友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

笑顔で言えただろうか?

2012年12月27日 18時43分28秒 | Weblog

 こちらがどんなにミスしても、「ああ、いいですよ」と笑ってくれる気のいい人がいる。本当に有り難いと思うし、申し訳ないと思う。全く逆に、小さなミスを大きな間違いとばかりに責め立てる人もいる。そのミスが自分の不注意で起きたものなら、非は自分にあるのだから責めに甘んじなくてはならない。けれども、相手の方にミスの原因がありながら、責め立てられるのには腹が立つし怒りさえ感じる。

 NHKの朝の連続ドラマ『純と愛』は、ますます分からなくなってきた。おせっかいな主人公の純は、純粋で前向きだ。ところがこのところ、やることなすこと全てが裏目になってしまう。就職したホテルで客が喜ぶようにと我武者羅に努力するが、結局ホテルは外資にのっとられ、彼女の夢とは程遠い利益優先の経営に変わってしまう。故郷、宮古島で両親が経営していたホテルも今や人の手に渡ってしまった。

 純が必死になればなるほど周囲は傷ついていく。彼女は父親から「こうなったのもみんなお前のせいだ」と非難される。そして自分も「首相がコロコロ変わるのも、みんな私のせいなのだ。私は要らぬことばかりして、結局は何もできない。私なんか生まれてこなければよかった」と落ち込んでいる。自分を責めているうちはそれでもよかったが、今日は純を支え続けてきた愛に向かって、「みんな、あなたのせいよ。あなたが悪いのよ」とまで言ってしまった。

 全てを自分のせいだと考えると、自分を傷つけ追い込みウツになってしまう。自分は何も悪くない、こうなったのはアイツのせいとか社会が悪いとか、他人のせいにすれば攻撃的になる。人はどうしてもっと賢くなれないのだろう。今日は市が行なっている検診に行ってきた。検診そのものは手際よく進んだけれど、受付嬢が「市からの書類がありません」と言う。私はカミさんからもらった書類に全て記入して持ってきた。書類がないとはどういうことなのか合点がいかない。

 受付嬢は「もし、なければ市の方で再発行してもらえますよ」と言う。家に帰って探してみたけれど見つからない。おそらく私が要らないものと思って処分したのだろう。担当の部署に電話で聞いてみると、「再発行できます」と言う。「いつ取りに行けばいいですか?」と聞くと、「今から作りますからすぐ来ていただいてもいいですよ」と親切だ。頂いて病院に戻ると、「もう1枚必要です」と受付嬢は言う。再び担当の部署に出かけてその旨を伝え再発行してもらう。

 市の部署の人も、病院の受付嬢も、気長な人でよかった。どうしてこんな面倒なことをしなくてはならないのかと、勝手に腹を立てていた自分が小さく見える。「ああ、ごめんなさい。ありがとうございました」。私は笑顔で言えただろうかと心配になった。

 今日は今年最後のブログです。新年は1月4日から始める予定です。それでは良いお年をお迎えください。

 

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決して長くは続かない

2012年12月26日 18時26分50秒 | Weblog

 寒い。震え上がるほど寒い。そう口にしたら、岩手や青森の出身の人から「こんな程度では寒いと言えない」と教えられた。空気が重く冷たい。北国はもっと寒いのだろう。新潟の人に、「雪が多いから寒いでしょう」と聞いたところ、「雪が多い時は寒くないね。空っ風の方が身に染みるね」と言われた。夏に太宰治の故郷、津軽へ行ったので、「冬に行ってみたい」と話した時も、「冬の津軽は地吹雪で、雪が下から吹きつけてくるのですよ」と言われた。そんな寒さの中でも人々は暮らし続けてきたのだから不思議だ。

 私は愛知県と東京にしか住んだことがないので、銀世界に憧れたけれど、年齢を重ねてくると暖かいところがいいと思うようになった。人類はアフリカ大陸で誕生したと言われている。それなのにどうしてわざわざ寒い地方へと移って行ったのだろう。エスキモーやイヌイットのように氷の世界に留まってしまった人たちもいる。なぜ、そんな生活しにくいところに定着したのだろう。

