紬きもの塾では初回に、紬縞織、絣織の人間国宝の宗廣力三先生(1914年4月25日 - 1989年11月21日)の仕事についても作品集(日本経済新聞社刊)を見てもらいながら、すこしですが触れます。
トップの写真で私が着ている紬は、工房を卒業する半年前に真綿を一反分渡され、工房から帰った夜、毎日糸をつむぎ、母の為に織った紬です。この一反が、自分の作品としての始まりでした。シンプルで素朴な温かみのあるものを作りたかったのです。師の教えの核になるものだったと思います。着るための紬です。先生からも素朴でいい紬だと褒めていただきました。
この着物にもみなさんに触れてもらっています。
先生は1982年(昭和57年)重要無形文化財「紬縞織・絣織」の保持者に認定されました。
洗練された手結い絣で人間国宝に認定されましたが、紬糸の風合いを大切にし、デザインや色に溺れることなく、紬の本質を追求した方だと思います。
先生は染織作家になるために紬を始めたのではないのですが、私は作家以前の先生の格子の紬に特に惹かれます。
私が先生の郡上紬研究所分室、菊名工房で学ばせて頂いたのは1977年-1980年でした。
そして先生の健康上の理由から、郡上と菊名から離れ、南足柄の山の中腹に新しく工房を構えました。その時には、敷地斜面の開墾のお手伝いにも行きました。先生は野菜作りもお上手だったようです。
77年に先生の銀座・和光での個展を拝見し、会場の片隅にあった、刺し子織りの紬の力強さ、やすらぎに感銘し、こんな仕事なら一生を賭けてやってみたいと思い、先生に手紙を出しました。お返事を頂き、郡上八幡の研究所へお尋ねさせてもらいましたが、その時すでに3名ほど新たに入所する方が決まっていて、何年か待たなければならないということでした。
ただ、当時私は東横線の代官山駅(渋谷の次の駅)の近く住んでいて、先生から横浜の分室、菊名工房なら1名可能というご連絡を頂き、東急東横線で1本で行かれる工房へ、勤めを辞めてその秋から通い始めました。あれから46年近くになります。
先生の仕事をさせて頂く中で、たくさんの教えを受けました。
織物の基礎と、紬織りに大切な核となるものを学びました。
46年続けて、その教えに間違いはなかったと確信しています。
表現以前の風合いや堅牢性など、大事なことを学べたことは大切な宝物です。
ただ自分の創作を楽しむ作品ではなく、人手に渡っていく、世に出ていく仕事をする上では大切なことです。
基礎のない織物は一目見れば分かります。一瞬で分かります。
「下手な手織りは機械に劣る」と仰られた先生の言葉も良く思い出します。
もの作りは織物でも、他の芸事でも、どのジャンルでも同じだと思います。
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