万葉短歌-悠山人編

万葉短歌…万葉集全4516歌(長短)のうち、短歌をすべてJPG&TXTで紹介する。→日本初!

万葉短歌0383 筑波嶺を0335

2011年10月15日 | 万葉短歌

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万葉短歌0383 筑波嶺を0335

筑波嶺を 外のみ見つつ ありかねて
雪消の道を なづみ来るかも  丹比真人国人

0335     万葉短歌0383 ShuB228 2011-1015-man0383

□つくはねを よそのみみつつ ありかねて
 ゆきげのみちを なづみけるかも 
○丹比真人国人(たぢひの まひと くにひと)=「天平八年(736)正月、正六位上より従五位下。民部少輔、摂津大夫、遠江守(とほたふみのかみ)などを経て従四位下まで昇ったが、天平宝字元年(757)七月、橘奈良麻呂の乱に連座して伊豆に流された。」
【編者注】「遠江」の仮名表記は、「とほつあはうみ(淡海)」→「とほつあふみ」→「とほたふみ」→「(現代)とおとうみ」(旺文版『古語辞典』)。


万葉短歌0381 家思ふと0334

2011年10月14日 | 万葉短歌

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万葉短歌0381 家思ふと0334

家思ふと 心進むな 風まもり
好くしていませ 荒しその道  児島

0334     万葉短歌0381 ShuB225 2011-1014-man0381

□いへおもふと こころすすむな かざまもり
 よくしていませ あらしそのみち
○児島(こしま)=原文題詞に「筑紫娘子」(つくしの をとめ)、同脚注に「児島」。「大宰府で大伴旅人と親しかった遊行女婦。」
【編者注】講談社版『万葉集事典』の人名解説見出しに、「児島(こじま)→遊行女婦(うかれめ)」。同見出しには「遊行女婦」(を含む)人名が四項目ある。


万葉短歌0380 木綿畳0333

2011年10月13日 | 万葉短歌

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万葉短歌0380 木綿畳0333

木綿畳 手にとり持ちて かくだにも
我れは祈ひなむ 君に逢はじかも  坂上郎女

0333     万葉短歌0380 ShuB221 2011-1013-man0380

□ゆふたたみ てにとりもちて かくだにも
 われはこひなむ きみにあはじかも
○坂上郎女(さかのうへの いらつめ)=第379歌(長歌)題詞に、「大伴坂上郎女」(おほともの さかのうへの いらつめ)。「旅人の異母妹。はじめ天武天皇の子穂積皇子(ほづみの みこ)の寵を得、霊亀元年(715)七月皇子が没したのち、不比等の子藤原麻呂に愛されたが長続きせず、養老六年(722)頃、異母兄大伴宿奈麻呂(おほともの すくなまろ)の妻となり、坂上大嬢(おほいらつめ)(家持の妻)と坂上二嬢(おといらつめ)とを生んだ。しかし、神亀五年(728)のはじめ頃、宿奈麻呂に先立たれ、天平三年(731)には兄の旅人とも死別した。/旅人没後は大伴氏族の家刀自(いへとじ)(主婦)的存在となって、一族をとりまとめたらしい。その歌八四首。万葉女歌人中群を抜くばかりでなく、女歌人には縁の薄い長歌が六首もある。天平初年から十年頃に至る和歌文化圏の主役であり、赤人・金村・旅人・憶良たちが築いた歌壇の流れを家持に橋渡しする重要な存在を占めた。」「歌数、歌材、歌種などあらゆる点で、男性の専門歌人に伍しうる唯一の天平女歌人。初期の額田王と並び称せられる。大伴安麻呂の娘。母は石川郎女。大伴旅人の異母妹。才気のあふれた歌風で聞こえる。」
【編者注】大伴氏の祖、天忍日(あめのおしひ)は、天照(あまてらす)の孫迩迩芸(ににぎ)が高天原から高千穂へ降りたときの先導役、と『古事記』。


万葉短歌0378 いにしへの0332

2011年10月12日 | 万葉短歌

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万葉短歌0378 いにしへの0332

いにしへの 古き堤は 年深み
池の渚に 水草生ひにけり  山部赤人

0332     万葉短歌0378 ShuB219 2011-1012-man0378

□いにしへの ふるきつつみは としふかみ
 いけのなぎさに みくさおひにけり
○山部赤人(やまべの あかひと)=第318歌参照。


万葉短歌0377 青山の0331

2011年10月11日 | 万葉短歌

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万葉短歌0377 青山の0331

青山の 嶺の白雲 朝に日に
常に見れども めづらし我が君  湯原王

0331     万葉短歌0377 ShuB218 2011-1011-man0377

□あをやまの みねのしらくも あさにけに
 つねにみれども めづらしあがきみ
○湯原王(ゆはらの おほきみ)=第375歌参照。
【編者注】「我が君」を、依拠本は376が呼格(O my Lord)、377が主節主格(My Lord seems)とするが、この歌については呼格説も紹介する。


万葉短歌0376 あきづ羽の0330

2011年10月10日 | 万葉短歌

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万葉短歌0376 あきづ羽の0330

あきづ羽の 袖振る妹を 玉櫛笥
奥に思ふを 見たまへ我が君  湯原王

0330     万葉短歌0376 ShuB218 2011-1010-man0376

□あきづはの そでふるいもを たまくしげ
 おくにおもふを みたまへあがきみ
○湯原王(ゆはらの おほきみ)=第375歌参照。
【編者注】原文題詞は、「湯原王宴席歌二首」。王は宴席の主催者。主賓は石上乙麻呂(374)との「新見」を、依拠本は紹介。