 人間は困難が好きなのだろうか。苦しいことや難しいことを乗り越えていくことが好きなのだろうか。好きでなければ、わざわざ生活しにくい場所を選ぶ必要はないはずだ。何が人間に、「困難に立ち向かうことの喜び」をもたらしたのだろう。楽々と生きている人よりも苦難に立ち向かっている人の方を尊ぶのはどこに根拠があるのだろう。旧約聖書に出てくる人たちは次から次へと苦難に直面する。悲しいことばかりが続き、「どうして神様は助けてくれないのか」と嘆き恨んだりもする。

 寒い地方へと移り住んだ人間たちはそこで文化を創り上げた。イタリアは温暖な地であったけれど、フランスやドイツやイギリスは寒い。どうして寒いところで文化は進んだのか。中国も揚子江流域よりも黄河や奥地の砂漠地帯で文化は発展した。日本は大陸から離れた地域にあり鎖国していたにもかかわらず、外国人がビックリするほど礼儀と教養に満ちていたようだ。

 今日、安倍内閣が誕生した。昨日から入閣する人が取り沙汰されていた。自民党の総務会長に野田聖子さんが、政調会長に高市早苗さんが就任した。来年の参議院選挙向けとも石破茂幹事長を抑える安倍布陣とも言われている。安倍さんは本気で憲法改定を目指しているようだ。党本部も内閣も保守色の安倍カラーが強く出されているのはそのためだろう。先日、公明党の地方議員と話した時、彼は選挙での勝利を喜んではいたけれど、自民党との協調に戸惑いとともに警戒感を持っている様子だった。

 日本には四季があり、どんなに寒い冬であっても必ずいつか春はやって来る。暑くて死にそうなくらいの夏でも青い空の澄んだ秋がやって来る。苦しい時があれば楽しい時がある。今の状態が決して長く続かない、そう思うからじっと耐えることが出来る。約束されているわけではないけれど、そう信じているから希望がある。

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家族連れと若い男女で賑わっていた

2012年12月25日 18時58分08秒 | Weblog

 23日、24日と誕生日会の友だちと出かけた1泊旅行は楽しかった。フラダンスを習っている人が、この日のために音楽と衣装を持って来て披露してくれた。本当によく飲み、よく笑った。食事の後、カラオケルームへ行くと先客がいた。私たちは9人だが相手はその倍はいる。粗相があってはならないぞと思ったけれど、いつの間にか意気投合して、まるで1つのグループのように和やかに交じり合うことが出来た。

 相手は碧南市からやって来た昭和17年生まれの中学同年のグループで、皆さんとても仲良しだった。私たちが同じマンションの仲間だと言うと、ビックリしていた。フラダンスの仲間は特別講師になって踊りの手ほどきをしていたし、仲間の中では最年少の女性は日本舞踊なのか盆踊りなのか、よく分からない踊りを見せてくれた。翌朝、「昨夜は随分盛り上がったね」と話が出たけれど、当のふたりは「そうだった。何も覚えていない」と言う。

 翌日つまりクリスマスイヴの昨日、なばなの里に行くか安城デンパークに行くかということになり、安城へは行ったことがないという夫婦の希望を取り入れた。イルミネーションが始まる午後4時半過ぎでは駐車場に入れないからと、早めに行ったのは正解だった。しかし、寒さは厳しく、園内でどう過ごすかは正直大変だった。若いカップルなら、ふたりであちらこちらと見て歩いてもいいのだが、寒いから歩くのはイヤと言う人たちなので、結局大温室の中をうろうろするばかりだった。

 旅館も満室であったし、デンパークも凄い人出だった。景気はよくないというけれど、人はそれなりに出かけている。おそらく出かける人は人口の何%と決まっているのだろう。いくら景気がよくても百%の人が出かける訳ではないはずだ。しかし、施設や商店は人を見込んでどんどん出来た。そのピークが過ぎると、人口が減れば当然人が来ない施設や商店が生まれる。自動車でも電化製品でも広く行き渡れば、ピークが過ぎれば売れなくなるのは当然だ。

 今日の新聞には国立大学が定員を減らす意向とあった。18歳人口が減っているのに、大学の数は増えている。分数の計算も出来ない大学生がいるのも仕方ないだろう。施設や商店も客を呼ぶために様々な工夫をしている。そうした努力を怠れば、資本主義社会が持っている法則から逃れることは出来ないから、当然ながら淘汰されていく。そうしてよりよいものが残ればいいのだろうけれど、そうでもないことが次の問題になってくる。安倍政権が景気回復を現実のものにすると言うけれど、そんなうまい手が本当にあるのかと私は懐疑的だ。

