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ドイツの小学生が「デモの手順」を学ぶ理由…ナチス時代の反省 〔東洋経済オンライイン 2017.10.22〕

2017-10-31 15:49:10 | 政治 選挙 

ドイツの小学生が「デモの手順」を学ぶ理由

まず役所、次に地元紙、それでもダメなら?

ドイツの広場はデモや集会が行われる「言論空間」でもある。写真は「人間の尊厳」についての集会(筆者撮影)

選挙のたびに話題になるのが、投票率。日本では「若者の政治離れ」が問題視されて久しいが、昨年6月から選挙権年齢が「満20歳以上」から「満18歳以上」に引き下げられたことで、若者の政治参加を促す必要性は増している。

諸外国に目を向けると、若者による政治参加が活発な国として挙げられるのがドイツだ。言論の自由をおびやかすようなことがあると集会などがすぐに起こり、デモクラシー(民主主義)の健全性に敏感なお国柄である。日本との差は何によって生まれているのか。その1つに幼少期から受けている政治教育がある。

小学生が「デモの手順」を学校で学ぶ

政治に限らず、ドイツの教育はとにかく「喋る」ことに小学校から重点をおく。発言の有無が成績にもつながるため、堂々と意見を表明することが「ごく普通」に身に付いている。喋る中身は玉石混交だが、何でも発言できること、そしてそれが排除されないことが徹底されている。デモクラシーの基本は他者との自由な議論だが、その土壌が小学校から作られる。

また、小学校で「抗議から社会運動までの手順」を学ぶ機会もある。たとえばマンホールから異臭がするという問題があれば、「まず市役所に言う。それで解決しない場合は地元紙の『読者の手紙』へ投稿する。それでもだめなら、社会運動を行う」といった内容だ。

子供向けチャンネルのテレビ番組でも、町の公園に問題があると、子供たちが市長や行政の担当部署に掛け合うというようなことをドキュメンタリー番組で放送している。番組では最終的に改善される場合も、できない場合も紹介される。

ここで重要なのは、ドイツの小学生は身近な問題をどうやって社会的な議論に発展させるかを学んでいることだ。個人では解決できない問題があれば市が、それでも解決が難しければ州が、さらに連邦、EUへ。こういう解決の順位「補完性原理」がドイツの連邦制を支えているが、その構造の基本的なところを学ぶのである。

さらに、日本でいう中学校・高校にあたるギムナジウムでも政治教育は行われている。2017年8月25日配信の「街づくりは『役に立たない』文系教育が必要だ」 でもお伝えしたように、ギムナジウムで学ぶ倫理やドイツ語、歴史、経済、社会といった科目は、現在世界で起こっていることと関連付けて学ぶカリキュラムとなっている。

ドイツで使われている政治の教科書(筆者撮影)

そのため、中学生に相当する学年の授業でも、教員が各政党の政策をコンパクトにまとめた雑誌の記事のコピーを前もって配布し、それを参考にしながらどの政党を選ぶか考える授業もある。これは歴史の教科での話だ。

また、各自治体で大々的に行われているのが投票権を持たない18歳未満の「子供・若者選挙」だ。「18歳未満の子供と若者の選挙イニシアティブ」が行うもので、若者や子供の市民教育と政治参加の促進のために1996年から始まった。各自治体が同組織に登録して、各自の学校やスポーツクラブ、図書館などで投票を行う。9月の連邦議会選挙では21万人の「18歳未満の市民」が投票した。

筆者が住むドイツ中南部のエアランゲン市(人口約10万人)でも行われ、地元紙の販売所が投票場所になった。連日選挙報道が紙面を埋めたが、「子供・若者選挙」についても、「若者のページ」を中心に関連記事が掲載された。

現代に生きるナチス時代の反省

政治教育に力が注がれている背景には、ナチス時代の反省が大きい。「子供・若者選挙イニシアティブ」の支援組織の1つ、連邦政治教育センターなどは書籍類をはじめ、ネット上でも政治教育のための教材を多数用意している。もちろん政治的には中立だ。

また、ドイツの政治教育には、「ボイテルスバッハ・コンセンサス」という大原則が1976年に作られている。同原則をわかりやすくまとめると、「生徒が自由に発言し政治的に成熟できるよう、教員が生徒を圧倒しないこと」「実際の政治で議論があることは、そのまま授業でも扱うこと」「生徒が自分の関心や利害をもとに政治参加できるよう、能力を取得させること」といった内容だ。

若者が政治を身近なものと感じるきっかけとして、広場や歩行者ゾーンも重要な役割を果たしている。たとえば選挙期間中の週末には、各政党が市街地の歩行者天国になった道路や広場で情報ブースを設置し、党員や候補者が道行く人に政策を直接紹介し、対話を行っている。そこには過剰な握手やアピールはなく極めて自然体で、一見すると世間話をしているような雰囲気だ。また、選挙期間かどうかは別に、デモや集会もよく見かける光景だ。

