当教会の子供たちは、ほとんどの子が小学生になったら、
鼓笛・バトン団体に入って、毎週日曜日、上級教会へ練習に行っている。
子供たちにとっては大事な大事な”日曜日”という時間をお供えして。
ですが、うちの子達は長女も長男も次男も、自分の我を通して行かなかった。
姉も兄も行かないのに、自分だけ行くのはイヤだと言い、
次男も2年半でやめた。
私が、どんなにあの手この手で引っ張って行こうとしても、そんなの最初のうちだけでだんだんと知恵もつき、主人の猛反撃もあり、諦めざるをえなくなる。
どれだけの悔し涙を流したことか・・・
子供も苦しかったの違いないのだけどね・・・
その時期の私の無我夢中な姿を、子供たちはどんな風に受けとめてたんだろう。
「しつこい」
とは言われてた。
『なんでうちの子は、こんななの?!』
子供じゃなくて親の私なんだと思い続けてきたけど、それさえも飽きてきて、
「もういいや・・」
やっとやっと自分で踏ん切りが付いたら、すごく楽になった。
もう、楽に日曜日が迎えられるんだ・・もう闘わなくてもいいんだ・・
日曜日の朝に安らぎが戻ってきたのだ。
”自分はやるだけのことはやった”
”行かない子供たちだからそこ、たくさんの言葉を投げかけることができたんだ”
この二つだけには自信があった。
長女は吹奏楽を始めた頃は、魚屋さんのバイトをしていた。
仕事の忙しい土・日に吹奏楽があるし、
また友達をなんとか練習に連れて行きたいというおたすけ心から、逆に流されてしまい自分も一緒に休みがちになってきてしまうようになった。
情けない。。。
「うちは吹奏楽のみんなのことが好きだし、クラリを吹くことが好きなんだよ。みんなに会いたいなって思うんだよ。」
そう、言っている長女。
指導をしてくださったプロの方も、先輩も、
嬉しいありがたい言葉をいつも下さっていた。
私は、長女がクラリネットを吹いている姿を見るのが、大好きだった。
なんとか、続けて自分の一生の趣味としてでもいいから、
手放してほしくないと思ってきた。
今でも、そう思う。
誇りに思うんだよ。