友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

幸せは小さいが、それでいいのだ。

2011年04月30日 21時27分55秒 | Weblog
 今日は久しぶりに井戸掘りに出かけたので、少々疲れた。尾張平野のように、掘れば水が出てくるような地質と違って、名古屋の東側から知多半島へ延びる尾張東部の丘陵地帯は難敵である。こぶし大の石が粘土に混じってかなりの厚さでつながっていて、なかなか掘り進めない。両腕が痛いほどだ。6メートルほど掘って、続きは3日に行うことにした。依頼主は定年退職をされたかあるいは直前くらいの人で、80坪ほどの土地を農地にしようと頑張っている。何しろ土は大小の石が混じっているので、土を篩にかけて石を取り除き、砂やバーク堆肥を混ぜて、土作りをしている。水は雨水をいくつもの水槽に貯めるように工夫している。井戸が欲しいというのも無理はないと思った。

 昔から人は、水田を手に入れた人は水稲を植えて米作りをしたのだろうが、この人のように荒れた土地しか手に入らなかった人は、こんな風に開墾して畑地を造っていったのだろう。初めの頃に植えたと思われるブドウの木が何本かあった。この辺りにブドウ畑が多いのも、土地が痩せているからだろう。ヨーロッパやアメリカで見たブドウ畑には棚はなかった。初め見た時はビックリしたけれど、日本のブドウ作りの方が変わっているのかも知れない。この土地の持ち主もブドウの枝を這わせて棚を作っていた。見上げると天空にはカスミ網が張ってある。鳥たちから野菜や果物を守るためだ。

 我が家のルーフバルコニーでもチューリップがほとんど花を終えた。次は引き抜き、しばらく乾燥させて、来年も花を咲かせそうな大きめの球根を取っておかなくてはならない。そして、土に残っている根を取り除き、肥料を混ぜてまた新たな土作りをする。チューリップの後はサルビアと決めているが、もう少し広い庭があったなら、まるでジャングルのようにいろいろな草花が咲き乱れ、あるいは様々な樹木が生い茂る、そしてそこにアサガオが何輪か花を咲かせている、そんな庭がいい。しかし、マンションでは無理である。ルーフバルコニーに出られるのは夏場の間だけで、それも日陰となる午前中だけが至宝の時である。コーヒーを飲みながら新聞か本でも読めれば最高の幸せだ。

 昔、アラン・ドロンがデビューした『太陽がいっぱい』は、燦燦と降り注ぐ太陽の下で、愛する女性を手に入れた男が、幸福の絶頂からまぶしそうに言うセリフを題名にしたものだ。そこまでの幸せ感はなくても、夏場の朝のひと時は満足な時間と言える。さて、そのためには自らがその演出のために汗を流さなくてはならない。自分が汗を流すからこそ、人にその幸福なひと時を味わってもらいたいと思ってしまうのだ。どこまでもおせっかいな性格が付いて回る。今日の井戸掘りの依頼主も、長椅子に身を投げ出して、自分が精魂込めて作り上げた畑を眺めることに、この上ない悦びを感じているのだろう。人の幸せは意外に小さい。それでいいのだと思う。
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ウイリアム王子とケイトさんの結婚式

2011年04月29日 20時47分35秒 | Weblog
 イギリスのウィリアム王子の結婚式がテレビで生中継されていた。日本人と西洋人では儀式の受け止め方が随分違う。式場では誰ひとり身動きもせずに見守っている日本と違って、子どもたちがドタバタではないけれどジッとしていなかったり、大人たちも隣りの人と談笑していたり、なぜか緊張感に欠けた雰囲気である。司祭の前のウィリアム王子とケイトさんも微笑み合ったり私語を交わしたりと、リラックスした様子だった。誓いの言葉や賛美歌はどこも同じで、王室の結婚式だから特別ということはないようだ。

 沿道にはたくさんの人々がふたりを見ようと詰め掛けていた。王室はイギリス国民から敬愛されていると思った。もちろんそういう国民が圧倒的に多いのだろうけれど、中にはこの結婚式で誰が一番先に泣くかという賭けをしている国民もいると言う。それもまた、一応ではあるが結婚式に感心があるのだけれど、イギリスも連休とかで、結婚式に関心のない人たちのための旅行プランが売りに出されていると言う。王室に誰でもが敬意を払っているわけではないようだ。