いうなれば公共空間が政治的な言論空間になっているのだ。日本では公共空間での政治活動といえば、選挙カーや右翼の街宣カー、昔の学生運動の過激な映像を想像するのか、拒否感をおぼえる人も少なくない。しかし、ドイツでのそれは拡声器でがなりたてるようなことはほとんどないし、暴動のような様相にもならない。

公共空間での選挙運動では誰もが対話に加われる(筆者撮影)

また、こういうドイツの選挙運動の場で立ち止まるのは中高年が多そうに見えるが、若者が立ち止まることも少なくない。筆者の体験からいえば、パンクルックの2人連れの若者が政党のブースに足を止めて、話をしている場に居合わせたことがある。拡声器での応援演説を一方的に聞かされるよりも、「誠実な対話」があり、政治と日常が乖離していない社会の姿として印象的だった。

働き方改革が国民の政治参加を促す可能性も

ドイツでも戦後は日本と同様、学生運動が盛んな「政治の季節」があった。ある種の混乱の時期に、ドイツはこうした政治教育の方向性を作ったかたちだ。当時の若者たちは、大学卒業後、都市部の企業戦士として働く人も多かった日本に対し、ドイツではそのまま各地方で職につき、地方政治を動かした。これが可能だったのは職住近接で、労働時間も日本に比べて短かったという事情も大きかったと思われる。そう考えると、日本でも「働き方改革」で個人の可処分時間が増えれば、国民の政治参加が促される可能性もある。

『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか』(学芸出版社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

このように、市民生活と政治が密接なかかわりを持つドイツだが、意外と投票率が高くないケースも見られる。筆者が住むエアランゲン市を見ると、連邦議会選は70%を超える一方で、地方選は50%を下回っているのだ。地方選が相対的に低い投票率であるのには理由がある。

連邦議会選はイデオロギーを選ぶ重要な場である一方で、地方選となると地元の具体的な問題が争点となり、それらの問題は市民投票や市民イニシアティブなどほかの解決方法も多い。そのため、2014年に行われた同市の地方選で与野党が逆転した際も、報道関係者たちから「実際のところ、党なんてあんまり関係ないし」という本音を聞くこともあった。

ドイツの場合、必ずしも投票率が民主主義の成熟度を反映しておらず、選挙は民主主義を実現する一手段にすぎないのだろう。日本も政治参加を促したければ、投票率にこだわるのではなく、まず政治へ市民がアクセスする方法を多様化することも必要かもしれない。

 

 

 

 

 


“小池氏独裁”のための、恐るべき「希望の党」規約  郷原信郎〔BLOGOS 2017.10.30〕

2017-10-31 14:05:27 | 政治 選挙 

希望の党の議員たちよ。こんな規約で本当に良いのか?君たちは、踏み絵を踏む前に本当に規約を読んだのか?(N・T氏FBコメント)

選挙中も希望の党の公約と違う、誤認される解釈がいくつか拡散されました。(事前に出回った出処不明の協定書で受けたバッシングは、キツかったです…)
先日議員総会で決定しましたが、規約は検討委員会を設置して、変えます。情報は以前の状態を元に発言されているモノですので、国会議員団で修正して参りますのでご安心下さい。(小宮山 泰子 衆議院議員

 

“小池氏独裁”のための、恐るべき「希望の党」規約

意見をつなぐ、日本が変わる。BLOGOShttp://blogos.com/article/255633/

記事 郷原信郎 

2017年10月30日 09:32

希望の党の共同代表に関して、「選出方法などを定める規約の見直しのための規約検討委員会が設置された」と報じられていたので、希望の党のホームページを見てみたところ、【党規約】が掲載されていた。

衆議院選挙公示直前に「都民ファーストの会」を離党した音喜多駿都議が、選挙期間中に出したブログ記事【投票先の選定に当たっては、「公約」だけでなく「規約」も参考になる】で、「『規約』は政党における憲法のようなもの。憲法を読み解けば、その国の性格が一定程度わかるように、規約によってその政党がどのような組織なのかを判断できる。」とした上で、立憲民主党ですら規約が公開されているのに、「希望の党」の規約は一般公開されていないことを指摘していた。

現在は公開されているその「希望の党の規約」を読んでみて大変驚いた。それは、「小池氏独裁」を根拠づけるものでしかなく、凡そ民主主義政党の規約とは言えないものである。選挙中に、公開することができなかったのも当然だったと言える。

