2011-1013-man0380
万葉短歌0380 木綿畳0333
木綿畳 手にとり持ちて かくだにも
我れは祈ひなむ 君に逢はじかも 坂上郎女
0333 万葉短歌0380 ShuB221 2011-1013-man0380
□ゆふたたみ てにとりもちて かくだにも
われはこひなむ きみにあはじかも
○坂上郎女(さかのうへの いらつめ)=第379歌(長歌)題詞に、「大伴坂上郎女」(おほともの さかのうへの いらつめ)。「旅人の異母妹。はじめ天武天皇の子穂積皇子(ほづみの みこ)の寵を得、霊亀元年(715)七月皇子が没したのち、不比等の子藤原麻呂に愛されたが長続きせず、養老六年(722)頃、異母兄大伴宿奈麻呂(おほともの すくなまろ)の妻となり、坂上大嬢(おほいらつめ)(家持の妻)と坂上二嬢(おといらつめ)とを生んだ。しかし、神亀五年(728)のはじめ頃、宿奈麻呂に先立たれ、天平三年(731)には兄の旅人とも死別した。/旅人没後は大伴氏族の家刀自(いへとじ)(主婦)的存在となって、一族をとりまとめたらしい。その歌八四首。万葉女歌人中群を抜くばかりでなく、女歌人には縁の薄い長歌が六首もある。天平初年から十年頃に至る和歌文化圏の主役であり、赤人・金村・旅人・憶良たちが築いた歌壇の流れを家持に橋渡しする重要な存在を占めた。」「歌数、歌材、歌種などあらゆる点で、男性の専門歌人に伍しうる唯一の天平女歌人。初期の額田王と並び称せられる。大伴安麻呂の娘。母は石川郎女。大伴旅人の異母妹。才気のあふれた歌風で聞こえる。」
【編者注】大伴氏の祖、天忍日(あめのおしひ)は、天照(あまてらす)の孫迩迩芸(ににぎ)が高天原から高千穂へ降りたときの先導役、と『古事記』。