友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

プロ野球日本シリーズのゆくえ

2013年10月31日 18時46分16秒 | Weblog

 プロ野球の日本シリーズを見ていた。我が家のカミさんも娘たちも孫娘も、私の友だちの多くも熱烈な巨人ファンだ。そうなるとどうしても私は楽天を応援したくなる。第1戦を見て、楽天にも希望はあると思った。緒戦だから両チームとも勝てる投手を使ってくる。楽天先発の則本投手は大きな賭けだったと思う。楽天は負けたけれど、0対2と奮闘した。第2戦は楽天が田中投手だから、楽天が負けるはずがない。第3戦は東京ドームでの戦いで投手は楽天が美馬、巨人が杉内だった。この試合の楽天のヒット数は巨人の倍近かった。

 昨日の第4戦はどちらのチームも外人投手で、巨人は2回で4対1と差をつけられた。このまま巨人が負けるようなことになれば、次の試合で楽天が田中投手を投入して4:1で優勝となってしまう。日本シリーズは7回戦まであるのに、5回では終わっては興行収入が減る。7回まで試合をするには第4戦と今晩の第5戦で、巨人が勝たなくてはならない。それで第6戦の宮城球場で田中投手が登場して勝利し、3:3となっていよいよ最終回の決戦となる。野球関係者はそんなシナリオを考えていると思う。

 川上哲治さんが亡くなり、巨人が大先輩に報いるのか、あるいは川上監督と同じ77の背番号をつけた星野監督が念願の打倒巨人を実現するのか、第7戦こそが大一番だろう。そんな私の夢想を話すと、先輩は「そこまで仕組まれてはいないでしょう」と否定的だった。大手有名ホテルの食材の間違いも、愛知県東浦町の国勢調査の水増しも、「よくあること」と寛容な人柄だけに、「人間はそんな悪さは出来ないですよ」と弁護する。そのくせ、「身勝手な奴は腹が立つ」と厳しいことを言う。

 井戸掘り仲間は四分五裂となっている。井戸掘りを楽しんでやっている人と、働いているのに金にならないならやりたくないと考える人とに、分かれてしまった。初めは誰もが何の損得もなく、井戸掘りが面白かったはずだ。馬鹿で下世話なことを言い合って笑い、水が出たと喜び、宴会したり旅行に出かけたり、和気藹々とやってきた。5年の歳月が、人によって胸の中に収めるものを変えてきたようだ。さて、今日の楽天と巨人の試合はどんな展開になっていくのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思案、不思議、金色夜叉‥

2013年10月30日 18時17分36秒 | Weblog

 井戸掘りを日曜日から新しく初めた。火曜日は雨が降ってきたので午前中で、そして今日は朝から午後3時まで行なった。かなりの肉体労働で疲れた。初日に3メートル50センチ、2日目は1メートル、今日も1メートルほど掘れた。なかなか進まないのは、土質が2メートルくらいから下はドロ状態で、掘っても掘ってもすぐにドロで埋まってしまうためだ。水はあるけれど、こんなドロ水ではと気に入らない。既に5メートル50センチ掘っていて、水面は1メートル50センチのところにあるから、水深は4メートルあるはずだ。しかしその半分はドロで埋まっている。さて、ここからどうするかと思案している。

 最近は思案することが多い。NPO法人「おたすけ」も高齢化で、果たしていつまで続けることが出来るかと心配になる。井戸掘りは肉体労働だから、高齢者は少し働いただけでもう息が切れる。腕が痛い、腰が痛いと、情けない。それでも、ポンプから水が出る瞬間を見ると、嬉しくなってしまい、さあ、もう一度頑張るぞとなってしまうから不思議だ。

 不思議と言えば、今日は尾崎紅葉の命日というので、代表作『金色夜叉』が話題になったが、小説を読んだことがない人でも、「来年の今月今夜、僕の涙で必ずこの月を曇らせてみせる」という貫一のセリフは知っている。先輩に理由を聞くと、「多分、小説を読んだことがなくても、歌を知っているし、映画になったからではないか」と言う。そう言われてみると、私も小説は読んでいないが、貫一のセリフも、「熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ 共に歩むも今日限り」という歌は知っている。

