がんが治らなくても、「死ぬ」とは限らない…
「がんとの共存」という新しい生存戦略
11/10(金) 9:03 Yahoo!ニュース
だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。
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私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。
望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。
*本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。
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新戦略=がんとの共存
がんになったら、ふつう、治るかどうかが最大の関心事でしょう。
転移とか再発が明らかになって、治らないとなると、それはもう死の宣告にも等しいというのが、多くの人の印象ではないでしょうか。
たしかに以前は、がんは治るか、死ぬかのどちらかでした。しかし、今は治らないけれど死なないという状況も可能になっています。先にも書いた「がんとの共存」です。
がんが人の命を奪うのは、生命維持に必要な臓器(肺や肝臓や脳)に転移して、その機能をダメにしたり、全身に転移して体力や免疫力を奪うからです。ですから、体力さえあれば、生命維持に関係のない臓器、たとえば骨や腹膜に転移しても、人は死ぬわけではありません(骨の場合は痛みがありますが)。
がんとの共存では、がん細胞を全滅させるのではなく、患者さんの命を奪わない範囲なら、転移があってもようすを見るという戦略が取られます。患者さんとしては、何ともすっきりしない状況でしょうが、何事も過ぎたるは猶及ばざるがごとし。以前は、がんを徹底的にやっつけようとしたために、副作用が強く出て、逆にがんの病勢を強めたりしていたのです。
がんとの共存を受け持つのは、腫瘍内科、または化学療法科と呼ばれる科で、抗がん剤や免疫療法を行います。以前は、がんの治療はまず外科手術があって、手術でがんを切除できれば治癒、取り切れなかったり、再発があれば不治で、あとは死あるのみでした。
患者さんの命を救うことが目的の外科医から見れば、腫瘍内科は治らない患者さんを受け持つ科、言わば敗戦処理の科のように思われていました。
しかし、今は治療法の進歩で、がんとの共存という新戦略が可能になりました。がんが恐ろしいのは死ぬ病気だからで、死なないのならほかの慢性疾患と同じです。もちろん、ずっと死なないわけではなく、いつかは最期を迎えるわけですが、それはがんでなくても同じでしょう。
だから、がんになって治らないとわかっても、決して絶望する必要はありません。残り時間を、有意義にすごす道はいくらでもあるのです。
(このように書きましたが、こういう励ましの言葉は私はあまり好きではありません。口で言うのは簡単ですが、実際にはそうとうな精神力が必要だからです。がんになってから慌てないためにも、正しい情報を知り、心の準備をしておくことが重要だと思います。)
がんの治癒判定の誤解
とは言え、やはりがんになったら、治りたいと思うのが人情です。がんの不安から解放されたい。そのためには、共存などではなく、がん細胞を完全に体内から駆逐したい。だれしもそう思うのは当然です。
しかし、病院で治療を受けても、がんが完全に治ったかどうかは、実は判定不能なのです。なぜなら、細胞レベルでがんが存在する可能性があるからです。
よく、がんの手術のあと、「手術は成功です。がんはすべて取り去りました」などと言う外科医がいますが、信用するわけにはいきません。ほんとうに手術でがんがすべて切除できたかどうかは、五年後か十年後まで経過を追って、再発がないことを確認しなければわからないからです。
がんの治癒の判定に、「五年生存率」という言葉が使われます。がんの診断、または治療を開始してから、五年後に生きている人の割合です。乳がんや甲状腺がんは、五年後でも再発する人がいるので、「十年生存率」が使われます。治癒の目安のように扱われることも多いですが、必ずしも治ったという意味ではなく、単に五年後、あるいは十年後に生きているというだけの割合です。
私が大学病院の研修医だったころ、ある指導医が、手術から五年間近の患者さんが、全身にがんが転移して死にかけているのを、懸命に治療して何とか五年後まで生きたようにしようとしていたのを見て、大いに疑問を感じました。指導医は新しい治療に関する論文を書いていて、その患者さんを五年生存のグループに入れることができれば、五年生存率が上がり、治療が有効と判定されるのです。
そんな操作で有効性を証明しても、患者さん側から見ればインチキも同然でしょう。
ほんとうに治ったかどうかを見極める目安として、今は「全生存期間」「無再発生存期間」「無増悪生存期間」などが用いられます。
全生存期間は、生死だけを問題にした指標です。無再発生存期間は、治療後に再発が確認されない状態。無増悪生存期間は、再発はあっても病勢の増悪がない状態で生存している状態です。
しかし、無再発生存期間といっても、細胞レベルでの再発は診断できないので、ほんとうに再発がないかどうかは確認のしようがありません。無増悪生存期間だって、転移した腫瘍がゆっくり増大しているときなどは、増悪があるかないか、判定は微妙でしょう。
つまり、患者さんがいちばん知りたいこと、すなわち、治ったか治っていないのかは、専門家でも断言することはできないということです。気になるのはわかりますが、今すぐ死ぬわけではないので、もっと大事な“今”に気持ちを向けて、最期が近づいたときに後悔しないようにしたほうがいいです。
さらに続きとなる<「上手に楽に老いている人」と「下手に苦しく老いている人」の意外な違い>では、症状が軽いのに「老いの症状に苦しみ続ける」人と、症状が重いのに「気楽に幸せに生きられる人」の実例を紹介しています。
久坂部 羊(作家)