先日サークルで、「牛の置物があったら、自分の身体の
痛い所があれば、その牛の該当場所を撫でると治まる
そうよ。」と話が出た。
「え?確か昔父母が酪農もしていた時、優良多産牛で
全国表彰されて、記念品が牛の置物だった。隣の座敷の
飾り棚の一番奥にずっとあるわ。それでも良いの?」
今朝思い出して出してみたら、随分汚れて、塗料も
剥げかかってあった。
せっせと洗剤を付けて磨いたら、すこしは綺麗になった。
グランドソン・テッチェ・ガバネス・コンテンダーと言う
名前。どうしてか未だにしっかり覚えている。
父が淡路島から購入した。その当時破格の値段だった牛。
12産して11産が雌だった。乳牛を飼っていたので、沢山
産んで尚且つ雌が多かったのがこの牛の凄い点。
この牛も急に奥の方から引っ張り出されて、ゴシゴシ
洗われて我家の玄関に飾られて、撫で撫でされて驚
いているだろうなぁ。ハッハッハ。
座敷に飾っている表彰状を見たら、何と昭和43年と書
かれている。50年以上前のことだったんだ。それにも驚いた。
当時は全国版の酪農専門雑誌にも写真が出た。
お百姓と兼業だったけれど、この牛は、あの当時の我家に
とても貢献してくれたと父母が話していた。有り難い牛
なのだ。この牛はその後他所に買われた。
売られていく日、母はキッチンの椅子にしがみつき
泣いていたのを未だに覚えている。母は40代だった。
***
牛の目は大きく黒目がちで、大好きだった。将来は牛飼いに
お嫁に行っても良いなぁと思ったこともある。朝早くから
夜遅くまで,合間に畑仕事も有り、年中無休だった。
父母は親心として、こんな忙しい思いはさせたくなかった
ようだが・・・・・・。
余談だが、同級生が未だに言う。「遊びに行くといつも帰
りに、1升瓶に搾りたての牛乳を入れてお土産にくれた。
それがとっても美味しくて、忘れられない。」と。
さてさて毎日思い出に浸りながら、撫でることにしよう。
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