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カレンダー

2012年12月22日 20時38分54秒 | Weblog

 新しいカレンダーをもらった。それを見ていると、来年はどこの何があるかとワクワクしたのに、この頃はそうした気持ちが湧いてこない。何をしようという気持ちが薄らいできたせいだろう。私はメモ魔で、予定はもとより何があったかも手帳に書いていた。それが最近では空きの方が多い。日記も、途中で中断していたこともあったが、中学から続いていた。昔は中断することが嫌で、いったん何かで出来なくなるとそれで止めてしまった。しかし、別に毎日書く必要はないと思えた途端、気が楽になって続けられるようになった。

 今はブログを続けているけれど、書けない日があるからといって、1日に幾つも書き溜めておいてそれを載せるようなことはしたくない。ブログも日記もその日に思ったことを綴るから意味がある。毎日、掲載出来なければそれは仕方がないことだと思う。中学からの友だちと、「毎日続けよう」と約束したけれど、続けることが義務ではなく、お互いに生きている証であり思っていることのささやかな自己主張だと思っている。よいデキの時もあればやっつけ仕事の時もあってもいいと思う。

 我が家にも幾つかのカレンダーがかかっているが、一番のメインは台所の横のというか、食卓の横にかかっているものだろう。書き込みが出来るカレンダーだが、それほど事務的ではなくて、見た目にも楽しいあるいは美しいというものを選んでいる。そのカレンダーを見れば、何時に何があるか分かる。だから書き忘れたら、「そんな予定は知らない」と言われてしまうので、手帳と共にカレンダーにも記入しておかなくてはいけない。

 私のパソコンの横にも大き目のカレンダーがある。このカレンダーはいつも3ヶ月先までが見られるようになっている。私はまず自分の手帳に予定を書き込み、続いてパソコンの横と食卓の横のカレンダーに書き込む。手帳には、誰と会ったとか、誰が来たとか、これはメモしておいた方がいいと思われる出来事を書いておく。私の友だちは、テレビや新聞で見たことで、これはと思ったことは何でも手帳に記入している。彼に尋ねれば、分からないことはないくらいによくメモしている。

 カミさんの母親は家計簿を日記代わりに使っていた。昨年の何時に何があったとか、お祝いにいくら渡したとか貰ったとか、忘れないように記入していた。あの時、ああ思ったとか何を考えたとか、日々の喜怒哀楽を綴るのではなく、お付き合いで粗相があってはならないという知恵だった。カミさんの母親が使っていたカレンダーは、大安とか友引とかが書き込まれていたが、最近のカレンダーにはそれがないものもある。そればかりか、年中行事が書き込まれていないものが多い。カレンダーの役割が変わってきたのだろう。

 さて、明日は誕生日会の友だち家族と1泊旅行に出かけるので、明日と明後日はブログを休みます。

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クリスマス会

2012年12月21日 17時39分28秒 | Weblog

 クリスマスを自宅で祝うようになったのはいつの頃からだろう。私の家では、私が小学校の高学年の頃に、父親がケーキを持って帰ってきたように思う。その頃のケーキはバターではなく、マーガリンを使っていたためか、クリームが油っぽく気持ち悪かった。家の斜め前にはお菓子屋さんがあり、いつの頃からかクリスマスには店頭にたくさんのケーキが並ぶようになった。

 私は中学1年からキリスト教の教会に通ったので、クリスマスは教会で過ごすことが多くなった。賛美歌を歌って街の中を歩いたこともあった。子どもが生まれてからは、24日の夜、子どもたちの枕元にプレゼントを置いた。だからなのか分からないけれど、子どもたちはかなり大きくなるまで、サンタはいると信じていた。誰か分からない人・サンタが、自分にプレゼントを持ってきてくれる、それはとってもロマンティックだ。

 今晩は我が家に長女一家がやって来て、クリスマス会を行なう。長女からは宅急便で何点かが届いている。わざわざデパートへ出かけて行って、プレゼントを探してきた時代とは大きく変わった。私たちも孫娘と長女夫婦のために、プレゼントを用意した。そんなに大げさなものでなくても、人から何かをプレゼントされるのは嬉しいと思う。恋人にプレゼントするのも、物を贈るということより、ふたりの結びつきを深めたいからだろう。

