訴える叫びという
意味はそこら辺かな~と
最近誰でも彼でも歌を歌ってデビューする
何のためにそんな?
まぁ、言わずと知れたお金が絡んでる
そもそも歌とは何のために存在してるんだ
AKBを取り上げて考えてみる
レコードを売って、握手権を渡して、女の子たちが握手をする
それってたかが手のひらではあるとしても、身体に触れるということだろう
そう考えると、身体を売っているに等しいような印象を持つ
他にも コンサートというのがある
あれは行ってみないとわからないけれども、非常に大きな音を出す
ベースドラムとベースギターがスピーカーからの強烈な大音響はすごく腹に響き渡る
また、お祭りの大きな太鼓の音がある
TAOと言う太鼓のグループがいる
一郎見に行ったことがある
あれも激しい叩きつけるような音が体を震わす
そもそも、音と言うのは、空気の振動である
それがからだじゅうを響かせる
からだ全体の凝りをほぐすにはちょうど良い刺激が伝わってくる
従って、大音響で祭りを開くことには、あながち賛成である
それをコンサートと言って、みんなを集めて大騒ぎするなら、まぁそれはそれでいいのかもしれない
しかし、歌そのものについてはなくてもいいような歌がほとんどのような気がする
昔の日本は歌と言えば、断片的な言葉による気持ちの凝りの解消のようなそんな感じを受けていた
最近では意味がわからんようになった
音の感じかたについても、ほとんど似たり寄ったりだ
したがって、ほとんどの歌は、金儲けの打算的なものにしかなってない気がしてる
本当に今必要なものは何なのか
歌であっても歌でなくても構わない
そういう何かしら生活に溶けてくれる、生活の凝りをほぐすモノがあったらいいと思う
心でも身体でも良いので
以前はなんとなくそういう「歌」があってよかったと思える感じがしていたけれど
最近は歌という商売しか感じない
これは歳のせいかなぁ
そこがわからない
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