友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

楽器が演奏できる人が羨ましい

2017年03月20日 18時21分53秒 | Weblog

 お世話になったピアノ教室の発表会に行って来た。この春、大学を卒業する孫娘が高1まで通った教室でもある。発表会は4部に分かれていた。1部はまだ習い始めてそんなに時が経っていない子どもたちで、ステージに登場してくる時も帰る時もぎこちなさが残る。2部の前半はこの子たちのハンドベル演奏だったが、ハープの演奏が加わったので楽しく聞けた。

 2部の後半は高学年向けで、「くるみ割り人形」の朗読と高学年の子たちの見事な連弾がコラボする見応え聴き応えのある企画だった。そして最後は、高学年の子を2つに分けた3部と4部だったが、さすがに高学年だけあって見事な演奏だった。中学3年生が最後の発表会だった孫娘も「あっ、この子たち知ってる」と言っていたから長く教室に通っている子たちだ。

 別にプロを育てる訳ではないが、「遊びではないピアノ」を先生は目指しているから練習はかなりきついようで、脱落していく子もいる。それでもこんなに多くの大きくなった子どもたちが通っているのは先生に魅力があるからだろう。演奏者の中にはこのままプロになるのではと思うような子もいた。

 私はピアノが弾けないけど、音楽には惹かれるものがある。小学校に通っていた道で聴いた三味線の音や、少しずつピアノ教室も出来てきいて、流れてくるピアノの音に聴き入った覚えもある。高校の時、新聞部の前を進むと奥に音楽室があり、1年下の女の子が朝早く来てピアノを弾いていた。その子は私の家の前を通りピアノ教室にも通っていたから、朝早くか、土日の午後に待っていれば会えるのに、声をかけることも出来なかった。

 小1の孫娘もピアノを習っているし、上の孫娘もピアノが弾ける、長女のダンナもピアノを弾くので、いつか3人が合同で演奏する機会もあるかも知れない。ダンナのお父さんはサックスが吹けるし、ダンナの姉ふたりもピアノが演奏できるし、長女もヴァイオリンを弾くから、家族揃っての演奏会も夢ではない。楽器のできる人はいいなあーとつくづく思う。


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