生涯1155勝を挙げた名伯楽伊藤雄二氏の訃報が飛び込んできた
関西の雄で、伊藤修司元調教師とか服部正利元調教師、戸山為夫元調教師などと同時期に活躍した事もそうだが
この時代の福永洋一氏(祐一の父)、故武邦彦氏(ユタカの父)、田原成貴氏などから現在の豊・祐一に繋がるミニ歴史を知っているからぜひ取り上げたかった
ご冥福をお祈りする
名伯楽・伊藤雄二元調教師が老衰のため死去 85歳 ダービー馬ウイニングチケットや女帝エアグルーヴを管理
JRAは19日、中央競馬史上8位となる通算1155勝を挙げた伊藤雄二元調教師が老衰のため、17日に死去したと発表した。85歳だった。葬儀は19日に親族のみで執り行われた。
1966年に騎手から調教師に転身し、93年ダービーを制したウイニングチケット、96年オークスと97年天皇賞・秋を勝ち、97年の年度代表馬に輝いたエアグルーヴ、02年秋華賞、エリザベス女王杯を勝ったファインモーションなど数々の名馬を輩出した。G1(グレード制導入前のG1級を含む)は13勝を挙げ、83、84、87年と年間最多勝利を3度記録。07年に引退し、14年度に競馬の殿堂入りとなる顕彰者に選ばれた。
伊藤氏とのコンビで多くのタイトルを手にした武豊は「ご親族から、お亡くなりになったと連絡を頂きました。寂しいです。大御所なのに気さくな人柄の伊藤雄二先生には、ずっとかわいがってもらいました。なので恩人です。たくさんG1を勝たせてもらった中でエアグルーヴの天皇賞・秋は、牝馬による数十年ぶりの勝利が話題として大きく取り上げられたこともあり、当時は先生と一緒に偉業を達成した充実感がありました。恩返しできたと思っていないし、まだまだ頑張る僕の姿を、先生には天国で見守ってもらいたいです」とコメントを寄せた。
(別記事より)
伊藤氏は1959年に伊藤正四郎厩舎所属として騎手デビューし、坪重兵衛厩舎所属時代を含めて72勝(535戦)を挙げた後、66年に調教師に転身。69年に阪神競馬場から栗東トレセンに拠点を移した。
その後、77年にハードバージの皐月賞でクラシック初制覇。87年にはマックスビューティで桜花賞、オークスの牝馬2冠制覇も成し遂げた。89年の桜花賞は武豊とコンビを組んだシャダイカグラで制した。
*このハードバージのさつき賞は天才福永洋一氏でダービー時は代役武邦彦氏が騎乗し惜しくも2着だったのを思いだす
ちなみにマックスビューティーは田原成貴氏だった
さらにダイイチルビーで安田記念、スプリンターズS(いずれも91年)を優勝したことで、「牝馬の伊藤雄」の称号を得る一方、93年にはウイニングチケットで鞍上の柴田政人とともに悲願の日本ダービー制覇を成し遂げた。
そして、エアグルーヴ(96年オークス、97年天皇賞・秋)、ファインモーション(2002年秋華賞、エリザベス女王杯)と、武豊との最強コンビで日本競馬史上に残る名牝を次々と輩出。05年の秋華賞をエアメサイアで制したのが最後のG1制覇で、07年2月28日に定年引退した。2014年には中央競馬の発展に多大な貢献があった関係者に送られる「競馬の殿堂」の調教師顕彰者に選出された。
調教師として
通算7501戦1155勝
重賞勝利77
Gi級勝利数は思ったより少なく13勝だった
GI(級)勝利馬
ハードバージ - (1977年 皐月賞)
サニーシプレー - (1980年 阪神3歳ステークス)
マックスビューティ - (1987年 桜花賞・優駿牝馬)
シャダイカグラ- (1989年 桜花賞)
ダイイチルビー - (1991年 安田記念・スプリンターズステークス)
ウイニングチケット - (1993年 東京優駿)
エアグルーヴ - (1996年 優駿牝馬、1997年 天皇賞(秋))
ファインモーション - (2002年 秋華賞・エリザベス女王杯)
エアメサイア - (2005年 秋華賞)
ちなみにG1では無いがスカーレット一族の重要な系譜のスカーレットブーケも管理馬だった