他の党の規約を見ると、「自民党」でも、「民進党」でも、「日本維新の会」でも、今回の選挙で消滅することになった「日本のこころを守る会」のような小規模政党でも、「党大会」が党の「最高機関」又は「最高議決機関」とされている。

ところが、希望の党の規約には、「党員」の規定はあるものの、「党大会」も「党員による機関」も規定されていない。「本党の上位議決機関を両院議員総会とする」と規定されているだけだ(6条1項)。あくまで「上位」に過ぎない。規約上、「最高機関」は存在しない。

現行の「希望の党」の規約によれば、「結党時の代表」である小池氏は、病気にならない限り、6年間は絶対に解職できないことになっている。

というのは、「代表」の選出は、所属国会議員の選挙で行うことにはなっているが、「結党時の代表」は、国会議員の選挙による選任の対象から除外されている。代表の任期は3年で「重ねて就任することができる」とされているので、「結党時の代表」は、選挙によらず、その意思により6年まで代表の地位を継続できることになる。

しかも、政党では、代表を解職する事由として「代表が所属国会議員の信任を失った場合」が規定され、党所属の国会議員の発議による解職が規定されているのが一般的だが、「希望の党」の場合、代表の解職事由は「医学的問題(認知症、がん、脳卒中等)により代表を続けるのが困難であると認識されるとき」に限定されているのだ(8条10項)。

そして、「共同代表」「幹事長」「政調会長」等の党執行部の役員人事の権限も、すべて「代表」に帰属している。「共同代表」といっても、「代表」と対当な立場ではなく、「代表を補佐する役割を担う」とされている。あくまで代表の下で国会議員の活動を総括する立場に過ぎず、「共同代表」と言っても名ばかりだ。

もう一つの特徴は、「ガバナンス長」などという不可解な役職の存在だ。この「ガバナンス長」は、「代表」が指名し、国会議員の候補者の公認、推薦や、現役国会議員及び国政選挙の候補者となろうとする者の実力及び人物評価を所管する。そして、この「ガバナンス長」は、「コンプライアンス委員会」と「コンプライアンス室」を所管し、「党員の倫理遵守」の問題についても権限を持つ。つまり、「代表」に指名された「ガバナンス長」が、党所属国会議員の生殺与奪に関わる広範な権限を持つということだ。

「ガバナンス」というのは、日本語では「統治」という意味であり、「組織をまとめて治める」、「支配し治める」という意味で用いられる。その根本には、その組織の主権者の存在がなくてはならない。株式会社であれば主権者は株主であり、国であれば国民である。主権者の意向に沿い、その利益を損なうことがないように組織を運営することが、ガバナンスである。

そういう意味で、一般的に、政党のガバナンスにおいて、「党員」や「サポーター」等の政党の構成員の存在が意識されているからこそ、「党大会」等が最高意思決定機関とされるのである。この場合の「ガバナンス」は、「党の運営が、党員やサポーターの意向に反しないようにすること」である。ところが、「希望の党」の場合、現行規約を前提とすると、「主権者」に当たるのは、「結党時の代表」である小池氏であり、「ガバナンス」というのは、結局のところ、「党運営を小池氏の意向に従わせること」に他ならない。小池氏の指名で選任される「ガバナンス長」は、「希望の党」の国会議員らを小池氏の「統制」に従わせる存在ということだ。

小池氏は、衆議院選挙での惨敗後も、「創業者としての責任」を強調し、代表を辞任しない意向を明らかにしている。その根本には、「希望の党は、今年2月に、商標登録までして、自分が立ち上げた政党だから、すべて自分のもの。その権利は絶対に手放さない。」という考え方があるのだろう。

しかし、このように党内民主主義が全く働かない「小池私党」が、政党助成金という公金の交付の対象としての「政党」と言えるのか、重大な疑問がある。

政党助成法4条2項は、政党助成の対象となる「政党」の義務として、「政党は、政党交付金が国民から徴収された税金その他の貴重な財源で賄われるものであることに特に留意し、その責任を自覚し、その組織及び運営については民主的かつ公正なものとする」ことを求めている。

 

「希望の党」の現行の規約のままでは、政党助成の対象となる「公党」としての政党とは到底言えないことは明らかだ。「希望の党」が、今後も国政政党として、政党助成を受けて政治活動を行っていくのであれば、「小池私党」としての現規約を、根本から改めるべきだ。

「希望の党」の規約に関して、「共同代表の選出方法を定める規約の見直し」が検討されているようだが、創業者の小池氏の独裁を前提とする規約の基本構造を維持し、「共同代表」を「代表が指名する」としている現規約を変更しないまま、単に、「共同代表」の選出のプロセスとして「所属国会議員による共同代表選挙」を規定しただけでは全く意味がない。

