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前川前事務次官への圧力問題 文科省をはねつけた市教委の神対応に称賛の声  / 前川前次官「やらせている人いるのでは」 2018.3.17神戸新聞

2018-03-17 23:40:14 | 教育 学校 家庭 いじめ

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2018/3/17 20:30

 文部科学省の前川喜平前事務次官が名古屋市立中の授業で講演した内容を、同省が市教育委員会に報告するよう求めた問題を巡り、前川氏は17日、「文科省がやりたくてやっているわけではない。やらせている人がいるのでは」との見方を示した。神戸市内で開かれた講演会で言及した。

 前川氏は不登校の子どもらを国や自治体が支援することを明記した「教育機会確保法」をテーマに講演。冒頭、この問題に触れ、「国の教育行政は抑制的でなければならない」と強調した。さらに「(調査の)向こうにいる人を突き止め、『政治による不当な介入だ』と(指摘する必要がある)」と語り、政治側から力が働いた可能性もあると考えていることを示唆した。

 前川氏は講演終了後に神戸新聞社の取材に応じたが、「名古屋市教委や(講演した)学校長が立派に対応しているので、お任せしたい」と述べるにとどめた。一方で、自身の現役時代に今回のケースのように個別の学校の授業内容を調査したことは「ない」と言い切った。(田中陽一)

 

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前川前事務次官への圧力問題 文科省をはねつけた市教委の神対応に称賛の声

西岡千史2018.3.16 19:12
 

 

退官後の活動にも圧力を受けている前川氏 (c)朝日新聞社

退官後の活動にも圧力を受けている前川氏 (c)朝日新聞社

 

文科省の質問がズラリと並んだメール(撮影・西岡千史)

文科省の質問がズラリと並んだメール(撮影・西岡千史)

 

 前川喜平・前文部科学事務次官が名古屋市立の中学校で授業をしたことについて、文科省が同市の教育委員会に対し、前川氏を招いた意図の説明や録音テープの提供などを求めていたことが、問題になっている。

【写真】文科省が名古屋市教委に送りつけた“圧力”メール

 市教委の杉崎正美教育長は16日、「このような問い合わせは今まで聞いたことがない」とコメント。河村たかし名古屋市長も「(文科省は)やり過ぎ」と批判し、同省に問い合わせの意図を確認する意向を示した。

 永田町では現在、調査の実施に政治家からの要請があったのではないかと言われている。野党関係者はこう話す。

「こんな調査を文科省がわざわざやるとは思えない。外部から問い合わせがあったはずだが、電話があっても、『市教委に直接聞いて下さい』と言えばいいだけの話。となると、政治家か官邸の関与があった可能性もある」

 同日に行われた野党合同ヒアリングでは、同省の職員が経緯を説明し、「(文科省内で)調査を決めた」と語った。一方、事前に政治家からの問い合わせがあったかをたずねられると、「確認します」「(コメントを)差し控えさせていただきます」と、回答を避けた。今後、政治家の関与の有無が焦点になりそうだ。

 一方、別の意味で話題になっているのが市教委が同省に返信した“反論メール”の中身だ。最近では、役人が政権の意向を“忖度”し、国会や国民に対しては不誠実な対応ばかりが目につくが、市教委は同省に毅然とした態度で反論していた。

 そのメールの中身を紹介しよう。

 市教委に最初にメールが届いたのは3月1日18時。同省から「事実関係をご教示頂きたく」という文言とともに、15もの質問項目が並んでいた。そこには、交通費や謝金の額、動員の有無、講演録や録音データの提供要請などが記され、5日18時までに回答するよう要求していた。

 また、前川氏については「国家公務員の天下り問題で辞職」「いわゆる出会い系バーの店を利用し、そこで知り合った女性と食事をしたり、時に金銭を供与したりしていた」などと説明。「こうした背景がある同氏について、(中略)どのような判断で依頼されたのか」と、質問した。

 監督官庁からのメールでここまで強い調子の文言が並ぶと、市教委の役人がひるんでもおかしくない。ところが、そうはならなかった。

 天下り問題については「文科省ひいては国家公務員全体の問題であると認識」、出会い系バーには「バー云々については、良心的な目的であったことが報道されてい」ると反論。謝礼は交通費込みで5万円と通常の金額であったことを伝え、録音データの提供は「ご提供は差し控えさせていただきます」と拒否した。動員についても、学校内外の参加者人数を報告したうえで、「一切ありません」と回答した。

 また、「事前又は事後に保護者から意見や反応等はなかったのか」との質問には、「事前、事後とも、ポジティブな反応ばかり」と、バッサリ斬り捨てた。

 反省の色をみせなかったことに腹が立ったのか、同省は6日朝8時、再び市教委に質問のメールを送りつけた。今度は締切を翌日の7日正午に設定し、「必要に応じてこれ以外にも改めて質問をさせて頂く可能性」や「書面にて又は直接ご確認をさせて頂く可能性があります」と、“脅し”とも思える文言を並べた。

