ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

世間は広くて狭い?

2007-11-19 20:38:02 | 郷里山形の事
生涯大学で出会ったKさん。郷里が山形と聞いて思わず山形の何処ですか?と聞いてしまった。
本人は庄内地方の生まれですよとの事だった。
小生は山形市の郊外のJR蔵王駅の近くですよと答えたら、Kさんも驚いた様にボクの家内も其処ですよという。
そして同じ「大字」地内だと聞いた。そしたら寺は「○○寺」ですねと聞いたらそうだという。(寺の話をするところなどは田舎の人らしい発想だ
「○○寺」の住職は小生の幼馴染のひとりで、同級生だと説明したらさらに驚かれた。
そして奥さんの実家の辺りを聞いたら、近隣で2軒だけあった医院のうちの一軒の近くだという。
それなら我が家からも5~600m位しか離れていない所だ。
しかし奥様の旧姓を伺ったが、小生には覚えのないお宅のようだった。
お互いに「○○寺」の話が出た奇遇には驚いたのでした。さぞかし帰宅されて奥様と話をされておられると思う。
意外に奥様は我が家の実家の事を知っておられたりもするのかな?などと考えてしまった。

この広い世間も意外に狭いものなのだなと思ったことでした。


山形の秋の風物詩のひとつ「ラ・フランス」だ。甘くて美味しい。今年は娘たちにもお裾分けせずカミさんと食べてしまった。御免ね。

              




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居酒屋で献杯

2007-10-08 20:51:07 | 郷里山形の事
2年前の10月に亡くなった友人「T・E]の3回忌を迎えた。
彼は郷里でもお互いに家が近かった事もあり、幼い時から良くつるんで遊んだ仲間の一人だった。
やはり同じ年の8月に亡くなった「H・Y」の葬式の時には、肺がんの末期症状の様相で、携帯用の酸素マスクを付けて歩いていたが、その後に入院して10月に亡くなってしまった。本人には最後まで「肺がん」とは告知をしてなかったそうだ。
通夜と告別式の時には、縁がなかったのか10数年前に別れてしまった奥様も姿を見せる事もなく、子ども達と郷里の兄弟達が見送った。
晩年は寂しかった様だが、長男夫婦の「孫」を生きがいの様に可愛がっていたそうだ。この「孫」がもう少し大きくなったら郷里の山形に「さくらんぼ」狩につれていくのを楽しみにしていたと聞いた。
その「孫」の男の子が、彼の遺体に最後の別れをして、棺が火葬庫に入った瞬間に「じいじがひとりで可哀想だ」と泣き叫んだのが今でも思い出されます。

そして今日は郷里の仲間のうち14人程が集まり、墓参りをしたのでした。無類の酒好きの彼の為に、線香をあげ缶ビールを注ぎ冥福を祈りました。そして居酒屋で彼に献杯をささげて、思い出話に花をさかせて、お互いの健康を祈り再開を約して帰宅したのでした。

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「こだわり」のひとつ

2007-08-11 12:20:17 | 郷里山形の事
小生には意外にこだわりが多い。現役中にもそんなこだわりが、他人や上司の受けが決して良くなかったと思う。
どうも若い時からだったらしく、何時だったか何十年ぶりかに出会った、独身寮時代の同僚にも「君は入社した頃から変わっていたよ」と言はれた事があった。
亡き母親の実家が山形では老舗の「寿司や」だった。母が子どもの時から地元の劇場に歌舞伎芝居を呼んでは興行していたらしい。それを見て育った母親が、芝居の楽しさを良く語って聞かせてくれた。そのせいか大阪では歌舞伎をよく見にいった。さらに薄給の身ながら映画やアメフット等を見たり、旅行等を楽しむ小生は実に変わった存在だったらしい。

そのこだわりのひとつが、この時期のお盆や正月やゴールデンウイーク時のお出掛け渋滞拒否症だ。

企業に入社して大阪の独身寮に入寮したが、入社した年の正月も帰省せず、寮で年を越す事にした。
独身寮は寮母達も正月休みで不在になる。心配した先輩の寮長のNさんが帰省を勧めてくれた記憶がある。
帰省しない理由は明白だった。当時はまだ新幹線もなく、大阪から東京まで、さらに上野から山形までの汽車での移動が実に大変だったからだ。それに正月時にあの混雑した東北線で福島で乗換え、さらに奥羽本線での長時間の移動には耐えられなかったからだった。
確か東北や北海道の方も同じ理由で寮に残っていた筈である。
しかし良き時代でした。職場の先輩の女性達が着飾ったままで「おせちやお餅」を持参してご馳走して呉れたのでした。
その時分から正月やお盆休みを外して休暇をとる様になった。

