友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

通訳出来るスマホを持っている

2023年04月30日 18時27分18秒 | Weblog

 先輩のお姉さんと娘さんの歓迎する宴が昨夜、友だちの家で開かれた。お姉さんは友だちが持つ蓼科の別荘へ一緒に行ったこともあり、友だち夫妻に会いたがっていた。それぞれの家庭で1品持ちよりの宴だったが、テーブルに載りきれないほどだった。

 初めにシャンパンで「乾杯!」し、料理をいただいたが、白ワインや赤ワインがどんどん出てきて、私は飲み過ぎた。お姉さんの娘さんはベジタリアンなので、我が家が持って行った「ちらし寿司」も「刺身」も食べなかった。

 娘さんがベジタリアンだと知った友だちは、即席でサラダを2品作った。いつものことだが、彼女の手際の良さには感心する。娘さんは日本語が話せないので、アメリカに留学したことのある友だちのダンナが隣に座った。英語で話せる人がいて安心した様子だった。

 ベジタリアンは宗教上の決まりではなく、生き方の「思想」のようだ。仏教でも殺生の教えはあるし、イスラム教徒は豚肉を食べない。ベジタリアンは動物や魚貝など、命のあるものは食べない主義のようだ。けれど、牛乳や玉子は食べてもいいと言う。

 牛乳は命を奪っていないし、玉子は命になっていないという解釈のようだ。野菜だって命はあると思うけれど、野菜は食べても良いというのは勝手な気がするが、野菜を禁止してしまったら、食べるものが無くなってしまう。

 動物の肉を食べるようになったのは、動物を飼育できるようになったからだろう。日本人が本格的に肉を食べられるようになったのは明治以降だと思う。私の子どもの頃は、鶏肉が出ればごちそうだった。サバやイワシ、カレイなどの煮魚はとてもうまかった。

 ベジタリアンの人が「美味しい」と言って食べるものは何だろう。聞いてみたかったけど、英語で会話が出来ず残念だ。娘さんは近くのスパーに買い物に行ったと聞いて、「日本語出来なくて買い物はどうしたの?」とお姉さんに尋ねると、「通訳出来るスマホを持っている」と言う。

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これは老害だろうか

2023年04月28日 18時34分41秒 | Weblog

 「無党派・市民派」の勉強会を行ってきた仲間も随分変わった。議員と首長では権限が全く違うから、地元で生まれ育った人は首長に挑戦した方がいいと私は言ってきた。3人が挑戦し2人が首長になった。そのひとりは、次期4期目は出馬しないと宣言している。

 兵庫県芦屋市で、全国で一番若い26歳の市長が誕生した。同じ兵庫県明石市で、3期務めた名物市長が後継者に席を譲って引退した。「市役所に近づかない。一市民として新市長を支える」とコメントしている。

 新しい時代がやってきたのだろうか。私の持論は、「自治体が変わらなければ国は変わらない」だが、その僅かな光が射して来たのだろうか。芦屋市の新市長は、「市民との対話を行う」と言う。市民との対話をどのような形で持ち、どう広げていくのかが問われる。

 市民との対話で自らのファン層を作り、支持基盤を盤石なものにしたい、そこで終わってしまうなら自治体は変わることはないだろう。これまでの首長や議員も、そうした活動はしてきた。けれど、市民が主役となる市政にはならなかった。

 首長はどうすることが市民のための行政なのか、議員は市民のための行政にするためか、真剣にやり合うために勉強していかなくてはならない。首長と議員の真摯な論議が必要であり、それを市民に公開していくことが大切だと思う。

 地方の首長も議員も政党に縛られず、広く市民の立場で活動して欲しい。「無党派・市民派」の旗印は少し色褪せてしまった。しかしそれは逆に、「無党派・市民派」であることが当然な時代となって来たのかも知れない。

 「無党派・市民派」の勉強会の仲間も、随分当選回数を重ねたベテランになった。地域から市民が主役のまちづくりを進めるために、各地域で集会や勉強会を立ち上げ、後輩を育てていって欲しいと願う。これは老害だろうか。明日のブログは休みます。

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孫の成長は自分の老化と反比例

2023年04月27日 17時21分11秒 | Weblog

 先輩のお姉さんとその娘さんが、故郷の熊本からこちらへ、もうすぐやって来る。部屋の準備は整っている。今晩は先輩の娘婿が経営している料理店で食事会と聞いた。明日は先輩の家でのんびりされ、明後日は私たちの友だちの家での歓迎会と続く。

