光の道で有名になっている宮地嶽神社。福岡県福津市。
10月と2月には、西向きの参道の果てに夕陽が沈みます。当日あたりは観光バスも出て、見るのに負荷がかかるので、イメージだけでも。
神功皇后が主祭神。毎年200万人を超す参拝客があり、この地方では宗像大社と並んで初詣の人出も多い。
注連縄の大きさでも知られます。
落ち着いた、気品のある佇まい。
卒論草稿は来週提出。並行してポチポチ作っていた書誌学のレポートは先日提出しました。返ってきたら、また考えたことなど書いてみます。
諸用の帰り道、宗像大社(辺津宮)に立ち寄りました。
天照大神の御子神である宗像三女神は、天照大神の神勅により宗像の地に降臨され、
皇室・国家の守護神として、沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(九州本土)の三宮に鎮まりました。
高宮祭場は、社殿を有さない日本固有の祈りを今日に伝える全国でも稀な古代の神籬祭場です。
長時間の運転で疲れたので、パート2に続きます。
夏スクの空いた時間に聖武天皇陵まで歩いてみようと思い立った。
これは隣にある奥様の光明皇后陵
奈良の街を歩くと天皇陵が散見されるが、もちろんこのような環境にあるのは奈良だけなのですよ、奈良市民の皆さん。街の品格がいいですよね。鹿神さまが公園、道路を歩いているのもご当地だけ。
山口県の街中で歩いていれば事件である。
卒論の推敲にかかっているが、繰り返しに、少々、嫌気がさしてきている。書いては数日置いて読み直すと、また直したくなる。時間切れはもうすぐ。
年度1回きりの、バス4台分の受講生が集まる人気スクーリング。古事記どっぷりの3日間。
古事記といえば、個人的には、現代語訳であっても、途中でなぜか断念し、そのままになっていたものでしたが、
先生の熱心な話術と講座の仕組みに支えられながら、じっくりレクチャーされ、良かったと思っています。
2日目午後は学外授業、平城京跡に行き、まず、復元された隅楼と東院庭園を歩きながら、説明を受けます。
その後、朱雀門で
女帝元明天皇のように、平城京遷都を祝う優雅を体験してみます。カンカン照りの暑い日でした。お手伝いの院生、ゼミ生の皆さん、本当にありがとうございました。
3日間、終わってみれば、随分、勉強させられていたと、素直に思います。
行き帰りの新幹線で、参考書に指定されていた、先生の『万葉体感紀行』を読み、飛鳥から平城にかけての風情、事情など、楽しみました。
かなりアバウトにしか書けなかったけれど、92点でした。答案も解説書類付きで返ってきており、各問ごと、AとかBとかに+や−がついたり、つかなかったりで評価されていました。バス2台分の人数の答案を、このスピードで返却され、丁寧に採点されており、頭の下がる思いです。
試験問題には、「2017年度①」などと書かれていたので、数パターンあるのでしょう。配布資料が多いのでよく整理しておくこと、初日冒頭の項目、そして先生の方も、スクーリングで奈良の歴史地理をしっかり学んでもらおうと、答案にはこれを書いてもらおうと、特に、試験直前にこれが大切ですよ、つまりこれとこれ、これ、これと説明されたことが、そのまま大問の1つの解答であったりしました。学んで帰ってほしいことは、口を酸っぱくして話されていました。
試験のことは脇に置いて、江戸時代の奈良。江戸時代といえば一国一領主かと思っていましたが、奈良においては、同一河川から用水を取る村ごとに領主が異なり、その小さな村と小さな村とが水争いをし、訴訟が起こります。そして、その訴状、答弁書に、明確な主張と反論、経緯・理由、さらには配慮して欲しい事項などが見事に書かれています。提起した村の代表者ではなく、役人が作成したのものなのか? 今でも巷の自治会長が容易に作ることができるものではないと言ってよいと思います。この時代の政治体制のもと、法治国家として、末端のレベルの高さが窺えます。
奈良盆地の水はどこから来て、どのように流れ、どこに行くのか。その地理条件のもと、条里地割、集村・環濠、溜池が、成立時期が異なりながら、積み重なって村落景観が形成され、そして現在、それが失われつつある。丘歩き、しんどかったが、よく勉強させていただきました。
葛城市歴史博物館では、スク生が先生を取り囲み質問が続くなど、先生も大変でしたが、皆さん、この機会にと熱気が伝わるスクーリングでした。