 私はまだ年賀状の準備ができず、少々焦り気味だ。ゆっくりと落ち着いた時間がないと、なかなか年賀状のイラストも描けない。子どもたちが巣立ってしまい、家族のイラストを描かなくなって、近頃ではもっぱら干支をモチーフにしている。けれど来年はヘビ年で、それだけでは絵としては面白くない。思案していても筆は進まず、落ち込んでいる。明日中に描けたとしても印刷は来週半ばだろう。来年の年賀状は元旦には届かないかも知れないと、また落ち込む。長女たちが来るまで時間がありそうだから、年賀状の下絵でも描こうかな。

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日本の庭と西洋の庭

2012年12月20日 19時41分35秒 | Weblog

 全ての植木鉢にチューリップを植えた。それでも昨年のチューリップの球根が80球くらい残ったので、畑を持つ友人に「いつもの年末のプレゼント」と言って渡した。彼はそれにまた100球買い、畑に植えたそうだ。彼の畑は保育園児の散歩コースになっているらしく、春には保育園児がやって来て、「サイタ サイタ チューリップの花が」と歌って行くと言う。私がチューリップに魅せられたのも、畑一面に植えられたチューリップが満開になった姿だった。自分でもたくさんのチューリップを咲かせてみたくなった。

 

 たった1週間のために、お金と労力をつぎ込み、始めの頃は一人で満足していた。我が家はマンションなので、ルーフバルコニーを上の階の2軒から眺めることができる。「ようやく咲きましたねえ」などと声をかけられ、「どうぞ、降りてきて一緒に見てください」と誘ったのがきっかけで、このところ毎年、チューリップを眺めてコーヒーを飲む会をしている。いつだったか、その会が雨に降られ、急遽部屋から眺める会になり、コーヒーがワインに代わった時もあった。

 

 時々、自分の恋愛を自慢する人がいるけれど、恋は密かな方がよい気がするが、しかし満開の花はより多くの人に見てもらいたくなる。中学生の時、バラ園を造ろうとしたことがあった。草木を手入れして、公園を造り、みんなに喜んでもらいたい気持ちがそんな頃からあった。中学や高校の時ヨーロッパ映画を見て、日本の公園とは違う形を知って、造園士になりたいと思ったこともある。日本の庭が盆栽の延長のように小さいのに、西洋の庭の大きさに憧れたのだ。

 

 大学生になって、竜安寺の庭や詩仙堂野庭を見る機会があり、日本の庭には哲学があることを知った。西洋の庭が完成された美を求めているなら、日本の庭は未完成の美というか、何年後か何十年後か、まだ先なのか、現実を越えた美を求めている。西洋の幾何学模様の庭には自然を支配下に置いた人の強さがあり、日本の不均衡な庭には自然を取り込むしたたかさがある。それでも西洋も日本も見てもらい、あるいはそぞろ歩いて、楽しんでもらいたいのだと思う。

 

 自然は移ろう。それは西洋の人々も東洋の人々も認識していたはずだ。だからこそ、西洋の公園にはその時々の花が植え込んであるし、日本の庭園も四季によって変わる趣を楽しめるように工夫してある。人の心の変化までは食い止めることはできないが、せめて花や草木で、変化を自分の側に組み込もうとしている点で東西に差がないように思う。愛を求めながら、愛に生きられず、だから愛を大事に思っている。

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宇宙の話を聴こう

2012年12月19日 18時29分35秒 | Weblog

 宇宙はどのようにして生まれたのか。宇宙は膨張していると学者は言うけれど、なぜそれが分かるのだろう。膨張するのはどうしてなのか、膨張し続けるとどうなるのだろう。そもそも宇宙とは何を指すの?どこからどこまでという境はあるの?いったい宇宙には幾つの星があるのだろう。ブラックホールは宇宙の穴ではなく、あらゆるものを引きつける強力なエネルギーの塊つまり星だと言うが、どこにあってこれからどうなっていくのだろう。

 

