ブログ・クロウキョウ

文京の働く愉快な仲間たち

じゃがいも畑

2009年05月20日 08時04分06秒 | お知らせ
 近所のじゃがいも畑では、薄紫の可愛らしい花があちこちで咲いていました。
どの花も、「私を見て!」とばかりに、精一杯アピールしているようでした。

 今日は、午前10時から都庁第一庁舎S34階にある労働委員会で
UIP映画(日本支社閉鎖・解雇事件)の審問があり、これから参加します。
 夜は6時30分から、地下鉄九段下駅そばの九段会館ホールで
「なくせ!冤罪大集会」に参加します。
どなたでも参加できます。

区民葬

2009年05月18日 16時17分39秒 | おくやみ
 去る4月26日に94歳の生涯を閉じられた元文京区長、遠藤正則さんの
区民葬が5月18日(月)午後2時より文京シビックセンター大ホールで
成澤廣修区長が葬儀委員長として、とどこおりなく執り行われました。
1933年(昭和8年)当時の本郷区役所に入職され、1973年(昭和48年)区長に就任。
1999年(平成11年)4月、区長任期満了まで60年以上にわたって
文京区の行政にかかわってこられ、名誉区民として顕彰されています。
1998年12月に開いた区労協結成40周年にも出席され、ご挨拶をいただきました。
区労協からは高田副議長、岩永事務局長、滝沢書記次長が列席し
長年にわたる功績に感謝し献花させていただきました。
遠藤正則元区長のご冥福を心より、お祈り致します。
合掌

小児病院の

2009年05月17日 23時08分10秒 | レポート
 5月16日(土)午後、千駄ヶ谷の明治公園隣にある日本青年館の中ホールで
都立3小児病院の存続とすべての都立病院の直営での充実を求めて集会が開かれました。
梅が丘、八王子、清瀬の小児病院を守る運動の取り組みの報告、さらに
荏原病院、大久保病院、駒込病院、墨東病院、府中病院、広尾病院、大塚病院、
養育院と豊島病院などの充実を求める運動の活動報告がそれぞれに報告されました。
 ゲストとして挨拶された梅が丘病院元院長さんが話された戦後の廃墟の中で
都立小児病院が果たしてきた役割や将棋の女流棋士として活躍している石橋幸緒さんが
未熟児として清瀬小児病院に運ばれ、入院中に将棋を覚えたなどというメッセージを聞いて、
都立病院というものが、どうあるべきかを理屈抜きに考えさせられました。
 今ある都立病院を、独立法人化やら、公社化やら、PFI化など
一般庶民には、言葉の意味がよくわからず、近づけにくくなっていますが
都立病院というものは高度専門病院化よりも、
地域に密着した病院にしてもらいたいものですね。
そんな印象を受けた集会でした。


主婦の会

2009年05月16日 23時56分02秒 | お知らせ
5月15日(金)の夜は、文京区民センターで北部春闘の役員会を開き、
7月31日(金)夜、北部春闘の「単産・地域交流会」を
区民センターで開くことを決めました。
秋は11月に、北部労協などとの共同集会を開くため
協議することを決め、早めに会議を終えました。

 同じ会場で土建文京支部が春の組合員拡大運動の決起集会が行われており
各分会からの決意表明が続いていました。
 写真は主婦の会の皆さんのユニークな決意表明に
会場は盛り上がっていました。

日々

2009年05月15日 11時09分54秒 | お知らせ
 「区労協結成50周年を祝う集い」まで、あと2週間となりました。
当日、会場で配る小冊子「50年のあゆみ」の“あとがき”も書き終えました。
「集い」には、すべての加盟組合のみなさんやOBのみなさんに
参加していただきたいのですが、「100年に一度の世界的不況」といわれる
今のご時世にしては会費が高いので、その辺への配慮が欠けていました。
 10年前とは明らかに違う厳しさです。
 まだ、参加のお返事がいただいていないところがほとんどですが
22日までに出欠の返事をお願いいたします。
 この機会に旧交を温めるとともに、地域の労働運動の歴史を知ることで
これからの新しい運動をつくりだす何かがつかめればと思います。

