める)して停車位置に止めるのが基本でした。
文章が下手でわかりづらいかと思いますが辛抱してください。
これに懲りずコメントお願いします。