 空を見上げていると、そんな不思議なことがいっぱい湧いてくる。どこかに地球と同じような星があると考えるのも不思議ではない。宇宙基地づくりには何も興味がないけれど、宇宙の謎にはワクワクするものがある。教師だった頃、生徒たちと薮原高原へ行った。夜、何もない草原に寝転んでみんなで空を見上げた。名古屋では気が付かなかったけれど、星が本当にいっぱい見えた。天空は隅から隅まで、星、星、星で埋め尽くされていた。寝転んでいたが、手を伸ばせば星を捕まえることができそうなくらい近くに見えた。

 

 来年早々の1月12日、世界的な天文学者、名大の福井康雄教授を迎え、第29回大和塾市民講座『宇宙100の謎』を開催する。どんな話が聞けるのかと今から夢見ている。20年ほど前か、それ以上前だったか、覚えていないけれど、この地方で地域新聞を作っていた時に一度、福井先生にはお会いしたことがある。随分気さくに話をしていただいた。しかし、今では世界を駆け回る天文学者になられた。講演をお願いした時も、お忙し過ぎて無理かなと思った。けれども先生から、趣旨に賛同したとご返事をいただき、とてもありがたかった。

 

 宇宙の話はスケールが大きい。尖閣諸島だ、竹島だなどは全く小さく思えてくる。そうしたスケールの大きな話を聞けば、人はもっと大きな心になれるのではないだろうか。近頃は何だか悲しくなる事件が多い。こんな時こそスケールの大きな話を聞いて、元気を出したいと思う。それに宇宙を知ることは地球を知ることであるし、もっと言えば、自分を知ることにもなるだろう。

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高齢者の恋愛問題

2012年12月18日 19時37分16秒 | Weblog

 1970年に、高校1年生だった人も今では58歳である。70~80代の人と話していて気が付いた。57~8歳から下の人たち、つまり若い人たちはデモ行進をしたり、アジ演説を聞いたり、座り込みをしたことがない。つい先日から始まった官邸前での脱原発デモが行なわれるまで、デモは沖縄にしかなかったのではないだろうか。70年の学生による武力行動以後、学生運動は消滅した。労働者のストライキもなくなった。そうした安定した社会の中で、働いてきた40代や30代の人たちは理想論よりも現実直視の傾向にある。

 60代より上の人たちは元気がよかった。しかし、このところバッテリー切れのようだ。選挙で自民党が復活したことがよほどショックらしい。そういえば私の友だちもすっかり恋愛論から遠ざかっている。彼は妻子がありながら娘ほどの女性に恋をしていた。「会いたくて会いたくて仕方ない」と言う。それはもうれっきとした恋心だ。「まあ、会うだけならいいじゃーないですか」と言えば、「会えばまた会いたくなる」と困って言う。「まるで、18歳の青年ですね」と冷やかすと、「気持ちはその通りだ」と開き直る。

 「高齢になっても恋心が持てるのは精神が若い証拠ですよ」と褒めるが、ご本人は「彼女にも家庭があり、無理な要求はできない。けれど、出会って、話をして、食事をして、それだけではどうにも物足りない」と言う。「それはそうでしょうけれど、相手のことを考えれば、我慢することも仕方ないでしょう」。「やっぱり、そうかね」。「どうしたいのですか?」。「触りたいね」。「それはダメでしょう」。「ダメかねー」。「小説家で医者の渡辺淳一さんは、長生きの秘訣は恋をすることだと言ってる」。「それ、長生きでしたっけ、ボケないではなかったですか」。「どっちでも同じことだ」。

 どうでもいいような話が続いた後で、「彼女が親しくしていた人が突然、ふたりも相次いで亡くなったそうだ。それで彼女は余りにも悲しくて、こんな気持ちになるのは親しくしてきたからで、これからは深い付き合いはしない方がいいと思ったと言う」。「ええ、それで?」。「だから、あなたとも深く付き合わないことにしたと言うんだよ」。「えっ、それって、もうお別れしましょうってことじゃーないですか?」。「やっぱり、そう思うかね」と大きくため息をついた。恋をする人は10代でも高齢になっても、あまり変わらないようだ。

 働き盛りの人たちは、恋や浪漫など見向きもせずに、ひたすら目先のことに必死なのだろうか。何もかもが現実の損得の中で取捨選択されているのだろうか。高齢でありながら恋する人はどこかおかしいのだろうか。

