・1回戦
JR北海道 0-2 三菱重工名古屋 10:30
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/10kurojishi/graph/0831-1/
4チーム参加の「三菱重工」勢、名古屋が今大会最初の勝利をもたらす。
王子製紙 2-3x 三菱重工横浜 14:00 延長11回=タイブレーク
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/10kurojishi/graph/0831-2/
東芝 2-0 東海理化 18:00
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/10kurojishi/graph/0831-3/
ところで、東芝は、かつて放送されていた東芝日曜劇場のオープニングテーマ、
♪光る、光る、東芝~
を応援テーマ曲としているらしいが、この日も行われたのだろうか?
大師匠に聞いてみよう。
「光る東芝」
・1回戦
日本新薬 0-6 日本通運 10:30
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/10kurojishi/graph/0830-1/
日本製紙石巻 2-4 ヤマハ 14:00
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/10kurojishi/graph/0830-2/
JR九州 4-2 日立製作所 18:00
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/10kurojishi/graph/0830-3/
49歳の今村豊が優勝した昨日のモーターボート記念優勝戦。
http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/08/30/19.html
ま、今村といえば、私が競艇を覚えたての頃にデビュー。笹川賞での初タイトルのときもテレビで見ていたが、ターンした後にグーンと伸びるような形というのは、当時の競艇ではお目にかかったことがなかった。その後も全日本選手権を3度も優勝するなど、順調に競艇界の頂点を極めていった感があった。
しかし、年齢的に一番脂が乗り始めた頃に、野中、安岐、中道らのベテラン勢の逆襲にあったばかりか、彼らの逆襲の後は植木通彦ら、「登録3000番台」の時代へと移っていったため、1992年のMB記念以降、SG優勝とはさっぱり縁がなくなった。
さらに今村は、競艇の極意はターンであるというこだわりがあったためか、「ペラ革命」といわれた頃にあまり手をつけず、そればかりか、ペラにこだわりすぎることに対してかなり批判的だった。さらに、当時はメニエル病にも苦しんでおり、トップクラスを維持するのがやっとの状態だった。
2004年の総理大臣杯で、1コースから押し切り、12年ぶりのSG優勝を果たしたものの、F艇が2艇出たことによる、「恵まれ優勝」だった。
そして、そうこうしているうちに、今村も競艇名人戦に出場する年となった。
今年、初の参加となった名人戦では、優勝候補の期待に応え、1号艇で登場したが、同じく初出場となった西島義則に差され2着。
今回のMB記念はその雪辱を期するところもあったように感じた。1周1マークの攻防で、中島孝平に抱いてこられたときにはピンチかと思われたが、中島の捲りスペースを封じた動きはさすがであり、1マークのターンは往時の伸びるようなものとは程遠かったものの、その後、今村を追撃する選手は現れなかった。
それにしても、今村はデビュー1年目よりこれまで、ほとんど常にトップクラスで戦っている。こうしたケースというのは、競艇の世界では極めて珍しい。さらにいえば、今村をしのいでトップへと上りつめ、一時代を築いた植木は既に引退している。
今年のSG戦線ではこれまで、登録3000番台選手がまだ一度も優勝していない。登録4000番台時代に突入している感がある競艇にあって、まさか2992番の今村がこの流れを阻止するとは思いもしなかった。
かつて野中らに「やられた」ことを、今度は自分が「やる」番なのかな?ま、今村を完全にトップクラスから引きずり下ろさないことには、競艇に完全なる新時代など来ないことだけは確かだな。
昨日まで行われたモーターボート記念だが、総売上は124億3184万600円で、目標の120億円を上回ったとか。しかも、Fが4件も出ていたにもかかわらず。
G1をやるたびに目標大幅割れの競輪とどうしてこうも違うんだろうね?
