合同練習
2018年07月17日 | 祭

進雄神社の煙火の起源はというと、西本会所の『花火縁起録』に万治3年(1660年)小笠原四郎右衛門義忠が衰退していた
煙火を再興させたと記録されています。
祭りにかかる費用の不足を地元の若衆に呼びかけ権現堂脇の荒地を開墾し、長年にかけて増加させることでその費用に当て、
その傍ら若衆に花火の製法を教え、彼らを東西2組に分け花火を競わせたそうです。
このように花火が中心の男の祭の中で、唯一女性の参加が認められているのが、祭の三日間私達と一緒に東西大山に上る10名の稚児さんです。

毎晩の練習もさることながら当日は炎天下衣装をまとい、稚児としての役割を遂行していかなければなりません。
基本的には一度大山に上ると下へ下りることは出来ない為、低学年の稚児さんには結構つらい配役となります。
そんな今年度の稚児さん達を迎え、今晩からはいよいよ本格的な練習に入ります。