 だが、このメールも不発に終わる。同省は、2回目の質問でも、前川氏が天下り問題で「省全体の責任者」となり「本人自らの非違行為を理由として停職相当」の処分を受けたことを説明し、「校長はこの事実をご認識されていたのでしょうか」と詰問したが、市教委は「辞任されたこと以上のことは知りません」と、またもやゼロ回答。保護者や生徒の感想についても「ネガティブな反応はまったくなかったのか」と重ねて質問を浴びせてきたが、市教委は「まったくございません」と、2回目のカウンターパンチを浴びせた。

 監督官庁からの嫌がらせとしか思えない調査に、市教委が役人の矜持でキチンと反論したことに「教育の独立を守った」(別の野党関係者)と称賛の声も出ている。官邸ばかりを見て仕事をしている現在の霞が関官僚にとっては、信じられない反応だったに違いない。(AERA dot.編集部・西岡千史)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


<ここまでやるか!>文科省が授業内容などの提出要求 前川前次官の中学校での授業で 2018.3.15 NHK

2018-03-15 20:52:28 | 教育 学校 家庭 いじめ

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文科省が授業内容などの提出要求 前川前次官の中学校での授業で

国が学校に授業の内容を問いただす異例の事態です。愛知県の公立中学校が文部科学省の前川前事務次官を先月、授業の講師に呼んだところ、文部科学省から教育委員会を通じて授業の内容や録音の提出を求められたことがわかりました。いじめなどの問題を除き、国が学校の個別の授業内容を調査することは原則、認められておらず、今後、議論を呼びそうです。

愛知県内の公立中学校で、先月、文部科学省の前川前事務次官が総合学習の時間の講師に招かれ、不登校や夜間中学校などをテーマに授業を行い、全校生徒のほか地元の住民らも出席しました。

この授業について今月1日、文部科学省の課長補佐からこの学校を所管する教育委員会宛てに内容を問いただすメールが届いていたことがわかりました。

メールでは、前川氏が天下り問題で辞任したことや、出会い系バーの店を利用していたと指摘したうえで、「道徳教育が行われる学校にこうした背景のある氏をどのような判断で授業を依頼したのか」と具体的に答えるよう記しています。さらに、録音があれば提供することなど15項目について文書で回答するよう求めています。

関係者によりますと、中学校には教育委員会からこれらの内容が伝えられ、録音の提出については拒んだということです。教育委員会も授業内容は事前に了承していたということです。

今の法律では、いじめによる自殺を防ぐなど、緊急の必要がある場合は文部科学大臣が教育委員会に是正の指示を出すことが認められていますが、今回のように個別の学校の授業内容を調査することは原則、認められていません。

教育行政上の国の役割とは

戦前の愛国主義的な教育の反省に立ち、国による学校教育への関与は法律で制限されています。教育基本法16条にも「教育は不当な支配に服することなく」と記されています。

地方教育行政について定めた法律では、学校教育に対して、指導や助言などができるのは原則として教育委員会です。国は学習指導要領の作成など全国的な基準の設定や、教員給与の一部負担など教育条件の整備が主な役割です。

一方、いじめ自殺など子どもたちの命に関わる問題が相次ぐ中で、国による関与が必要だとする声も強まり、平成19年に文部科学大臣が教育委員会の対応が不適切だった場合、是正の指示ができるようになりました。

しかし、これも法令違反や子どもの命や身体の保護のため、緊急の必要がある場合に限定されていて、今回のように個別の授業内容を調査できる権限は原則、認められていません。

話聞いた主婦「とても勉強になりました」

講演で、前川氏が語ったのは中学時代の不登校体験や今、みずからも関わっている夜間中学校の必要性などについてでした。終了後は教員や生徒、さらに住民と一緒に記念撮影するなど、好評だったということです。

話を聞いた50代の主婦は「夜間中学校について、熱く語られたのが印象残っています。とても勉強になりました」と話していました。また、別の男性は「政治的な話は全くなく、和やかな雰囲気でした」と話していました。

日本教育学会会長「国の行き過ぎた行為」

日本教育学会の会長で教育行政に詳しい日本大学の広田照幸教授は、「国の地方の教育行政への関わりは、基本的に抑制的であまり口を出さないのが基本だ。学校の教育内容は教育委員会の管轄であり、何より個々の学校が責任を持って行うものだ。それに対し、明確な法律違反の疑いもないまま授業内容にここまで質問するのは明らかに行き過ぎだ」と指摘しています。

そのうえで、「行政が必要以上に学校をコントロールすることになりかねず、現場は国からの指摘をおそれて萎縮し、窮屈になってしまうのではないか。国があら探しするような調査をかけることは教育の不当な支配にあたると解釈されてもおかしくない」と話しています。

文部科学省「問題ない」

文部科学省は「前川氏が文部科学省の事務方トップだったことや、天下り問題で辞任したことを踏まえ、講師として公教育の場で発言した内容や経緯を確認する必要があると判断した。正確性を期すために文書での確認を行った。問題があるとは思っていない」と話しています。

 

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2018 新たな時代へ “君たちはどう生きるか”…異例の大ヒット! NHKクローズアップ現代 2018.1.9

2018-02-27 22:43:01 | 教育 学校 家庭 いじめ
2018 新たな時代へ “君たちはどう生きるか”

2018 新たな時代へ “君たちはどう生きるか”

NHK クローズアップ現代+ http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4081/index.html

