異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

よくぞ言った古賀誠の「憲法9条は一字一句変えてはいけない」 2018.4.24  天木直人

2018-04-24 17:04:33 | 憲法

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よくぞ言った古賀誠の「憲法9条は一字一句変えてはいけない」
新党憲法9条http://kenpo9.com/archives/3622

2018年4月24日   天木 直人

画像に含まれている可能性があるもの:1人古賀誠氏

 

 きょう4月24日の各紙が小さく報じた。

...

 自民党岸田派の名誉会長である古賀誠氏が福岡市で開かれた講演で「安倍政権の後は宏池会(岸田派)主軸の政権をつくりたい」と岸田氏の尻を叩いたと。

 そこまではいい。

 まさしく自民党の政局が動き始めたということだ。

 私が驚いたのは、その後にこう続けたと書かれていたことだ。

 「その政権には、憲法9条を堅持し、9条は一字一句変えない決意が必要だ」

 そう語ったという。

 まさしく私が主張してきた通りの言葉だ。

 これこそが、いまや共産党さえも言わなくなった、最強の憲法9条護憲論者の言葉だ。

 安倍首相の自衛隊合憲明記にとどめたいかさま改憲はもとより、いまや護憲論者の中からも、加憲、創憲、活憲など、平和憲法の趣旨を活かし、あるいは強化する形での改憲論なら問題ない、いや、むしろそうすべきだという俗論が花盛りだ。

 そんな中で、自民党の重鎮が、「憲法9条は一字一句変えてはいけない」と発言したのだ。

 その言葉は貴重だ。

 果たして、岸田氏はそれを言い出して安倍首相や石破氏と総裁の座を競う事ができるか。

 果たして古賀氏は岸田氏をそう説得できるか。

 それが実現できた時、次の自民党総裁が俄然おもしろくなる。

 歴史的に重要な意味を持つ自民党総裁選になる。

 そして野党の出番がますますなくなっていく。

 日本の政治史に大きな意味を持つ古賀誠の言葉である(了)

 

 

 

 

 


「―憲法を見つめて― 自民党9条案を問う 2 戦争の歯止め失う」 武井 由起子 2018.4.1 東京新聞

2018-04-03 12:24:29 | 憲法
具体的なたとえを挙げながらのわかりやすい議論、こんなに説得力があるのはなかなかない!
「さすが武井 由起子 (Yukiko Takei)
弁護士!」と脱帽し敬服するしかない...!  長谷川宏氏)

 

東京新聞4月1日記事

「―憲法を見つめて― 自民党9条案を問う 2 戦争の歯止め失う」

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高校生が書いた「私たちの憲法前文」 2018.2.24 澤藤統一郎の憲法日記

2018-02-25 16:33:12 | 憲法

澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

高校生が書いた「私たちの憲法前文」

まいにち笑っていられる幸せ。
まいにちごはんが食べられる幸せ。
まいにち学べる幸せ。
まいにち安心して眠れる幸せ。
まいにち会いたい人に会える幸せ。
あたり前のまいにちは特別なまいにち。
もしまだ戦争が日本で続いていたら
もしまだ核兵器が使われ続けていたら
今、この瞬間のようにありふれた幸せに溺れることもできていない。
あたり前に感謝しながら
自分が幸せになるための努力をしていきたい。
頭の片隅に幸せになりたくてもなれない人がいることを覚えておきたい。
そうすることで世界が一歩幸せに近づく。
(「ほっととーく・145号」2018年2月3日号より)


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現代の高校生が、社会の理想を憲法に託して、まぎれもなく自分の言葉で書き上げた「私の憲法前文」だ。この前文を書く作業を通じて、自分と社会とが緊密に繋がっていることを明確に再認識したのではないか。自分の幸せは社会のありかたと無関係にはない。平和なくして、あたり前のまいにちはない。

この一文の素晴らしさは、徹底して「個人の幸せ」から出発して筆を進めているところだ。そのことが多くの人々の共感を呼ぶ。笑うこと、食べること、学ぶこと、安心して暮らすこと、自由に人と交際すること、それこそが幸せだ。ここには、国家も、民族も、王様も、党も、家も、神様も出る幕はない。「個人の幸せ」こそが第一義だ。その他の諸々は、個人の幸せのためのもの。そのような確信が、身についているのだ。まずは、そのことを素晴らしいと思う。