政党としてのガバナンス、コンプライアンスを考えるのであれば、その前提として、株式会社であれば株主総会に当たる「組織の最高機関」の存在が明確になっていなければならない。そして、党の最高責任者としての「代表」は、その最高機関、それがないのであれば、選挙で国民の負託を受け、党が行う政治活動を行う所属国会議員によって「信任」されていなければならない。結党後初めての国政選挙で所属国会議員の構成が決まった以上、党組織を運営する「代表」は、党大会によるのでない限り、所属国会議員らによる選挙によって選出されるべきである。

もし、「結党時の代表」である小池氏が「創業者」であることを根拠に、党内での選挙を経ることなく「代表」の地位にとどまるというのであれば、その「代表」としての地位は「象徴的なもの」に過ぎず、人事権や、党の公認、推薦等についての権限、政党助成金や政治資金の支出等の党運営についての権限は「結党時の代表」にはないことを明確にすべきだ。

なお、このような「小池氏独裁」の党規約は、今回の選挙における「希望の党」に対する有権者の支持の前提だとする理屈も通用しない。音喜多駿都議が【前記ブログ記事】で指摘しているように、少なくとも、選挙戦の最中には、「希望の党」の規約は公開されていない。選挙後、しかも最近になって公開されたものであり、「希望の党」に投票した有権者が、このような恐るべき「小池独裁」の規約を前提に投票したのではないことは明らかだ。

「希望の党」の現行の規約は、組織のガバナンス、コンプライアンスについての基本的理解を欠いた人間が作ったとしか思えないが、その作成に関わったのは、元検事の弁護士で、2016年8月の都知事選挙以降、小池氏の腹心となってきた若狭勝氏だろう。同氏は、小池氏の選挙区だった東京10区を引き継いで、今回の衆院選に立候補し、比例復活もできず惨敗し、政界を引退すると報じられているが、その敗戦の弁の中で、「党規約の作成等に忙殺され、公示まで選挙区に入れなかった」ことを敗因として挙げている。

私は、若狭氏とは、検事任官同期である。若狭氏は、小池新党の足掛かりとしての「日本ファースト」設立を公表する直前の8月1日、Facebookで、私に、友達リクエストとともに以下のようなメッセージを送ってきていた。

郷原さん、ご無沙汰しております。若狭です。ご活躍、よく拝見しております。今度、政党のガバナンスとか、コンブラアンスについてお考えを教えていただけませんでしょうか。

私は、Facebookは、ツイッターに連動させてメッセージを出しているだけで殆ど見ないので、若狭氏の友達リクエストとメッセージに気付いたのは、1ヶ月余り経った9月20日過ぎだった。既に、衆議院解散が既定の事実となり、政界はあわただしくなり、若狭氏は、民進党を離党した細野豪志氏とともに、小池氏の国政進出の中心人物として動き始めていた。

私は、若狭氏にたいして、メッセージに気付くのが遅れた事情を書いた上で、

貴兄の新党立ち上げをめぐる現在の政治状況、心配しています。少し落ち着いて考えた方が良いと思います。

とメッセージを送った。しかし、それに対して、若狭氏からの反応はなかった。

彼の「政党のガバナンスとか、コンブラアンスについて教えてほしい」というのが、現行の「希望の党」の規約のことだったとすれば、私は「一般的な意味のガバナンス・コンプライアンスとは全く異なるもので、民主的な政党として許されないものだ」と厳しく指摘していたと思う。

小池氏独裁の体制づくりに腐心していた若狭氏が、私の意見に耳を貸したとも思えないが。

 

 

 

 


【マルティンルターと宗教改革】10月31日は「95か条の提題」から500周年 (ドイツ発ニュースダイジェスト)

2017-10-31 01:57:43 | 森友・加計疑惑

 ニュースダイジェスト @newsdigest

 http://www.newsdigest.de/newsde/features/8381-martin-luther-500-jahre-reformation.html

マルティン・ルターと宗教改革 - 「95か条の提題」から500周年

1517年、神聖ローマ帝国。一人の修道士が教会へぶつけた怒りは人々を動かし、時の技術も味方につけてキリスト教に新しい宗派を生んだ。後に連邦制のドイツほか近代国家の成立にも繋がる、対立と和解の物語。500周年を迎える今年、宗教改革の日(10月31日)はドイツ全州で祝日となる。

時代背景
どうして起こったの?