 高校時代に、文学部にいた友だちが『金色夜叉の歌』『籠の鳥』『枯れススキ』などをよく歌っていた。いずれも書生歌とか言われるもので、悲哀を強調している。金の無い学生よりも金持ちのダンナの方が結婚するならいいに決まっている。「金権主義」などという批判もあるそうだが、先輩に言わせれば、「金がなくても幸せというのは幻想でしかない」。確かに、金があるに越したことはないけれど、みずほ銀行の頭取が年俸1億6千万円というのには驚いた。そんなに受け取って何に使うのだろう。金持ちはきっとその使い道を知っているのだろう。それとも何か思案しているのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青春の思い出

2013年10月29日 19時29分39秒 | Weblog

 高校時代の友だちがテレビに出た。彼女は料理教室の先生で、ホームページにカボチャ料理を幾つか載せていた。それがテレビ局の目に留まり、出演の依頼が来たという。「テレビに出るなんて、凄いじゃーないか」と褒めると、「こんなおばあさんでもいいのかしらねぇ」と生徒に言ったら、「先生、女優枠じゃーないんだからいいのよと言われたの」と付け加える。「えっ、なんということを言う生徒なんだ。結構、キレイに映っていたよ」と慰める。

 彼女との出会いは高校の新聞部で、1年生で入部した女子は彼女ともうひとりいたけれど、実際に出てきたのは彼女だけだった。男子も私以外にひとりしかいなかったので、同級生の中で優秀だがお高くとまっていなかった2人と、中学からの友だちを引き込んだ。男5人と女1人、それでも彼女は圧倒的な存在感があって、私たちはとても仲良しだった。1年生の夏休みだったか、6人で額田郡にある「くらがり渓谷」から本宮山へ登るハイキングに出かけた。

 「愛知のハイキング」という本に載っていたコースだと思う。岡崎からバスで「くらがり渓谷」の入り口まで行き、そこから歩いて頂上を目指した。その時の写真を見ると、みんな夏の制服で、男子は学帽を被っている。ところが途中でにわか雨に降られ、雨具を持っていない私たちはずぶぬれになってしまった。引き返すか、このまま進むか、迷ったけれど、しばらくすると雨が止んだので出発した。

 しかし、道は雨のために川のように水が流れている。倒れた木がそのままになっているところもある。提案者の私は責任者でもある。頂上まで行かずに途中で引き返すことにした。ぬかるんだ道、岩を飛び越えなくてはならない場所もあった。私は手を出して一人ひとり飛び越させた。体育のフォークダンス以外で初めて女の子の手を握った。それが彼女だった。柔らかった。ますます彼女に惹かれた。

 それから何日か経たある日、私が誘ってすっかり親友になっていた友だちに、「彼女が好きだ。友だちになれるようにしてくれ」と告白された。姉御肌で面倒見がよく、思いっきりもよい素敵な女性だから、彼が好きになるのも仕方ない。橋渡し役をする。同級生で結婚したものもいたけれど、新聞部は誰もそうならなかった。友だちへの遠慮があったのだろうか。青春の思い出の1ページである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謝罪の記者会見

2013年10月28日 17時51分04秒 | Weblog

 みのもんた氏が息子の不祥事で記者会見するのをテレビで見た。そういえば最近、やたらと謝罪するニュースが多い。みずほ銀行が暴力団に融資していた件、大手のホテルでメニューどおりの食材が使われていなかった件、毎回のように出てくる東京電力の汚染水管理の不備の件、過去にも深々と頭を下げる人たちの姿を何度も見た。

 和食の老舗「船場吉兆」が、客の手付かずの料理を出していたことが発覚して、謝罪の記者会見をしたが、笑い種にもなった。老女将が息子に小声で答弁する内容を伝え、息子がその通りに述べたけれど、それは全てマイクに拾われていた。年老いた女将も気の毒で滑稽だったが、従順な息子も情けないほどかわいそうだった。

 みのもんた氏も初めから「ごめんなさい。私の不徳の致すところ、誠に申し訳ありません」と誤っていればよかったのに、「息子と私は別人格」とか、「私がやったわけではない」などと言ったからますます泥沼に入ってしまった。親と子は別人格であることに間違いないけれど、そう思うなら最後までそれで押し通した方がよかっただろう。

