早々に眠ってしまい、
・・・23時頃目が覚めたかな?
眠れない。
すると、時折りカタカタ音がする。
台所の向かい側の部屋からだ。
ネズミ屋敷か、この家は・・たまらない。
その度、粘着ネズミ捕りの設置場所を移動する。
え? 少し違う場所かな? また移動しに行く。
心底イヤになってくる。
日曜日の夕方かな?
玄関から腰をかばった姿勢で出て来た私を見て、
お向かいのヤッちゃんが笑った。
「ちょっとちょっと、どうしたの、それぇ。」
「坐骨神経痛。だいぶマシになったけど。」
「年寄りくさいよー、あははは」
「そんなに酷い格好してた?」
「ひどいひどい、腰曲がってるよー。」
「だよねえ。でもやっと真っ直ぐ立てるようになってきたんだよ。」
「いや、曲がってる前に、体のひねりもあるって。」
「右にひねってる?」
「うん、なんかすごいんだけどぉ・・」
言われなくても充分わかっている。
ヤッコちゃんは、60歳で大きな介護施設の長を引退した。
引退する前の1年半、まともに歩けなかった。
しまいに杖をついて顔をしかめて歩いていた。
私は坐骨神経痛の辛さをよく知っていたから、
積み重なったストレスだろうと思いながら見ていた。
「杖、貸そうか?」
とヤッコちゃんが言った。お断りよ、杖なんか。
「いや、いい。治ってきた。思い込みで治す。」
「あははは、そうそう。思い込み大事〜!」
ヤッコちゃんは引退したとたんに、
2週間もしたら普通に歩けるようになり、
今では腰痛なんか無かった顔してシャキシャキ動く。
そんなもんだ。
私のストレスは、実は腰にきていたのだ。
交通事故を起こした時期ころから。
あの頃から坐骨神経痛が出てきていた。
去年今ごろも痛かった。
手術前後も痛かった。
仕事復帰したら余計に酷くなった。
ストレスは、癌に姿を変えて現れたのではなく、
わたし的な定番として坐骨神経痛にきたのだ。
癌は、たぶんストレスが生んだものではない。
意識していない、別の要因からだろうと感じる。
だから、癌は取ったけど、
ストレスは取り除かれてはいないんだろう。
癌手術や、職場変化は、
気持ちが切り替わる程の、ストレスが消える程の、
ポイントをつくものではなかった、のだ。
そう思う。
じゃ、どうすれば良いのか。
人生が変わればいいのだ。
それが望みなのに、
いつになっても叶わないから、
癌を理由に仕事負担を減らしても坐骨神経痛が出る。
ついには腰を曲げて歩く程になる。
私が、
やっつけなきゃいけないモノは、
癌にならないための生活改善でなく、
長々年手に入れたかった生活を手に入れることなのだ。
私の敵は癌でなく、坐骨神経痛だ。
歩けなくなることだ。
そのために何をするか、だ。
てことが自分で見えてきたのが、ここ1週間くらい。
息子に話したら、
「愛子さん、躁鬱なんじゃないの?」と言われた。
「そうかな? そっかあ、躁鬱にもなるかもね。」
独り暮らしなのよ。
癌だって言われても、草ボウボウでも、1人だよ。
私は私の教祖様でいなきゃいけない。
「躁」のハズミで動かなきゃ、全く動かない。
怪しかろうが間違ってようが、
何モノかを信じなきゃ、どやって生き抜くんだよ。
他に誰がいるというのだ。
誰かの目に間違いだろうが、知ったことじゃない。
責任取らないくせに、口だけ言うな。
あ、話が逸れて、元に戻せない・・・
自宅内では、ここ1カ月以上ずっと、
北京原人より酷い姿勢なのだ。直角に曲がってる時もある。
非常に痛かった。
仕事帰りが一番痛みが強かった。
手術したあたりも、左脚も、左ふくらはぎも。
そして決まって、台所に立つと余計酷くなる。
洗面所に立つと酷くなる。なんで?
だけど、8月3日4日を境に真っ直ぐ立てる時間が増えた。
真っ直ぐ立たねば!と思ったからだ。
そう強く思った理由は、上に書いた事とプラスアルファ。
年金事務所に行く選択と、
ハクビシン騒動、もきっかけになった。
↑ ネズミだったけど。
にしても、まずは夏を乗り切ろう。
日中のちょっとでも外に出た時の暑さ、
冷房してない部屋の暑さ。。。。
11日は同級会。
12日は娘夫婦が新潟県柏崎に。13日にこちらへ。
13日夜は叔父宅で16人?くらいで宴会。
14日昼に娘夫婦は千葉に戻る。
17日から仕事。
8月もアッという間に過ぎそうだ。