奈良・佛教大学通信 奈良!奈良!いつもは京都

奈良大通信卒業後佛教大通信へ。日本史を学ぶOLD大学生の記録です。

卒論作成についての備忘

2017-11-28 07:52:52 | 奈良大 卒論

 卒論の草稿が無事通過したので、振り返り記録を書いておこうと思う。

 入学した年の8月には演習 Ⅰ を受講したので、この頃までにはテーマを漠然と決め、資料も集め始めていた。

 問題は論文の書き方で、遠い昔の学生時代には、学部柄、卒論が求められていなかった。奈良大の課外で卒論の作り方についての説明会はあったが、自分でも整理しておかなければならず、これに役に立ったと思われる本が、『論文の書き方』『論文のレトリック』(いずれも講談社学術文庫)。資料探し、論文の構成・配置、書くための読み方から整理、まとめ方、書き方などの概要がわかりやすく書かれている。ただ、実際に論文を作成するにには、how to本も必要で、『論文・レポートの基本』(日本実業出版社)を使った。構成、推量・当為の文末表現、副詞・接続助詞のNGワードと書き換え、接続詞の使い方、文脈指示、文のつなぎ、あいまいさの回避、読点を打つ基本、漢字と仮名の書き分けなど細かいきまりがまとめられており、これをA42枚の一覧表にして整理したが、その表をワードで打ち込んでいるうちに覚えられる程度のものだった。日本人ですから。実際に論文を書き、推敲段階になると、「思われる、考えられる」だらけの論文にしないことや、書きぶりを統一しなければならず、それには結局、先行研究の論文を模倣することが早道で、またこれらは学部、学問の系統により随分違うように思う。

 論文で論じるうえで、論理が一貫していなければならないことはもちろんとしても、その論理があまりな妄想になってもいけないので(多少は許されると思うが)、そのためには先行研究のまとめは重要。演習の先生によっては、「周辺研究がまとめられていれば卒論は合格」とか、「先行研究を検討しこれに同意するでもよい。実証が大切であり、添付の現地写真や資料の厚さで点数を決める」などの説明もあったが、そうはいいながら、せっかくなので自分の考えをまとめてみたいと書いているうちには思う。論文は弥生時代をテーマにして書いたが、いくら証拠不十分の弥生時代とはいえ妄想に終始しても残念なので、先行研究を前提に、考えの組み立てを行った。

 草稿返却時の講評で一番うれしかったのが、「興味深いテーマです」と書いていただいたこと。初志貫徹してよかったと思っている。

 

 

 

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博物館資料論レポート作成

2017-11-24 19:56:09 | 奈良大 学芸員

博物館資料論のレポート。設題は2問。設題の解説では、書くべき、まとめるべき事項が条件を付しながら、様々設定されている。綿密な採点基準があるのでありましょう。
設題の解説で「必要に応じて具体例を盛り込んで記述するように」と太字の念押しもあり、字数制限以下に削っていくのにも悩ましかった。
結果、制限字数3520字に対して3505字。各問の目安字数に対しても10パーセント未満の差に抑えることができた。が、できあがった内容はどうなんでしょうか。
明日、読み直してから送信しませう。

先月行った北口本宮富士浅間神社



参道から杉、檜の巨木







溶岩上の土層が薄く、根を地中にはれずこうなるとか



木製の鳥居も大きい







もう懐かしいなぁ

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元乃隅稲成神社(稲荷ではありません)

2017-11-22 23:19:05 | 旅行

山口県長門市 元乃隅稲成神社



神社は古いものではありません。
昭和30年、島根県津和野町の太鼓谷稲成から分霊されたものです。123基の赤い鳥居は昭和62年に奉納が始まりました。

写真は先日、家人一行が観光したときに撮影してきたもの。
歩いて行けば、別世界に吸い込まれていくような。
米国CNNの「日本の美しい景色31選」にも選ばれています。少し時間はかかりますが、角島大橋とともに観光してはいかがでしょう。

今日はお勉強の話はなし。

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博物館資料論突入

2017-11-19 17:18:25 | 奈良大 学芸員

テキストを読み始めていますが、この手の本の読み方を忘れてしまっているかのように、頭に入ってこない。
あー、やれやれ



山口市瑠璃光寺五重塔
1442年
応永6年(1399)、応永の乱で足利義満と戦い戦死した大内義弘の菩提を弔うため、弟の盛見が建立を計画したものですが、その盛見も塔の完成を見ずに九州の少貳氏との戦で命を落としています。

檜皮葺の屋根
古色蒼然としたたたずまい
大内文化の最高傑作と言われています

眺め、見入ってしまう美しさです。

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卒論提出許可受領

2017-11-16 07:29:24 | 奈良大 卒論

草稿が返却され、卒論を提出してよいとの通知を受けました。

指導欄では、内容について、論旨が明快であること、実地調査が厚みを与えていること、そして研究史からの展開方法が評価されていました。判定上の重要点なのかも知れません。

体裁については修正指摘がありましたが、内容本文にはそれがなかったので、軽微修正で卒論を提出しようと思っています。
提出許可を得られるかどうか心配していたので、本当にほっとしました。テーマを広げず、逆に絞り込んでいったことで論が具体的になり、なんとかまとまったようです。自画自讃になっていましたら、お許しあれ。



お賽銭も効いたか?  興福寺南円堂

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