カトリック教会が支配する階級社会

500年前の中世ヨーロッパは、パソコンも携帯電話も、スーパーマーケットもなく、一般の人々の生活は、現代の感覚からは想像もつかないほどに質素だった。公衆衛生や医療も整備されておらず、ペストなどの大流行も人々をパニックに陥れた。地獄や魔女の存在もごく身近に感じられるほど、不確かな世界。当時の階級社会は、トップにローマ・カトリックの教皇が君臨し、各地の王や諸侯たちがそれに続き、農民や商人など一般の人は最下部に属していた。農民らは領主を通して教会に仕え、皇帝の戴冠式がローマ教皇によって行われていたことに象徴されるように、カトリック教会が社会を支配していた。

贖宥状(免罪符)の販売、腐敗する権力

人は死ぬと地獄に行き、燃え盛る炎で焼かれてしまうと信じられていた時代。聖職者は神の代理人とあがめられていたが、教会は人々の罪を救うとして「贖宥状(しょくゆうじょう)(免罪符)」を販売しはじめる。不安や恐怖など、人々の心の隙を利用し、生まれ持った罪や犯した罪を救済する方法はこれを買うことのみと宣伝する聖職者も。不満や批判が高まる中、ローマの聖ピエトロ大聖堂などの建設に巨額のお金を必要とした教会は1515年、神聖ローマ帝国(後のドイツ)でも贖宥状を販売。利権を求める王や諸侯らの下心も相まって、教会の権力を支えるこのシステムは次第に肥大化し、腐敗していった。

教会で語られる言葉を人々は理解できなかった!

驚くべきことに、当時はローマの名の下、礼拝や聖歌など教会で使用される言葉は全てラテン語だった。人々は教会の壁に飾られた絵画やステンドグラス、聖人らの彫刻などを眺め、そこに描かれている聖書の内容を理解しようとするも、礼拝中に何が話されているのかは全く分かっていなかった。

ケルン大聖堂のステンドグラス世界最大のゴシック建築、ケルン大聖堂のステンドグラス

宗教改革の主人公 
ルターは何をしたの?

死の恐怖から修道士へ

アイスレーベンの農家の家系に生まれたルター。農夫から経営者に転身した父ハンスは息子にも学問の道を選ばせた。ルターは父の期待通り当時の大都市エアフルトで教養学を修める。しかし、法律を学び始めた22歳の夏、帰省旅行の道中で雷雨に遭遇。稲妻とともに投げ倒され、死の恐怖を味わったルターは「聖アンナ! 私は修道士になります、お助けください!」と叫ぶ。当時は聖人を通して神に祈ることが普通だったのだ。激怒する父や止める友人らをよそに、ルターはアウグスティヌス修道院の修道士になり、聖書研究に打ち込みはじめた。

すべての人に聖書を

ラテン語だけでなく、ギリシャ語やヘブライ語にまで遡って聖書を読んだルターは、教会や聖人を通さずとも、人は誰でも聖書を読むことで、神に直接祈り、神の慈悲を受けることができると説いた。そのためには聖書をラテン語から民衆の言葉であるドイツ語に訳す必要性を痛感。後に出版したルター訳の聖書はその後近代ドイツ語の統一に影響を与える。また、聖書の理解には時に歌いながら祈ることも大切と考え、簡単なドイツ語の賛美歌(Choral)を作り、自らリュートを演奏して歌った。日本でも有名な「神はわがやぐら」はよく知られる1曲だが、ナチスの行進曲に利用された暗い歴史もある。

95か条の提題

聖書に書いてあることのみを信仰とするべきだ!と確信したルターは、修道士の立場で当時濫用されていたカトリック教会の贖宥状制度を批判。教会は自ら変わるべきだとした。これが、1517年10月31日、ヴィッテンベルクの教会の門に打ち付けられた、宗教改革の大きなうねりに繋がる「95か条の提題」。一方、カトリック教会はルターに自説を撤回するよう迫る。これを拒否したルターは1521年、ついに教会を破門される。同年ヴォルムス帝国議会で神聖ローマ皇帝カール5世に召喚を受けるが、ここでも自説の撤回を拒否し、帝国追放を宣言される。その帰り道、ルターを支持していた有力諸侯の一人、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世(賢公)に保護され、居城であるヴァルトブルク城にて新約聖書のドイツ語訳を完成させた。

仲間とともに

腐敗する権力に立ち向かったルターの怒りは人々の共感を呼び、宗教改革の勢いは各地に広がった。1517年にヴィッテンベルク大学の教授に就任したフィリップ・メランヒトンは、ルターの思想の体系化に尽力。フリードリヒ3世は皇帝カール5世誕生の立役者であったこともあり、ローマからのルターの引渡しにも応じずルターを匿った。北部ドイツ語を味方に、ハンブルク、リューベック、コペンハーゲンなど北部の各都市を回り、ルターの教えを広めたのはヨハネス・ブーゲンハーゲン。ヴィッテンベルクを拠点に宮廷画家としてフリードリヒ3世に仕えたルネッサンスの画家ルーカス・クラナッハ(父)は、数多くの絵画を通してプロテスタントの宗教精神を伝えている。

忘れてならないのは、危険を顧みず修道院を抜け出し、ルターを追い掛けた修道女、カタリナ・フォン・ボラ。聖書に根拠はないものの、肉体的欲望は罪であるとされ、聖職者の結婚など到底認められなかった時代、二人は結婚し6人の子どもに恵まれた。一躍有名になったヴィッテンベルクには各地から学者が集まった。ルターの自宅にも次々と論者が訪れ、カタリナは女主人として彼らの宿泊や食事などを世話しながら一緒になって日々議論した。

100万部も印刷されたルターの聖書
どのように広まったの?