2018.1.9

8日は成人式。新たに大人の仲間入りをする若者たちの間で、いま静かに広がり続けている漫画がある。「君たちはどう生きるか」。80年前、吉野源三郎によって書かれた小説を原作とする本だ。なぜ戦時中に書かれた物語が、2018年を生きる若者の心をとらえるのか? 番組では、「君たち〜」押しの若者に人気のタレントや各界の著名人たちと共に作品の魅力とメッセージを紐解き、2018年を生きる“処方せん”を考える。

異例の大ヒットはなぜ “君たちはどう生きるか”

出版不況の時代に、130万部を超す異例のヒットが生まれています。「君たちはどう生きるか」。80年前に書かれた物語が、時代や世代を超えて人々の心を強く捉えているのです。

女優 小芝風花さん
「すごくこれは自分に当てはまった。」

モデル・女優 池田エライザさん
「今だからこそ読んでほしい。」

“僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。だから、誤りから立ち直ることもできるのだ。”

この本を読み、みずからの人生を見つめ直す人も。

タレント ベッキーさん
「今このタイミングで出会ったことに意味がある。」

新たな時代のベストセラーに込められた、珠玉の言葉をひもときます。

2018年、今年は123万人の新成人が生まれました。若者たち、そして、私たちは先行きが見えないこの時代をどう生きていけばいいのか。そのヒントをこの本とともに探してみませんか。

若者たちの心に響く “君たちはどう生きるか”

昨日(8日)成人式を迎えた、女優の小芝風花さんです。
14歳でデビューした小芝さん。今月(1月)からスタートしたドラマでも、重要な役を演じています。「君たちはどう生きるか」を初めて読んだのは、ドラマの撮影が終わった去年(2017年)の冬でした。
物語の舞台は昭和の初期。主人公の中学2年生・本田潤一君は、「コペル」というあだ名で呼ばれています。

学校生活を送る中、友人関係やいじめなど、多くの悩みに直面するコペル君。そのたびに生きていくうえでのヒントをくれるのが、近所に住む叔父さんです。

ノートにつづられる2人のやり取りを通じて、物語は進んでいきます。

(朗読)俳優 池松壮亮さん
“世間の目よりも何よりも、君自身がまず人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。”

女優 小芝風花さん
「『立派な人になってほしいと思っている』というのがたくさん出てきていて、立派って、まず何だろう。」

小芝さんが気になった「立派」という言葉。コペル君の友人で、家が貧しいためにいじめられていた浦川君のエピソードとして出てきます。

浦川君を守るために、いじめっ子に仕返しをしようとするコペル君の仲間たち。すると、いじめられていた当の浦川君がいじめっ子をかばう行動に出たのです。

“世間には、他人の目に立派に見えるように、見えるようにと振る舞っている人が、ずいぶんある。そういう人は、自分がひとの目にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまうものだ。
いつでも、君の胸からわき出てくる、いきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。”

一方的にやられる痛みを知っているからこそ、止めに入った浦川君。「周りの流れに勇気を振り絞って逆らった浦川君は立派だ」とコペル君は気付きます。

女優 小芝風花さん
「私あまり自分の意見を言える方ではなくて、たぶん、みんながAって言って、自分の中でBかなと思っていても、まわりに合わせちゃうタイプだったんです。だからすごく自分に当てはまったというか。」

小芝さんは、しっかりと自分の考えを持つ大人になりたいと感じています。

女優 小芝風花さん
「もう二十歳だし、まわりの目ばかり気にしてないで、思ったことは一度言ってみよう。例えば台本を読んで私なりの演技プランというか、このシーンをこう思ってきたけど、どうですかって、自分の意見は言うようにしようと。少しでも、立派そうに見える人から立派な人になれるように、少しずつでも自分の中に積み上げられたらなと。」

異例の大ヒットとなった「君たちはどう生きるか」。若い世代の火付け役の1人が、モデル、そして女優として若者に人気の、池田エライザさんです。

60万人以上いるSNSのフォロワーにこの本を薦めたところ、次々と反応が寄せられました。この本を繰り返し読むたびに心を打たれるというエライザさん。

モデル・女優 池田エライザさん
「ものの見方とか自分の意見も変わってくるだろうし、私自身がそうだったから(薦めたい)。」

特に響いたのが「当たり前のように見えることへの感謝」です。家が貧しく、家業の手伝いで学校にも十分に通えない友だちの浦川君。コペル君も父親を早くに亡くし、母子家庭に育ちました。しかし、叔父さんは「学校に通えるだけでも恵まれていることなんだ」と語りかけます。

“『ありがたい』という言葉によく気をつけてみたまえ。この言葉のもとの意味は、『そうあることがむずかしい』という意味だ。『めったにあることじゃあない』という意味だ。自分の受けている仕合せが、めったにあることじゃあないと思えばこそ、われわれは、それに感謝する気持ちになる。”

子育てのかたわら働く母を、幼いころから見て育ったエライザさん。仕事に追われながらも常に支え続けてくれた母がいたからこそ、今の自分がいる。そう感じるようになりました。