 それにしても、日本の皇太子ご夫妻の姿が見えなかったけれど、まさか招待されていないことはないだろう。震災のために出席を見送られたのだろうか。どうして報道されないのだろう。天皇皇后両陛下が被災地を訪れた報道などを見ると、やはり日本は皇室国家だなと実感する。もし、何らかの事情があって、皇位を継承したくないとか、あるいは民間人になりたいと願っても、実際そんな個人の希望などを受け入れてもらえないだろう。ひとりの人間としては生きていけない存在に同情の気持ちが湧いた。

 結婚式では誰もが、「健康な時も病気の時も互いを労わり合い」と誓うのに、いつの間にか不満ばかりを抱くようになるのはどうしてなのだろう。結婚は与えるものであったのに、いつの間にか与えられないことへの不満となるのはどうしてなのだろう。築くというのは互いの供与と譲歩で成り立つものだけれど、人の気持ちというのは疲弊し迷っていくものらしい。求めることが強ければ強いほど、その反動も大きいようだ。なるようになると言うと無責任に聞こえるが、なるようにしかならない、そう思えば人生は楽しいし、そうならばなるようにやってみようという積極性も生まれてくる。

 今日はマンションの自治会の総会だった。自治会長がマンションは高齢化が進んでいると話していたが、聞いていた側は高齢者が多い。だから「そんな当たり前のことを言わんといて欲しいわ」と呟いていた。結婚して子どもたちが生まれ、少し広いところへ移ろうとこのマンションにやって来た人たちだから、30代後半の人なら70歳台になっているし、私たちのように30歳を越したばかりの人たちも60代の半ばになっている。夫をあるいは妻を亡くした男女が別姓のまま一緒に暮らしているケースもある。ウィリアム王子とケイトさんのこれからに幸多きことを祈りたい。
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色の白い楚々とした人

2011年04月28日 22時05分57秒 | Weblog
 今日も妙な天気だった。日差しは強くなっているけれど、風も時々強く吹き、時には雨が降ってきたのかと思うようにパラッと来るものがあったり、どこか落ち着かない天気だった。ツツジとフジの季節になってきた。この辺りでは津島の天王川公園と江南の曼陀羅寺が有名だが、連休には大勢の人でにぎわうことだろう。曼陀羅寺は歴史のある寺で、本堂は御所の紫宸殿を模して造られている。檜皮葺の屋根はとても美しいし、本尊の釈迦如来像は写実的で法衣の表し方から平安末期か鎌倉時代のもののような気がする。教員の時に、あまりにも美しい仏像なので調べてみたいと思ったが、研究論文に一度だけさらっと触れただけで終わってしまった。

 フジは子どもの頃から縁があった。小さい頃に住んでいた家の南には城跡があり、城跡は公園になっていたけれど、その一角にはフジ棚があった。私が小学校2年になる時に、我が家は実家である材木屋に引っ越したが、近所に風呂屋があって、入り口にはフジ棚があった。高校は昔からのバンカラが売りで、校舎の間にはいろんな樹木が植えられていた。校庭の周りはクチナシの生垣があり、また楠木が何本もあった。新聞部だった私は校内の樹木を数え、学校にはもっと木を植えるべきだ、図書館の南にフジ棚を作り憩いの場としようと提案した。

 フジはその色の美しさで日本人の心を捉えたのだろう。清楚な色なのにどうしてあんなにも芳醇な匂いを放っているのだろうか。一見楚々とした風情から妙に色っぽい大人の女の匂いがする、そんなアンバランスがフジにはあるような気がする。ユリとかサクラとかもっと素朴なツユクサなど、日本の花には清い瑞々しさと妖艶な大人の香りが同居しているように思う。それは日本の女性全般に言えることなのかも知れないし、本当は私が知っている女性たちのイメージなのかも知れない。

 そこで男はどうなのだろうと考えてみるけれど、ピッタリしたイメージが湧いてこない。子どもの頃からよく知っている男となると、中学・高校時代からの友だちが思い浮かぶけれど、ひとつの型では定義できない。それぞれがそれぞれに生きているし、またそれぞれが重荷を背負っているようにも思う。どうでもいいことなのだろうけれど、それをどうでもいいさと割り切れなくて生きてきてしまっている。女だって自分の人生を考えるわよと叱られそうだけれど、女の人がどんな風に悩んだり悶えたりしているのか、男の私にはよくわからない。それが男同士だと、何となく理解できるような気になってしまう。

