公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

向日町はまだ廃止表明されていない

2011-04-02 18:29:47 | 競輪
TOOL4より

平成23年4月2日

何時再開されるのか、はっきりせず、又大震災に見舞われた被災地・被災者の事を考えて、宣伝を自粛したのもあり、開催されるのを知らなかったファンも多くて、施行者は淋しく「売り上げは期待薄でしょう」は賢明な判断かと、それでも競輪を本当に愛しているファンの方は数知れず、私の会社にも「何時から始まるんですか、やっぱり競輪が1番ですよ」の嬉しい電話やメールがひっきりなしにありました。この流れであれば、次の武雄共同杯は東日本の場での場外発売は自粛されても西日本の場と電投・インターネット投票で補うんでないのかの期待が。そうあって欲しいが祈りであり強い願望です。春一番の勝ち上がりは自動番組、私は他の特別、そして記念にFⅠ・FⅡ全てに勝ち上がりはこれが自然で平等と思ってるし、ファンも決まり決まった様な番組でないのは新鮮で魅力あるものに、組み合わせ次第では「これしかない」の堅いレースもあるだろうし、誰からでも狙えて、推理力を必要とされるレースも多々あれば、インテリ層が夢中に成る可能性もあるなら思い切って実行すべきでは。何をやってもダメな上に今回の大惨事、施行者サイドは赤字開催はやりたくないのは当り前。このまゝでは、大津びわこ、そして向日町競輪場に追随する場が後を絶たない事になるのは必定と思いませんか。JKAの会長は女帝が退き、新しい御仁に代わったとの事。面子とかは考えず、何をやったらファンは喜び、競輪が存続するかを真剣に考えてくれる大人物であると信じてます。



誰からでも狙えて、推理力を必要とされるレースも多々あれば、インテリ層が夢中に成る可能性もあるなら思い切って実行すべきでは。

ムリだね。

それよりも、国際大会で常に実績を挙げることのほうがよっぽど大事。

今年の世界選はふがいない結果だったんだから、それこそ、

『何を考えているんでしょう!』

と突っ込むべきだろう。

施行者サイドは赤字開催はやりたくないのは当り前。このまゝでは、大津びわこ、そして向日町競輪場に追随する場が後を絶たない事になるのは必定と思いませんか。

ま、その通りだろうね。

よく、競輪場を廃止する代わりにサテライトへ転用しろ、という声が聞かれるが、西宮も甲子園も花月園もびわこも、果たしてその後そうなっているか?

競輪開催がなくなれば、サテライトに転用など基本的にできない。ところで、向日町はまだ廃止だと決まったわけじゃない。ま、向日町が廃止になったら、「京滋」の競輪客をみすみす失うことになるね。ただでさえ客がいなくなる一方の競輪だというのに、JKAも全輪協も、全く危機感を感じてない、ということになるんだろうな。あっ、忘れてた。日本競輪選手会も。
コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月2日の優勝戦・重賞結果

2011-04-02 18:12:37 | 各日の公営競技
・中央競馬重賞

阪神

日経賞(GII) トゥザグローリー

トゥザグローリーが、直線で追い比べとなったローズキングダムを坂上で突き放し圧勝。

中山牝馬ステークス(GIII) レディアルバローザ

坂上付近から鋭い脚を披露した10番人気のレディアルバローザが快勝。2着には大外強襲の12番人気、フミノイマージン


福永祐一が2つの重賞全て制した。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そろそろ「出番」か?

2011-04-02 01:56:08 | 政治経済問題
思えば、1995年1月17日に起きた「阪神淡路大震災」の頃の政局を振り返ってみよう。

前年4月に細川護熙首相が辞任し、これを受けて羽田孜内閣が誕生したものの、連立内で「社会党外し」が露呈化したため、この後首相となる村山富市・社会党委員長が連立離脱を決意。これにより「少数与党」になったため、羽田首相は政権運営に行き詰まり、6月25日に辞任してしまうことになる。

この動きに乗じた自民党が新党さきがけに加え、社会党にも触手。それどころか、当時の森喜朗・自民党幹事長の発案により、村山委員長を首班指名するという、前代未聞の手に打って出た。

