7年前に発表されたものだが、それから進歩していないような気がする。
産業構造審議会車両競技分科会競輪小委員会(第3回)、議事要旨というものだが、いまだここで出た内容については進展がない。
特に、
・近年、日本のスポーツファンは、日本一より世界一に興味がある。ファンを集めることも必要だが、ファンは世界を見ている。小手先だけでは難しい。サッカーも同じだが、日本のスポーツを盛り上げるか。まずは、選手が世界で強くなければならない。
という点はもう、他の競技であれば最重要課題となっているけど、競輪はいまだ「旧主派」の考え方が強い。つまり、下手をすると、競輪以外の「自転車競技」は「遊び」だと思われているのではないか。
もし本当だとしたら、いつまでたっても世界で勝てるわけがない。
また、せっかく世界への道を志しながらも、下手に足を引っ張る奴がいて、結局邪魔されているような形になっているんだったら、明らかに「損失」である。
ひいては競輪はいつまでたっても昭和30~40年代に入り込んだファン層に頼りっきりの状態が続き、そうした層がいなくなれば、はっきりいって「終わりかねない」。その「終わりかねない」時期が本当に近づいている・・・
・指導者も含めて、皆プロでなければならない。専門家の育成が絶対に必要。その点は、サッカーを見習うべきだ。
海外の強豪選手は、およそトレーニングを個人で行っている選手はいない。必ずコーチを含めたスタッフがいる。
しかし競輪選手は日ごろ、そうしたコーチをつけて練習を行うケースはまずない。
「何とか道場」なんてものがあるにはあるが、これだって、科学的なトレーニングに基づいているとか、はたまた情報収集を行った上で、データ解析に基づいて行われているかと言われると「怪しい」。精神訓話みたいな形で終わってないか?
・競輪にはオリンピック、ワールドカップ、世界選手権という他の競技に比べて絶対的に有利な材料がそろっている。にもかかわらず、日本人選手が活躍していないので、活用しきれていない。本気で勝つ気でいるのか。
もっとも、ただ「競輪発祥の地のプライドがある」とかいっただけではまず「勝てない」よ。
私が思うに、普段の競輪の競走そのものが、明らかにこういった大会に対して阻害要素となっているというしかない。真剣に取り組みたいのならば、はっきりいって「無視」するしかない。今の競輪の流れだったらね。
とある方(いつもおなじみの記者さんね)からインタビューを受けたとき、私はこういった。
「将来有望な選手こそ、競輪なんかに行くのではなく、もしスポンサーが見つかるようだったら例え高校生であろうと、「プロ契約」してしまい、要は国際大会を中心にレースに出てみよ。」
そしたら、そのお方はビックリしてたけど(ちなみに、競輪選手ではないのに、自転車短距離の「プロ選手」となった例は、橋本聖子がいる。また、長野五輪金メダリストの清水宏保もNECとスポンサー契約を交わしてレースに出ていたことがあったから、これも「プロ選手」だね。)。
まぁ、トラックの短距離選手がスポンサーを見つけるなんてことは至難の業だから、そのために競輪界入りするしかないといえるんだろうが、だったら、無視はできないから、「若い間は」、適当に頑張る程度でいいってことなんだろうね。
こんなことを言うのは何だが、去年、明石元競輪場で国体を少しだけ見たけど、「アマ選手」の予想以上のレベルの高さに驚いた。
とりわけ、周囲の客が驚いたのは成年スクラッチ決勝。
丁度このレース、故・高円宮親王の未亡人であられる、妃久子さまが観戦されていたが、途中で選手が一人、落車したシーンがあった。ところが。
落車したのはその選手だけ。スクラッチって、20人ぐらいの選手が走っていて、しかも落車した選手は丁度集団の中の内側にいた。それでも、何と乗り上げた選手っていなかった。
これが競輪だったら、まずそのようにはいかない。ペースが上がらない状況でも、
キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!!!