 フジを女の人と思ってきたけれど、そう言えば、フジは男だろうと言う声が聞こえそうだが、そんなことはないのだろうか。天皇と姻戚関係を保って権力の座を維持した藤原氏はなぜフジワラという姓だったのだろう。フジは繁殖力が強いということにもつながっているのだろうか。フジ色が似合う女性はどんな人だろう。色の白い楚々とした人なのだろうか。
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自己矛盾と変な感心と

2011年04月27日 21時49分34秒 | Weblog
 「明日、市長のところへ行って頼んで来る」と言うと、カミさんはビックリした顔をして「あなたは本当に変わっているわネ」と言う。「それに、市長だってあなたに会うのは嫌じゃないの」とまで言うから、「そうかな、そうは思わないけれど」と答えた。6年前に市長選挙で戦っただけでなく、昨年も対立候補を応援している。さらに辿れば15年前にも首長選挙で戦い、その後に私は議員となり議会でも戦っている。そういう対戦相手によく頼みに行けると驚いているのだ。私は、自分のことではプライドが許さないけれど、今回は私が頭を下げた方が手っ取り早いし、確実な方法だと思った。

 私がかかわっている市民塾がこの秋に5周年を迎える。そこで、市の会館を借りて大きなイベントをやろうということになった。そのためには会館を仮押さえしなくてはならないが、一般市民ではまだ仮予約が出来ない。時期を待っていては会場が確保できないから、ここは市長に頼む他ないというのである。確かに私が住んでいるようなまちでは、大きなイベントが出来るような会場は1つしかない。それも行政に優先権があり、民間人ではなかなか押さえることが出来ない。実施までに期間があるものは、行政に頼んで押さえてもらうことになる。

 それを市長にお願いしに行くわけだけれど、矛盾していると言われればその通りだ。けれど現実的に判断すれば、やむを得ないとはなはだ歯切れが悪い。市長とは20年前はよく酒宴の席で一緒させてもらった。人柄もわかっているので、話せばわかると思っている。借りが出来るのは不本意だけれど、市長にしてみれば気持ちがいいだろうから、ここは頭を下げる以外にない。お互いに選挙でのしこりはないと私は思うので、ざっくばらんに話は出来ると信じている。

 理髪店に行ったら、ラジオで面白いことを言っていた。福島原発に行きたくなかった自衛隊員が自分の下半身を露出し、ワイセツ行為で懲戒免職になったが、この男に同情が寄せられているというものだった。派遣が嫌だと言ったならばどうなるのだろか、命令に逆らうのだから懲罰を受けることは間違いないだろう。ラジオも申し出ることは出来なかったのだろうかと疑問を投げかけていたが、命令に対して拒否は出来ないのだろう。そこで自らが犯罪者になったという訳だけれど、それもどこかおかしな結論だと思う。

 ラジオでは誰かに被害を与えたわけではないと言っていたけれど、下半身の露出を見せられた側は迷惑ではないと言うのだろうか。人を殺したり傷つけたりしていないというだけで、被害を与えていないと言うのは的外れな気がした。でも、強制撤去という地域は身体に危険のある地域ということだろうから、そういうところへは行きたくないと思うことは当然だろう。男がどうして自衛隊員になったのか知らないが、命令を拒否するために犯罪者になるのは自己矛盾だけれど、しかもちょっと変な結論だけれど、勇気が要っただろうなとこれもちょっと変な感心を抱いてしまった。
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人はそれぞれ、振り回されることはない

2011年04月26日 18時55分50秒 | Weblog
 6月に、81歳の姉を香港旅行に連れて行くので、その書類を持って姉のところへ行って来た。今年の正月に会った時、「まだパスポートが有効なのだけれど、どこか暖かいところへ行きたい」と言っていたのを覚えていたカミさんが、新聞で見つけたプランである。初めはグアムへ行くつもりでいたようだけれど、ツアーはなく、若者たちがオプションで遊びに行くにはよいところと聞いて、香港に行き先が変わったのだ。私は香港へは一度も行ったことがないので、グアムよりはいい気がしたし、高齢の姉を連れて行くにはこちらの方が適しているのではと思った。妹夫婦にも声をかけたけれど、義弟は飛行機が嫌だと言い、妹だけを参加させると言う。