これに対し、事実上の細川、羽田と続いた連立内閣の「首謀者」である小沢一郎氏は、村山氏を首班指名することなどできないとして反旗を翻した海部俊樹・元首相を担ぎ、6月29日の決戦投票へと持ち込んだ。結果は村山氏がわずかの差で海部氏を下し、「自社さ政権」が誕生した。

それから半年後に、冒頭に挙げた大震災が起こった。

今回の大震災の前における政局も、似たり寄ったりのところがある。

つまり、小沢一郎の権力が弱まっている点では一致している部分があるということ。

ところで。

阪神・淡路大震災発生から約1年後に村山首相は辞任。後継首相は橋本龍太郎・自民党総裁が就くことになり、自民党総裁が約3年半ぶりに首相の座に返り咲いた。橋本首相は省庁改編を実現した「行政改革」の手腕が評価される一方で、消費税率を3%から5%に引き上げたことが原因となって、1998年の参議院選挙で自民党が惨敗した責任を取って辞任した。

後継総理となった小渕恵三首相は、「自社さ政権」が崩壊した影響により政権基盤が不安定な情勢を立て直すべく、1999年1月、小沢一郎氏が党首を務める自由党と連立合意がまとまり、小沢一郎は約4年半ぶりに「与党」に返り咲いた。しかし一方で、同年10月に公明党が与党入りを果たし、「自自公連立内閣」となったことで、小沢一郎の影響力が厄介となった自民党内部から「自由党外し」の声が高まっていた。

そして2000年4月1日、小沢党首から連立離脱を申し入れられた小渕首相はマスコミのぶらさがり会見で言葉を失ってしまった。翌2日、小渕首相は脳梗塞に倒れ、同年5月14日亡くなった。

小渕首相は生前の在任時代は全くといっていいほど評価されることがなく、しかも国債を大量に「ばら撒いた」ことで、今日の財政悪化を招いた張本人ともされている。

ところが、そうした「ばら撒き」の効果があったせいか、例えば、日経平均株価を2万円台まで回復させており、今では、在任当時の評価を一変させる向きもある。さらにいうと、小渕首相は小沢一郎氏とともに政治改革を行ないたかったという考えがあったとも言われている。

その後、森、小泉、安倍、福田、麻生と続く「自公連立政権」についてはあえて評価というのか、経緯は差し控えるが、少なくとも言えることはこの時代、小沢一郎はずっと野党暮らしを強いられていたことだけは言うまでもあるまい。

さて、今日の政局の情勢だが、何やら「大連立」の動きが水面下である様子。中には、「谷垣首相、仙石副総理、輿石代表」といった案まであるという話だが、果たして、こうした動きを、あの「元 大幹事長」が指を加えてただ見ているだけなのだろうか?

一方、菅首相も、まだまだ自分では総理を辞めるつもりはないという考えを持っているはず。となれば、もし上記の話が本当だとするならば、当初は全幅の信頼を置いていたはずの仙石氏に「裏切られる」形になるわけだから、ここは小沢、さらには鳩山前首相と「手打ち」して、「トロイカ体制」の頃のようにはいかなくとも、何らかの協力を要請すべきだと思われる(表向きの要請だけはしたみたいだが)が、発売中の週刊ポストによると、

「PTAの2人はうるさい」

ということらしいので、ハナから、小沢、鳩山両氏には期待などしてないのであろう。

しかし、今後の福島第一原発における情勢、さらには、復興にかかる政策如何によっては、菅首相はそれこそ、「裸の王様」となりかねない。また、例え「大連立」ができたとしても、民主党と自民党が各々、方向性を一致させるとは思えない。というか、大連立を組むからには、それこそ「挙国一致体制」が求められるわけであるから、大統領並みのリーダーシップを持った指導者が求められるが、菅、谷垣の両氏には、はっきりいって、そうした度量があるとは思えない。

しかしながら、「元 大幹事長」のような人物であれば、そうしたオーラは多くの国民に与えうる。もっとも、俗に言われる「何とかペンタゴン」の連中は、これだけ国難の情勢であっても、小沢一郎にだけは上に立ってほしくないと考えているだろうが、仮に「大連立」を願っているのであるならば、誰がトップに立つべきかをまずは考えねばならないのではないか。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする