異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

現役宮司が日本会議を批判 全体主義のこわさに警戒を 〔AERA 2017年1月16日号〕

2017-06-02 23:03:57 | 日本会議  神道政治連盟

https://dot.asahi.com/aera/2017011100219.htmlより転載

現役宮司が日本会議を批判 全体主義のこわさに警戒を
三輪隆裕(みわ・たかひろ)/1948年生まれ。神職三輪家56代目。名古屋大学文学部卒業。至学館大学客員研究員(撮影/編集部・作田裕史)
三輪隆裕(みわ・たかひろ)/1948年生まれ。神職三輪家56代目。名古屋大学文学部卒業。至学館大学客員研究員(撮影/編集部・作田裕史)

(更新 2017/1/12 07:00)
 
 2016年の新語・流行語大賞は「神ってる」。“聖地巡礼”“パワースポット”がにぎわいを見せ、神様が身近にあふれる。3・11から6年、一人ひとりがそれぞれの形で宗教と向き合う時代。日本の宗教にいま、何が起きているのか。AERA 1月16日号では「宗教と日本人」を大特集。清洲山王宮日吉神社宮司の三輪隆裕氏に、伝統ある神社界が生む全体主義の怖さについて語っていただいた。


*  *  *
 まず申し上げたいのは、神社本庁の包括下にある神社で、政治活動に積極的にかかわっている神職は、全体の1%ほどしかいないということです。

 ほかは、神社本庁が改憲署名用紙を置いてほしいと言うから署名簿を置く。選挙で誰かを応援してほしいと言うから応援する。何となくやっているだけです。

 それはなぜか。神職になるには神道学科のある皇学館大学や国学院大学、または地方の神職専門学校で学び、神宮や有力神社で研修をするのが一般的です。このとき、上の方針に絶対逆らうなと徹底して教育されます。上の方針を批判したり、変更したりすることは一切してはならない。神社本庁が考える「伝統」のみが理想であるということ。機関紙の「神社新報」をはじめ、さまざまなルートでそうした「伝統」を刷り込まれるのです。いまの神社界にいる限り、そうした全体主義から抜けることはできないでしょう。

 神社本庁は、明治政府がつくった「国体」を日本の「伝統」と思い込み、天皇を頂点とした家族主義的国家の実現を目指しています。

 本来、多神教である神道には、一つの価値観や規律で国民を縛るという発想はありません。神道の伝統をはき違えています。

 これも理由があります。戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の「神道指令」で国家神道が解体されて、神社界は生き残るために宗教法人・神社本庁になりました。当時のリーダーたちは、明治時代に神職に就いた人々だったので、「国家神道」こそが神道の伝統だと勘違いしてしまったのです。

 その時代から、2代、3代と代替わりをして、ゴリゴリの皇国史観を持つ神職はほとんどいなくなった。考え方がリベラルな宮司もいますが、神社本庁の主導する「伝統」にはあらがえない。その「伝統」を外側からプッシュして先鋭化させているのが、民主主義を敵とする、日本会議の思想の核をつくっている人たちです。日本会議は神社本庁の「伝統」と1%の「真性右派」をうまく利用することで、動員力と資金源を手にしました。全国に8万もの拠点を持つ神社本庁を取り込むことで、小さな組織を大きくみせることに成功したのです。

 神社本庁の政治組織である「神道政治連盟」の政策委員の顔ぶれも、神職主体から、日本会議周辺の思想家中心に変わりました。その影響力が強くなっている証左でしょう。

 いつの時代も人々が従順であれば、一部の人間の意思でいつの間にか極端な社会になるのが、全体主義の怖さです。気をつけねばなりません。

(構成/編集部・作田裕史)

AERA 2017年1月16日号

 

 

 

 


戦前思想=「神道政治連盟」「神社本庁」「日本会議」の安倍政権を支持するのは、自分で自分の首を絞めること。 〔思索の日記 武田康弘〕

2017-01-18 17:19:53 | 日本会議  神道政治連盟

思索の日記

http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/da8e107bed3b382cf764c53020c4fc49より転載 

戦前思想=「神道政治連盟」「神社本庁」「日本会議」の安倍政権を支持するのは、自分で自分の首を絞めること。

2017-01-18 | 社会思想

聖徳太子が神道を排し、仏教による国づくりをしたのが、日本律令政治の始まりですが、
それとはアベコベに仏教を排して神道、しかも従来の神道(町にある神社)ではなく、天皇を現人神にして全国民支配するという思想が、明治政府(伊藤博文ら)の政府神道=国家神道です(現天皇夫妻や皇太子夫妻も嫌う思想)。その総本山が靖国神社(明治政府が東京招魂社としてつくり10年後の明治12年に靖国神社と改名)です。