 「お昼を一緒に食べようか。どこがいい?」と聞くと、「スパゲティが食べたい」と言うので、イタリア料理の店に入った。7人ほどの女性たちがテーブルを囲んでいたが、他にお客はいなかった。姉はペペロンチーノを、私はカルボナーラを注文した。7人の女性客はこどもが小学校の同学年のお母さんのようで、子どもの話や学校のことや食べ物の話など、かなり盛り上がっていた。姉は「うるさいわね。もう少し小さい声で話せないのかね」と小声で言う。こんな風に、女同士が集まって、ワイワイガヤガヤ話し大笑いした経験が姉にはなかったのだろう。「他に客はいないし、あれくらいの若いお母さんたちが集まればあんなものだよ」と言うと、「恥ずかしくないのかね」とまだ納得しない。

 昭和5年生まれの姉は、NHKの朝の連続小説『おひさま』の世代だ。テレビは見ていると言い、「あんなに自由ではなかった」と付け加える。『お江』もそうだけれど、確かに時代考証はしているのだろうが、言葉遣いや表現で、こんなことはあり得ないと思う点はいくつもある。けれどもきっと、私たちが知っている時代通りに行なったならば、湿っぽく暗いドラマになってしまうだろう。時代を忠実に再現するのではなく、この2つのドラマはいずれも特別な時代に生きた女の生涯を描こうというものらしい。視聴者が主人公に共感できるような仕立てにしているのだろう。細かなところに目が行っては主人公の生き方を見落としてしまうかも知れない。そう思いながらもなお時々違和感を覚える。つまらない年齢になってしまったものだ。

 姉は「芸能人には漢字を知らない人が多いね」と言い、娘に「そういうことを人前で言ったらいかん」と注意されたそうだ。「漢字は知らなくてもパソコンは打てる。姉さんは録画がうまく出来なくてが高校生の孫は出来る。芸能人の中には韓国語の翻訳が出来る人もいれば、英語がペラペラの人もいる。時代が変わって、関心も変わった。クイズは見世物だけど、それは一面でしかないから、それで評価はできないよ」と話す。それでも姉は「どうして芸能人に東大出はいないのかね」とまだ食い下がる。東大出は凄いと思っていた時代だから仕方がないが、高校の先輩で東大へ行った人は魅力的な人ではなかったし、高校教師の同僚にいた東大出もそんなに知識が豊富ではなかった。

 人はそれぞれである。人に振り回されることはない。姉も昔は「ハイカラ」な生き方をしていたはずなのに、人のことが気になるのだろうかと老いた様子を見てそう思った。
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産みの苦しみにあるのだろう

2011年04月25日 18時39分52秒 | Weblog
 選挙の結果は厳しかった。私が選挙の手伝いをした候補者は落選した。そういう予感はあった。最下位でもいいから当選して欲しいと願ったが難しかった。投票率が40%台しかなかったし、何よりも準備不足であった。根回しが足りないということではなく、候補者が何を考えどうしたいのか、それを知らせることが出来ていなかった。本人はこれまで、何回もチラシを配ってきたと思っているけれど、私にはそのチラシは紙屑のようにしか思えなかった。「長い文章は読んでもらえないから」という理由で、見出しを並べたような簡潔なものであったが、果たしてそれで納得してもらえるだろうかと不安だった。

 「チラシは有権者への手紙ですから、ラブレターを書くように情熱を込めて」と話したが、同意してはもらえなかった。見出しだけの簡潔なチラシ、そのチラシと立候補者とを結びつけることが出来なかったのではないだろうか。ラブレターのような濃密なチラシは1回配ったけれど、後が続かなかった。私もそうであったけれど、こんなに大事な問題をこんなにキチンと提起しているのだから、有権者は必ず理解してくれると思い込むところがあった。しかし、現実の有権者は大半が無関心であり、投票を行う多くの人は選挙公報を見たり演説を聞く前に、投票する相手を決めている。

 その中に私たちの主張を理解してくれている有権者もいるけれど、その数はわずかでしかない。こうしたわずかな理解者を増やしていくためには、かなり前から候補者の思いや政策を伝えていかなければならない。選挙期間はその最後の時間であって、その前に大方の人が投票相手を決めている。だから「日頃の活動が大切だ」と言うのは当然である。いつもキチンと街頭演説をしているとか、チラシを配っているとかを、その中身とともに有権者は見ている。1ヶ月や2ヶ月前からチラシを配りだしても、有権者の気持ちにまでは届かないのだ。

 首長選挙はもっと難しい。私たち『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』では、1千票や2千票の得票のノウハウは獲得してきた。それは議員選挙では有効に発揮したけれど、1対1や1対2とか3という首長選挙ではまだ勝てていない。充分に準備をし、満を持して挑むけれど勝つことは難しい。特に今回は、地震災害の影響は大きく、どこの選挙でも現状維持が目立った。政権交代の時ならば、全体の雰囲気が「変えよう」になっていたけれど、民主党政権の不甲斐無さが大きく作用して保守的になっている。どんなに地道にそして真面目に、政策を訴えても有権者は聞いてくれない。

 議員選挙で得た感触で、たくさんの人が応援してくれていると思ってしまったけれど、それは議員ならばの手応えに過ぎなかった。実際はその3倍から5倍という手応えでなければ当選の域に達しないのだ。しかし、いつかそれを実現することだろう。既成の政治は行き詰っているし、それに変わる新しい政治が求められていることは確かなのだから。世界はその流れをどこからどう生み出していくのか、私たちはその産みの苦しみにあるのだろう。
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新しい時代がそこまで来ている

2011年04月24日 21時33分00秒 | Weblog
 「70歳ではまず当選するのは無理ですよ」と話した。しかし、本人は「税金を湯水のようにつかっている市政を変えたい。税金を使って海外旅行へ出かけるような議会、市長の提案を一度も否決も修正もしたことのない議会、これを認めることはできない」と意志が硬い。「応援してくれる人は何人かいますか?」と聞いてみると、「何人かはいるけれど、実際にチラシを配ることはできても車の運転はできない、運転はできるけれどチラシは配れない、そういう人ばかりで数は多くない」と言う。それでも出発式には40人ほどが集まってくれたそうだ。ウグイス嬢は声がよく、優しい人柄が伝わってくる。いい人を見つけた。街宣車に一緒に乗ったことがあるが、候補者よりもしっかりしているし、気配りが出来る。

 「とにかく、あなたが出来ることは、街頭で思いや政策を語ることです。いくらウグイスさんの声がいいからと言っても、あなたが自分で語らなければダメですよ」。そんなアドバイスで選挙戦は始まった。彼の語りはソフトだけれど、思った以上に演説はうまかった。アドバイスもキチンと受け入れてくれて、一日に何十箇所で、誰もいない街頭演説を行った。けれど、そのうちに自分でもうまくいっていると思ってきたのだろう、ウグイスさんに任せる回数が増えてきた。最後の土曜日は雨降りだった。電話で様子を聞くと、「流しています」と言う。

 これはイカンと思った。「雨の中でも、この人は車から降りて話している、それを見ていただくことが大事ですよ。選挙はやっただけの結果しかありません」と話す。それでも心配になって現場へ向かった。最後の2時間は街宣車を運転する人がいないというので一緒に回った。家の中から出てきてくださる家族がいたり、窓から手を振ってくれる人がいたり、初めの頃とは全く様相が違っていた。これなら当選できるのではないだろうか、そんな気がしてきた。他でも始めて選挙に挑んだ人から、「地元地域の皆さんはいろいろと考える、考えさせられる選挙だったと思います。義理やしがらみを取るのか、市政改革を取るのかを問われるからです。町内や地区内の人からは困っとるぞ!困ってます!とよく言われました。(略)合格・不合格にかかわらず私は市政改革の運動は続けます。気力・体力・知力の続く限り!こんなに見知らぬ人と共感・同感・一体感を体験したのは人生で初めてです。」とメールをいただいた。

 『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』の仲間たちが奮闘したことがよくわかった。明日はきっとよい知らせが来るだろう。そう信じたい、そうでなければ日本の未来は暗いままだと私は思う。選挙の手伝いに行っていた友だちが、「街宣車の前を夫婦で自転車で走りながらいくのですが、人々の受けがすごくいいんですよ。まるでマラソンランナーがゴールへ向かうような絵でした」と電話をくれた。新しい時代がそこまで来ている、そんな気がして涙が溢れてきた。
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いつまでも夢を追いかければいい

2011年04月23日 23時33分14秒 | Weblog
 選挙期間が終わった。どういう結果になるかは、明日の投票次第だ。悔いの無い選挙運動が出来たのであればそれでいい。ぜひとも仲間全員の当選を祈りたい。お昼に私が選挙の手伝いをしている候補者に電話を入れたところ、「こういう雨ですから、一応全体を流して回っています」と言う。予感は的中だった。人は誰でも、苦労するよりは苦労しなくてもすむ方法を選ぶものだ。最終日の雨降りは、候補者としては出来れば車の中から政策を訴えるくらいで済ませたいだろう。きっとそれは誰もがそう思うからこそ、違う方法が必要なのだ。選挙を戦う者なら当然誰もが必死である。勝つためにはどうすればいいかとみんな考えている。

 地域をくまなく政策を訴えて回るのもいいだろう。それでもやはり、決定打は候補者の熱意をどう見せるかにあると思う。だから候補者が車の中から「最後の訴え」をすることもいいが、それでは候補者が見えない。どうせ雨降りで誰も見ていないから、車の中でいいと考えるならそれでもいいだろう。そこで私は、「あなたがどれだけやったか、結果は結局その反映ですよ。車の中から話す安易な方法を取れば、その答えもそれに見合ったものになります。それであなたがいいのであれば、私は別に何も言いません。全ては候補者であるあなたが決めることです」と話した。

 それでも午後、心配になって現場に行ってみた。彼は雨の中でも街頭演説を行っていた。すると、家の中から出てきて彼に握手を求める人がいた。手を振ってくれる人がいた。窓を開けて演説を聴いてくれる人もいた。最後の2時間、候補者とたったふたりだけで、彼の地元を演説して回った。反応は凄くいいと思うけれど、果たしてそれが明日の投票結果に反映されるのか、心配な面はある。けれどもやはり、どれだけ情熱を注いだかである。結果はもちろん大事なことだけれど、候補者自身がどれだけやり遂げたかにある。自分自身が納得いかない選挙運動はすべきではない。結果の責任は全て自分自身にあるのだから。

 まちづくりで頑張っている昭和40年前後に生まれた若い世代と話した。団塊の世代の次を担う人たちである。私のまちの、いわば2世の人たちで、親父が作り上げたものをさらに大きく伸ばそうと努力している。話を聞いていて、波があるのだなと思った。たとえば、毎年同数の子どもが入学してきても、活発な学年とそうでもない学年がある。そんな風に、ぐぅーんと伸びていく世代というものがあるようだ。彼らに、「よく頑張っているね」と話したら、「40代の時は何をしていました?」と逆に聞かれた。考えてみれば、私も彼らと同じように、起業して夢中で働いていた。

 人間には一定の周期があるのかも知れないし、同じ人間の中にも、エネルギーが沸き起こってくる時期があるのかも知れない。高2の孫娘が、自分の将来について語るのを聞いていて、私自身もその頃はいろんなことに夢中になっていたし、無限の可能性を感じていた。どんな人生であっても自分がそこで精一杯に生きてきたのであれば、何も悔やむことはない。いつまでも夢を追い続ければいいし、それができなくなったとしても日々を楽しめればいいと思う。
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いろんな人がいて、それを認める社会でありたい

2011年04月22日 22時36分36秒 | Weblog
 街路樹のツツジが花を咲かせている。南向きの庭に植えられているフジが見事な花房を垂らしている。こんなに寒いのに、それでも季節は移り変わっているようだ。「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の仲間たちは果敢に奮闘している。私たちは名前だけを連呼するような選挙はしないと決め、街頭演説に重点を置いてきた。選挙を手伝ってくれる支援者から、「そんな誰もいないところで演説しても無駄だ」と何度言われても、「私の思いや政策を伝えるにはこの方法しかありませんから」と言い続けている。選挙に入る前に、「思いや政策」を訴えるビラを何度も配布する政治活動が一番重要だろう。しかし選挙になれば、街頭で語る以外に法的にも手立てはない。

 朝から晩まで、辛いことかも知れないが、これを越えなければ当選の2文字は見えてこない。特に、新しく選挙に挑む人は、その前の政治活動が薄いだけに、この選挙活動に全てを注ぎ込まなければならない。1日に50箇所で、ある人は百箇所で、3分間の演説をしたと言う。それでも残りは明日1日限りである。最善を尽くして欲しいと思う。仲間の全員が当選できたならば、こんな嬉しいことはない。それは仲間の勝利ではあるけれど、日本に民主主義を育てていく上での勝利だと思うからだ。確かに20歳以上の人に等しく投票権がある。けれども、実際に投票するとなると、候補者の主義主張ではなく、地域の代表とか同窓とか組合とか団体が推薦しているからという理由で決めている。