グーテンベルクの活版印刷技術

それまで書物は手書きによる書き写しか木版印刷が主流だった。しかしヨハネス・グーテンベルクが1450年頃発明し、実用化が進んでいた最新技術の活版印刷がルターの教えを広めるのに大きな役割を果たした。各地の印刷所は「95か条の提題」を始め、ビラや冊子をどんどん刷り、これらは飛ぶように人の手に渡った。ラテン語で書かれていた「95か条の提題」もすぐにドイツ語に訳され、ほんの2週間でヨーロッパ中に広がった。神聖ローマ帝国で1500万人いた人口の大半が読み書きのできなかった時代に、ルターの聖書は100万部も印刷され、大ベストセラーに。印刷の技術がなかったらルターの思想はここまで一気に広がることはなく、宗教改革も起こり得なかっただろう。人々が歌った、ルターの賛美歌にも乗ってルターの思想は拡散された。こうしてルターは庶民の共感を得ただけでなく、ハンザ同盟の都市やドイツ国内の有力諸侯からの融資も得た。一方で教会は危機感を募らせ、両者は対立を深めていく。

ルターの聖書の広がり聖書やビラ、賛美歌によってルターの思想は瞬く間に広がった

対立する両者、社会は混乱
カトリック対プロテスタント?

農民戦争の悲劇も

ルターの教えは重い重税に苦しんでいた農民に希望を与えた。農民たちは農奴制の廃止など「12か条の要求」を訴え中南部で立ち上がった(ドイツ農民戦争)。しかし諸侯軍に敗れ、反乱を主導した聖職者のトマス・ミュンツァーは拷問の末処刑、10万人が犠牲となった。当のルターは諸侯に保護されている立場から諸侯軍に味方し、同地での信頼を失うことに。南部ではその後カトリックが優勢となった。

国外からの脅威もあり、宗教問題に決着を付けるため、皇帝カール5世は1530年、アウグスブルク帝国議会を開いた。破門されたルターに代わり、盟友メランヒトンがプロテスタントの最初の信仰告白「アウグスブルク信仰告白」を執筆。ルター派の主張をしつつもカトリック教会への批判を抑えた内容だったが認められなかった。不満を持つ諸侯らはプロテスタントとして結束を深めた(1531年、シュマルカルデン同盟)。その後1555年にようやくアウグスブルク帝国議会でルター派が容認され(アウグスブルクの和議)、都市や領主に宗教の選択権が認められることになった。

超教派による対話へ
宗教改革が後世に与えた影響は?

領邦間の争いは30年戦争へ、国民国家の礎にも

1555年のアウグスブルクの宗教和議でルター派のプロテスタントはカトリックと並ぶ存在に! ルターはその9年前にこの世を去っていたが、権力への怒りから火が付いた、「聖書に書いてあることのみを信仰とする」との信念は実を結んだ。だが、まだ市民一人一人に信仰の自由が与えられていたわけではなく、どちらの信仰を選ぶかは各都市や領主の決定に従わなければならないことに不満も残った。またカトリックの対抗宗教改革の動きや魔女狩り、宗教裁判も激しさを増した。各地でカトリックとプロテスタントの領邦間の争いも始まり、その他の権力紛争も相まってヨーロッパ中を巻き込んだ30年戦争(1618-1648)に発展。1648年のヴェストファーレン(ウエストファリア)条約でやっと最終的な決着を迎えるとともに、この条約は連邦制のドイツ始め、近代の国民国家の礎となった。

コーラルを交響曲にも、300周年を機にメンデルスゾーン

ルターが作った賛美歌「神はわがやぐら」は、1724年、バッハが宗教改革を記念してカンタータ80番に取り入れるなど、後世の教会音楽やクラシック界に大きな影響を与えた。アウグスブルク信仰告白から300年の1830年、メンデルスゾーンはルターの「宗教改革」をタイトルに交響曲第5番を作曲。ドイツの賛美歌「ドレスデン・アーメン」が用いられているほか、フィナーレで「神はわがやぐら」が響く。