ま、競艇も最近では、SG開催期間中はなるべくバッティングしないような日程を組むようになったことも要因として挙げられようが、競輪も競艇のこの例を参考にしないとダメだな。
・競輪
取手
S級 島野浩司 421
A級 青森伸也 231
玉野
S級 萩原孝之 221
A級 山根泰道 321
久留米
S級 澤田義和 231
A級 芳野匠 331
弥彦
A級 町田勝志 411
A3 志村龍己 231
前橋
A級 伊藤勝太 811
A3 石井啓午 431
静岡
A級 松岡篤哉 121
A3 栗田雄矢 621
松阪
A級 大和田学 111
A3 木村浩宣 121
岸和田
A級 倉岡慎太郎 711
A3 工藤文彦 331
・オートレース
川口 佐藤裕二 3711
・地方競馬重賞
水沢 ビューチフル・ドリーマーカップ マイネベリンダ
マイネベリンダが逃げ切り勝ち。中4日で出走のエレーヌは4角付近で手が動き、直線伸びきれず2着がやっと。
オグリキャップ、イナリワンとともに、第二次競馬ブームのけん引役として「三強」を形成し、菊花賞、秋・春天皇賞優勝を果たしたスーパークリークが死亡した。
http://www.sponichi.co.jp/gamble/flash/KFullFlash20100830078.html
1988年の菊花賞については賞金枠抽選を潜り抜けての出走だったが、当時19歳の武豊が騎乗して制覇。1989年の秋の天皇賞ではオグリキャップを、1990年の春の天皇賞ではイナリワンをそれぞれ退けて優勝した。
ところで、1990年の春の天皇賞はものすごい客が入ったが、当時は指定席が当日売りしかなかったため、朝5時の始発に乗って行っても、かなりの列をなしていたことを思い出す。確か、親父と一緒に行ったんだが、親父が列を離れていた時間に移動してください、という合図がかかったため、結果、指定席の種別が別になってしまったというように記憶しているんだが・・・
合掌。
28日に開幕したブエルタ・ア・エスパーニャ。
しかしながら、コンタドールは不参加だし、アームストロングはチームが招待されず参加できないなど、盛り上がりに欠いているきらいがする。また、ツールに出ていない選手をチームリーダーに据えているところも少なくない。それに、日本選手も出てないし。
ブエルタはもともと4~5月開催だった。そして、5~6月に開催されていたジロ・デ・イタリアとの開催間隔が狭く、年によってはバッティングしていたこともあり、山岳コースが比較的多いにもかかわらず、真逆とも言うべき、スプリンタータイプの選手が総合優勝を果たすケースもあった。むろん、クライマーの優勝例が数多いが、はっきりいって、ブエルタで総合優勝を果たすクライマーというと、ツール・ド・フランスではせいぜい山岳賞どまり、という選手が大半。つまりこの当時、オールラウンダーが勝つケースが意外と少なかった。
それが、1995年に開催時期が替わって以降一転。オールラウンダー型選手が総合優勝を果たすケースが圧倒的に増えたが、その一方で、ツールに参加していないとか、はたまたツールで結果がよくなかった選手の「敗者復活戦」的な様相も濃くなっていった。
4~5月開催のときには、ジャン・スタブリンスキ、ルイス・オカーニャ、ベルナール・イノーなどの、当時の「若手」がここで優勝を果たし、後に大スター選手へと上り詰めていったケースもあったが、8~9月開催となってから、そうしたケースは今のところない。
UCIでは、UCIワールドカレンダーを盛り上げるべく、グランツールをブエルタ、ジロ、ツールという順番に再度戻し、これまた昔の日程である、8月下旬ないし9月上旬に世界選手権を実施し、以後はシーズン終盤までワールドカレンダー対象レースで盛り上げる、という青写真を描いている考えもあるらしい。
私がロードレースを知ったときには、スーパープレスティージュというのが年間シリーズ戦となっており、まさしくそうした形でレースが組まれていた。よって、世界選以後のロードレースは、スーパープレスティージュ争い一色に染まっていた感があった。
ところが、グランツールの中でも歴史が浅く、長らく、ジロとツールの2レースよりも格が落ちるとみなされ、結果、スポンサーの集まりが悪かったブエルタの再興をはかるべく、開催時期が変更された手前、そう簡単に開催時期の変更はできまい。
もっとも、ブエルタを3週間も開催する必要があるのか?という声はあまり聞いたことがない。私が思うに、現在の23日(休息日2日を含む)を17日程度にしてもいいように思うが。そしてそうすることにより、著名選手の出番も増えるような気がしてならないのだが。同時にジロも17日程度でいいのではないか。