この書き手は思いをめぐらせる。「個人の幸せ」に敵対するもの、「個人の幸せ」を根こそぎ奪い去るもの。その危険なものは戦争だ。核兵器だ。「個人の幸せ」には平和が不可欠なのだ。「個人の幸せ」を守る平和への感謝をしつつ、平和を守り抜く努力をしていかねばならない、と。

さらに、思いはめぐる。「幸せになりたくてもなれない人がいる」現実についての認識である。「幸せになりたくてもなれない人」の具体的イメージは、この短い文章からは伝わってこない。

戦火に怯える紛争地域の人々、基地建設と闘わざるを得ない人々、原発被害によって故郷を追われた人々、過労死するまでの労働を強いられる人々、国籍や民族や思想や信仰による差別に苦しむ人々、公害や労災や職業病の被害者。そして、貧困にあえぐ多くの人々。この理不尽はすべて社会が作り出した不幸だ。不幸を作り出した社会が、その自覚と反省によって不幸をなくせないはずはない。

さらには、病気や自然災害や事故に苦しむ人々の不幸には、社会が手を差し伸べなければならない。この社会の理想に向けての一歩が、社会と世界の幸せの実現に一歩近づくということなのだ。

個人の幸せから出発して、個人の幸せの実現のためには世界の幸せが必要と考える。そして、この「前文」を書いた君の言うとおり、「幸せになりたくてもなれない人がいることを自覚しつつの、自分が幸せになるための努力」が世界の幸せを生み出す力になる。そう、1926年に、詩人(宮沢賢治)もこう言っている。

  近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
  世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

賢治は、
 まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
と言って散った。
この「前文」を書いた君は、今の世の無数の賢治の一人だ。私も、そうなりたいと思っている。
(2018年2月24日)

 

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画像by永原 あつし  FB憲法九条の会

 

 

 

 


”心の真ん中に憲法を!” …憲法を日常に感じ語っていきたい(けいこさん)『憲法かえるのやだネット長野』 &ご案内:3/21前川喜平さんと「親・子・みんなで、憲法ってなに?」

2018-02-21 17:32:15 | 憲法

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 政治家や官僚などの権力者が憲法を違反したとき注意するのは、私たち国民一人一人。憲法を学び、監視しましょう。
 政治家や企業のモラルが低下し、世の中が乱れている原因の一つは、憲法を踏みにじったり、無視しているから。もっと好き勝手にふるまいたいために、憲法を変えたくてしかたがないのです。

 

憲法を日常に感じ語っていきたい(けいこさん)

  2018年2月 19日
2018年2月19日 長野市トイーゴ前2018年2月19日 長野市トイーゴ前
 

こんにちは、私は、長野市に住んでいる5歳と3歳の子どもの母親です。

憲法が日常に溶け込んでくると、心が温かくなります。

いまの世の中、大人も子どもも時間に追われ、やることにおわれ、生きるだけで精一杯になっています。

でも、ふっとたちどまるとみえてくるものがあります。

 

今の社会は、まわりに合わせることが良いこととされてしまっています。

皆と違う意見を言う人は、おかしい、変わっている。

皆と同じ行動ができない子は、おかしい、変わっている。

周りになじめない、まわりにあわせられない子は、空気を読めない子。ダメな子。

でも本当にそうなのでしょうか

 

憲法が日常に溶け込んでいれば、そうは思わないのではないでしょうか。もっと温かい心で、自分を、周りの人を見ることが、理解することができるのではないでしょうか。

 

雨の日に傘をささなければいけないのでしょうか。

授業中にノートに絵をかいていてはいけないのでしょうか。

 

子どもの尊厳・個人の尊厳を大事にするのならば、雨の日に傘をささずに雨を感じたいのなら、感じればいい。風邪や洗濯の心配は、親の都合であり、子どもは全身で雨を、自然を感じたいのなら、それの何が悪いのだろうか。