神はわがやぐらルター自筆のコーラル「神はわがやぐら」、右下にルターの名前がある

超教派による対話へ、エキュメニカル運動

ホルトハウス牧師
ネアンダール教会の
ディルク・ホルトハウス牧師

現在も宗教間の対立や争いは各地で続いている。一方で、第2次世界大戦後、キリスト教の教派を越えた和解や結束を目指すエキュメニカル運動(Ökumenische Zusammenarbeit)も始まった。デュッセルドルフの旧市街にあるネアンダール教会は1684年に初めてこの地で建設が認められたプロテスタント教会。角を曲がった場所に、ほぼ同時期に建てられたカトリックの聖アンドレアス教会が並んでいる。ネアンダール教会のディルク・ホルトハウス牧師(Pfarrer Dirk Holthaus)は年に2回、クリスマスとイースターの前に、聖アンドレアス教会の神父と交代して、カトリックの人々を前に説教をしている。ホルトハウス牧師は語る。「ルターも後年そうだったが、プロテスタントの教会もユダヤ人を排除し過ちを犯した。そしてこれは戦争にもつながった。近隣教会の協働エキュメニカル運動は両者の壁を取り払うことへの試みだ。過去の過ちを反省し、世界平和を考えるために」

ルター略年表

1483年 11月10日、アイスレーベンで生まれる。翌日の聖マルティンの日に洗礼を受け、マルティンと名付けられる
1501年 18歳、エアフルト大学教養学部に入学
1505年 22歳、父の教えに従い大学法学部進学、落雷を受け、アウグスティヌス修道院に入り修道士に
1512年 29歳、ヴィッテンベルク大学聖書教授となる
1515年 教皇レオ10世、ドイツで贖宥状販売を許可
1517年 34歳、「95か条の提題」をヴィッテンベルクの教会の門に打ち付ける(10月31日)
1518年 35歳、アウグスブルクで異端審問を受ける
1519年 カール5世神聖ローマ皇帝に即位
1520年 37歳、『キリスト教界の改善について』『キリスト者の自由について』など宗教改革的著作を精力的に出版。教皇庁は破門脅迫の大教勅を発する
1521年 38歳、教皇レオ10世から自説の撤回を求められ、拒否。教会を正式に破門される。皇帝カール5世に与えられたヴォルムス帝国議会の場でも撤回を拒否したため、帝国追放を宣言される。帰り道、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世の居城ヴァルトブルク城で保護される
1522年 39歳、新約聖書のドイツ語訳を出版する
1524年 ドイツ農民戦争
1525年 42歳、ルターに共感し追い掛けた元修道女のカタリナ・フォン・ボラと結婚
1530年 アウグスブルク帝国議会でメランヒトンの「アウグスブルク信仰告白」が提出される
メランヒトンの信仰告白皇帝カール5世(左)を前に読み上げられるメランヒトンの信仰告白
1534年 51歳、旧約聖書のドイツ語訳完成
メランヒトンの信仰告白フランクフルトのSt. Ger traud 教会に残る、1534年のルターによる聖書
1546年 63歳、アイスレーベンで死去
1555年 アウグスブルク帝国議会でカトリックとルター派プロテスタントの和議、各諸侯らが決める教派をその領邦内の教派とする教派属地権が決まる

宗教改革500周年!ドイツ各地の関連イベント

※時間や内容が変更される場合もございますので、お出かけの際はあらかじめご確認ください。

パノラマ「1517年のルター」
PANORAMA „LUTHER 1517“

PANORAMA „LUTHER 1517

ルターが95か条の提題をヴィッテンベルクの教会の門に打ちつけた1517年当時の風景360℃再現。ドイツ人アーティスト、ヤデガール・アシシの巨大なパノラマアートに足を踏み入れれば、中世の時代に迷い込んだ気分に。

2017年12月31日(日)まで
10:00~18:00
11ユーロ(割引9ユーロ、子供4ユーロ)

WITTENBERG 360
Lutherstr.42
06886 Lutherstadt Wittenberg
www.wittenberg360.de

ポップ・オラトリアム ルター
Pop-Oratorium Luther

Pop-Oratorium Luther

賛美歌をドイツ語で歌う喜びを民衆と分かち合ったルター。今年は、ドイツ各地で参加型の賛美歌プロジェクトが企画されている。ルターの生涯を1000人のコーラスと、ポップなミュージカルで楽しめるコンサート。

3月11日(土)ハレ Gerry-Weber Stadion
3月18日(土)ミュンヘン Olympiahalle
6月25日(日)ジーゲン Siegerlandhalle
8月26日(土)ヴィッテンベルク Schlosskirche
9月23日(土)、24日(日)ヴィッテン Saal bau
10月29日(日)ベルリン Mercedes-Benz Arena

www.luther-oratorium.de

クラナッハ マイスター・マルケ・モデルネ
CRANACH. Meister − Marke − Moderne

CRANACH. Meister − Marke − Moderner

ドイツ・ルネッサンス期の巨匠ルーカス・クラナッハ(父)の作品200点以上が並ぶ展覧会。ルターを保護したザクセン選帝侯に仕えた絵師で、ルターの聖書の挿絵も描いた。彼の絵画が現代美術に与えた影響を見る。