モデル・女優 池田エライザさん
「私自身、母親とか父親の苦労を目の当たりにしてきて、それでも見返りを求めてこない親のすごさは、年齢を重ねてどんどん感じるようになってきたんですけど。
私が頑張れるのは、私が頑張れるフィールドを作ってくれる人がいたからこそ、今ここで頑張れているんだという意識。だからそれは忘れちゃいけないと思います。」

異例の大ヒットはなぜ “君たちはどう生きるか”

それにしても、なぜ81年も前に書かれた「君たちはどう生きるか」が今の時代に響くのでしょうか?
日中戦争が始まったこの年。言論や思想は厳しく統制され、国全体が戦争へ突き進もうとしていました。そんな世の中に危機感を抱いたのが、著者の吉野源三郎です。民主的で自由な考えは危険な思想とみなされ、吉野も厳しい弾圧を受けます。自由に考え生きることの大切さを、子ども向けのこの本に込めたのです。
物語が生まれた時代と、今の時代に重なる部分がある。そう考えるのが、ジャーナリストの池上彰さんです。

異例のブームが起きる前からこの本に注目し、いち早く講義などで紹介してきました。

ジャーナリスト 池上彰さん
「コペル君も、いろいろな経験があった後、それをじっくり考えるわけでしょ。」

ジャーナリスト 池上彰さん
「(80年前は)同調圧力のような、ちょっとでも政府の方針に違反すると、売国奴とか非国民とか、そういうことを言われるようになってきた重苦しい雰囲気。今なにか政府の批判をすると、それだけで反日とレッテルをはられてしまう。ネットですぐ炎上したり、なんとなく若者も空気を読む。まわりを見て忖度(そんたく)をして、という形で息苦しい思い。(原作が出版された)当時と、共通したようなものがあるのかなと思う。」

「君たちはどう生きるか」には、時代を超える普遍性が詰まっている。そう考えるのは羽賀翔一さん。漫画版の作者です。

漫画家 羽賀翔一さん
「コペル君の髪型とかは、時代考証的には間違ってたりするんですけど。(当時は)みんな坊主頭なので。自分がこう描いてて、生き生きするなっていう絵を優先してました。」

原作者の吉野が作品に込めたメッセージを現代にどう届けるか、試行錯誤してきました。

漫画家 羽賀翔一さん
「叔父さんが思想犯として捕まって、みたいな設定で描いたときもあった。」

当初、羽賀さんは吉野をモチーフに「叔父さん」を描いていました。弾圧を受けて投獄されていた重い過去を持つという、物語が生まれた時代を意識した設定を考えていました。
しかし、原作を読み込むうちに、羽賀さんは作品の持つ普遍性を大事にしたいと思うようになりました。学校や教室、自分の家など。いつの時代にも、そして誰にとっても身近な所にこそ考えるべき問題があることを、吉野は伝えようとしたのではないかと考えたからです。

漫画家 羽賀翔一さん
「世の中全体っていうものから、教室という狭い場所に限定して(吉野が)描いたからこそ、時代とかをこえて共感しやすいものになっている。一時のブームというか、終わってしまうんじゃなくて、原作がさらにまたこの先80年読まれるための、(漫画版が)かけ橋になったらと思います。」

“君たちはどう生きるか” あの後悔に背中おされて…

「君たちはどう生きるか」。タイトルにもなっているこの問いに、本は最後まで答えを出してはくれません。だからこそ、多くの人たちがこの本を通して、みずから悩み、考えようとしています。

「自分自身はどう生きるのか」。タレントのベッキーさんは、本をきっかけにその問いと向き合い続けています。

ベッキーさんは、かつて不倫関係にあったことを報じられ、仕事が一時、激減。支えてくれた人たちの思いを裏切ってしまったと後悔してきました。

タレント ベッキーさん
「本当にトンネルの中にいる感じでした。私は迷惑をかけた側なので、真っ先に言ってはいけないんですけど、正直つらかったです。申し訳ないなという気持ちとか、いろんな気持ちがありました。」

ベッキーさんには、印象に残った本の場面があります。仲間が上級生に制裁を加えられる場面。助けると約束していたのに、恐怖心から一歩も動けなかったコペル君。
友だちを裏切ってしまった…。後悔の意識にさいなまれるコペル君に、お母さんがみずからの苦い思い出を語り始めます。若いころ、街で重い荷物を運ぶおばあさんを見かけたとき、声をかけて手伝ってあげられなかった。お母さんは、そのとき感じた後悔が、あとになって背中を押してくれることがあると伝えます。

タレント ベッキーさん
「後悔が背中を押してくれるという言葉は、はっとしました。もう人を悲しませないって思いながら。あのときの日々が私の背中を押しているというのはありますね。後悔というか反省ですけどね。」

“自分の過ちを認めることはつらい。しかし、過ちをつらく感じるということの中に、人間の立派さもあるんだ。僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。だから誤りを犯すこともある。しかし―

僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。だから、誤りから立ち直ることもできるのだ。”

タレント ベッキーさん
「わたしは、まっすぐに生きたいです。格好つけると、人のために頑張りたいです。結果、それがまた自分のためにもなっているから。どれだけ仕事を頑張るか、その姿勢でありがとうを伝えたい。」