 日々、暑くなって来ています。日中は半袖でいいようです。
道端では、紫陽花の蕾も花が咲きはじめました。
 夏はもう、そこまで来ています。

どんな時でも

2009年05月13日 17時22分47秒 | 思い付き
 今日まで、「区労協50年のあゆみ」の編纂作業に終われていましたが
やっと原稿と写真などを今日中に入稿できました。
 もう今となっては、29日の出来上がりを楽しみに待つばかりです。
年表と役員名簿は完璧だと思いますが…。
 ご多忙の中、文京区の成澤区長さんや東京地評の伊藤議長さんからの
ご挨拶文もいただきました。ありがとうございました。
 ほこりにまみれた思い出のモノクロ写真がたくさんありますが
未整理のままなのでどれを選びようもありません。
 諸先輩にお願いする時間もないので、独断と偏見で選んでみましたが
キャプションはつけないことにしました。

 それにしても、いつものことながら、十分な検討も加えないまま
印刷会社の営業マン氏と区労協事務所で昼ご飯を食べながらの
作業となりました。
 どんな時でも、三度三度の食事を欠かすことはありません。
大体、朝昼夕と同じものを食べているのですが
お昼に誰か事務所に立ち寄ってくれると、夜はウドンか素麺という事になります。
いずれにしても、食事は規則正しく、美味しく食べてるつもりです。


本来の役割

2009年05月11日 10時30分48秒 | お知らせ
 都立病院の本来の役割はどうあるべきか!?

>「だれでも、どのような病気にかかった場合でも、
 良質な医療を公平に受ける権利があります」と
 東京都が策定した「都立病院の患者権利章典」には書いてあります。

ところが今は、総決起集会を開いて
都立小児病院の存続や、すべての都立病院の都直営での充実を
求めなければならない事態に陥っています。
 この機会に、多数の皆さまの参加を呼びかけます。
5月16日(土)の午後1時半~
日本青年館「中ホール」(千駄ヶ谷・明治公園そば)
 詳しくはチラシ参照のこと

わがふるさと

2009年05月09日 16時28分49秒 | お知らせ
 来る5月29日(金)の夜、文京シビックセンター26階スカイホールで
「文京区労協結成50周年を祝う集い」を開きますが、今、その際に
配布する小冊子「50年のあゆみ」の作成作業をすすめています。
 問題は、結成の時期のことですが、「40年のあゆみ」(年表)をみても
「区労協結成20周年」「30周年」「40周年」とレセプションを開いています。
その意味では「50周年」もその経過を踏まえたもので、まったく問題はありません。
しかし、その前に区労協が存在していたことも事実であり
その頃、発行されていた地域新聞「文京新聞」(1953~55)や
「ぶんきょうじゃーなる」(1956~59)に当時の区労協の活動が紹介されています。
 5月5日、千駄木にお住まいの年金者組合文京支部の支部長さんのお宅を訪問し
その事実を知ることができました。
 小冊子のなかに「資料編・50年前の区労協」として当時の新聞を切り抜いて
紹介させていただきます。
 また、現存する第1回大会議案書(1959年11月)に当時の経過が記述されており
それも資料として転載します。
 いずれにしても、今回、完璧な年史を作ることは不可能ですが
第1回大会から数えて「50年」という一つの節目の年であり
残されている資料の一部を準備してして、次代の人たちの材料に
なるようにしておきたいと思います。

 50年前、区労協の活動にかかわっている人は
ほとんどいなくなりました。60年10月現在の加盟組合一覧(45労組)に
掲載されている労組代表は、都教組文京支部の山田満さん(現三上)と
大塚診療所労組の清水真吉さん(現年金者組合文京支部長)だけのようです。
「文京わがふるさと」に区労協結成のことや区内の運動の記録を記述された
栗原茂さん(一昨年逝去)や当時、区役所の総務部長だった遠藤元区長も
亡くなられ、一つの時代が終わり、
また新しい時代がはじまっているような気がします。
 今、この作業が必要かどうかはわかりませんが
とにかく、記録として残しておきたいと思います。

雨の中で

2009年05月06日 19時00分43秒 | 思い付き
 今日は、昨夜から雨が降り続いています。
連休も今日まで。夕方になって、外に出てみました。
 雨の中で近くの畑に里芋の苗がきれいに植えてあったので
携帯カメラのシャッターを押してみました。
 キャベツやジャガイモの葉っぱ等も
雨に濡れて嬉しそうにささやいてるようでした。