それは現代の言葉では「カルト宗教」ですが、その「明治政府作成の国家神道」をそのまま受け継ぐのが、安倍首相のもつ思想で、深い関係をもつ「神道政治連盟」「神社本庁」「日本会議」の恐ろしいほどの封建主義です。徹底した上下倫理、個人主義を毛嫌いする家族主義天皇制=皇室絶対の明治主義です。

個々人を主権者とし、個人を活かすことを大元に据えた民主政=民主制=民主性とは、二律背反です。一人ひとりの心、想い→考えにつき、そこから立ち上げるのではなく、マスコミに政府批判を禁じ、政府支持のムードを醸すための戦略を練り、手強い批判者をテレビから消すことで、国家主義を当然とします。

北朝鮮のソフト版(記号学を駆使したはるかに上手な国民洗脳)のような政権。民主政=民主制=民主性を深部で消す政府(安倍首相の親友で思想的バックボーンの八木秀和麗澤大学教授の「反人権宣言」(ちくま新書)「明治憲法の思想」(PHP新書)を見れば、ストレートに戦前回帰を目指していることがわかります)を支持する人は、自分で自分の首を絞めているわけです。戦前思想へがなぜよいのでしょうか?エニグマ。


武田康弘

 

 

 


現役宮司が日本会議を批判 全体主義のこわさに警戒を 〔dot.2017.1.12〕

2017-01-12 17:41:20 | 日本会議  神道政治連盟

改憲を否定する宮司さん、日本会議を批判する宮司さんもいらっしゃる!!

 画像に含まれている可能性があるもの:1人

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https://dot.asahi.com/aera/2017011100219.htmlより転載

現役宮司が日本会議を批判 全体主義のこわさに警戒を

(更新 2017/1/12 07:00)
三輪隆裕(みわ・たかひろ)/1948年生まれ。神職三輪家56代目。名古屋大学文学部卒業。至学館大学客員研究員(撮影/編集部・作田裕史)
 三輪隆裕(みわ・たかひろ)/1948年生まれ。神職三輪家56代目。
名古屋大学文学部卒業。至学館大学客員研究員(撮影/編集部・作田裕史)
 

 2016年の新語・流行語大賞は「神ってる」。“聖地巡礼”“パワースポット”がにぎわいを見せ、神様が身近にあふれる。3・11から6年、一人ひとりがそれぞれの形で宗教と向き合う時代。

 日本の宗教にいま、何が起きているのか。
 
AERA 1月16日号では「宗教と日本人」を大特集。清洲山王宮日吉神社宮司の三輪隆裕氏に、伝統ある神社界が生む全体主義の怖さについて語っていただいた。

*  *  *
 まず申し上げたいのは、神社本庁の包括下にある神社で、政治活動に積極的にかかわっている神職は、全体の1%ほどしかいないということです。

 ほかは、神社本庁が改憲署名用紙を置いてほしいと言うから署名簿を置く。選挙で誰かを応援してほしいと言うから応援する。何となくやっているだけです。

 それはなぜか。神職になるには神道学科のある皇学館大学や国学院大学、または地方の神職専門学校で学び、神宮や有力神社で研修をするのが一般的です。このとき、上の方針に絶対逆らうなと徹底して教育されます。上の方針を批判したり、変更したりすることは一切してはならない。神社本庁が考える「伝統」のみが理想であるということ。機関紙の「神社新報」をはじめ、さまざまなルートでそうした「伝統」を刷り込まれるのです。いまの神社界にいる限り、そうした全体主義から抜けることはできないでしょう。

 神社本庁は、明治政府がつくった「国体」を日本の「伝統」と思い込み、天皇を頂点とした家族主義的国家の実現を目指しています。

 本来、多神教である神道には、一つの価値観や規律で国民を縛るという発想はありません。神道の伝統をはき違えています。

 これも理由があります。戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の「神道指令」で国家神道が解体されて、神社界は生き残るために宗教法人・神社本庁になりました。当時のリーダーたちは、明治時代に神職に就いた人々だったので、「国家神道」こそが神道の伝統だと勘違いしてしまったのです。

 その時代から、2代、3代と代替わりをして、ゴリゴリの皇国史観を持つ神職はほとんどいなくなった。考え方がリベラルな宮司もいますが、神社本庁の主導する「伝統」にはあらがえない。その「伝統」を外側からプッシュして先鋭化させているのが、民主主義を敵とする、日本会議の思想の核をつくっている人たちです。日本会議は神社本庁の「伝統」と1%の「真性右派」をうまく利用することで、動員力と資金源を手にしました。全国に8万もの拠点を持つ神社本庁を取り込むことで、小さな組織を大きくみせることに成功したのです。

