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「その峰の彼方」 笹本稜平著を読んで

2014年07月10日 | 日々雑感

久しぶりに、読み応えのある本に出会った。
笹本稜平著の「その峰の彼方」である。
少し前に、「とあるブログ」に紹介されていたのを読んでいた。
そして、ある日フラッと寄った本屋でふと目についたので購入した。

そして、一気に読み上げた。





私はその昔、そんな大したことではなかったのだが、
一時期「岳人」(山屋かな?)たらんと思い、
山登りに、まぁまぁ真剣に励んでいた時期があった。





高校2年生の「伯耆大山」での最初の冬山合宿に始まり、以後、
北アルプスでは、明神岳の東稜や屏風岩、北穂の滝谷、劔岳の源治郎尾根などの岩登りから、
厳冬期の八ヶ岳縦走や3月の南岳西山稜からの槍ヶ岳、早春の白馬岳、
正月に登った鹿島槍ヶ岳東尾根などの雪山にも取り組んでいた。





今思い出すと、凍てつくブルーアイスと化した稜線をピッケルのピック部分を折ったまま、
大変な苦労をして登った槍の頂で、思わず感激の涙を流したことや、
春の白馬岳では、もう少しで隠れ滝に落ちる寸前になったり、
小雨に濡れた滝谷の岩峰にビビったり、本当にいろいろな出来事と思い出があった。
そして、厳しい場面にも少なからず遭遇してきた。





今、こうして過去を振り返られるのは、
それらの厳しい場面を乗り越えてきているからなのではあるが、
まぁ、遠い40年も前の出来事なので、だんだんと記憶が薄れてきている。





当時は、まだ二十歳前後の若さと体力にあふれ、自信もあり、怖いもの知らずだった。

しかし、40年の歳月は、その青年をただの中年太りの「ただただ情けない!」
状況に変えているのだが、気持ちだけは少しだけ維持してるつもりだ。(?)(オイオイ!)


そういう経験のある私としては、この「その峰の彼方」には
登攀中の場面や山を巡る数々情景の描写なども、臨場感にあふれ
本当に、グイグイと物語の中に引き込まれていってしまった。

この作者は、本当に山登りのすべてが分かっている。
そんな感じがする。(山に関しては、ただ者ではない!)





 「人は何故、山に登るのか?」

 「人は何故、生きるのか?」




主人公「津田悟」が厳冬期のマッキンリーへ単独で挑み、消息を絶つ。
「津田悟」がその命、魂のすべてをかけた挑戦の先にあるものを、
本人、捜索隊、家族、彼を愛する人々それぞれの目線で問うていく。

そして、その答えを探す。





そのようなストーリーなのだが、
クライマー「津田悟」の遭難をテーマとして、繰り広げられる物語の行間から、
何度もこの二つの命題が投げかけられてくる。

そのたびに、「自分ならどうなのか?どう考えるのか?」と思わず問うていた。

そして、私自分も思わずマッキンリーと対峙しているような気持ちにもさせてくれた。





 「何故山に登るのか?」

 まだまだ、これからもその答えを求めて山に登るのだろう。

 「人は何故生きるのか?」

 これもまた、考え続けねばならない「問」なのだ。





ネットに、作者の笹本稜平氏のコメントが掲載されていた。

「私は『還るべき場所』の中で、山に登るという行為自体の中に人が生きる意味、“魂の糧(かて)”がある、と書きました。
 本作では、その生きる意味の本質的な部分に踏み込んでみたかった。山に登ることは、ある意味無意味なことかもしれない。でもそれは人生そのものを非常にピュアな形で凝縮した行為ともいえる。
 そこで主人公たちが苦しみ、悩み、互いに励まし合いながら前に向かい、1つになっていく。それは今生きている、あらゆる人間の人生の根っこの部分で共通する何かなのではないか……。
 その何かを『これだ!』と指し示せたかどうかはわかりませんが、それをさし示す指の形だけでも読者に読み取ってもらえたら嬉しいですね」

 この本を読んで、笹本稜平氏のファンになってしまった。
 今上映中の「春を背負って」も観に行こうかな。

 山登りが大好きな人には、ぜひ読んでもらいたい本だと思う。もちろん、そうでない人にも。


※今回の写真は、先輩のSさんがこの3月に伯耆大山に登られた時のものを
 掲載させていただきました。


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