賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

修行僧の話

2023-03-26 05:44:37 | エッセイ

Podcastで聴いた。
大阿闍梨の人が、1000日の荒業をしたそうな。
その人が言うには、修行僧が修行中に「嫌だ嫌だ」と思いながらやっていると、いかにも苦しそうなのが見えるものだ、と言っていた。
なので、諦めて荒業に集中して「好きでやってるんだからやるしかない」と考え、他にはツベコベ考えないことが大事だと言っていた。

人は考える。
考えると、理由を求める。
なんでこんなことをしているのかを考える。
意味を考える。
そうすると苦しくなる。
楽になりたいと思う。
そう思うと、今の環境に腹が立つ。
自分以外の人の自由に憤る。
そして、その後そういう環境を否定する。
否定は、周囲に移り、環境を憎む。
そして、最後に、そういう環境に自分を陥れた他人たちを恨むようになる。
その連鎖が心を苦しくさせる。
どんどん不幸へ自分の心を陥れるらしい。

どうしたらいいかは先に書いた。
しょうがない。やるっきゃない。
今、その修行を選んだのは自分である。
自分でその道を歩いている。

別の選択肢が良い?
それがあるなら、そっちへ行けよ。
今の時間は、今まで歩いた道の続きでしょ。
今まで自分で選んできた未来に立っているんでしょ?
選択肢が1つもなかったならば、それはそれで運命であろう。
その先に進むきゃない。

今をあきらめると絶望するかもね。
戦争している人たちも、戦争の中で笑顔の瞬間を持つこともあるだろう。
絶望の中に希望が見えたら、そっちに向かって日々努力し続けるしかないそうだ。

大阿闍梨さんは1000日執行はお勧めしないと言っていた。
まぁおそらく結論はその辺だろう。
やっぱりね。
つまりは、そんなことしなくても、日々の生活の中にそういう気づきが出てくるのではなかろうか。

少しでも面白がって生きる技を見つければいいんだろう。
その1つずつのくだらない時間の中に、楽しむ気持ちで歩いて行けば、いずれはたどり着くところが、多分自分の求めた場所なのだろう。

自分はまだ道半ば。ここに居てゆっくり歩く。
今の体力にあった時間を進みなさい。
寄り道が多い?
ならば、そういう道を進みなさい。

おそらく修行とは、その寄り道でしかなかったと言うのだろうね。

自分は修行中である。今は寄り道である。
先に進む方向は、自分で決めろ。
時間は死ぬまで残っている。
ン?たどり着くことが大事なのかな?

還暦も数年過ぎ、あっという間に歳をとってた。
そして思うことは、そこまで生きる未来を10代の自分の日記に書いた記憶は無かった、ということだ。
この世は修行、その未来は全く見えない。
分らないことをウダウダ考えるより、行き先はさっさと自分で決めるしかない。
そして一歩 足を前に出せ。
知らぬ間にいずれ死ぬ。

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