難が有るのは有り難い人生
難が無いのは無難な人生
へぇ~
面白いですね。
ただ、禅問答は問答できる環境で言える言葉でもある気がします。
必死で生きてる状況、ちまなこで無理してる状況でもそれが言えるのかはやってみないとわからない。
ひょっとしたら全く逆の気持ちになるやもしれません。
楽な時にはもう少し刺激が欲しい。
刺激的すぎて苦痛に喘いでたら楽を求める。
そうなったら、問答の意味は薄くなり、ただの人間のワガママに辿り着きそうです。
暑い時には寒さを欲しがり
寒い時には暑さが恋しい
人は求め続ける生き物、というのが本音でしょうな。
煩悩とも言いますな。
結局、悟った坊さんは煩悩を消せたのかしら。
多分、生きてる以上は煩悩は消えない、消せない。
私はそう思います。
そこが悟りの到達点であるならば、煩悩は生きてることのあかし。
有難難無を楽しむしか無いのでしょう。
上がったり下がったり。楽したり苦しんだりを受け入れるしかない。
でも、楽しめったって、必死こいてますからなぁ、ただ今日の一日を生きるために。
感覚がなくなる日まで、ただ必死です。
鈍感な人のほうが行き易い?
いヤァ、そうでもなさそうですけれどね。
みんな似たようなものでしょうねぇ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます