「高貴なお方たちが我々の手の届くところに降りてくる
お話ができるかもしれないとワクワクする」
彼の本意はそういう意味かな、と思ったらそうではないらしい
高慢ちきな女性に対する蔑視のような意味なのかな
いやいやそういう意味とも違うのかな?
よくわからない
「世の中の経済状況が変わり自分には縁遠い人が自分の住む下僕たちの世間にやってくるだろうからそこで色々おつきあいができるかもしれないよ」
という意味ではないらしいような、フワフワした会話
でもって男女の別の特別な意識と感情がそこで必要なのか?
彼は女性に対して好意を持って出会いを求めての言葉を言ったのかなと思ったらそうでもないらしい
高貴な方達が我々の世界に来ることを悪をするならば、我々の世界は誹謗中傷されるような「悪い世界」だと言ってらっしゃるのかな?
なんだか、我々の世界を罵られてるのかな?
此処を住めば都だと感じてる自分は「キサマ、ナニモンだと思ってるんだ!」と罵られてて、それでも受け入れてる自分たちはどうしたらイイのかな?
まぁ、
具体的には「こういう場合がある」と言うとどうやら批判を頂くようなのでできるだけ、やはり玉虫色に染めて言葉を使うのが望ましい
それで意味が通じるかと言うと
「そんな政治家のような話し方をするな!」
と、それはそれで罵られる
言葉、、、困ったものです
だから、人はその時々に於いて自己都合で解釈するという
都合の悪いことは観ない聴かない話さない
それがコミュニケーションの不和になるので英語圏ではダイレクトな表現をする言葉を使う
「イエス」か「ノー」か、と。
日本語はそういう会話をすると矛盾が矛盾を呼ぶような奇妙な言語だな
物事をはっきりさせようとすると喧嘩になるんだから
曖昧、曖昧が都合がいい
嘘が嘘を呼んで、嘘が誠になる
都合でできた社会はいつなでもフワフワしてる
霞のような、、
インカ帝国が滅びたのもそんな感じに想像するのは私だけだと思う
意識の中に太古の時間が流れてくる
そこでもあったのかな
バカにしたわけでもない、嫌って言ったわけでもない
「高貴なお方たちが我々の手の届くところに降りてくる
お話ができるかもしれないとワクワクする」
という言葉論争が
ただ、これで一人のなかなか頑張っていらっしゃったテレビでよく見かける楽しませてくれていた人が消えてゆくのだろうなぁ
そうやって、人の存在を攻撃することで精神的な欲望を消化するんだろうなぁ
コロッセオで戦い死んで言った戦士の姿がぼんやり浮かぶ
それを大騒ぎして楽しげに観ていた民衆も浮かぶ
民衆、、、一番恐ろしいかもね
観ざる云わざる聴かざる、蓋し名言
面倒だからいっそこの際息をするのもやめてイイかもな。。。