“君たちはどう生きるか” サッカー 頂点めざす若者たち

君たちはどう生きるか。その問いは、この冬、全国の頂点を目指した若者たちにも向けられていました。

全国制覇7度の強豪校・東福岡高校サッカー部。45年間このチームを指導してきた、総監督の志波芳則さんです。

本の中の言葉には、今の若者に必要なものが詰まっていると感じていました。

東福岡高校サッカー部 総監督 志波芳則さん
「ああ、なるほどな。やっぱり子どもと接する中において、ものすごく必要なことだなと感じました。」

志波さんの心に留まったのは、コペル君が叔父さんと共にデパートの屋上に上るシーン。コペル君は突然、不思議な感覚に襲われます。群衆に紛れる自分の姿が見えたような気がしたのです。物質をかたちづくる分子のように、自分も世の中という大きな流れの中の1つにすぎないのではないか。叔父さんは、それこそが大きな発見だと語りかけます。

“自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることができないでしまう。だから、今日、君がしみじみと、自分を広い広い世の中の一分子だと感じたということは、ほんとうに大きなことだと、僕は思う。”

東福岡高校サッカー部 総監督 志波芳則さん
「自分の目線だけでものごとを考えるのではなくて、もっと広いところから、ひとつの局面を見る。そういうものの見方、それを僕はあの本を読んで特に感じましたね。」

全国大会を前にした去年の暮れ。志波さんは選手にも本を薦めていました。
キャプテンの福田湧矢さんです。3年生最後の大会にキャプテンとしてどう臨むのか。志波さんは、本を通じて自分中心ではなく、広い視野を持ってほしいと考えていました。

3年生 キャプテン 福田湧矢さん
「人としてのあり方が大事だなと改めて気付かされましたし、人間として大きくなれるなと、この本を読んで感じました。」

志波さんは、福田さんからの感想文を受け取っていました。

東福岡高校サッカー部 総監督 志波芳則さん
「しっかり彼も読んでくれたんだと思いましたね。自分さえ良ければいいという部分が、だんだん消えてきました。我の強い子なんですけどね。」

先週、東福岡は、2回戦で優勝候補の一角と激突。ロスタイムに失点し、惜しくも敗れました。
敗戦後、初めての全体ミーティング。勝ち負けだけではなく、人としてどう生きるかが選手としての成長に大切だ。志波さんはそう語りかけました。

東福岡高校サッカー部 総監督 志波芳則さん
「本当に人間として当たり前のことを、当たり前にできる人間になってほしい。そちらの方がもっと大事かもしれません、最終的には。いいかい、戦うのは自分です。その気持ちを忘れないように。」

“君たちはどう生きるか” 考えることの大切さ

本が投げかける「どう生きるか」という問いに、答えを出したという人もいます。作家の高橋源一郎さんです。

30年以上前に初めて本に出会って以来、たびたび読み返してきました。高橋さんは「君たちはどう生きるか」に対する自分なりの答えとして、去年、小説を発表しました。タイトルは、「ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた」。

小学生が自分たちで新たな国を作るという、一風変わった課題に取り組む物語です。憲法や国旗などをどうするか。先生は悩む子どもたちに、みずから考えることの大切さを語りかけます。

“わたしの考える『おとな』についてはなしましょう。『おとな』というのは『ひとり』ではなすことができるひとのことです。ただ『ひとり』で、自分の名前をもっていて、それだけの条件で、なにかをはなす、あるいはなにかを考える、それが『おとな』であることです。”

作家 高橋源一郎さん
「僕たちは疑問や質問があると、答えがあると思う。その答えがあるという場合の答えは、誰かが解いた答えなんです。自分の経験と知恵だけで頑張ってみる。そこで得られたものは、もしかしたら貧しいものかもしれないけれど、少なくとも自分の限界まで行ってみる。そういうことを繰り返すことで限界も広がっていくわけですね。」

作者・吉野源三郎は、物語の最後をこう締めくくります。

“最後に、みなさんにおたずねしたいと思います。君たちは、どう生きるか。”

私がこの本でいちばん心に残っている言葉は、「僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている」です。先が見えない時代にどう生きるかを考え選び取ることは、時として怖いことでもあります。しかし、この言葉は、その大きな問いに向かっていく勇気を与えてくれるものだと思います。

 

 

 

 


=校則がなくて、校風のある学校= 茶髪も私服もOK、校則のない「麻布学園」校長が語る「自由」を育てることの大切さ 2018.2.12 弁護士ドットコム

2018-02-14 13:03:38 | 教育 学校 家庭 いじめ

=校則がなくて、校風のある学校!!=


茶髪も私服もOK、校則のない「麻布学園」校長が語る「自由」を育てることの大切さ

https://www.bengo4.com/other/n_7418/

茶髪も私服もOK、校則のない「麻布学園」校長が語る「自由」を育てることの大切さ麻布学園の平秀明校長


2018年02月12日 09時54分

「生まれつき髪の色が茶色いのに、先生に黒染めを強要された」「なんで学校指定の鞄じゃなきゃいけないのか」ーー。教育現場での指導をめぐり、こうした不満の声が生徒や保護者から出ることは珍しくない。

今年に入っても、いくつもの問題が明らかになっている。東京・銀座の公立小学校では校長が主導して高価なアルマーニの制服(標準服)として採用されることが決まり、富山県の県立高校では生徒44人の髪を教諭が切り校長が「不適切な指導だった」と謝罪したという。