ところで今年のブエルタは、第1ステージのTTTは夜間開催となった。これはブエルタ史上初の試み。
かつて存在した、ボルドー~パリというレースは夜間スタートだったけど、トラックレースとは違って、ロードレースで夜間開催なんてあまり聞いたことがなかったから、今後、こうした試みを行うことにより、ツールやジロとは違う様相を呈していくのかもしれない。
来月14日に行われる予定の民主党代表選挙へ向けて、メディア各社が「ぼちぼち」と動き出したようである。
今日の日経の世論調査を見ると、
「首相にふさわしい人物は」
の問いに対し、菅直人73%、小沢一郎17%という、圧倒的に菅支持の数字が集まった。
また数日前、共同通信社が同様の世論調査を行った結果を見ると、菅69%に対し、小沢は15%。
いずれも、菅のほうが圧倒的な世論の支持を得ている、という結果が出た。
メディアの世論調査の結果を受け、当初は苦戦が予想された菅支持陣営は、
「世論と党の顔の人物が乖離してはいけない」
と息巻いている様子。さらに菅陣営は、この結果を受け、何と、「菅・小沢会談」を今日にも持ち込んで、小沢への懐柔策を図るというニュースが、本日付の日刊の記事に載っていた。
ところがである。
これがネットの調査だと一転する。
読売新聞のWebサイト、読売オンラインが実施した、27日~28日頃におけるリアルタイム調査によると、当初は菅のほうが優勢だったようだが、時間が経つにつれて「小沢支持」が増え、終わってみれば、小沢76%に対し、菅は24%にとどまった。
また、スポーツニッポンも、Webのスポニチアネックスで同様の調査を行ったところ、小沢が80%に対し、菅は20%に過ぎなかった。
さらに、ロイターでも同様の調査を行ったところ、読売オンライン同様、当初は菅支持が大半を占めていたのに、時間が経つにつれて小沢支持が増え、29日現在では、菅、小沢ともに42%で同数、票数からいえば、小沢のほうが若干多いというデータが出たそうだ。
http://www.asyura2.com/10/senkyo93/msg/438.html
ま、メディアの世論調査というと、乱数番号(RDD)による無作為とはいえ、予め対象データを厳選している(年齢、職業など)のに対し、インターネット調査は要は、閲覧した人物が誰でも参加できるという、「非厳選」方式にならざるを得ないから、データ結果がRDD方式とリアルタイム方式では異なるのは仕方ないのかもしれない。
つまり、メディア世論調査は「祭り行為」はできないが、ネットでは大いにありうる、というわけだ。確か当時中日の投手だった川崎憲次郎が、オールスターのファン投票で1位になったことがあるが、これは川崎を評価してのものではなく、高給をもらいながらも、中日に移籍後、全く実績がない川崎に対する、ネット上での「いやがらせ」によるものであった。川崎はただちに出場辞退表明を行った。
とはいっても、メディアの調査の主流であるRDD方式とネットのリアルタイム方式ではこれほどまでに違うものなのか?というのは、例の「西松事件」以降、誰もが感じているのではないか。
しかも、先の参議院選挙では、当初は「V字回復」と言われるまでに内閣支持率が回復し、日経の6月26日時点の記事では、民主党が連立で過半数に達する勢い、とまで書いていたにもかかわらず、直後にメディアが総じて「消費税率引き上げ待望論」を広め、この動きに乗った菅がそのことをほのめかしたとたんに雲行きが一転し、民主党が44議席しか取れない「大敗」を喫したことで、メディアの世論調査の信憑性に疑問が生じることになったのは言うまでもあるまい。
さらに、選挙後、概ねどのメディアの調査においても、菅内閣の支持率と不支持率がほとんど拮抗しているにもかかわらず、菅首相続投の声が、一部のメディアの調査では80%にも及んでいるというデータまで出た。これは、
「首相を短期間にコロコロと変えるのはよくない」
という、「世論の声」が反映された結果だ、と、メディアは分析しているが、思うに、自公政権の末期でもそうだったが、鳩山内閣もまた、内閣短命に追い込んだのはメディアなのではないか、と考えると、マスコミの「マッチポンプ」ぶりを、安倍晋三内閣以降、強く感じるのである。
というか、メディアの「マッチポンプ」によって、有権者を振り回そうとしているのが、ここ5年来の政局ではないか。とりわけ自民党は、こうした動きにいまだ乗っている感がする。
しかし、こうしたことを許容すると、日本の政治そのものをゆがめ、弱体化させることになるので、いい加減止めないといけない。だが、有権者も少しずつ、自らの手で政治を動かそうとしている姿が見受けられる。
小沢一郎は当初より、