4月8日(土)~7月30日(日)
11:00~18:00、木~21:00、月曜休館
12ユーロ(割引9.50ユーロ)、
土日祝14ユーロ(割引11ユーロ)

Museum Kunstpalast
Ehrenhof 4-5
40479 Düsseldorf
www.smkp.de

ルター効果 世界のプロテスタントの500年
Der Luthereffekt. 500 Jahre Protestantismus in der Welt

CRANACH. Meister − Marke − Moderner

ドイツ歴史博物館が企画した展覧会では、500年前に始まったプロテスタント運動が、現代に与えた影響を追う。欧州や北米、世界各地で文化と宗教の対立が浮き彫りになった。

4月12日(水)~11月5日(日)
10:00~19:00、火曜休館
12ユーロ(割引8ユーロ)、16歳以下無料
3つのナショナル・エキシビジョンの共通券24ユーロ

Martin-Gropius-Bau
Niederkirchnerstr. 7
10963 Berlin
www.3xhammer.de

ルターとドイツ人
Luther und die Deutschent

Luther und die Deutschent

ドイツの国民性のシンボルとして愛されているルターとドイツ人との関係を探る展覧会。会場は、匿われたルターがドイツ語の聖書を完成させたヴァルトブルク城。年間35万人が訪れ、現代ドイツの礎を築いた改革者をしのぶ。

5月4日(木)~11月5日(日)
8:30~17:30 ※城内ツアーは20:00まで
12ユーロ(割引8ユーロ、学生5ユーロ)
3つのナショナル・エキシビジョンの共通券24ユーロ

Wartburg
Auf der Wartburg 1
99817 Eisenach
www.3xhammer.de

ルター! 95個の宝-95人の人間
Luther! 95 Schätze – 95 Menschen

Luther! 95 Schätze – 95 Menschen

ルターが35年間を過ごした町ヴィッテンベルクでは、1200㎡の展示会場に彼ゆかりの品々が並ぶ。第1部では、信念を貫いた改革者の青年期の横顔を、第2部では、16世紀から現代までの95人の改革者たちを紹介する。

5月13日(土)~11月5日(日)
9:00~18:00
12ユーロ(割引8ユーロ、学生5ユーロ)
3つのナショナル・エキシビジョンの共通券24ユーロ

Augusteum
Collegienstr. 54
06886 Lutherstadt Wittenberg
www.3xhammer.de

 

 

 

 


【安倍改憲】主権者が知っておくべき憲法基礎知識② 小林節 〔日刊ゲンダイ〕

2017-10-30 21:19:14 | 憲法

【安倍改憲】主権者が知っておくべき憲法基礎知識② 

小林節
わが国では「憲法」が何であるかの共通理解が確立されていない

自民党の改憲草案102条は、国民大衆に憲法を「尊重」しろと命じた上で、

政治家以下の公務員には憲法を「擁護」せよと託している。つまり、国民が憲法を... (日刊ゲンダイ)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【ご案内・再】  安倍9条改憲NO!全国市民アクション11・3国会包囲大行動

2017-10-30 18:29:26 | 案内 情報 デモ 集会 逮捕

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安倍9条改憲NO!全国市民アクション11・3国会包囲大行動

菱山 南帆子さん

· 10月23日 18:08 ·
 
安倍さんは民主党政権時は暗雲立ち込めるとか言ってたけど、2009年9月16日政権交代した日は今日みたいな空が高く気持ちのいい秋晴れだった。当時、二十歳で初めての国政選挙だった私は戦争が終わって自由を噛み締めた民衆は、こんな気持ちだったのかなと思った。

安倍さんは民主党政権時は暗雲立ち込めるとか言ってたけど、2009年9月16日政権交代した日は今日みたいな空が高く気持ちのいい秋晴れだった。当時、二十歳で初めての国政選挙だった私は終戦時自由を噛み締めた市民は、こんな気持ちだったのかなと思った。

そして2017年9月23日総選挙後の今日。台風が去って気持ちの良い秋晴れ。改憲勢力が半数以上を占め、決して明るくはないが、混乱の中でも、地道な市民活動と選挙活動を連携しながら仲間と行い、しっかりと握りしめ直した市民の確かな団結を感じている。11・3は国会を包囲しよう!

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日時:2017年11月3日(金)14:00~15:30(予定)
主催:安倍9条改憲NO!全国市民アクション実行委員会
   戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

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