 天候も良くなったから本当によかった。カミさんはまるで実の姉が来るかのように、あれこれと気を遣い、来訪を楽しみにしている。2日からは次女一家が来ることも、カミさんの気分を高めているようだ。

 いつもはふたりだけの生活なので、カミさんがいろいろ話しても私は、「ああ」とか「うんうん」と言うばかりで、なかなか深みのある会話にはならない。また私が話しかけても、「知らない」とか「違うでしょう」と言われてしまい続かない。

 高齢の夫婦は、互いの違いを認め、逆らわないことが円満の秘訣というが、確かにその通りだと思う。若い時、恋している時なら、何とか溝を埋めようとした。そうすることがふたりの愛を高めていくことだと信じていた。

 でも、人は自分自身のことも正確につかめない。ましてや育ってきた環境も違うのに、何から何まで一致させようとするには無理がある。溝があるのは仕方のないことで、それを認めた上で、互いを尊重して生きていく術を学ぶことだろう。

 カミさんの父親が、私と酒を酌み交わすのが好きだったのは、私が話を聞いたからだ。高校の時に父親を亡くした私は、義父の話を聞くのが好きだった。父もこんな風に息子と酒を飲みながら話がしたかっただろう。父と祖父は犬猿の仲だったし、兄と父も共に酒を飲むことは無かった。

 今、自分が80歳近くになり、子どもたちや孫たちが我が家に集まってくれることが本当に嬉しい。孫たちの成長は自分たちの老化と反比例なのに、何だか楽しみで仕方ない。もうそろそろ、お姉さんたちが到着する頃だろう。

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無事に料理は出来たのだろうか 

2023年04月26日 17時41分46秒 | Weblog

 90歳の先輩の家に、70歳の後輩と一緒に行ってきた。先輩は私を頼りに思ってくれるが、地域のことは分からないので、先輩と同じ地域に住んでいる後輩に、同行してくれるように頼んだ。

 先輩はカミさんと長男の3人で暮らしているが、カミさんはデーサービスを受けており、長男は会社務めで家にいない。ほとんど毎日、テレビを観て暮らしている。ホームヘルパーが週に何日かは来て、掃除などはやってくれている。

 先輩は足腰を痛め、上手に歩けない。運よく午後から雨が止んだので、近くの食堂に3人で出かけた。先輩は「カレーうどんが食べたい」と言う。以前、来た時に食べられなかったウナギも食べたいようだったので、丼ではなく長焼きで出してもらった。

 先輩は地域の高齢者が集まれる場所つくりがしたいのだが、どうしたらよいかと言う。広い駐車場のあるレストランで、朝のラジオ体操を計画したが、断られてしまった。聞いていた後輩が、「公民館の駐車場でイベントを行ったらどうか」と提案した。

 自分の考えが具体化すれば、先輩は「どうしよう、どうしよう」と悩むことは無くなるだろう。しかし先輩は、「私の考えは家族が反対する」と言う。それは具体的な内容が分からないからで、内容が分かれば賛成してくれるだろう。

 今は、思い付きであれもこれもと分別もせずに話すから、家族としては「また、訳の分からんことを言う」となるようだ。遺産は子どもたちに残すけれど、自分の小遣いは思い通りに使えばいい。それが理解できない子どもたちではないはずだ。

 90歳か。そんな歳になってしまっていたのか。終末に向けて、しっかりとプランを立て実行できるように、後輩を連れて行ってよかった。彼なら先輩の思いをくみ取り、実現に力を貸してくれるだろう。

 3人で食事をしながら、なぜかホッとした。近くのスーパーマーケットで「買い物がしたい」と言うので付き合い、買った物を冷蔵庫に入れて別れて来た。買った物を見ると、夕飯には台所に立ち料理をするようだが、無事に出来たのだろうか。

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彼がどんな感想を語るか楽しみだ

2023年04月25日 17時38分10秒 | Weblog

 部屋で生活できるように、電気・ガス・水道を通してもらった。ガス給湯器が心配だったが、「大丈夫ですよ」と点検に来た人が言う。最後にタブレットを出して、「ここに署名をしてください」と示す。ヨタヨタの文字になってしまい、上手く書けない。