「校則や生徒指導って、いったい何だ」。こんな疑問を抱く人は少なくないだろう。弁護士ドットコムニュースでは2月9日、自由な校風と全国有数の進学実績を両立させる私立麻布中学・高校(東京都港区)の平秀明校長に、校則や生徒指導に関する考え方を聞いた。

●教育現場で統制強めるべきではない

ーー学校の指導が最近も問題となっているようです。銀座の公立小学校ではアルマーニの制服が導入されるとの報道もありました

「驚きました。それは『アルマーニ』じゃなくて、『あるまじき』ですよね(笑)。公立小学校で制服があるということは知りませんでした。私は教育現場で統制を強めることはいいことじゃないと思っています。国の考えを注入する機関でもありません。一人の人間としてしっかり確立させるというのが教育の大前提です」

ーー統制を強めると管理する教員の負担も増すことになりますか

「一般的に、校則が厳しい学校は先生方もその校則によって強く統制されていると思います。生徒がいきいきと過ごすには、先生もいきいきしていないといけないのですが、先生自身が疲弊してしまいます。最近は、家庭で本来されるべき教育も学校が担わされている部分があります。さらに服装チェックや持ち物チェックばかりでは疲れるでしょう。

学校は授業をするところです。生徒が楽しく元気に通えればいいし、先生だって一生懸命に教えられればいい。生徒の服装や髪型、持ち物は大きい心で許せばいいと思います」

●多様性を縛るのは人権侵害、学校は世間体を気にしすぎ

ーー学校にとっては校則や生徒指導を厳しくするのはプラスなのでしょうか

「少し前ですが、『地毛証明書を出せ』という指導がなされている学校があるというのには驚きました。服装や髪の毛がきちんとしていないと、世間から乱れた学校だと見られて、学校の評判が落ちるという考え方があるのです。

外面を整えれば学校がよく見られるようになるというのは、違うと思います。大事なのは学校が生徒を信頼しているかということ。特に、中高生は反抗心があって、エネルギーがあって、目立ちたかったり格好つけたかったりする世代です。ある程度許容してあげていいのではないでしょうか。

また、必ずしもみんな日本人というわけではありません。片方の親が外国人だったり、両方とも外国人の場合もあります。肌の色が違ったり髪の色が違ったり、多様な子がいるのは当然です。多様性を一律に縛るのは人権侵害だと思います」

●自らに揺るぎなき基準をもった生徒に育てる

ーー麻布は生徒の服装などが自由で校則もないと聞きます

「服装や髪型の自由さが目立つのですが、我々が本当に求めているのは『内面の自由』です。つまり外から律されるのではなく、自分の中に揺るぎない基準を作りなさいということです。そして立派な一人の人間として世の中に送り出すことを目標にしています。

校則というのは、何々をしてはいけないという『拘束』だと思っています。仮に、校則によって中高時代がコントロールされても、卒業したらタガが外れて、自分を律することができなくなるのではないかという懸念があります」

ーー自由なあまり、生徒自身が失敗することはありませんか

「社会一般の法規範を守らなければならないという前提はまずありますが、校則として縛るものがないので、確かに生徒はいろいろな失敗をします。授業で騒げば誰かに迷惑かかり、遅刻をすれば授業に出られずに自らの損になります。生徒自身が、自由をどうコントロールするかは難しく、誰かに迷惑をかける中で学んでいくというのが実態です」

●生徒の問題行為には粘り強く向き合う

ーー校則がないと、かえって指導がしにくいことはありませんか

「校則がある学校では普通、飲酒や喫煙、窃盗などの大きな違反をすると、停学や退学といった処分がありえるでしょう。麻布では校則はないので、してはいけないことを生徒がしたら、学年の担任と副担任で集う学年会や全体の職員会議で延々と話し合います。

生徒が反省するまで、作文を書かせたり、家庭とも連絡を取ったりしています。反省した、と認められてようやく通常の授業への参加を認めるということにしています。校則がないぶん、違反行為を校則に当てはめて処分を下すことができない難しさはありますが、生徒の育ってきた環境を聞いたり、友人に話を聞いたりする過程を重視しています」

ーー自由な校風だと風紀が乱れ、学力は低下し、学校の評価も下がると考える人もいます

「そうした考え方もあるのでしょうが、我々の考え方は違います。自由な環境であるからこそ、生徒は自分で考え、自分で行動し、結果の責任は自分でとらなければなりません。6年間かけて生徒はこうしたことを学んでいきます」

ーーそれは麻布が自由な校風のため乱れ、不人気になっているわけではないということが証明しているのでしょうか

「おかげさまで、受験倍率は3倍(名目)程度を維持しています。寮がないのに、首都圏以外からの入学者が毎年10人程度います。海外から受けに来られる方もいます」

●自由を得るまでの「代償」は大きい

ーー受験生は、麻布の自由な校風と進学実績どちらに魅力を感じて志望するのでしょうか

「入学してくる生徒に聞くと、自由な校風の方が魅力的だそうです。実は、校則ではないですが、生徒が考えた禁止事項があります。『麻布3禁』というもので、(1)校内での麻雀禁止、(2)授業中の出前禁止、(3)校内を鉄下駄で歩くことの禁止です。なかなかありえないようなことですが、それくらい自由だということが強調されますね」