 誰かが言っていたけれど、「子は親の鑑」とか「この子の親の顔が見たい」とかの言葉がある。ましてや知名度があるのだから、「別人格」だけではすまない。それに、芸能人の息子が不祥事を起こした時、みのもんた氏は「親はどういう育て方をしていたのか」と批判したという。やはり自分の価値観や倫理観に従って自分がどうするか、身の振り方をキチンとすべきだろう。

 それにしても、テレビでの謝罪を見ると、心から謝っている人は少ない。「知らなかった」「隠蔽の意図はない」「現場の認識不足」などなど、自らの責任を真正面から受け止めているなら決して出てこない言葉ばかりだ。「何で、こんな目に遭わなければいけないのか。自分は運が悪い」といった気持ちが現れている。

 日本シリーズの第1戦で、楽天の松井選手のレフトへの打球をフェンスいっぱいのところで巨人の亀井選手が見事に補給した。楽天の星野監督は悔しかったのか、「スパープレイじゃーない」と言っていたけれど、ここはやはり相手選手の美技を称えるべきだろう。どうしてもエライ人は、素直になれないようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家機密を持ちません

2013年10月27日 17時52分30秒 | Weblog

 特定秘密保護法案が閣議決定され、国会に提出された。安倍首相は「早期に成立させ、漏えい防止の体制を確保することが必要」と言う。「国家の秘密がもれるようなことがあってはならない」と石破自民党幹事長は強調する。なぜ、国家は秘密を持つのだろう。外交や軍事に秘密はつきもので、それが漏洩すれば国家の威信は失墜すると政治家は主張する。

 ドイツのメルケル首相の携帯電話をアメリカの情報機関が盗聴していたようだ。ドイツだけでなく、フランスやブラジルやメキシコなどの首脳らの盗聴や情報収集も行なわれていたらしい。安倍首相は記者会見で「盗聴は大丈夫か?」と聞かれ、「全く問題ない」と答えたが、きっと内心では不安で、すぐさま調査させたと思う。アメリカは敵対国だけでなく、同盟関係にある国であっても情報収集にぬかりはない。

 国と国とは、表面では仲良くしていても、相手の国が本当はどうなのかを知りたがっている。政治家の皆さんが好きな「国益を守る」とはそういうことなのだ。お互いに騙し合っているのが国家なのだろう。あらゆる手段を用いて、相手の国の動向を把握するのが外交だ。だから盗聴や盗撮や犯罪的な行為が存在する。ドイツのメルケル首相の抗議に対してアメリカは、「今は行なっていない」と、盗聴していないことを強調する。それは過去には行なったし、この先も行なう。それが外交と公言しているようなものだ。

 空にはハイテクを満載した無人飛行機が飛んでいる。アメリカが多く保有しているけれど、中国も航空機ショーで同様の無人機を展示していた。第3次世界大戦となれば、人間が戦場に到着する前に、こうしたハイテク兵器が無差別の大量破壊を行なうであろう。無人飛行機、無人戦車が活躍する何とも不思議な戦争だが、その前に核弾頭が飛び交い、人類の大半が命をなくすだろう。これはもう狂っているとしか思えない。

 機密があるからこれを知ろうとする。機密がなければ、盗聴や盗撮や犯罪的な行為も必要ない。特定秘密保護法案など成立させずに、「わが国は国家機密を持ちません」と堂々公言する国家が生まれてもいいじゃーないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『紫式部・与謝野晶子 二人からのメッセージ』

2013年10月26日 18時31分14秒 | Weblog

 北名古屋市女性の会主催の講演会が20日に、市民ホールであった。講演したのは愛知淑徳大学講師で、「ジェンダー論」「男性学」「女性学」を教えてみえる中島美幸先生。演題は『紫式部・与謝野晶子 二人からのメッセージ』であった。偶然だが、私たちの大和塾も来月16日に、多治見市文化会館主宰の「劇場版日本一受けたい文学講座」で人気の勝典子さんを迎えて『千年を生きる女』と題して、紫式部のメッセージを読み解く講座を開催する。日本女性の生き方を捉え直して、その先進性を確かめようとするのだろうか、そう思って私は中島先生の講演に興味を持った。

