21日の西王座戦最終日。林善美・奈良県競走労働組合執行委員長のはからいにより、「飛天交流館」なるこのほど新しく誕生した来賓館へと招待を受けた。
その際、田仲場長からまず挨拶を受けたわけだが、田仲場長は「聞き上手」タイプなのか、こちらが一方的に話すばかり。
「奈良競輪場が誕生したのは昭和25年ですか。その当時は大阪を中心とした近畿勢が圧倒的に強く、競輪もものすごい人気でした。」
「しかし、競輪場がどんどんなくなってしまい、それに伴って選手のほうも弱体化。ついには私のホームとしていた西宮・甲子園も潰されてしまいました。特に近畿は凋落度合いがひどいだけに奈良を含めて5場が力を合わせて頑張って欲しい。」
と話したけど、結局それだけなら、私がただ話しただけの中身のない内容だが、今開催を誘致したその理由が明らかに。
「奈良も確かに西宮・甲子園がつぶれた初年度あたりは一気に売り上げが増えた。しかし今は元に戻っている。一過性のものだったかもしれない。」
と述べられたことから、その閉塞状態を打破するべく、西王座戦誘致となったわけだな。
その後、田仲場長が「場内を案内してやれ」と言ってみてくれたようで、山下庶務課長の案内で場内を1周見て回ることにって、奈良はホームみたいなところだから「知っている」って?
でも、やはり、知られざるところがあったもんだねぇ。
山下課長の話によれば、奈良はスタンドなど大掛かりな建設費用など捻出できないので、客が身近に便利なものを設けたほうがいいという方針から、中小規模程度のビジョンがいたるところにある。
競輪場でも場内に大ビジョンが設置されてあるところが少なくないが、奈良にはそうしたものがない。なぜか?
奈良は早くから他場場外発売拡大に踏み切ったが、レースを開催していないときに場内の「吹きざらし」のところに大きなビジョンでレースの模様を放映したところで、客はそんなところへは向かわないということが理由のよう。いいじゃない。
確かにそう。そもそも競輪場のスタンドって夏場はアスファルトの照り返しがあるから大変クソ熱い。逆に冬はクソ寒い。奈良みたいな盆地ならばなおさらそれが顕著。だったら、囲いを作ってそこで見てもらおうという発想か。それでリース価額が安上がりな中小ビジョンをいたるところに配置してあるわけだな。
また、大木(たいぼく)があるところを利用してモニターを設置したり、さらに以前はなかった「囲い」まで設けた。
ムダにカネを遣っていないな、奈良競輪。確かにこれでいいんだって。客は案外こうしたものを望んでいる。
そして「ファンの要望を知りたい」とかで、場内を見てどうか?と尋ねられたのでこう答えた。
「あの交流館は指定席とはならないそうだが、できれば指定席があったほうがいい。」
「一般スタンドには朽ちてきたベンチいすがところどころある。そこに上ってみたところ一瞬きしんだところもあった。そうなったところを替える必要がある。」
ま、せいぜいこの2つぐらいだろうね。本音をいえばもっとあるんだが、それは過剰設備投資となるようなものばかり。だから別に構わないんだが。
さて今度は私が山下課長に何点か尋ねてみた。
「F2はやっぱりお荷物なんですか?」
というとさすがに苦笑して、
「ええ。でも毎回全てS級戦をやるわけには行きませんので仕方ない面はあります。」
やればやるほど大赤字のF2戦。ま、全てなくすことはできないだろうし、時には将来のスーパースターが走っているときには逆にS級トップクラスよりも注目される場合がある。でも、来年度からは13節となるが、それでもやっぱり多いね。
続いて、
「300日ぐらい開けているんでしょ。大変でしょう!」
「そうですね。交替で出勤しなければならないですし、やらなかったら他へ客を取られる。仕方ない面もあるんですが・・・」
昔は12X6=72日にビッグ場外がちょっとあるぐらいの日数しかなかった競輪の開催が、今や休みは年間わずか60日とかいう、中小企業よりも少ない休日となっており、しかも客だってそんなに開催されたところで毎日行く人間など恐らく一人もいまい。
「まずは開催削減!それに開催を減らしたらその分選手はいらないから選手の大量首切りをしないといけないでしょうね?」
と言うと山下課長は初日が終わった後に腰痛という理由としながらも、「ドタキャン」の噂が立った加藤慎平の態度にブツブツ・・・
「まさかあんなことがあるとは・・・」
絶句状態だったとか。
しかもそのことに対してかなり根に持っていたようだ。
加藤慎平、もし今度奈良で斡旋がある際は「覚悟」しておくように?その際は「完全優勝」をするぐらいの気持ちを持たないとダメかもしれないぞ?
まだ続きがある。いやぁ、これが役人の仕事の姿なのか?と想像を絶する事態に遭遇する。