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総選挙の結果を受けて

2012年12月17日 20時58分23秒 | Weblog

 やはりマスコミが予想したとおり自民党の圧勝だった。しかも自民党と維新の会で改憲に必要な3分の2を占めることになった。投票しなかった人が40%近くいた。しかも投票した人々は、原発よりも景気を優先した。ガッカリである。原発をどんどん進めるとする政党はなかったし、原発推進派の自民党の候補者の中には、「原発に頼らない社会の実現」と演説する人もいた。何となく原発に否定的なような雰囲気ができてしまい、原発か否かにはならなかったのだろう。

 ただ、不思議なのは自民党は小選挙区でも比例代表でも、3年半前の衆議院議員選挙の時よりも得票数が少ないことだ。風が自民党に吹いているというわけではなく、小選挙区選挙の特徴がなせる結果なのだ。民主党も未来も選挙に慣れていない。何をどうアピールしていけば有権者に分かってもらえるのか、その勉強が出来ていなかった。いや、共産党も社民党も議席を減らしたと指摘を受けそうだが、この両党への期待感がなくなっているのだろう。

 アメリカの小学校でまた銃の乱射事件が起きた。1999年にコロンバイン高校での15人を殺害する乱射事件にはビックリした。いじめに対する報復だった?2007年にはバージニア工科大学で33人が死亡する銃乱射事件が起きた。動機が何であったのか定かではないが、犯人は韓国の青年だった。そして12月14日、コネティカット州の小学校に20歳の男が侵入し、子どもたちを含めて26人が殺害された。その事件の翌日にはアラバマ州でも銃乱射事件があり、4人が死亡した。

 犯人はいずれの事件でも銃を乱射し、自殺または銃撃戦の末に射殺されている。これは全く異常な事件だと思うけれど、アメリカ人は「銃をなくす」ことには反対のようだ。核兵器をなくすことに反対するのと同じ考え方である。それが私には理解できない。アメリカにはヨーロッパで受け入れられなかった厳格なプロテスタントたちが、「神の国」を夢見て移住してきた。聖書を心のよりどころにして、「神の国」づくりをしてきた。だから、彼らはキリストが説いたように、「右の頬を打たれれば、左の頬を出しなさい」という、強い意志を持っていたはずだ。

 アメリカに大勢の人々が移住してくるに従って、敬虔なキリスト者ではない人々も増えたであろう。しかし、それでもアメリカ人の主流はキリスト教徒であったことに変わりない。それがどうして銃による自己防衛となったのだろう。なぜ、「右の頬を打たれれば、左の頬を出しなさい」とならないのだろう。殺される前に殺すというなら、キリストの教えはどこにあるのだろう。アメリカでは90%の人々が銃を持っているそうだ。銃の数は総世帯数の何倍になるか分からないと言われている。「自分の身は自分で守れ」とは一体どこから生まれた考えなのだろう。

 今度の選挙の結果、「自分の身は自分で守れ」というアメリカ的な考え方が全面に出てきた。日本人が受け継いできた「みんなで一緒に」という考えは、ますます否定されていくのだろう。何だかとても寂しい気がする。

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今日は投票日

2012年12月16日 17時20分16秒 | Weblog

 投票所へ出かける時、カミさんが「前回みたいに、わざわざ白票を見せつけないでね」と言う。入れるべき候補者がいなければ白票を投ずる他ない。けれども会場の係りの人は、投票場に来る人はみんな誰かの名前を書いて投票すると思っているので、何も書かずに投票箱へ入れようとすると、何か間違っていないかと心配するのだろう。私の投票用紙に注目していたので、「白紙投票です」と意志表示したのをカミさんは「止めて欲しい」と言うのである。

 けれども今回も入れるべきひとはいない。正々堂々と白票を投じてきた。昨日の講演会の会場は期日前投票の会場でもあったので、出口調査の人が出入り口にいて、「投票はお済みですか」と出てくる人に声をかけていた。お昼までのテレビニュースでは、投票率は前回よりも何ポイントか低いと報じていた。やはり、自民党の圧勝なのか。自公政権の復活になるのだろうか。これでさらに「維新の会」が第3位にでもなれば、憲法の改定も現実問題になるのかも知れない。

 今晩は、「市民による、市民のための、勉強会・大和塾」の忘年会である。6時から始めるので、8時の締め切りと同時に行なわれる開票速報がテレビで流れると、喧々諤々、うるさい忘年会になるのだろうか。時間がなくなったので、今日はこれでおしまい。

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