 今回の選挙では、立候補する人が増えた。誰でも立候補して、手作りで選挙運動を行なってもいいのだという意識が出てきた。これは民主主義の基本だろう。自分たちのまちのことは自分たちで決める。だから「こうしたい」と考える人が名乗りを上げるのは小学校以来の選挙の基本だ。私の住むマンションでは、組長は輪番制を守っている。「やりたい人にやってもらう」という意見の人もいたけれど、マンションを守っていくためには全ての住民が平等に責任を果すべきだとして、輪番制を堅持している。自治会の代表は住民全員の選挙で選ぶという方法もあったけれど、そうすれば役員が偏るという懸念もあったので、組長の中から互選することにし、役員の任期に制限もつけた。

 マンションを維持管理するための費用を各自が負っているばかりか、いつまでも住み易い場所にするために責任も果す。これは小さなコミュニティだけれど、地方も国も同じだと思う。みんなが平等に責任を果し、運営にものが言えることが大事だ。選挙ではまだまだ地縁や看板にカバンが物を言う。これを何とかして破っていくことが私たちの役割だと思う。普通の人が普通にものが言える社会でなければならないし、弱い立場の人に配慮されてこそ平等だと思う。いろんな人がいて、それを認める社会でありたいと思う。
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「3回で飽きるわよ」?

2011年04月21日 22時23分11秒 | Weblog
 寒い日が続いた。朝晩はまるで冬に逆戻りしたような寒さだった。今日は暖かくなったけれど、やはり夜は寒い。桜はすっかり花びらを落として葉桜になってしまった。ルーフバルコニーで育てたチューリップも強い風に煽られて花びらが傷ついてしまった。そうした中で比較的よいものを選んで切り取り、水を張ったバケツに入れられるだけのチューリップを入れ、以前お手伝いをしたデイサービスに届けた。懐かしい顔が何人か見られた。もう私のことは忘れてしまっているだろうと思ったけれど、ガラス越しに気付いてすぐに声をかけてきてくれた。懐かしい顔の皆さんは元気そうだったから、チューリップを持って行ってよかったなと思った。

 人は必ず老いていく、それは防ぎようがないけれど、それでも活き活きと生きている人はたくさんいる。選挙の応援に行った先で、80代の女性が候補者のために毎朝一緒に駅前で立ってくれていた。「大変ではありませんか」と声をかけると、「ちっとも大変じゃーないわよ。毎日が楽しいの」と言われる。候補者のことが好きなだけでなく、人のために自分が役に立っていることが嬉しいようだ。そう、他人に自分が求められていることは大きな意味がある。デイサービスを利用しているような人はもう社会的な価値を失っているように思われがちだけれど、それでも世話好きであったり、物知りであったり、明るくて笑わせてくれるような人は、時間に追われて働いているスタッフに働く意欲を与えてくれる。

 究極のところ、人は人によって幸せを感じる。自分が求める人がいる、自分を求める人がいる。そういう関係があれば、人は生きていくことが出来る。80代の女性は、「自分を必要としてくれたことに感謝しているの」と言う。その女性は頼まれれば、「草取りやちょっとした片づけ仕事など何でもするわよ」と出かけているようだ。一緒に歩いたけれど、背筋を伸ばしキビキビと歩く姿はとても80代とは思えなかった。「あのね、歳のことは考えないことよ」と私の方が指摘された。今日が充実した一日であれば、明日はもっとよい日になるようにすればいい。確かに今日は自己満足であったかも知れないが、それならそれでいいではないか。明日は他人のために役立つことをひとつやってみよう、それくらいの気楽な気持ちではいけないだろうか。

 素敵な人に「きれいですね」と言ったら、「3回で飽きるわよ」と切り返された。あれ、それって美人は3日で飽きるという意味じゃないの、それとも3回も聞けば飽きると言う意味なのだろうか。でも逆に器量よしは飽きないという。つまり楽しい人は魅力があるということなのだろう。美人だって歳を取る。それでも美人だなあと思える人は何か魅力がある。花は枯れてしまうけれど、人は不思議なことに枯れても魅力的な人がいる。そういう人にならなくちゃーと思いつつもなかなか懐の大きな人になれないなあと反省している。
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