ーー麻布に合格するために、小学生は必死に夜まで受験勉強しているようで、麻布に入ってからの「自由」を手にするまでの代償はかなり大きいようです

「それはそうかもしれません。裕福で、教育にお金と労力をしっかり投じてくれるような家庭に育った子が多く入ってきているという実感はあります」

●学園紛争きっかけに校則なくなる

ーーなぜ麻布はここまで自由な校風になったのでしょうか

「過去に大きな出来事があったのがきっかけです。1960年代後半から1970年代前半にかけて、学園紛争が盛んだった頃、麻布でも政治集会に参加する生徒が出てきて、ヘルメットをかぶった複数の生徒が当時の校長室を占拠するということもありました。

普通の学校なら強制的に排除するのでしょうが、麻布では話し合いを重ねた結果、全校集会において意思の集約ができ、生徒の自主活動は基本的に自由であるという約束が交わされました。すると、校長室を占拠していた生徒たちも綺麗に掃除して退去していきました。のちに、彼らは退学処分を受けることなくみんなと一緒に卒業しています」

ーーそれで校則もなくなったということでしょうか

「はい。こうした出来事をきっかけに、校則がなくなりました。私自身、1973年に麻布に入学しているのでちょうど自由な校風に切り替わった直後の世代です。それまでは体育の教師が校門前に立って指導するという他校と同じような光景があったと聞いています」

 

【プロフィール】

学校法人麻布学園、平秀明(たいら・ひであき)校長。1960年生まれ、麻布高卒、東大卒。1985年から麻布学園の数学科専任教諭として28年間勤務。2013年4月より校長。(貧しい御家人だった江原素六が1895年に創立。麻布学園は中高一貫校で、中学入試のみ実施。1学年300人程度の男子校。かつて制服だった詰め襟・黒ボタンの学生服を「標準服」とし、希望者は購入して入学式などのセレモニーで着用している)

(取材:弁護士ドットコムニュース記者 下山祐治)早稲田大卒。国家公務員1種試験合格(法律職)。2007年、農林水産省入省。2010年に朝日新聞社に移り、記者として経済部や富山総局、高松総局で勤務。2017年12月、弁護士ドットコム株式会社に入社。twitter : @Yuji_Shimoyama

 

 

 

 


「批判されるべきは、アルマーニを選んだ泰明の校長だけか」 弁護士が問う「子どもの権利」 2018.2.10 huffingtonpost.jp

2018-02-11 19:29:56 | 教育 学校 家庭 いじめ

 

 

「批判されるべきは、アルマーニを選んだ泰明の校長だけか」 弁護士が問う「子どもの権利」

「○○の生徒という所属や属性の枠に子どもたちを合わせようとするのは『支配』です。自分の頭で考えて育っていくことにつながりません」

http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/10/yamashitalawer_a_23358031/

山下敏雅さん提供
弁護士の山下敏雅さん
 
 

「アルマーニ標準服」を採用した中央区立泰明小学校の和田利次校長が保護者宛てに綴った文書を、「子どもの権利」の観点から検証すると、どういうことが見えてくるのか。このテーマに詳しい弁護士の山下敏雅さんに読み解いてもらった。

山下さんは、ブログ「どうなってるんだろう? 子どもの法律」で、子どもの視点にたった法律や社会との向き合いかたを説き続けている。

 

■個人が尊重される教育とは対極

ーー和田校長の文書を読むと「泰明小学校の在るべき姿としての思い描いていること」「泰明小学校の児童はかくあるべき」という主張が展開されている。

 

子どもが学校で学ぶのは何のためかを考える際、参考になる訴訟事例があります。

「旭川学力テスト事件」という訴訟の最高裁判所の判決(1976年)で、こんな一節があります。

(憲法26条が教育を受ける権利を規定している背後には)「国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること...が存在していることが考えられる。......換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的機能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にあるももの責務に属する」

つまり、憲法が「教育を受ける権利」を保障しているのは、一市民として、一人の人間として生きていくのに必要だから。憲法13条もいうように、人は「個人」として尊重される。そのための教育なのです。

教育基本法学校教育法でも、教育は、個人の価値の尊重や、自主・自律の精神を養うことなどのためのものだと書かれています。

 

泰明小の文書で説かれている内容は、この判決と対極の考えになっています。子どもたちを一人ひとり個人として尊重するのではなく、「この小学校のあるべき姿」のほうに子ども達を合わせようとしている。ここが一番の問題だと思います。

今回は制服がテーマですが、昨年問題となった公立高校の「地毛証明書」で高校側が主張する内容と同じ論理です。

あの事例でも、乱れたりすると、就職などに響くから、などと言われていました。頭髪指導や服装指導を行う理由を学校はいろいろ弁解しますが実質は、あの学校は荒れていると言われるのでは、と、「学校の評判」を非常に気にしています。

 

■「体面」でしかる親も同じ論理

こうした論理は学校特有の論理なのかというと、違います。

「外(他人)からどう言われるか」という親の子どもに対する叱り方も同じです。子どもたちは、よく見ています。「親は自分の体面ばかりを気にしている。自分のことを大切に思って叱っているんじゃない。」と。それを思い返してみて欲しいと思います。