「日本にはまだ民主主義というものが根付いていない」
と言明し、自分たちの手で政治を変えることができるのに、何でそうしようとしないのか?といって、有権者を批判し続けていたが、丁度1年前、民主党が政権交代を実現したときにはまさしく、有権者が政治を変えた選挙であったことを体現した。
さらにいえば、民主党の大敗は、菅の消費税発言よりも、政権公約を実行しようとしない姿勢にあった、という声が有権者の中から多く出てきた。一方で、改選比較第一党となった自民党に、ほとんど期待していないという、メディアの世論調査も多く出た。
不十分とはいえ、有権者が自分で考え、政治を動かしているという流れは続いているようだ。民主党の代表選は民主党関係者しか参加できないが、仮に有権者がこの代表選に対して不満が多数生じれば、解散総選挙に追い込む自身の「世論行動」に出ればいい。自民党の長期政権時代にはこうした行動はほとんど不可能に近かったが、政権が民主党に交代すると、とたんにできるようになったように感じる。
それはひいては、メディアやインターネットの「世論調査」に振り回されることなく、自らの考えで選択することが求められる。ま、それだけ難しい時代になったわけだが、反面、自分の考えが反映されるわけだから、面白い時代になった、といえるのではないか。
去年の日本選手権でもこういっていた大師匠。
http://plaza.rakuten.co.jp/daikokusya/diary/201008290009/
(フィクション、ですが、少々ノンフィクションも混じっています、開始)
「師匠、1日3試合も見るの、中学校時代に見た選抜以来ですわ。疲れました。」
『おう!しばいたろか!ワシはモノ足りんぞ!午後9時から「第四試合」やれ!』
「えっ、まだ見たいんですか!」
『当たり前や!』
『ついでにな!夜中も試合やれ!ワシは目ぇ光らせて見るでぇ!』
(フィクション、ですが、少々ノンフィクションも混じっています、終わり)
明日以降も同じ言葉が出ることでしょう。
・中央競馬重賞
新潟 新潟記念(G3) ナリタクリスタル
8着までがハナ~クビ差という大激戦を制したナリタクリスタルが、サマー2000シリーズでも総合優勝。
札幌 キーンランドカップ(G3) ワンカラット
4角外の3番手という好位から抜け出したワンカラットが北海道短距離重賞連勝。
・競輪
青森
S級 中澤央治 821
A級 佐藤和也 411
平塚
A級 塚本勝士 121
A3 相笠翔太 311
・競艇
蒲郡 モーターボート記念(SG) 今村豊 31112311
多摩川 北村征嗣 1522212311
・地方競馬重賞
帯広 ばんえい大賞典 レットダイヤ
・1回戦
伯和ビクトリーズ 5-0 かずさマジック 10:30
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/10kurojishi/graph/0829-1/
JR東日本 7-4 日本生命 14:00
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/10kurojishi/graph/0829-2/
大阪市代表2チーム、全滅。
新日鉄広畑 1-3 JFE東日本 18:00
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/10kurojishi/graph/0829-3/
第56回モーターボート記念優勝戦が29日、蒲郡競艇場で行われた。
進入は、1 今村豊、2 濱野谷憲吾、3 中島孝平がスロー、4 仲口博崇、5 今垣光太郎、6 平本真之がダッシュ。
1周1マークに向け、中島が鋭いダッシュを見せたが、ターン直前になって捲り差しに切り替えたことで、今村が不完全なターンながらも先に回り、その後後続を引き離した。今村につけて回った仲口と、内から突っ込んできた今垣が2番手争い。その2番手争いも2周1マークで仲口が決着。今垣が3着。
今年のSG戦線は20代選手を中心に、若手選手のSG優勝ばかりが目立つ流れとなっているが、そんな中、今年初めて名人戦に出場した49歳の今村が、ベテラン健在というところを見せつけ、7度目のSG優勝を果たした。
予選はトップで通過し、準優勝戦も今垣らを相手にインから押し切り、優勝戦の1号艇をゲット。しかし今年の名人戦・優勝戦でも1号艇をゲットしながら、西島義則に苦杯を舐めただけに、そのときの雪辱戦の意味合いもあったが、鋭く飛び出した中島の捲るコースをシャットアウトすると、今村が往時に描いていたきれいなターンとは言いがたかったが、先マイした時点で後続を完全に引き離した。