 中島先生の話は面白かった。古代日本では女性が男性よりも下という考えはない。紫式部が生きていた時代は、藤原氏の全盛期で、紫式部は道長の長女、彰子に仕えた。それは結婚して2年で夫を亡くし、娘がいる紫式部が才能のある女性であったので、娘の役に立つと道長が考えたからだろうと中島先生は言う。平安貴族は母系社会で、一夫一妻多妾性であった。つまり恋愛はかなり自由だった。男は女のもとに夜に通うが、すぐに結ばれるわけではなく、歌を作ってやり取りしなければならない。それも3日間、通い詰めてようやく部屋に入ることができたと言う。

 けれども、正式な文書は漢字でこれは男が使い、女はひらがなしか使えない「文字の使用に性差別が刻印される世界史的にも稀な状況」であった。ひらがなという自由な表現手段を得たことで、紫式部のような女性を生む「歴史の皮肉」となった。武家時代になると女性の物書きは現れなかった。明治になって、樋口一葉や与謝野晶子が現れるが、明治民法が示すように、日本の歴史の中でも女性の地位は最も低かった。母親には親権がなく、夫の許可なしに経済行為は出来なかった。夫の不貞は不問にされたのに、妻は姦通罪で罰せられた。女性は子を生む道具でしかなく、「良妻賢母」であることのみが求められた。

 与謝野晶子は鉄幹の3人目の妻であったが、13人の子を産んでいる。紫式部を働く女性の先駆者と見ている晶子は、「教育を受けた若い女性が職業に就く新しい風潮を祝福する」と述べている。また、「私が母となったことは決して絶対的ではなかった」、「私は母性ばかりで生きていない」と言う。さらに「一人称」で生きること表現することこそが大事とも説いている。中島先生は講演の最後で、日本の女性の地位が世界的には低いことや、少子化・経済成長に触れ、「今、与謝野晶子が生きていたら、どう思い、どう表現しただろう」と結んだ。

 私は、与謝野晶子は優れた先進的な女性だと思う。晶子の歌には惹かれる。本音で考え、本音を言う。そうすれば人間はもっと素直になれる。そういう社会を目指すべきだろう。少子化や経済成長は問題の芯ではない。11月16日の大和塾の講演会『千年を生きる女』が楽しみになった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タモリと『笑っていいとも』

2013年10月25日 18時17分19秒 | Weblog

 フジテレビの昼番組『笑っていいとも』が、来年3月で終了する。私はたまたまこの番組を見ていた。突然やって来た笑福亭鶴瓶が「来年で終わるってウワサを聞いたけど、ほんまかいな」聞くと、タモリは「来年3月で打ち切る」と答えていた。余りにも長すぎると感じていたので、当然だろうと思った。それに、『笑っていいとも』で行なわれているのは、笑いではなく「いじめ」じゃーないかとずっーと感じていたので、終わることに賛成だ。

 身体の特長や話し方や声やしぐさをとらえてあざ笑う。あんなものは笑いではない。いじめだ。テレビの人気番組が「背が小さい」とか、「口が大きい」とか、「色が黒い」とか、本人がどうしようもないことを取り上げて、みんなで笑いの種にするはよくない。ちょっと変わった声なら、その声を強調して真似たり、しぐさにクセのある人の動作をわざと強調して笑いを誘う。小学校や中学校・高校で、子どもたちがふざけ合ってやっている「遊び」と同じだ。

 芸人は笑いを誘うために行なっている。子どもたちもそれを真似して笑っている。けれどもターゲットにされた子どもは笑えない。「遊び」がいつの間にかエスカレートして、どんどん「いじめ」になっていく。だから、止めて欲しいと思っていた。タモリが悪いわけではないが、結局「いじめ」のボス役になっていた。誰もタモリをいじめないが、タモリが誰かを捕まえて「臭いなあ」と言えば、芸人たちがそれに同調して笑う。

 番組の中の一番のメインである「テレフォンショッキング」で、タモリはゲストと対談するが、話の進め方はとてもうまい。どんな相手であっても間が開くことがない。相手がしゃべらないなら、自分が話題を提供するし、よくしゃべる相手なら聞き上手になって話題を引き出す。それにタモリはとても知識が豊富だ。何でもよく知っている。これには敬服する。『笑っていいとも』は生放送で月曜日から金曜日まで毎日ある。他の番組にも出ているから、タフであるばかりか、どこで知識を積むのかと感心する。