となるのがオチだろう。
私の隣にいた、ボランティアスタッフと思われる人も、
「よう、他が落車せえへんかったなぁ!」
と驚嘆至極。果たして、一体どっちが「プロ」なんだろう・・・
こんなことを書くと、中には、
「競輪に落車はつきものだ!」
なんていう人もいるけど、落車しないに越したことはないだろ。いや、落車なんてものは、プロとして恥だ、ぐらいの気概を持たねばねぇ。レースを客に見せてカネを取っているんだし。
ま、このケースはたまたまだったかもしれない。反対にスプリントのような2人しか競技しないレースでも双方落車なんてこともあるからね。しかし、そのようなケースって本当にめったにあるまい。
さらに、
「落車はデータで見る限り増えてない」
ということを立証したサイトがあることも知っている。ま、公営ジャアナルでも似たような話を書いていたし、別に驚くべきことではないが(それでもそのサイトによれば、04年よりも06年は15%ほど増加しているとのこと。ま、対象サンプル数が非常に小さいから、無視できるものということらしいが)、「増えていない」ではなくて、「減らないこと」こそが問題なんじゃないのかな。
せっかく「苦労して」データ集めしたんだから、もっと突っ込んだ形をとってもらいたいもの。実態経済は決していい状況ではないのに、「いざなぎ景気を超える景気拡大局面に依然としてあり、確かなる景気の回復基調が続いている」といっているNK新聞みたいなもんだぜ。
はっきりいうと、確かに、データ的には増えてないんだろう(と思う)、しかし今も連日のように、4名、5名と落車レースが存在すること自体、異常とは思わないのかなぁ?思わないんだったらいいけど(但し、選手がそのように思うことは断じて許さん!)。
競輪入りすることによって競技レベルが落ちているのではないか、とは必ずしも思わないけど、少なくとも、タダで見ることができた国体のほうが「ケイリン」も迫力があったし、面白かったね。もちろん、「アマ」のレースだけど。
ところで、こんなことも書かれている。
・競輪選手が4,300人いるのは別にかまわないと思う。ただ、その下に予備軍がいないことが問題。底辺がしっかりしていないとプロスポーツは成り立たない。通常プロになれるのは100人に1人だから、本来は競技人口が40万人以上いてもいいはずだ。
競輪と自転車競技は「別物」だという見地で考える流れになってしまっている以上、はっきりいって、この議論っていうのは成り立たないね。
しかも今は3400人近くにまで選手数が減ってきているけど、この数字だけ見ても日本は数だけならばダントツの「トラック競技大国」なはずだぜ。
それが世界選の「ケイリン」では手も足も出ない。都合が悪いから、
「競輪はケイリンじゃないから」
で「ごまかす」。ひいては、自転車競技と競輪は関係ないから、か・・・
せっかくの7年前の議論が、一向に進展しないのはこのあたりに問題があるのは明白なんだけど、今後もこれ以上、進展した話は望めないかもしれない。となると、
・選手会としては、今いる選手を残したいようだが、今は選手が多すぎて競走のレベルが下がっている。ある一定レベルの力がない選手にはやめてもらうべきだ。新陳代謝が必要であり、競輪学校への入学者を増やしてほしい日本の選手は十分世界でも活躍できるはず。もっと厳しさが必要。
という話は「急務」だけど、結局3場廃止にかかる引退勧奨で満足している。
一方で、現在競輪学校在学中の生徒はもちろん、90期以降の選手あたりが、競輪をそれこそ変えてくれることを本当に期待してやまないし、また彼らがそうしなければ、競輪は「終わる」。
長期間に亘って競輪界を牽引してきた、吉岡・神山時代は、吉岡氏の引退をもって事実上終焉した。神山も吉岡氏が引退したことを受け、力で勝負するという志を半ば捨てたみたいだ。要はあと何年競輪選手としていられるか分からない(トップクラスの座にいられるか)が、気持ちに向上心がある限りは続けるということなんだろう。
となれば、神山までもがもしいなくなった場合が心配。
そこで、たまたまとあるものを検索していて「引っかかった」のが上記の内容というわけ。
少なくとも、日本のアマ選手には、磨けばいい選手がいるはずだということが去年、インターハイや国体をみて分かった。ところが、いざ競輪入りするとその流れがプツンと途絶えてしまう。
どれだけ優秀な逸材が競輪入りしながらも、結局埋没したか分からない。しかし、もはやそういった流れは断ち切らねばならない。
旧主派の「勢力」がいまだ猛威を振るう競輪界であるが、いつまでもそのような考え方が通用するとは思えない。そして、本当にあと5年ぐらいでガラッと考え方そのものを変えねば、先行きは相当に厳しい気がする。
というわけでもないが、7年前のこの議事録が競輪の今後の道を諭しているように思えてならない。