万葉短歌0375 吉野にある0329

2011年10月09日 | 万葉短歌

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万葉短歌0375 吉野にある0329

吉野にある 菜摘の川の 川淀に
鴨ぞ鳴くなる 山陰にして  湯原王

0329     万葉短歌0375 ShuB216 2011-1009-man0375

□よしのにある なつみのかはの かはよどに
 かもぞなくなる やまかげにして
○湯原王(ゆはらの おほきみ)=「志貴皇子の子。艶麗にして優美な歌風を開いた万葉後期の歌人。集中、短歌十九首。」


万葉短歌0374 雨降らば0328

2011年10月08日 | 万葉短歌

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万葉短歌0374 雨降らば0328

雨降らば 着むと思へる 笠の山
人にな着せそ 濡れは漬つとも  石上乙麻呂

0328     万葉短歌0374 ShuB215 2011-1008-man0374

□あめふらば きむとおもへる かさのやま
 ひとになきせそ ぬれはひつとも
○石上乙麻呂(いそのかみの おとまろ)=原文題詞には名の下に「朝臣」。第368歌参照。


万葉短歌0373 高座の0327

2011年10月07日 | 万葉短歌

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万葉短歌0373 高座の0327

高座の 御笠の山に 鳴く鳥の
止めば継がるる 恋もするかも  山部赤人

0327     万葉短歌0373 ShuB212 2011-1007-man0373

□たかくらの みかさのやまに なくとりの
 やめばつがるる こひもするかも
○山部赤人(やまべの あかひと)=第372歌(長歌)の原文題詞は「山部宿祢赤人」(やまべの すくね あかひと)。第318歌参照。


万葉短歌0371 意宇の海の0326

2011年10月06日 | 万葉短歌

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万葉短歌0371 意宇の海の0326

意宇の海の 川原の千鳥 汝が鳴けば
我が佐保川の 思ほゆらくに  門部王

0326     万葉短歌0371 ShuB211 2011-1006-man0371

□おうのうみの かはらのちどり ながなけば
 わがさほがはの おもほゆらくに
○門部王(かどへの おほきみ)=第310歌参照。


万葉短歌0370 雨降らず0325

2011年10月05日 | 万葉短歌

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万葉短歌0370 雨降らず0325

雨降らず との曇る夜の ぬるぬると
恋ひつつ居りき 君待ちがてり  安倍広庭

0325     万葉短歌0370 ShuB209 2011-1005-man0370

□あめふらず とのぐもるよの ぬるぬると
 こひつつをりき きみまちがてり
○安倍広庭(あへの ひろには)=第302歌参照。


万葉短歌0369 物部の0324

2011年10月04日 | 万葉短歌

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万葉短歌0369 物部の0324

物部の 臣の壮士は 大君の
任けのまにまに 聞くといふものぞ  笠金村

0324     万葉短歌0369 ShuB207 2011-1004-man0369

□もののべの おみのをとこは おほきみの
 まけのまにまに きくといふものぞ
○笠金村(かさの かなむら)=原文左注には「作者未審但笠朝臣金村之歌中出也」。依拠本は「笠金村と見てよい。」 第364歌参照。


万葉短歌0368 大船に0323

2011年10月03日 | 万葉短歌

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万葉短歌0368 大船に0323

大船に 真楫しじ貫き 大君の
命畏み 磯回するかも  石上乙麻呂

0323     万葉短歌0368 ShuB206 2011-1003-man0368

□おほぶねに まかぢしじぬき おほきみの
 みことかしこみ いそみするかも
○石上乙麻呂(いそのかみの おとまろ)=原文題詞に「石上大夫」(いそのかみの まへつきみ)、左注に「石上朝臣乙麻呂」(いそのかみの あそみ おとまろ)か、とある。「1四四の作者石上朝臣麻呂の第三子。神亀元年(724)二月従五位下、天平四年(732)丹波守、天平十年左大弁、同十一年三月、藤原宇合の未亡人久米連若売(わかめ)と密通して土佐に流された。」第1019~1023歌参照。「天平勝宝二年(750)九月一日、中納言兼中務卿で没。」


万葉短歌0367 越の海の0322

2011年10月02日 | 万葉短歌

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万葉短歌0367 越の海の0322

越の海の 手結が浦を 旅にして
見れば羨しみ 大和思ひつ  笠金村

0322     万葉短歌0367 ShuB203 2011-1002-man0367

こしのうみの たゆひがうらを たびにして
 みればともしみ やまとおもひつ
笠金村(かさの かなむら)=第364歌参照。
【編者注】03-0366 は長歌。


万葉短歌0365 塩津山0321

2011年10月01日 | 万葉短歌

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万葉短歌0365 塩津山0321

塩津山 打ち越え行けば 我が乗れる
馬ぞつまづく 家恋ふらしも  笠金村

0321     万葉短歌0365 ShuB201 2011-1001-man0365

□しほつやま うちこえゆけば わがのれる
 うまぞつまづく いへこふらしも
○笠金村(かさの かなむら)=第364歌参照。