もちろん、自分が周囲からどのように見られるかを考えることも、社会の一員として暮らしていくうえで、大事なことです。しかし、「周囲の目」を過度に重視し、そこから出発するような指導は、教育とはいえません。

 

ーー泰明小の文書には、「公共の場でのマナー、諸々含めて、児童の心に泰明小学校の一員であることの自覚が感じられない」と綴られていた。

この学校の生徒なのだからこうしなさい、といった、所属や属性による押しつけは、体罰と似た問題があります。

体罰がなぜだめなのか。ルール違反をした子どもが、「なぜそれが悪いことなのか」をきちんと自分で理解するのではなく、「殴られるからやめよう」と思って表面上服従するだけに終わるからです。暴力を受けない場所では、また子どもはルールを破るでしょう。体罰は、教育ではなく、単なる支配です。

「この学校の生徒だからこうしなさい、こういうことはやめなさい」という指導も、それと似ています。

こういう伝統のある学校に所属しているのだから公共の場で騒ぐな、というのは、その学校でなければ騒いでよいのでしょうか。そうではないはずです。なぜ○○をすべきなのか、なぜ××が許されないのかを、その理由に遡って丁寧に教え、身につけさせることが教育です。

 

■所属や属性の枠に子を当てはめるのは「支配」

「○○の生徒だから」という所属や属性の論理で、その枠に子どもたちを合わせようとするのは、体罰と形は違えども、教育ではなく「支配」です。一人の人間として、社会の一員として、自分の頭で考えて育っていくことにつながりません。

 旭川学力テスト事件の最高裁判決が言っているように、教育は、教育をする側の「支配的機能」ではなく、子どもの学習権を充足するためにこそあるのです。

校長の文書の中で、歴史や風格、地域とのつながりにも言及している部分もありました。

140年も続いた学校の歴史や風格への誇りが先にあるのでしょう。そういう面を大切にしたい気持ちは分かります。

しかし、一人ひとりの子どもに向き合った教育を積み重ねた結果としてその歴史や風格が続くならともかく、その逆に、歴史や風格を維持するために子どもを教育する、という姿勢は本末転倒です。

ーー泰明小の文書には「対外的にも、『泰明小』そして『泰明の子』は注目されます。そういう衆目に答える姿であるかどうか」とあった。

子どもが育つ中で、地域とのかかわりはとても大切です。子どもたちが自分も社会の一員として生きているという意識を持てますし、虐待などの対応で地域が大切な機能を持っていることを、日々の業務で実感します。子どもの育つ上で、地域の「絆」は不可分です。

しかし、その地域との「絆」は、「地域からこう見られてしまうから、子どものあなたはこうふるまうべき」「こうしてはいけない」というものに使われるものとは違います。

子どもたちが、地域の中で一人の人間として尊重されていると実感できること、地域が自分の居場所なのだと感じられることが重要なのです。

 

■「アイデンティティー」は自ら形づくるもの

――泰明小の文書には「よりよい自分であるためによい集団にしなければならない、というスクールアイデンティティー」も求められている。

アイデンティティーは、子どもが成長、発達していくなかで、模索しながら自分で形づくっていくものです。特に10代は、自分探しをしながら自分を形づくっていく大事な時期です。

自分が所属する社会や組織・団体、ルーツや性別、セクシュアリティ、民族というもののなかで、自分で少しずつ、お互い尊重しあいながら築いていくものです。「○○学校の生徒だから」「男の子だから」「日本人だから」などと、周囲から押しつけられ、それに従わされるものではありません。

自分で「この学校が大好きで、愛着や誇りを持っている」と、自らアイデンティティーを持てるのは素敵なことだと思います。だけど、それは押しつけられてもたらされるものではないのです。


■批判されるべきは、泰明の校長だけなのか

――山下弁護士は、ブログ「どうなってるんだろう? 子どもの法律」で制服についても取り上げている。

 どんな人も,一人ひとりが,大切な人間です。 工場で作られているような,どれも同じ形をした商品ではありませんし, 着せ替え人形でもなければ,奴隷でもありません。
 教育基本法という,教育のベースとなる法律にも,一人ひとりを大切にすることが,はっきり書いてあります。
 それなのに,体型も,服のセンスも,みんなばらばらの生徒たちが,まったく同じ服を着させられているのは,おかしなことなのです。
 むかしは,校則で男子が丸坊主にさせられる中学校がとても多かったのですが,みんなが「おかしい」と声を上げたことで,丸坊主にさせる学校は,とても少なくなりました。
 制服についても,同じように「おかしい」と声を上げて変えていくことが大切だと,私は思っています。
「どうなっているんだろう? 子どもの法律」から抜粋

今回は「アルマーニ」のものだからという理由で標準服が問われていますが、そもそも制服自体必要なのでしょうか。

アルマーニでなく、他のブランドであれば、それでよいのでしょうか。

小学校は私服の学校が多いですが、なぜ中学になると制服を着るのが当たり前になるのでしょうか。

制服自体必要なのかという視点からみると、批判されるのは泰明小学校の校長だけではないと思っています。

 

 

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