博多でキュリオス。シルクドソレイユ。
パントマイムは少し長過ぎ
後はきゃぁきゃぁもの
古文書、毎日1時間。1日やらないと勘がにぶくなるような😅記憶力減退との調和の模索。
博多でキュリオス。シルクドソレイユ。
パントマイムは少し長過ぎ
後はきゃぁきゃぁもの
古文書、毎日1時間。1日やらないと勘がにぶくなるような😅記憶力減退との調和の模索。
東風吹かば思い起こせよ梅の花 主人なしとて春な忘れそ
都を去る菅原道真の歌
道真より百数十年遡る。道真と同様に学問・実務に秀でた和気清麻呂、吉備真備という、いわゆる能吏。清麻呂は、宇佐八幡宮から「無道の人(称徳天皇が寵愛していた道鏡)は宜しく掃い除くべし」というご神託を持ち帰り、穢(きたな)麻呂と改名させられたうえ大隅国へ流罪、暗殺まで試みられる。一方、真備も遣唐留学生となり天文学、兵学など広く学び重用されていたが、藤原仲麻呂が専権をふるうようになると、筑前守、肥前守と左遷を繰り返し強いられる。
しかしながら、清麻呂は道鏡が失脚すると入京を許され、官界に復帰し、桓武期に昇進、重用され、公卿の地位に昇っている。真備も、新羅に対する防衛のため、筑前国に怡土城を築くなど余人に代え難い功績を挙げ、70歳で帰京する。そしてその年に発生した仲麻呂の乱では、中衛大将として追討軍を指揮し、乱を鎮圧する巡り合わせになる。その後真備は右大臣にまで昇進する。学者から立身して大臣になったのは、近世以前では、真備と道真のみとされる。
道真、清麻呂そして真備はそれぞれご祭神として祀られ、多くの学生、社会人らから願を掛けられるのは、理も情もあるところなのだろう。
春な忘れそ
2月18日月曜日
JR奈良駅から桜井線(愛称 万葉まほろば線)ワンマンカーで桜井駅へ。駅を降りるとたまたま停車していた談山神社行きバスで聖林寺に向かう。
約2kmで聖林寺バス停に到着。「帰りのバスは本数が少ないのでご注意下さい」とアナウンス。少し歩くと聖林寺。今は大きなお寺ではない。712年に談山妙楽寺(現談山神社)の別院として建てられたとされる。
本尊の丈六石仏、お顔の大きな子安延命地蔵菩薩を拝み、目的である国宝十一面観音菩薩へ。観音堂には蔵のような分厚い鉄製の扉を開け、さらに引戸を引いて入る。観音さまはガラスケースの中におわしました。
760年代に造られたとされる木芯乾漆像。長らく秘仏であったが、フェノロサと岡倉天心により封印がとかれた。均整のとれたなんとも優美なお姿。
聖林寺を出て、徒歩で安倍文殊院に向かう。道すがら、談山神社から移された路傍の法華塔とその側の聖林寺橋を観たいと思っていたが、聖林寺橋が工事中で近づけない。仕方なし。近くの古墳を横目に見ながら歩く。位置関係はこんな風になる。
安倍文殊院は645年に創建されたと伝わる、最古に属する寺院。
本尊文殊師利菩薩像をはじめとする群像は大仏師・快慶が造立。
快慶像の美しさ、柔らかさ。威厳がありながら優しさにあふれた本尊騎獅像、可愛らしい善財童子。
抹茶もいただく。
文殊院を出て、また歩いて近鉄桜井駅へ。このような行程、誰も付き合ってくれないだろうと思いつつ、少し暖かな日差しの中、満足感に浸りながらの半日が過ぎた。