 神社本庁の政治組織である「神道政治連盟」の政策委員の顔ぶれも、神職主体から、日本会議周辺の思想家中心に変わりました。その影響力が強くなっている証左でしょう。

 いつの時代も人々が従順であれば、一部の人間の意思でいつの間にか極端な社会になるのが、全体主義の怖さです。気をつけねばなりません。

(構成/編集部・作田裕史)

AERA 2017年1月16日号

 

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目指すは国民主権否定の改憲 日本会議の「危ない」正体・・・安倍政権下こそが改憲の最大チャンス、戦前回帰願う神社界 〔dot. 〕

2017-01-12 15:45:45 | 日本会議  神道政治連盟


https://dot.asahi.com/aera/2016071100108.html?page=1より転載、引用

目指すは国民主権否定の改憲 日本会議の「危ない」正体

by 青木理(おさむ) (更新 2016/7/11 16:00)
日本会議結成前の1993年、椛島有三氏が「祖国と青年」に寄せた一文。政治腐敗の原因は、国民主権をうたう日本国憲法にあると論じている(撮影/写真部・小原雄輝)
 日本会議結成前の1993年、椛島有三氏が「祖国と青年」に寄せた一文。
政治腐敗の原因は、国民主権をうたう日本国憲法にあると論じている(撮影/写真部・小原雄輝)

日本会議の正体  青木理著  定価:864円(税込)

 

 政権と密接な関係を持ちつつ、憲法改正を訴える任意団体「日本会議」。取材を続けるジャーナリストが、近著でその危険性を明らかにした。

 安倍政権のコアな応援団となっている日本最大の右派組織、日本会議を端的にどう評すべきか。先ごろ上梓した『日本会議の正体』(平凡社新書)を取材・執筆しつつ考えたのだが、ある雑誌で対談した先輩記者・魚住昭さんの言葉に膝を打った。「宗教右派の統一戦線」。魚住さんはそう評した。そのとおりだと私も思う。

 1997年5月、当時の2大右派組織──日本を守る会と日本を守る国民会議が合併する形で日本会議は発足した。現会員は約3万8千人、日本会議に呼応する日本会議国会議員懇談会に名を連ねる衆参両院議員も約280人を数えるに至り、組織の役職などには右派系の著名文化人、学者、財界人らが就いてきた。

・・・

戦前・戦中期、国家神道にもとづいて厚く庇護された神社界には、戦前回帰願望に似た復古思想がくすぶっている。

・・・

●「歴史を冒涜する愚挙」

 もちろん、宗教団体や宗教家が政治運動をしてはならないわけではない。しかし、宗教団体や宗教家の政治活動は政教分離を侵しかねず、「宗教心」に駆動された日本会議の運動と主張は、実際に近代民主主義社会の大原則を容易に踏みにじる。

 その兆候は、事務総長・椛島氏の主張にも端的に見てとれる。長年にわたって椛島氏が率いた右派組織、日本協議会・日本青年協議会の機関誌「祖国と青年」には、こんな“アジ文”がいくつも掲載されてきた。

<今日の日本は、祭政一致の日本の国家哲学を政教分離の思想によって否定する思想風潮がある。(略)政教分離思想によって、祭政一致の国家哲学を否定することは(略)、まさに歴史を冒涜する愚挙と言わねばならない>(同誌90年8月号)

<天皇が国民に政治を委任されてきたというのが日本の政治システムであり(略)、主権がどちらにあるかとの西洋的二者択一論を無造作に導入すれば、日本の政治システムは解体する。現憲法の国民主権思想はこの一点において否定されなければならない>(同誌93年4月号)

 政教分離や国民主権の否定。さらには過大なまでの国家重視と人権の軽視。プンプンと漂う天皇中心主義と自民族優越主義=エスノセントリズム。宗教学者の島薗進氏(東京大学名誉教授)はこう警鐘を鳴らす。

「停滞期において不安になった人びとは、アイデンティティーを支えてくれる宗教とナショナリズムに過剰に依拠するようになる。戦前の場合、国体論や天皇崇敬、皇道というようなものに集約されました」

──それはやはり危ういと。

「ええ、非常に危ういと思います。かつては“危ない勢力”と認識された者たちが、いまや立派に見えてしまっている。これは驚くべきことです」

・・・

●各地の神社で改憲署名

 そう、少し前まで日本会議に集うような宗教右派は、極論を唱える「危ない勢力」と認識されていた。だが、中国の経済成長などで日本の国際的地位が相対的に低下し、国内でも格差や貧困が広がり、不安や焦燥が社会を覆うなか、日本会議的な主張に共感する層はうっすら広がっている。

