以前のブログの「幼少期」・・・その中の③の「家では常に一人ぼっちでいたこと」に関して少しお話を・・・。
物心ついたときから両親は「昼も夜」も働いていました。どこかのブログで書いたことがあるのかもしれませんがこの頃の「記憶」には「親と食事をした記憶」いわゆる「一家団欒」という記憶が僕には無いんです。
きっと沢山の方にもお、さまざまな理由から「同じ環境」や「似たような雰囲気」をお持ちのかたもいらっしゃるかと。
その中での「鮮明に残っている記憶」・・・いわゆる「トラウマ」というもの・・・・。
確か小学生低学年のころだと・・・夜中に「何台もの消防車のサイレン」が鳴り響き僕のアパートの近くで「大きな火災」がありました。近所の人の騒ぐ声と「逃げたほうがいい」だとか・・・「子供が泣き出す声」だとか・・・「救急車・パトカー」だとか・・・・田舎だったものですから「野次馬」が「言いたいこと言っている声」だとか・・・・・・。
そんな僕は1人で家に・・・その音で「怖くなり」「不安」になり「泣き始めたり」と・・・いまでもあの光景と景色と「燃えている家と夜空が赤くなっていたことと、煙と音」はわすれないでしょう。
「1人で押入れの布団の中で隠れていたあの空間と時間」
あとから聞いた話ですが・・・両親は情報を聞いて急いで帰ってきてる途中「野次馬が向かう方向と燃えている方向が自分家の方向だったものだから半分あきらめていた」ようでした。
「何から学んだ」かというと・・・・ある意味「幼少期の自分」なんでしょうね
この時の「出来事」から「形成」されたであろう「性格」や「孤独感」や「周囲の大人達のあり方」や「やさしさ」や「守るもの」や・・・人間特有の「瞬間に出る本能」というものや。
時に今起きている現実に「怯え」「不安」「絶望」等を抱える瞬間もあれば・・・そこに小さな「希望」「夢」「祈り」「願い」を同時に心へと芽生えさせる瞬間もある・・・・。
「誰にもいえない過去」・・・・・・人には必ずある・・・・。けれど・・・押さえ込める「感情」を「失った」時・・・・・・その姿を目にした時・・・・・・・・優しい眼差しで・・・・・手を差し伸べられることができるのでしょうか・・・・・。
僕が・・・僕であるために・・・・・立ち続けなければならない・・・・