今日は実はあんまり詳しくなく、自分の言葉で書く日記です。
仏教の言葉らしいのですが「小我」という言葉があります。世の中には自分だけが良かったらそれでいいとか、自分の家族だけが幸せだったらいいという人がとても多い気がします。
自分の周りが幸せなのは、それは自分の心が安心し
幸せな事だと思います。私も昔はそうでしたが、絵の事をたくさん勉強し(←本当に何年もすごい勉強したんですよ
)、それを引き続きずっと勉強するのも一つの生き方だと思いますが、ある時から絵の仕事をし出した事もきっかけになって、人に絵の楽しさを教えたり、心に癒しを差し上げる事が出来たり
・・・これは、私にとっては一つの「大我」だな
と思っています。「大我」というのは、仏教語で「個人的見地を離れた自由な境地」とあります。
さて、私はホンの少し、自分なりに「大我」と「小我」を体験したつもりですが、「小我」の人間は、いつまでも本当の幸せを感じる事が出来ません
自分より少し上の人が気になったり、自分の周りを守る事だけが大切で、とても世界が小さいのです。
でも「大我」を体験した人間は、とても大らかになります
人を妬んだり、ひがみの心が無くなります。人が喜ぶと、自分も嬉しくなり
、ますます人の為になる事をしたい
と思うようになり、大げさに言えば
人の幸せ=自分の幸せ
と思うようになるからです。
人の為になる事は、本当は自分の心
を喜ばす事
なんだなと実感しています。実際、私は人が羨ましいと思う事はありません。
何故、こんな事を書いたかというと、今日実家に行ってお母さんと喋っていて、身近な人で、自分で自分の心をいじめて、自ら不幸になっている身内の事を考えていました。その人は「小我」だけだと思いました。
狭い世界だけ見ていても、絶対に幸せにはなれないよ
と言いたいです。

帰ってから、鯛の絵を描きました。仕事以外でも、舞鶴の絵が気になって描いてしまいます。それに、食べ物って、食べるだけじゃなく、私結構描くのも好きかも・・・






さて、私はホンの少し、自分なりに「大我」と「小我」を体験したつもりですが、「小我」の人間は、いつまでも本当の幸せを感じる事が出来ません


でも「大我」を体験した人間は、とても大らかになります





人の為になる事は、本当は自分の心


何故、こんな事を書いたかというと、今日実家に行ってお母さんと喋っていて、身近な人で、自分で自分の心をいじめて、自ら不幸になっている身内の事を考えていました。その人は「小我」だけだと思いました。
狭い世界だけ見ていても、絶対に幸せにはなれないよ


帰ってから、鯛の絵を描きました。仕事以外でも、舞鶴の絵が気になって描いてしまいます。それに、食べ物って、食べるだけじゃなく、私結構描くのも好きかも・・・
