雨にぬれる大山桜。(工房にて4/7撮影)
少し無理を重ねてしまい体調を崩し、1週間ほど入院していました。
3月の個展の準備期間が少なかったこともあり、かなり無理をし、根を詰め、終わってからも残務処理、次の展示に向けての準備で休みを取れずにいました。
再来週あたり、区切りがついたら、1泊近場の温泉にゆったり浸かってこようと思って場所を探していたところでした。
大したことはなく退院できましたが、無理をしたということと、運動不足が招いた病いとも思います。根を詰める座り仕事で、加齢による硬化も加わり血流も悪く、体は悲鳴を上げていたのだと思います。
仕事を長く続けていくためには、まず自分の体を一番にいたわってやらなければいけないですね。若い時は無理がききますが、いい加減に自覚せねば、、、(~_~;)です。
また、町医者での診察からすぐの総合病院への入院になりましたので、家人に着替えなどこまごまと頼むことになったのですが、案外手間取りました。きちんとまとめて一式しておかなければならない年齢になっていたのだということも思い知りました。
私の母は60になる前から、ちゃんといざ入院というときの為に、たんすの引き出し一杯分に、父の分と一緒に、寝間着や下着、タオル、洗面具など用意してあったことを思い出しました。「急な入院の時にはここから持ってきてね」と言われてました。私と違って几帳面な人でしたので。。。
今なら病院の売店で、何でも買えますが、やはり間に合わせではなく、自分で合うものを選んで揃えておくことは大切だと思いました。人に頼んで用意してもらっても合わないものではゆっくり療養できません。
安静を強いられていましたが、愛読書の幸田文『きもの』を昼間読んでいました。
その中の、母親の看病について書かれた箇所で、るつ子は子供のためにはきれいなものを用意してくれるのに、自分はくたびれた浴衣を着て、腰ひもも擦り切れたものを使って寝ている母親の姿を悲しみ、祖母と一緒に、桜の模様の浴衣と腰ひもを一晩で縫い上げるくだりがあります。
家庭での寝間着といえども人の見舞いや、医師の往診、きれいにしておいてあげたいという着ることへの執念を感じます。何度も読んでいた箇所でしたが、身に沁みて分かりました。
また、最後を迎えた時の朝に着替えさせた寝間着は新しい、秋の七草が咲き乱れた模様の浴衣だった、とも書かれています。その時々のシーンとその時着ていた着物は強い印象になって残るものですね。
私も母の最期の別れをした時の寝間着を覚えています。母が自分で気に入って選んだ母らしい柄でした。よく似合っていました。
しかし、我が身は恥ずかしながら、、、普段からはいているスウェットタイプのパンツにTシャツというスタイルで、これはまずい・・・と思いました。母が見ていたら「そんなだらしない格好をして!」と怒ったでしょう。
昔の人達は、身支度、着る、ということをとても大事なこととして、生きることの中心に、個人の尊厳として据えているのですが、今はいくらでも大量に衣類が売られていて緊張感がなくなっているところもあります。
こういう点でも今回の入院はいろいろ考えさせられ、反省したのでした。
さて、病棟でもメールは使えますので、アシスタントとはメールでやり取りし、仮仕立ての仕事を進めてもらいました。
仕事再開です。これから6月の展示に向け、単衣、夏向けの帯、着尺にとりかかっていきます。間に合うか・・・?でも無理はしません・・・!
4/7夜、ライティングして撮ったもの。下の白い小さな花がブルーベリー。今はほとんど花はないです。>_<
入院前日、雨に打たれた工房の桜はほぼ満開だったのですが、病院から戻ると花はかなり散って、赤い顎とシベがめだっていました。
桜の下にあるブルーベリーの花もほとんど庭になついているヒヨドリに食べられてました。本当においしそうにムシャムシャ食べます。帰るなり「来年はネットを張り、私が食べる!!」と家人に宣言しましたが、元気になった証拠ですね。(*^_^*)
来週末から開講の紬塾に穴を開けずに済み良かったです。
健康のありがたさをかみしめつつ、読者のみなさまもくれぐれもご自愛くださいませ。