SG優勝は、2004年の福岡・総理大臣杯以来。そのときはF艇に助けられた感があった勝利だったが、今回は文句なしの優勝である。
次々と引退表明する「著名選手」。
TOOL4より
平成22年8月29日
9月を前にして競輪界の将来を憂い、余力を残したまゝ引退に踏み切った吊レーサーが、続々と吊乗りを上げました。先日の京王閣ナイターがフィナーレに成ったのは、熊本にもゆかりが深い、恩田繁雄。香川の小松孝志にも驚きましたが、九州では、熊本の大窪伸一・久保田尋一・草野良一。福岡は更にショッキングで、國崎健・小川博美・武谷俊一、そして先の小倉ナイターで決勝に乗ったばかりの石丸博巳、そして最大のサプライズは、大分の闘将、荘田彰男が防府のチャレンジ戦を最後に波乱万丈の選手生活に幕を降ろしました。選手としてもですが、人間的にも真っ直ぐに生きた闘志の吊物レーサーは、最後の勇姿を目に焼きつけんと駆け着けた、長男竜斗(97期)に後事を託し、笑顔で去りました。選手手帳を提出し終えてから携帯に連絡が「長い間、応援してもらいありがとうございました。私が成し遂げられなかった夢は息子竜斗に実現して貰います、別府に来られた際は必ず連絡下さい、楽しい食事を楽しみにしてます《の丁寧な挨拶。50歳を迎えゆっくりしたいのと、やりたい事もあったんでしょう。賢妻そして優秀な娘さんに頼れる息子が居るのが宝との事。第二の人生も持ち前の闘志と根性で成功するのは間違い無し。又佐賀では久冨久貴の同級生(佐賀・龍谷高)蓑原靖博も引退、大ギヤで軽く200ハロン11秒前半の脚力を有したまゝの惜しまれる卒業ですが、親と一緒に広大な土地を有効に活用して何かやるのでは。人間としても素晴らしい選手が去って行くのは淋しい限り。辞めた選手が揃って言うのは「愛した競輪がこのまゝ廃れて行くのは忍びないし、何とかして下さい《。こんな真実の声を真摯に聞き入れ、46場を残す事に全力を投じて欲しいが願い。
えーっ、結構やめるんだな。
「大量首切り」へ向けての予兆かな?
もっとも、ここに名前が上がっている面々はまだ「余裕」があるんだろうな。
そうでない選手は「やめない」。しかし、こうした選手こそが、実は「お引取り願いたい」のだが。こうした選手たちをどうやって「やめさせる」かがポイントだな。
46場を残すことか。確かにそれが先決だな。というか、西宮・甲子園が廃止になったことによる、その「穴埋め(代替地)」ってまだどこにもないだろ。それを何とか実現させないといけないだろ。しかし、今の自場年間開催日数では、どこも引き受けるところはないだろうね。
でも、三点セットに新規客拡張、UCIルールの「五点セット」を実現すれば、競輪は「復活」するかもしれないね。
28日の久留米7レース、最終2角付近において、三木健治が「不可解」な落車。
動画はこちら。
http://www3.city.kurume.fukuoka.jp/kurume-keirin/live/asx/2010082807.asx
TOOL4より
平成22年8月28日
久留米FI(戸上守杯)は珍しく土日月の開催に、スピードチャンネルは3日間メインの390。そして、近畿・四国・九州での場外発売と力を入れてる関係で、目標は最低7億。初日は2億3600万。何とか目標は達成しそうでも、今イチ盛り上がらないのはオールスターを控えているからなのかも。初日は信じられぬ落車事故が3件。「何で《とか「どうしてあんな所で《のものばかり。これは選手の技術に問題あるのでは。ビックリしたのは7Rの三木健治で、スンナリの3番手だったのに、最終2センターで突然ハンドル操作を誤ったのか、一気に坂を登り、金網に激突。前輪が前を走る中村良二の後輪にハウスしてのアクシデントに見えましたが、中村のタイヤにハウスの跡は無し。白昼の怪とか。心配された怪我の状況は、上幸中の幸いで骨折はなく、右肘・前頭・腰・臀部・左右肩胛骨打撲の診断でした。尚2日目の狙いは9Rの先行1車山原務の頭ぐらいで、荒れムード。
どうしたんだろうね?
パンクではないよな。自転車がバンクの上へと持ち上がり、金網に激突するわけない。また、リプレイを見る限り、ハウスしている形跡もない。というか、ハウスしていたら、競輪「お得意」の大量落車に決まっているだろ。
ひょっとすると、あまりの暑さのあまり、体のどこかが言うことを聞かなくなったのかもしれないね。ま、心臓ではないみたいだな。
なお、三木は過失走行により失格。よって強制帰郷。ま、今回についてはそれでよかったかも。2日間「走らなくていい」というように考えて、しっかり休養したほうがいい。
ところで昨日の久留米は三木の落車を含め、計10人が「落っこちた」みたいだな。
相も変わらずってとこかな。