 何よりも安倍政権の存在が彼らを勢いづけている。

・・・安倍政権下こそが改憲の最大チャンスと捉えている。フロント組織である「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を立ち上げて発破をかけ、1千万人を目指して全国各地の神社の境内でも改憲賛成の署名集めが行われたほどだ。本稿執筆時点では参院選の結果は不明だが、その結果次第では改憲が具体的な政治スケジュールに上ってくる。戦後70年の歩みは、現政権と“宗教右派の統一戦線”によって突き崩されてしまうのか。時代の大きな分水嶺である。(ジャーナリスト・青木理)

【日本会議の役員を代表者などが務める宗教団体】
神社本庁
伊勢神宮
熱田神宮
靖国神社
明治神宮
岩津天満宮
黒住教
大和教団
天台宗
延暦寺
念法眞教
佛所護念会教団
霊友会
国柱会
新生佛教教団
崇教真光
解脱会

※アエラ編集部が2016年1月、日本会議との関係が取りざたされている宗教団体に取材・アンケートした。無回答でも、日本会議のホームページなどで確認できた団体は掲載した

AERA 2016年7月18日号

 

 <関連記事>

安倍総理が伊勢神宮参拝 世俗の仮面をかなぐり捨てた神社勢力との危険な結合へ (猪野 亨)BLOGOS2017.1.6

 日本国憲法は「国家神道への回帰を阻む封印」である。…という視点を護憲の中核(旗印)に据えなければならない!

 

 


日本会議の言論弾圧を許すな ~それでも時流に抗い続ける 〔月刊日本 2017.1.7〕

2017-01-07 22:17:46 | 日本会議  神道政治連盟

月刊日本http://gekkan-nippon.com/?p=11615より転載

日本会議の言論弾圧を許すな

裁判に訴えた時点で、言論としては負け

 菅野完氏の著書『日本会議の研究』(扶桑社)の記述で名誉を傷つけられたとして、宗教団体「生長の家」の元幹部の男性が販売差し止めなどを求めた仮処分の申し立てで、東京地裁は販売差し止めなどを命じる決定を出しました(1月6日付朝日新聞デジタル)。

 ベストセラー書籍の販売差し止めは異例のことです(同産経ニュース)。

 これは率直なところ言論弾圧と言わざるを得ません。言論で挑まれたならば言論で応えるのが筋というものです。裁判に訴えたということは、自分には相手を論破する力がないということを認めたも同然です。言論としては、裁判に訴えた時点で訴えた側の負けなのです。

 もっとも、現在の風潮を見ていると、日本では今後もこのような言論弾圧が繰り返される恐れがあります。国家権力はどんどん肥大化しており、マスコミは次々と権力に屈していっています。それでも言うべきことを言い続けることができるか、言論人一人一人に問われています。

 ここでは、『日本会議をめぐる四つの対話』(弊社刊)に収録されている、菅野完氏と京都精華大学専任講師の白井聡氏の対談を紹介したいと思います。(YN)

それでも時流に抗い続ける

菅野 ……僕は最近の日本の動きを見ていると、ちょっと悲観的にならざるを得ないところがあるんです。

 僕は『日本会議の研究』を書いている最中は、肩に力が入っていて、「この問題について書いているのは俺だけだ」「マスコミはこびている」などと思っていたんです。だけど、あとがきを書き終えた時にやっぱり自問自答しましたね。先ほど安倍政権が憲法を変えるために実際に有事を起こすのではないかという話が出ましたが、そのような状況になってもまだ自分は書くことができるか、しゃべることができるか、と。

 その答えはまだ出ていません。正直言って怖いです。だけど、4年先、5年先の近未来にそうしたことが起こることは想定しておかないといけない状況だと思います。

白井 まさにそうだと思います。彼らが憲法に国家緊急事態条項を加え、それを発動させるような状況を作り出し、それを梃子にして全面改憲に進もうとしているという道筋は絵空事ではないと思います。

 それは非常に恐ろしいことですが、ただし、道筋がはっきりしてきた分、対策も立てやすくなっていると思います。「相手はこのように出てきますよ」ということが言いやすい局面になってきたということだし、ある意味、向こうは「この道しかない」という形でやってきているわけですから。どこかでそれを止めることができれば、立ち往生するしかなくなると思うんです。

菅野 ただ、白井さんもご著書の中で指摘されているように、日本の世論は北朝鮮のテポドン一発でがらっと変わってしまったという経験を持っていますよね。日本社会の弱さはすでに20年前に立証済みです。

白井 そこが厳しいところですね。

菅野 実際に有事が起きた時に、それでも時流や大勢に抗うことができるか。それでもまだ言うべきことを言うことができるか。戦前の菊竹六鼓や石橋湛山のように振る舞うことができるかどうか。それが問われているのだと思います。

 

 <追記 関連記事

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日本会議の研究』が出版差し止めに! 過去の判例無視、「表現の自由を侵す裁判所の不当決定の裏に何が