公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

アングロアラブ、いよいよ終焉へ

2006-02-07 08:01:07 | 競馬

昨年12月より福山競馬場においてサラブレッド系競走が行なわれるようになり、ついにアングロアラブ専門の競馬場は姿を消した。

思えばアングロアラブ種といえば、戦前の日本競馬会に対抗するべく、軍部が「各馬匹組合連合会」として地方競馬を事実上支配した際に「軍馬の増強」として重用され、逆に地方競馬ではサラブレッド系の競馬は廃止された。また、戦後まもなくもサラブレッドの馬資源不足を補うべく国営競馬でもアングロアラブのレースを組まざるを得なかった。

その当時、中央のアラブが地方へ行ったところで活躍する馬などほとんどいなかった。また、地方競馬は昭和40年代後半ぐらいまではアラブ系の競馬が重用されていたため、その当時の地方競馬の隆盛もあいまってアラブに関して言えば、地方のほうが相対的に賞金が高かったのである。

つい20年ほど前までは、アングロアラブの生産頭数は3000頭を越え、全競走馬生産の3割を数えていた。さらにいえば、つい10年ほど前まではJRAでもレースが組まれていた。それが今や絶滅状態。

この間、スイグンが引退。もはや種牡馬の道もなく、しかもまだまだ競走できる身でありながらもオーナーの意向により引退することになった。恐らくこれ以上現役を続けていたところで、目標とするべきレースがないからだ。そして、福山競馬もあと何年後かすればアラブから撤退することになろう。そうなったとき、いよいよ、アングロアラブの競馬は事実上「終焉」を迎える。

しかしながら、地方競馬の衰退は実は、アングロアラブの衰退にも繋がるところが大きい。

アラブの場合、産駒の継承能力が実に高く、いまだ「タガミホマレ」や「セイユウ」といった種牡馬の血を引く産駒が走っている。これがサラブレッドの場合だと、テスコボーイでさえ怪しくなっている。ヒンドスタンあたりだともはやほとんど途絶えかけている状態だ。かつては一時代を築いたヒンドスタンやテスコボーイの血を引く産駒はもはや絶滅の危機に瀕しているのである。

したがって能力もはっきりとしており、強い馬はどこまでも強いが、クラス分けが細分化されると実力拮抗のカードが組みやすくなり、そうなると割りと好配当のレースが続出した。俗に言われる、「アラブに本命なし」と言われたのもある意味頷ける話である。

そして衰退というか消滅間近でありながらも、スイグンマリンレオワシュウジョージといった名馬を輩出できたことは、アングロアラブの血の強さを物語っているといえよう。

一時期休刊を決めた拙メールマガジン「公営競技はどこへ行く」だが、これからはそのアングロアラブの名馬を中心に取り上げることとして再開することにした。やはり、アラブの場合、完全に廃止になってしまうとほとんど語り継がれることなどなくなってしまうだろうからだ。

加えて、地方競馬の衰退は皮肉にもハイセイコーブームと重なってしまうわけだが、このハイセイコーの出現あたりから、徐々にアラブの競走が地方競馬においても姿を消すようになる。

例えばホッカイドウ競馬の場合、今や2歳戦ばかりの様相を呈しているが、これはアラブのレースがなくなったための苦肉の策といえよう。つい数十年前まではアラブも半分ぐらいのレースは組まれていたのである。

私の最寄の地方競馬といえば園田であったが、園田は言うまでもなく「アラブのメッカ」と言われた地で、サラブレッドとなると、紀三井寺でしか走っていなかった。しかし紀三井寺競馬は当時スポーツ紙でも扱いが小さく、実に目立たない存在であった。

したがって、何かアラブだけしか走っていないとなると、何か園田だけ「異次元の競馬」とさえ思われたものである。

それでも、「園田に「サラブ」なんかいるかい!」

というファンがいて、園田は中央にはない独特の雰囲気があった。というか、今よりもはるかに活気があったね。園田で強ければ日本一強いみたいなところがあって、全日本アラブ優駿といったレースは独特の雰囲気があった。今の園田にそんなレースなどないね。

今だと、園田は中央の二軍・三軍といった様相である。他の地方競馬も南関東を除けばそうなっているだろう。となると、二軍・三軍のレースに客が妙味を示すとはとても思えない。ひいては、地方競馬そのものの終焉さえ近いように思えてならないわけだが。

それと、本当の意味において「全国交流レース」なるものが行なわれたのは実はアラブのほうが先であり、サラブレッドについてはつい最近のことである。

長らく、「中央・地方」といった鉄条網が張り巡らされ、中央は地方を見下し、地方は中央を軽蔑していたところがあった。したがってサラブレッドの交流など一部の交流レースを除けば行なわれなかった。それが次第にその鉄条網が解かれると、あっという間に地方は中央の二軍・三軍と化した。今や多くの馬主は中央で馬を持ちたがる。

もしアングロアラブが今も盛んに行なわれていたとすれば、地方競馬がここまで凋落することもなかったような気もする。

しかし、生産界も「売れない」アラブの生産を続けていく余裕など全くないし、ひいては生産そのものを中止するしかあるまい。

でも今思えば力のこもったレースというのがアラブにはあったな。もうなくなってしまうのか・・・

コメント (2)
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