絵が大好きな子が、授業のちょっとした間に絵をかいて何がいけないのだろうか。授業を妨害しているわけではない。周りに迷惑をかけているわけではない。

 

今の世の中、とても生きづらくなっています。~しなければいけない。こうしなければいけないということに縛られすぎているのでは、ないでしょうか。

 

私は、憲法を身近に感じることで、気づくことができました。

皆違って、みんないいという、金子みすゞさんの言葉がすっと心に入ってきました。

 

それぞれが、べつべつで、でもそれに優劣は無いことを、それぞれが、かけがえのない素晴らしい人だということを。「個」をありのままに認める、ことばにすると簡単なようだけど、

何かの基準を決めては競いあうこの現代では、大変難しくなっています。

 

私は、憲法を身近に感じることで、子どもたちに怒ることが少なくなりました。

心にゆとりが、温かさが戻ってきました。

子どもたちを見守る余裕が出てくると、子どもたちが何をしたいのか、何を感じているのか、見えてくるものがあります。もちろん、社会で生きていく上では、ルールも守らなければいけません。お互いの個を尊重しつつ、話し合いによって譲り合うところを決めていく。その根本が法律となります。

憲法は、私たちに「あなたは、あなたでいいんだよ。」と個人としてありのままを認めてくれています。

もっと温かい社会で生きていきたい。温かい社会で、子どもを育てていきたいと思います。温かい社会を作り出す人を増やしていきたい。そのために私は、憲法を日常的に感じ、語っていきたいと思います。

 

心の真ん中に憲法を。

3月21日(水・祝)午後1時~長野県社会福祉総合センター3階講堂で、前川喜平前文科事務次官と「親・子・みんなで考える 勉強ってなに?憲法ってなに?」を開催します。

勉強ってなんのため?

私たちにとって憲法ってなに?

勉強と憲法は、どうつながっているの?

いっしょに考えてみませんか。

憲法は、ほんとうは身近で暖かいのです。

空気のように当たり前に存在しますが、先人たちの血と涙が作った平和への結晶です。

憲法は人生のしるべ。

 

https://www.himitsuyadane.com/maekawasantomanabu/

 

 

 

 

 


押し付け憲法論を振りかざして国民に憲法改正を“押し付けて”いるのは、安倍さん、あなたではないのか? 2018.01.30 ニュースサイトハンター

2018-02-04 09:57:09 | 憲法

政治・行政の調査報道サイト|HUNTER(ハンター)

「押し付け憲法論」を押し付ける安倍自民党

http://hunter-investigate.jp/news/2018/01/-22-20202020-1ok-9999-qa-9-60418891890-99f-35bf-35f-35.html


2018年1月30日 09:00 

 「国のかたち、理想の姿を語るのは憲法です。各党が憲法の具体的な案を国会に持ち寄り、憲法審査会において、議論を深め、前に進めていくことを期待しています」――。今月22日、衆議院本会議で施政方針演説を行った安倍晋三首相は、改めて憲法改正への議論を進めるよう促し、各党に具体的な案を持ち寄るよう求めた。これまでより一歩踏み込んで、改憲への意欲を示した形だ。
 しかし、この首相の姿勢には不同意。憲法によって縛られる側の権力者が、国会や国民の前で現行憲法を否定したに等しいからだ。憲法論議は結構だが、歪んだ議論の在り方には異を唱えねばならない。

■与党公明党も認めた憲法擁護義務

 安倍首相は昨年5月、改憲派団体が開いた憲法フォーラムに寄せたビデオメッセージで「2020年を新しい憲法が施行される年にしたいと強く願っています」と述べ物議を醸した。新憲法の施行時期まで公言した首相にとって、議論さえ進まぬ現状は不満なのだろう。

 だが、首相自ら憲法改正の必要性を口にするは間違いだ。公明党の山口那津男委員長は、26日の参議院における代表質問で憲法改正には一切触れず、その理由について記者団に「憲法尊重擁護義務を安倍晋三首相が答弁すべきことでない」と述べている。憲法改正に前のめりとなっている首相にくぎを刺した格好となったが、山口氏が言う憲法擁護義務とは、99条に規定された次の条文のことを指している。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ
 与党・公明党の党首は、この条文を理解しているということだ。ならば、なぜ首相や自民党の間違いを正さないのか――。