その後は新幹線や航空機の発達で、繁忙期の移動も随分に楽になりました。
しかし家族が増えるに従い乗用車による移動等もが多くなると、やはり渋滞に遇うのが苦衷の種でした。
それでも子どもたちやカミさんの要望で出掛けては、渋滞の中を延々と走った事も多くあったのでした。
一度困ったのは、母親が亡くなったのが丁度8月11日でした。意を決して家族は乗用車で出掛ける事にしたが、どこも渋滞中、常磐道からいわき市に行き、郡山の東北道に廻りそれでも、通常の倍は時間が掛かった記憶がありました。
そして帰宅するのに何十キロかの渋滞との戦いでした。

それからは決して渋滞の予想される時期でのお出掛けは拒否する事にしたのでした。幸いに現在はどうしてもこの時期に出掛けたいと思う事もないからです。

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ホテルから

2007-07-08 09:11:41 | 郷里山形の事
昨夜投宿のホテルは、山形駅前の西口、最近大規模に開発された一角にあった。
温泉地の公共の宿を探したが、生憎の土曜日で目指したホテルは満員。
そこでNETで検索のところこのホテルにに行き合った。
昨年末の新築でビジネスホテルだが、優れもののひとつだった。
新築後のそれも禁煙ルームを指定できるし、ベットもセミダブルの大きなものだ。
そして14階には何と大浴場が備えてある。山形駅を背景に市内の夜景を見ながらの入浴も
なかなかのものだった。朝の寝起きに洗顔を兼ねて一風呂浴びてしまった。
まさに温泉地のホテル並みの気分だった。
しかもNETでの予約だったので、朝食はサービスであったが、これはあまり頂けなかった。
そしてロビーの片隅で、オンラインの使用が可能だったので今朝のアップが可能だった。
これからのビジネスホテルのモデルになりうるものだと思った。
駐車料も¥500と安い。
このホテルは○ートイン○形駅前。まさに駅までは1分の至近距離にある。

昨夜の夜食は、これもNETで探した「芋煮」を食べさせてくれる店に出掛けた。しかし今日は
既に売り切れとは残念、しかし魚類の定食はまずまずでした。

これから実家に寄り、お寺での法事、ホテルでの法要の後に、自宅に帰る長丁場が待っている。
頑張りどころの1日になる。
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携帯から

2007-07-07 18:20:02 | 郷里山形の事
今日は午前中に自宅を出発。山形まで車で爆走。何と山形に3時過ぎに到着。とりあえず山寺に行って見ました。1200年前から灯し続けられる法灯に感激。芭蕉の句碑を拝見。そこで小生も1句。参道の 涼しかりけり 山の寺
明日は忘母の13回忌の法事です。

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古い友人達と

2007-02-11 19:20:07 | 郷里山形の事
例年2/11は郷里山形の同窓会の日と決めてある。

終戦後は未だ郷里は山形市に編入されて無く人口5000人程の「村」で小学校と中学校は各々一校宛しかなかった。
そして同じ学年は120人程の学生数だ。それが3クラスに分かれていて小学6年と中学3年は持ち上がりで過ごす。従って120人程は9年間の内に何度も同じクラスになるので、殆んどが顔見知りだ。
そして県外、特に関東より以東に住む45人程で会を結成して25年になる。
県内に残った80人足らずは当然に山形でも会をつくっている。こちらも毎年例会を開催して集まっている様だ。
今日はその東京の会の20人程が集まり2時間の宴会を楽しんだ。
関東周辺と遠くは名古屋からも出席する方もおり、あえば必ずオレ、オマエの付き合い方になる。
大半がリタイァした人と主婦だが、今も元気で就業している人も何人かいた。2時間での付合いだが近況を報告し合いながら昔話に話を咲かせた。
カラオケで得意の喉を聞かせて呉れた友人も何人かいた。永年の間に相当に歌いこんでいるとみた。
真打は西東京の民謡協会の副会長を務めている友人が務めるのが恒例になっている。(祝い船を熱唱)
この友人のお兄さんは郷里山形では民謡界ではトップクラスの腕前の持ち主であった。小生も何回か聞かせて貰った記憶があるが、「籾摺り歌」「最上川舟歌」は絶品だった。
一昨年にはこの会の友人が3人も亡くなっている。65歳から~75歳頃が健康に一番留意しなければならない年齢だと思う。健康管理の話題も多くなるのは年齢的にやむを得ないと思う。
最後に今年の末に山形の会が主催で「古希を祝う」会を行う事が披露された。
是非帰省して参加したいものだ。
来年の再会を約して今年の会は終了した。半数程は新宿コマ劇場の「コロッケ爆笑劇」を見に行き2次会とした様だが小生は勘弁してもらった。

古い友人達との再会は必ず元気を貰った気がする。小生も明日以降も頑張って生きたいと思う。

今日の「クスリ」
福岡東区のマリンワールドの海中で「キス」するオタリアとアシカ。見物している人の表情もサマザマ。


    アサヒコムからの借用

                

              
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