安藤騎手 引退後は未定「調教師になるわけでもない」(スポニチアネックス)
現役の地方競馬所属騎手として初めて中央競馬へ移籍し、中央G1通算22勝を挙げた安藤勝己騎手(52)が30日、滋賀県の栗東トレーニングセンターで引退会見を行った。
引退を決断した理由について「納得いく騎乗ができなくなった」と話した安藤騎手。思い出のレースに03年の高松宮記念を挙げ、「ビリーヴで勝った高松宮記念が思い出に残っています。馬で言えばキングカメハメハ。安心して乗っていられる馬でした。また素晴らしいスピードを持っていたダイワスカーレットも印象に残っています」と振り返った。
2月末で騎手生活にピリオドを打つが、引退後の活動については「はっきりしたプランはない。調教師になるわけでも、調教助手になるわけでもない」と口にした。その上で「毎週競馬は見ていると思うし、応援できることがあればやりたい」と話した。
中央競馬のGI勝ち内容は
こうであった。
安藤が「全国級馬」に最初に騎乗したのは多分、アラブの
キンカイチフジじゃないかな。この馬は、全日本アラブ大賞典では坂本敏美が騎乗して勝ったんだけど、その後坂本が落馬事故のために騎手生命を絶たれてしまったので、坂本の「後継天才ジョッキー」と目されていた安藤に騎乗が回ってきた。
以後、フェートノーザン、オグリキャップ、マックスフリート、トミシノポルンガ、スズノキャスター(アラブ)、オグリローマン、ライデンリーダー、レジェンドハンターなどなど、数数えきれないほどの著名馬に騎乗して勝利を収めた。
しかし、ライデンリーダーとレジェンドハンターをもってしても中央の芝のGIを勝てなかったことが心残りとなり、加えて、笠松における賞金額が年々下がっていったこともあり、当時は誰も果たしていなかった中央移籍を決意。しかし、2001年に行われた1回目の騎手試験のときは、競馬学校の生徒同様に、一般教養等も含めた筆記試験を受験しなければならないハンデを背負わされたため、一次試験の段階で不合格。すると、「アンカツを中央に移籍させないための謀略か!」という批判が方々から寄せられたため、翌2002年の試験では、一次の筆記試験は免除され、二次も実技試験は免除。面接・口答試験だけが行われることとなり、安藤は見事パス。晴れて中央移籍が実現した。
その後は、武豊に勝ちたいという気持ちもあり、栗東を拠点にして活動。言うまでもなく、中央競馬だけでも1100勝を超える名ジョッキーとして活躍した。
私が記憶に残っているのは、まだ笠松の騎手時代だった園田のアラブクイーンカップだな。この日、大学での表彰が午前中行われ、それが終わったあとすぐに競馬場へ行って観たんだけど、豪快な水車ムチを披露して、スズノキャスターを勝利に導いたレースには正直驚いた。
ま、年齢的なことを考えると、調教師は活動期間が短いから選択はしないだろう。となると、笠松の予想屋?
まさか。
『おう!アンカツ、ワシが師匠になったるでぇ!あっはっは!』
それはない!