 タモリは昭和20年生まれというから、私よりも1つ年下だけれどまあ同世代だ。1982年から『笑っていいとも』は始まったという。32年間は余りにも長いが、それだけ続けられたというのもタモリという人の力なのだろう。それでもやっぱり、60歳を過ぎたら第2の人生を歩く方がいい。表舞台で頑張らない方が後輩たちのためだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金木犀と井戸の完成

2013年10月24日 17時13分27秒 | Weblog

 金木犀の甘い香りが漂っている。この香りを嗅ぐと、小学校へ行く道の角にあった金木犀を思い出す。市の図書館の庭にあった。金木犀が咲く頃は運動会で、このふたつの言葉は密接に結びついていた。我が家の鉢植えの金木犀は10月の初めには花芽が出てきていた。それが少しも大きくなってこなかった。10日前後にはあの独特の甘い香りがするのに、今年は全然しない。それが2週間も遅れて咲き出したのだ。

 そして、昨日は春日井市での井戸の完成式でもあった。既にブロック積みは完成していたので、後は手押しポンプを組み立てて設置するだけ。いよいよ汲み上げである。呼び水を入れ、柄を動かして水を出す。見事に、実は当たり前のことなのだが、水はどんどん出てくる。歓声が上がり、水に手をやる人もいる。特別なセレモニーを行なったわけではないが、依頼してきたカミさんは酒と塩を持って来て、井戸の周りに巻いて完成を祝った。

 実に長い期間かかった。日数は16日間だが、7月から始めたから、4ヶ月の長きに渡った。初めはいつも通り、水圧を利用して掘った。けれども石が多くてこの方法では掘れない。次に神奈川県相模原市の業者から掘り道具を借りて掘った。この道具は優れもので、小石は掘り出すことが出来た。しかし拳くらいからそれよりも大きな石があって掘れない。いつもなら、「これでは無理です」と引き下がるのだが、依頼主は「何とかして掘って欲しい」と言われる。

 掘れば水は出るだろう。そういう地形であることは間違いない。けれど、手掘りで掘るとなると、人手と日数が要るし、危険も伴う。「意地でもやりましょう」の一声で、手掘りで進める。機械がなかった頃の人々はこんな風に掘っていただろうと思う。スコップで土を掘ってバケツに入れ、滑車を使って引き上げて外に出す。狭い穴の中の必死の作業が続く。4メートル近くになって、水が周囲から湧き出してくる。「やった」と少し早合点し、塩ビ管と大き目の石で水量が確保できたと思ってしまった。

 埋め戻して、水を汲み上げると水量が少ないことが分かった。再びやり直しだ。これには依頼主も大きく落胆した。本当にこの人たちは井戸が掘れるのかと不安に思っているのが分かる。今度は前よりも深く掘り、枡を沈めて水量の確保を図る。今度は慎重に何度も途中で水を汲み上げながら埋め戻した。手押しポンプからは大量の水が出続けた。水は臭いもなく透明だ。ご近所のカミさんたちも来て、喜んでくれた。やっと肩の荷が下りた瞬間だった。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

震災に学ぶー秋の研修旅行 最終回

2013年10月23日 17時19分08秒 | Weblog

 みんなが見たかった浄土ケ浜は台風のために見られなかった。回遊船は欠航となっていたし、海岸に下りる遊歩道も封鎖されていた。三陸海岸は美しいリアス海岸で、しかも岸壁はどこも厳しい岩場になっていて、青い海と黒い岸壁とその上の松が素晴しい。岩場の途絶えた所にわずかな浜が出来ていて、港が造られている。その港が3・11の津波で壊滅的な被害を受けたのだ。

 海岸沿いの古い道路を走った。この道もきっと戦後になって出来たのだろう。被災地を見ながら小本まで来た。ここから内陸へ向かう。2日目は午後5時頃には宿泊地に着いた。食事の前にお風呂に入る。龍泉洞温泉は沸かし湯だ。地元産のサイダーがあるくらいで、温泉は炭酸っぽい。ホテルの中で食事が出来ることと、昨日に比べてゆったり出来たことからか、大いに飲み、話した。老人たちの勝手な話に仲居さんは気を悪くすることもなく、笑顔で対応してくれた。

