本日は「雨」ですね~
こんな話をよく耳にします。
雨が続くと・・・・・・・・「もう雨はいらないね・・・」と雨が不快なものに変化し晴れが快に変化されている
反対に
晴れが続くと・・・・・・「雨がほしいね・・・・・・・・」と晴れが不快に変わり雨を求め望んでいる
っで・・・・
中間の曇りが続くと・・・・・・・「はっきりしない天気だね~」みたいな感じで・・・。
「職業」によりこの「天気」の変化というものはとても「重要」なもので「その日の言動」にも変化を及ぼしますね。
話を本題に移しますが・・・最近「翻訳機」というものが増えていまして海外で役立つアイテムのひとつになっているようですね。
日本語で話すと各国の言葉に変化してお互いが「理解できる」優れた機械ですね。
では・・・・・・「認知症」という病気をお持ちの方々の「言動」「思考」「こころ」をみなさんはきちんと「翻訳」されているのでしょうか??
「きちんと伝え」「きちんと受け止め」「きちんと理解しようと努力」されているのでしょうか・・・?
・・・・1人の職員の解釈で「その方々の性格」を決め付けてしまう場面・・・皆さん経験ありませんか??
「何を伝えようとしているのか・・・・・」
「何を伝えてあげようとしているのか・・・・」
「何を伝えなければいけないのか・・・・」
そこには「翻訳機」というものは間違いなく存在しないわけで・・・・・唯一の方法はやはり・・・「こころ」だと・・・。
「人として」一緒にいるのであれば・・・全て「人として」関わるべきではと・・・最近感じます。
「認知症」と思って接し見ているのは、第三者であり・・・・本人は自分を「認知症」と思いながら生きなければいけないのでしょうか・・・・。
関わる側の「思考」ひとつで・・・・・「特別な言動」にはならないのでは・・・と・・・これからも伝えて生きたい。