百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

カブトムシの羽化

2024-06-27 17:41:00 | Weblog
カブトムシの羽化は土の中で行われるため、あまり目にすることはない。羽化後も土の中で羽根を乾かし、しっかり活動ができるようになってから、地上に出てくる。
基本的には飛ぶこともできるが、あまり好んで飛ぶようではなく、飛距離も短く、その飛行態勢は体重があるためあまりかっこの良いものではない。カブトムシは見えているのだろうか、聞こえているのだろうか、おそらく匂いを感じる臭覚が強く、臭覚が目や耳の代わりになっているのだろう。どの程度すごい臭覚なのか、何か調べる方法があれば、この夏一度実験してみたい。

夏至が過ぎて

2024-06-26 21:05:00 | Weblog
夏至から数えて5日になる。
カブトムシくん達は、そろそろ羽化を始める。カブトムシくん達は羽化したからといっても土の中にしばらくいる。羽根をしっかり整えて、地上に出るチャンスを伺う。地上ではさまざまな苦難が待ち受けている、おそらく彼らは使命を持って地上に出て、その使命を果たすもの、果たせず生命を落とすもの、地中の方が幸せだったかもしれない。でも地上に出なければならない、彼らは彼らの使命のために!


カブトムシの世界

2024-06-18 23:04:00 | Weblog
夏本番を迎える頃
土の中でカブトムシのサナギ達は、そろそろ羽化(ウカ)を始める
温度を察知しているのか、気候の変化を察知しているのか、早く地上に出たモノが良いのか、少し後からの方が良いのか、地上に出た瞬間にさまざな苦難が待ち構えている
それでも地上に出ないことには、始まらない。今までは地中で炭素を食していたが、これからは地上で樹液(主に糖分)を食べなければならない。オスはツノを活かして餌場では結構存在感を発揮するという。

カブトムシの蛹化(ヨウカ)

2024-06-18 06:15:00 | Weblog
夏も間近に迫ってくると、カブトムシの幼虫達はそれぞれが自分で部屋(いわゆる「蛹室(ヨウシツ)」を作り、引きこもり(ではないが)ます。蛹(サナギ)になり食事も一切しなくなり、時々姿勢を直す程度で、部屋の中で立ったカタチで羽化(ウカ)を迎えます。2〜4週間程度で成虫となります。

しょっちゅう

2024-06-10 18:39:00 | Weblog
耳にする、そして時々
口にする、そうなのに漢字での表記となると⁇ 
日常で「しょっちゅう」というと、いつも、ふだん、終始の意味で使う。
これは仏教語「初中後」の略だそうだ。
経典の中には、仏様の説く教えを讃える表現として「初めにも善く、中にも善く、後にも善く」と出てきます。この言葉を「初中後善」といい、「初中後」は物事の初め・中ごろ・終わりの三段階。中世の芸道、文芸論などで使った用語、その流れをくむようだ。
「しょっちゅう」使っているが、漢字表記できず、その由来も知らなかったとはなんとも、なんとも。

カブトムシの蛹化

2024-06-08 06:10:00 | Weblog


カブトムシは幼虫から蛹(サナギ)になり、そして羽化して成虫になり地上に出てくる。幼虫の時は土の中で暮らし、主に腐葉土や朽木を食するが、蛹(サナギ)になり、カタチも様変わり(雄には角が生え)、何も食べない生活を3〜4週間過ごすと、今度は地上で暮らすようになるが主に食するのは樹液になり暮らしぶりも一変する。この写真は幼虫が蛹になる少し前の姿(前蛹)で、これから蛹(サナギ)になる準備として土の中に蛹室(ヨウシツ)を作り始める。



カブトムシの蛹(サナギ)

2024-06-07 21:10:00 | Weblog
今年からカブトムシビジネスを本格的に構築しようとしている。
カブトムシとは日本にはほぼ一種類しかいない固有種(厳密には他にもコカブトムシがいたり、亜種もある)ヤマトカブトムシを指し、・国内の本土に広く存在し(亜高山~平地、北海道の一部九州まで生息)・繁殖力が旺盛(個体数が多い。)・闘争力が強く、夜の樹液場を独占しほぼ無敵状態という特徴をもち、ある意味進化の最終形・完成形と言えるのかもしれない。
また、彼らの腸の中には“窒素固定菌”がおり、自らが木屑を分解して窒素固定を図りあの硬い角などをつくるようです。

久々の更新

2024-06-06 20:34:52 | Weblog
1年振りの投稿になる。
サボっていた訳ではなく、いろいろ試行錯誤を繰り返していた結果、1年かかっただけのこと。
最近はblogのカタチもいろいろあり、何を目的にどういう手段をどういう対象者に向かってメッセージするか、大変煩雑でわかりにくくなっている。おまけにYouTubeやInstagramなど文字ではなく映像で伝える手段もある。
小説を書いたり、直接販売につながる日誌だったり、実に面白い。
しかしそもそもこのblog『百姓通信』を始めた切っ掛けは日記がわりに(日々のメモ程度の意味)なれば良いなあと思ったからであり、あまり複雑なことは考えていなかったことに今更のように原点回帰すると、あまり考えずに日々の暮らしを書き綴またいくこともまた、正しいような気がして、まだ始めることにする。