 長老が言う。「東北の女性はどうしてこんなに優しいの。今朝の民宿のオバサンもアンタも、とっても親切で気が利いていて、笑顔がいい」と。確かにそんな気がする。相手を思いやる気持ちが強いし、大事にする。私たちはすっかり東北女性ファンになってしまった。翌朝、日本三大鍾乳洞のひとつ龍泉洞を見学した後、朝のコーヒーを飲もうと早坂高原へと向かう。春のレンゲツツジ、夏は緑、秋の紅葉がきれいというが、トンネルが開通して客足は少なくなったという。

 ビジターセンターの駐車場には1台の車も止まっていない。センターの扉は閉まっている。ダメかなと思いつつも大声で呼んでみた。カミさんが「いいですよ」と言って、ストーブの傍に椅子を並べてくれる。まきストーブが赤々と燃えていて暖かい。先に暖かいお茶を出してくれる。「コーヒーありますか」と言えば、「少しお待ちくださいね」と言って板場に戻り、コーヒー豆を挽きだした。高原に人がいないと言うと、「ここの一番の見ごろは春で、カタクリの花が咲く頃はとってもキレイですよ」と教えてくれた。東北で出会った3人目の優しさに溢れた女性だった。

 『震災から学ぶ』をテーマに回ったけれど、誰もが活き活きと生きている。直向きで真面目な生き様に教えられる。どんなに備えても災害は必ずやって来る。備えることは大切なことだけれど、本当に大切なのは他人を思いやる心のように思う。帰路は全て予定通りで、午後6時には家に着いた。3日間の運転だったけれど、疲れはなかった。むしろ、皆さんに「よかった」と言ってもらえるようにと思う、気疲れが大きかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

震災から学ぶー秋の研修旅行 その3

2013年10月22日 18時15分23秒 | Weblog

 唐桑半島は気仙沼を包むように北から南へせり出している。途中にある巨釜を見る。太平洋の荒波に削られて、岩が大きな釜のように見える。駐車場で売店の若い人が掃除をしていた。昨日の台風で枝が折れ、倒れた樹木もあり、その後始末に追われていると言う。実は民宿のカミさんが「“来ない方がいい”と言うので、どんな人なのか会いに来た」と話すと、「昨日の台風は凄まじく、来ないのは正解だった」と言う。

 民宿はすぐに見つかった。「おはようございます。昨日予約していた者です」とちょっと皮肉を込めて挨拶する。「よく来なさったね。まあお茶でも飲んでゆっくりしていって」とカミさんは私たちの到来を喜んでくれた。結局、コーヒーをいただき、梨まで剝いてくれて、昨日の台風の凄まじさや震災の時の津波の様子などを話してくれた。「住居は山の上に造り、港の店や仕事場はバラックでもいいのよ」とカミさんは言う。これから三陸海岸を北上すると話すと、「じっくり見て行きなさい」と言ってくれる。

 カミさんの言葉通り、港町はどこも全て壊滅状態で、復興作業は各地で行なわれているものの、元のような町になるにはまだまだ時間がかかるだろうと思われた。次は1本松で有名になった陸前高田市で、ここは気仙沼よりも湾が広い。その湾の中央に1本松は立っていて、観光客が絶えない。観光バスや見物に来る人たちが駐車できる場所もあり、大変な賑わいだ。1本松の周りは津波で全て無くなっていて、建設用のトラックやシャベルカーが忙しく動き回っている。大きな下水処理場が建設されていたが、どうしてこんな施設が必要なのかと思う。

 また、これもビックリするような大きな橋げたのようなものが2本立っている。工事関係者の人に、「あれは何ですか?」と尋ねると、「向こうの山から土を運ぶのに、ダンプでは間に合わないので、ベルトコンベアで運ぶためのものです」と教えてくれる。山を削り、湾を埋め立てて、新しい町を造るようだ。三陸海岸の被災地は復興途中だけれど、海岸から少し山側には高速道路かと思うような立派な自動車道が出来ていた。

 陸前高田から大船渡へ、そして釜石へと向かい、ここで昼食を取る。釜石で被災された店の人たちの屋台村を探す。たまたま入った店の主人は初めは愛想なしだったが、これから三陸海岸を北上して小本まで行くと話すと、わざわざ板場から出て来て、どこをどう回れと教えてくれる。津波がいかにこの地方の人々の生活を破壊したか、熱く熱く語ってくれた。昨夜の居酒屋のお兄さんも、釜石の海鮮丼屋のお父さんも、津波のことになるととっても熱い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする