遊ちゃんと2人だけの夜

・・自分記録の独り綴り・・

癌でなく坐骨神経痛

2023-08-09 02:37:55 | 風の音

早々に眠ってしまい、

・・・23時頃目が覚めたかな?

眠れない。

すると、時折りカタカタ音がする。

台所の向かい側の部屋からだ。

ネズミ屋敷か、この家は・・たまらない。

その度、粘着ネズミ捕りの設置場所を移動する。

え? 少し違う場所かな? また移動しに行く。

心底イヤになってくる。

 

 

日曜日の夕方かな?

玄関から腰をかばった姿勢で出て来た私を見て、

お向かいのヤッちゃんが笑った。

「ちょっとちょっと、どうしたの、それぇ。」

「坐骨神経痛。だいぶマシになったけど。」

「年寄りくさいよー、あははは」

「そんなに酷い格好してた?」

「ひどいひどい、腰曲がってるよー。」

「だよねえ。でもやっと真っ直ぐ立てるようになってきたんだよ。」

「いや、曲がってる前に、体のひねりもあるって。」

「右にひねってる?」

「うん、なんかすごいんだけどぉ・・」

言われなくても充分わかっている。

 

ヤッコちゃんは、60歳で大きな介護施設の長を引退した。

引退する前の1年半、まともに歩けなかった。

しまいに杖をついて顔をしかめて歩いていた。

私は坐骨神経痛の辛さをよく知っていたから、

積み重なったストレスだろうと思いながら見ていた。

「杖、貸そうか?」

とヤッコちゃんが言った。お断りよ、杖なんか。

「いや、いい。治ってきた。思い込みで治す。」

「あははは、そうそう。思い込み大事〜!」

 

ヤッコちゃんは引退したとたんに、

2週間もしたら普通に歩けるようになり、

今では腰痛なんか無かった顔してシャキシャキ動く。

そんなもんだ。

 

 

私のストレスは、実は腰にきていたのだ。

交通事故を起こした時期ころから。

あの頃から坐骨神経痛が出てきていた。

去年今ごろも痛かった。

手術前後も痛かった。

仕事復帰したら余計に酷くなった。

 

ストレスは、癌に姿を変えて現れたのではなく、

わたし的な定番として坐骨神経痛にきたのだ。

 

癌は、たぶんストレスが生んだものではない。

意識していない、別の要因からだろうと感じる。

だから、癌は取ったけど、

ストレスは取り除かれてはいないんだろう。

 

癌手術や、職場変化は、

気持ちが切り替わる程の、ストレスが消える程の、

ポイントをつくものではなかった、のだ。

そう思う。

 

じゃ、どうすれば良いのか。

 

人生が変わればいいのだ。

それが望みなのに、

いつになっても叶わないから、

癌を理由に仕事負担を減らしても坐骨神経痛が出る。

ついには腰を曲げて歩く程になる。

 

私が、

やっつけなきゃいけないモノは、

癌にならないための生活改善でなく、

長々年手に入れたかった生活を手に入れることなのだ。

私の敵は癌でなく、坐骨神経痛だ。

歩けなくなることだ。

 

そのために何をするか、だ。

 

てことが自分で見えてきたのが、ここ1週間くらい。

息子に話したら、

「愛子さん、躁鬱なんじゃないの?」と言われた。

「そうかな? そっかあ、躁鬱にもなるかもね。」

独り暮らしなのよ。

癌だって言われても、草ボウボウでも、1人だよ。

 

私は私の教祖様でいなきゃいけない。

「躁」のハズミで動かなきゃ、全く動かない。

 

怪しかろうが間違ってようが、

何モノかを信じなきゃ、どやって生き抜くんだよ。

他に誰がいるというのだ。

誰かの目に間違いだろうが、知ったことじゃない。

責任取らないくせに、口だけ言うな。

 

あ、話が逸れて、元に戻せない・・・

 

 

自宅内では、ここ1カ月以上ずっと、

北京原人より酷い姿勢なのだ。直角に曲がってる時もある。

非常に痛かった。

仕事帰りが一番痛みが強かった。

手術したあたりも、左脚も、左ふくらはぎも。

そして決まって、台所に立つと余計酷くなる。

洗面所に立つと酷くなる。なんで?

 

だけど、8月3日4日を境に真っ直ぐ立てる時間が増えた。

真っ直ぐ立たねば!と思ったからだ。

そう強く思った理由は、上に書いた事とプラスアルファ。

年金事務所に行く選択と、

ハクビシン騒動、もきっかけになった。

↑ ネズミだったけど。

 

 

にしても、まずは夏を乗り切ろう。

日中のちょっとでも外に出た時の暑さ、

冷房してない部屋の暑さ。。。。

 

11日は同級会。

12日は娘夫婦が新潟県柏崎に。13日にこちらへ。

13日夜は叔父宅で16人?くらいで宴会。

14日昼に娘夫婦は千葉に戻る。

17日から仕事。

8月もアッという間に過ぎそうだ。

 

 

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