■押し付け憲法論

 安倍首相をはじめ、憲法改正論者が持ち出してくるのが「押し付け憲法論」。自民党が公表している「憲法改正草案Q&A」にも、「現行憲法は連合国軍の占領下において、同司令部が指示した草案を基に、その了解の範囲において制定されたものです。日本国の主権が制限された中で制定された憲法には、国民の自由な意思が反映されていないと考えます。そして、実際の規定においても、自衛隊の否定ともとれかねない9条の規定など、多くの問題を有しています」とある。

00-Q&A.png

 つまり、占領下の制限された状況下で連合国司令部草案に基づいて制定された憲法は主権国家の憲法としてふさわしくない、連合国に押し付けられた憲法ではなく、自分たちでつくった憲法にしよう、という考えだ。しかし、この国において、“押し付けではない憲法”が存在したことは、ただの一度もない。

 古くは604年に聖徳太子がつくったとされる十七条の憲法。1889年に公布、1890年に施行された大日本帝国憲法(明治憲法)。いずれの憲法の制定過程にも、国民は携わっていない。近代憲法ではあるが、明治憲法は欽定憲法。つまり『お上』が下しおかれた憲法だ。さらに言うなら、市井でつくられたさまざまな憲法草案については、一切顧みられていない。押し付けといえば、この国の憲法はすべて押し付け。国民にとっては、同じ性格のものなのである。現行憲法だけがけしからんというのは、憲法の本質を理解していない権力者側の言い分に過ぎない。  

■改憲を優先課題とする国民はごく少数

 安倍首相ら改憲派にとって最大の目標は、憲法9条の改正だろう。改めて同条の条文をながめてみたい。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 安倍首相は、ここまでの条文を残し、新たに3項を加えて自衛隊の存在を明記しようと訴える。一見「平和主義」を堅持するかのような改憲手法だが、同条2項の「戦力」や「交戦権」と自衛隊を明記することの整合性が問われることになる。自衛隊は「戦力」か否か――。集団的自衛権を認められた自衛隊に「交戦権」はあるのか、ないのか――。さまざま議論がある。だが、どれが正しいのか述べるつもりはない。安保法制によって、憲法そのものが歪められた中で自衛隊加権を認めれば、権力を縛るという憲法本来の役目が果たせないばかりか、権力による憲法改正という現状を追認してしまうからだ。安倍が用意した議論のテーブルに、つく必要などない。

 そもそも、憲法によって権力行使の在り方を縛られているはずの首相が、「憲法を変えよう」というのは本末転倒。戦後を振り返って「自衛隊を憲法に明記しよう」「自主憲法を制定しよう」という機運が、国民の中から湧き上がったことなど一度もない。

 改憲についての世論調査の結果について、賛成の割合が〇〇%、反対の割合が○○%などと、数字の大小だけが取り沙汰されてきた。しかし、「もっとも国に望むこと」を聞かれたならば、「憲法改正」と答える人の割合は、一けた台あるかないかに過ぎないはずだ。経済、福祉、教育、年金――。国民が政府に求めているのは、暮らしとその未来についての施策であって、憲法改正ではない。国民が求めない憲法改正は、「やってはならない」愚行なのである。

■成立過程より「理念」

押し付けであろうとなかろうと、現行憲法は、帝国憲法が認めていなかった「国民の権利、義務」を明確に規定している。平和国家としての方向性を示したのは9条だ。憲法にとって最も大切なのは、成立過程ではなく、目指すべき国家像を明確に示すこと。そうした意味で、現行憲法は世界に誇れる宝であろう。

 安倍首相と自民党が望んでいるのは「戦争ができない国」から「戦争ができる国」への転換。だからこそ9条を変えるしかなく、改憲を実現するしかない。その結果として現出する日本国に「平和」はないということを、私たちは肝に銘じねばならない。

 押し付け憲法論を振りかざして国民に憲法改正を“押し付けて”いるのは、安倍さん、あなたではないのか?

 

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