最近の生そば箱根

2009-11-21 19:28:32 | 日記・エッセイ・コラム



きつねそば。



毎朝、東京の田町駅付近でそばを食べてるんですが、一番よく利用するのが、『生そば箱根』なんです。って何度もブログに書いてるけど。。。出汁に甘味があって、関西風が好きな人には好きな味かと。



そんな生そば箱根田町店なんですが、最近、店員がおじさん二人になってしまって、朝の店内がなんだか静かになったように感じるんですよね。



新顔のおっさんが、ありがとうございましたと言わずに



「いってらっしゃい」



と言うので、(オマエに言われたないわい)という感じで、めちゃめちゃ違和感があったのです。やはり数日で言うのをやめちゃいました。誰かに注意されたとか?



いや、ホントに静かになっちゃて、他の客の蕎麦のすする音が耳に響く感じです。しかし、客が減ったとは思えなく、



そこで、改めて気づき。
前に働いていたおばちゃん。



「いらっしゃいませ~~」
「ありがとうございました~」



そう。改めて気づいたんです。
何気ないかけ声に華があったんだなぁと。カムバックプリーズ。



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夜半余話のネーミングは

2009-11-19 23:19:05 | 日記・エッセイ・コラム

クリスマスプレゼント。
あれはたしか小学校低学年だったはず。私と姉の枕元に、夜遅く帰ってきた父がプレゼントを置いてくれたんです。小さな箱。



翌朝。



姉といそいで箱を開けました。



中から出てきたのは、



『爪切り』。。。



私のは青い爪切り、姉のは赤い爪切りで、つまり、色的にそれなりに考えて買ってくれたのかなぁ。。。と。しかし、そのときの子供心はご想像にお任せしましょう。感想を求める父に何って言ったかは覚えていませんが、父の一言だけは覚えています。



「なんでや」



その後いつだったか。お父さんが戦艦大和のプラモデルを会社帰りに買って帰ってくれました。私ったら狂喜。狂喜なわけです。当然ですよね。そんな狂喜なんで、表のパッケージに戦艦大和を正面から見た絵が描かれていたのを今でもはっきりとカラーで覚えているわけです。



翌日、学校から帰って、、、



コタツの上には休暇の父が組み立てた戦艦大和がのっかってたんです。泣いたんじゃないかなぁ たぶんね。私が何て言ったかは覚えていませんが、組み立ててあげた的な父の一言だけは覚えています。



「なんでや」



おっと、タイトルは夜半余話のネーミングでしたね。



中学生の時、ホビージャパンというプラモデルの雑誌を毎月買ってまして。プラモはガンプラから始まって、結局は田宮の第2次大戦時代のドイツ軍系のプラモにはまりつつありました。さらに、ドイツ軍の電撃作戦を知ってから、その優秀な作戦戦術について書かれている本など中学生の時代に読みあさったんです。



たぶん同じような人がいると思うのですが、当時だとウォーゲームにたどり着くんですよね。将棋のように図版の上に部隊のユニットを置いて、敵側のプレイヤーとサイコロを交互に振って動かすって感じ。



そんな頃から



さらに時代が進み。



その机上のゲームがパソコンで再現されるんですよね。時代です。過渡期です。たとえば「大戦略」系のゲームがもろにそうですね。私が20歳ごろでしょうか。MSX2のようなオモチャなパソコンではウォーゲーム系のゲームは重すぎて、1ゲーム終了まで一週間かかったりしてたんですよ。



ある日、友達の家でエプソン80286系のパソコンで、リアルタイムと化した大戦略のあまりにサクサク動くユニットを見て驚愕。ウォーゲームの世界では将棋盤でいうところのマスをヘックスと言いますが、ヘックス内に複数のユニットを置くことをスタックと言ったと思います、そのスタックの表示をまるごとパソコン上でサクサク演じられ、プロトカルチャー。



その後、PC-9801vm を購入。v30でしたが。。。それで大戦略をやり続ける毎日でした。学生でしたし。。。



余談ですが、
その80286系のパソコンを持っていた友達「かっちゃん」。今で言うところのオタクそのもの。オカッパっぽい髪型。背が低く分厚い丸めがね。さらに驚くと顔面が震えるので、おまえ顔面神経痛や とからかっていたわけです。



そんなかっちゃんの家にみんなで遊びにいったある日、



「おやつです」



とフスマを開けて登場の妹。



落花生てんこ盛りの大きな器を手に登場したんです。妹は高校生と中学生の二人いる中で、中学生の妹とのこと。これがめちゃめちゃかわいくて、一同びっくり、そして釘付け。くりくりの目元に。整った顔立ち。この兄貴にこの妹はありえね~ そのとき妹が



「これ当たりつき」



といって置き去った落花生。意味わからず食べ進めると、赤いマジックで塗られた落花生が出てきました(笑  



こ、こ、これ当たりや!!



