私事である。
1963年(東京オリンピックの前年)、親父の仕事の都合で、練馬区立立野小学校に入学した。しかしまた、父の転勤でその年の秋に故郷の周防の国に戻ることとなり、以後、高校卒業まで古里に居た。
良い友達に囲まれていたので、東京を離れるのは大変つらく、いよいよ東京駅に向かっていた朝に小学校の側を通ると、同級生のイトウくんが、「○○くん、さよーならー」と大声を出しながら何度も手を振ってくれた。
このイトウくんの思い出は、寂しい記憶として残り、そのまま深く心に沈んでいた。そのためかこの年になるまで、誰にも話したことはなかった。しかし先日、あるブログに、ふと、このことを書いてコメントしたところ、「いい思い出をお持ちですね」と返していただいた。
あぁ、そういう思い方もあるのか
本当に長い間封印していた気持ちが、青い空に解き放されたようである。
先週、偶然の発生
テニススクールで最近ご一緒させていただいている方。息子さんが吉祥寺近くに住んでいるとおっしゃっるので、「僕も子供の頃、その近くに住んでいて、立野小学校というところに入学したんです」と言ったら、「孫が2人、立野小学校に通ってます」と、どうやら入学式にも行かれていたようで、お互いに驚愕の顔の見合わせ。山口で立野町の話しができるとは、お互いに初めてなのは勿論、私などは半世紀越えの驚きである。
思い出は更新されて、沈殿していく。
練馬の火山灰の黒い土(表層土の黒ボク土)
また、江戸の桜を眺めに行こうかな