GDPがどうとかこうとか言うけれども、そもそもGDPと言うのがどうにも曖昧な気がしてしようがない
国民総生産と言うけれども、その計算式自体に生活に直結する重要なポイントがあるのかどうか
消費と言うけれども、消費という言葉には様々なものが含まれていて非常に曖昧に感じる
物価という言葉にしても、何を持って物価と言うのか
ものの値段にはSNSにおける情報量とかも含まれているのか
りんご1個の値段なのか?
それとも自分の賃金もそうなのか
人件費は物価と言うのか
人件費は物価に入らないのか?
税金は物価に入るのか
そもそも値段とはいったい何に対して、そして何を意味しているものなのか?
端的に言うのであれば、目の前で実体のあるリンゴ1個の値段が最終的な値段であり、それが物の価格であろう
それをあちこちからいろんな言葉をかき集めてきて、そして値段をつけて物価と言うのであれば私の給料も物価じゃん
物価が上がりすぎると言うなら、私の給料は高くなったか
それを色々と難癖をつけて、物価とひとくくりにする
経済成長率2%と言うけれども、そこの中には日常生活品が含まれていないとか奇妙なことを聞いた
物の値段で1番重要なのは食料品ではないかと思う
もう少し日常生活における重要なことを広げていくと「衣食住」であろう
それを重要なものの中心として、物価と言う言葉で使って欲しい
日本人は安いものが好きだ
だから、テレビの食べ物を扱う番組も「ここは美味くて安い」と言う
「ここのお店はうまい」と言う、「そして高いからイイ」とは言わない
「安さ」を求める
その結果が「安い日本」になった
円安も手伝って、世界中で安い日本になったから良いではないか
お望みの結末だろうがよ
外国のものを買うのは高くなるが、日本国内のものを買えば安いからそれで良いではないか
そして、生産能力を上げて、そしていっぱい働く労働条件を作って、そしていっぱい働いて、いっぱい働いたら給料は増えないのか
昨今の風潮は働きたくない人が増えたように思う
働かないのを目指すのであれば、行き着くところは働くのはゼロである
一切働かなければ1円だろうが、1億円だろうが、所得は0 円
もっと言えば、死ねばイイ
「苦楽」もなく全てがゼロだ
生きてるから苦しい
軽い刺激が心地良さで、強い刺激が痛みだと聴いた
つまり刺激が強いから苦痛になる
刺激は生きてる証だろうがよ
難しい言葉を作り上げて、大事なことの意味をすり替えてはいないか
そこまで考えたら、日本国民みんな催眠術にかけられてるような気がする
誰がかけているのかはどうでもいい?
本当に大事なことを自分がわかっているのかどうか
そして、それを知った上で行動しているかどうか
日本国民は最近そういう大事なことの勉強しなくなっている気がする
日本の学校など特にそうだ
単なるクイズにおける知識だけが教育の中心になっている
そう感じるのは私だけなんだろうかね
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