当たりちゃうんけ!!おえ。 これがあた。。。何を興奮しとんねオマエ。 



それ以来、かっちゃんの株が上がったことは言うまでもなく。つまり誰も顔面神経痛なんて言うわけもなく、、、。 そんなある日、妹を忘れられないやつが、かっちゃんに聞いたんですよ。



妹の好きなタイプは?



またまた一同釘付けにて、兄貴の回答を聞き入るわけで、



「ん? スタンハンセンらしいで」



と兄貴。小さなあんパンを食べながらの返答でした。。。



みんな心の中で思ったでしょう。スタンハンセン?スタンハンセンって、なんでやねん。なんでやんね。、、、当時は新日か全日かプロレスが毎週放送されてたんですよね。そんな影響ってあるんや。



「筋肉隆々が好きらしいで」と兄貴追い打ち。



わかった、わかったけど、スタンハンセンってそんな筋肉隆々じゃないような気もして、、、ハルクホーガンならわかるけど。。。



おっと、タイトルは夜半余話のネーミングでした。たどり着けなかった。。。また明日。



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クリスマスツリー

2009-11-18 21:32:00 | 日記・エッセイ・コラム







クリスマスに近づくと、街がそんな雰囲気に彩られるわけですが、なんでも年々早め早めになってきてるそうですね。まぁ商業的理由なんでしょうね。



我が家では先週の土曜日に、やたらモモコが「ツリー出して。ツリー出してよ~」と言い続けるため、これまた早めなクリスマスツリーになってしまいました。



早く出してしまうと、肝心のクリスマスの頃には見飽きちゃってるし、埃かぶるし、とにかく12月に入るまで待て。とにかく待て と言ってみても聞き入れないわけで。。。というわけのクリスマスツリー。



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幼稚園の頃3

2009-11-17 21:42:55 | 未分類

幼稚園の頃。



娘モモコではなく。



私が。



年中から幼稚園に通ったんで、この記憶はたぶん年少さんの年齢かなと。



一つ違いの姉は、なぜか私立のちょっといい幼稚園に通ってまして、私は姉の登園に付き添う母親に付き添って、毎朝登園を強制されていました。



そこは登園すると必ず園長に



「おはようございます!!」



と頭を下げてあいさつするしきたりがあったんです。



園長先生は足が悪いわけではないと思うのですが、挨拶を受けるためのような狭い部屋に椅子一つを置いて、ふんぞり返っていた絵をまだ覚えています。そのふんぞり返っている園長と向かい合って一人、一人が挨拶をするんです。園長、太ってました。



母親に「挨拶しておいで」と言われて、園児でもないのに仕方なく毎朝挨拶させられてました(笑 でも園長はニッコリ笑ってくれてたので、翌年ふつうの市立の幼稚園に通うまでの1年間はそんな朝を続けることができたんですね。たぶん。



そうそう、娘モモコが通っていた幼稚園でイベントがあって父兄が集まったとき、園長先生がしゃべるのですが、首をかしげることが何度かありましたね。



女園長「男の子のお父さんは、ぜひ立ちションの仕方を教えてあげてください」



なんじゃそら。
もちろん、このくだりへ到達するまでの過程はあるのですが、、、



「おしっこを遠くへ飛ばす方法を教えてあげてください」



まだこっちならいいです。
そういえば、昔、バイト仲間とボロボロのコロナで裏六甲をドライブし、神戸の港町の夜景が見えるスポットに行き着いて感動。そして夜景に向かって並んで立ちション。男3人並んでの立ちションになります。勢い、遠くへ飛ばした者勝ち的な感じでした。
もちろん周りはアベックばかりですが(笑 若いって勇気の固まりですね。



次。



女園長「男の子のお父さんは、たたいたりする喧嘩の仕方を教えてあげてください」



もちろん、このくだりへ到達するまでは過程はあるのですが、基本、暴力は禁止ですよね。そもそも喧嘩の仕方を知ってるお父さんってどれくらいいるの? まぁうちは女の子なんでどれも該当しなかったので、どれも受け流しましたが。。。



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幼稚園で

2009-11-16 21:55:02 | 日記・エッセイ・コラム

幼稚園の頃。



娘モモコじゃなくて



私が。



通っていた幼稚園は小学校の敷地内にあって、園庭もあったのですが、3本の松の木というゆるい境目から小学校のでっかい校庭が広がっておりました。



ある日、小学校の校庭で凧揚げ大会がありまして、既製の奴凧に顔などわけのわからない絵を描き、みんなで校庭の端っこに並んで、せーのー どん で、わーっと走るだけだったはずです。



反対側の端っこまで走りきって、風が弱かったのか、クレヨンとかの重みが悪いのか、上がりっぱなしの凧なんて一つもありませんでした。



「おがーざーん」



と、そこで泣く、男の子。名前は忘れた。



凧があがらないからではなく、



うんち漏らしていました。



走りながら漏らしたのかなぁ。これずっと謎。



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