 「けっこうですよ。高校生の息子は、ペンの字は下手くそなのに、タブレットでは上手く書きます。そういう時代になってしまったんです」と教えてくれた。授業もリモートで行われていて、午後10時までに宿題を先生のところに送らないといけないみたいだ。

 以前、先輩からそんな時代とは逆行した話を聞いた。先輩が部下の女性と車で走っていた時、ラブホテルの看板が見えた。何気なく見ていたつもりだったのに女性から、「行きたいんですか?」と質問され、「いや、別に」と言葉を濁した。

 すると彼女は、「男の人って、どうして女の人の裸を見たがるんですか?」と言われ、さらに戸惑ってしまう。「どうしてかは分からないけど、男には見たい本能があるんじゃーないかな」と答える。彼女は、「目と耳は2つ、鼻と口は1つ、おっぱいは2つ、みんな同じですよ」と笑う。

 そして彼女は、「私の胸、小さいですよ。それでも見たいんですか?」と聞く。先輩は大きく頷いて、「ああ、見たい」と答えた。彼女は、「じゃー、見せてあげます。さっき通り過ぎたホテルへ行きましょう」とニッコリして言う。

 「それで、どうしたんですか?」と、私は先輩を問い詰めた。しかし、「ああ、想像に任せるよ」とはぐらかされた。先輩たちの時代は、出会い系サイトは無いし、現在のようにタブレットを使いこなすことのない、男と女の素朴な「愛」があった。

 村山由佳さんの『花酔ひ』は、女の側から男と女の「愛」「快楽」を捉えた作品だ。未だに高校時代の初恋の人の夢を見る、中学からの友だちに読ませてやりたい小説である。彼がどんな感想を語るか楽しみだ。

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日本の選挙は、中学校と変わらないレベルなのか

2023年04月24日 17時22分04秒 | Weblog

 「自民 衆参補選4勝1敗」(中日)、「自民4勝1敗 各地で接戦」(朝日)、今朝の新聞1面トップの見出しは似ていた。新聞では投票率にまで言及していなかったが、相変わらず低いようだ。けれど維新の躍進が、前半に続いて目立っている。

 低調な投票率なのに、維新が躍進しているのは、有権者は現状維持よりも変革を求めているのだろうか。昔、一緒に「勉強会」を行ってきた地方議員の中に、3期も務めて来たのに落選してしまった人がいて驚いた。「無党派・市民派」だけでは、有権者に届かなくなっている。

 首長は、「アレをやります。コレをかえます」と目標を掲げることが出来るが、議員は自分の考えを述べるしかない。だから日常の活動で、自分の考えを伝えていないと得票につながらない。選挙期間だけでは限界がある。

 買い物に行った店の店主から愚痴を聞いた。「立憲民主はどういう党なのか、さっぱり分からない。昔の社会党のような、自民党との違いが全く見えない。これじゃージリ貧だねえ」と悔しがる。確かに立憲民主党は存在が薄い。

 国会議員は国の在り方を議論するのが役割だから、「決して自衛隊を海外に派遣しない。災害時に国民を守る活動に徹する」、そんな主張が野党から出てこない。自民党と変わらない主張なら、「自民党でいいが、問題ばかり起こす議員がいるのはけしからん」ということになる。

 国会議員はとても優遇されているし、政党には何に使ってもよい政党助成金が支払われている。こんなバカな税金の使われ方なのに、共産党以外の政党は問題にしていない。どこかの中学校の生徒会役員選挙で、立候補者が皆同じことを言っていたと投書欄にあった。

 日本の選挙は、中学校と変わらないレベルなのか。

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「心の友」と勝手に慕うことにする

2023年04月23日 17時55分20秒 | Weblog

 もう初夏かと思っていたら、陽射しがあるのに風は強く、寒い日が続いている。私が気にしていた歌人(?)の「月城龍二」さんの歌が、今朝の中日新聞の『中日歌壇』に掲載されていた。しかも、隣りの『中日俳壇』にも名前があった。

 「指先へゆっくり昇る天道虫 君に見せれば飛び立ってゆく」。テントウムシは枝の先まで行くと、太陽に向かって飛んでいってしまう。ひょっとすると、恋の歌なのだろうか?「北名古屋市 月城龍二」をパソコンで調べてみた。

 月城さんはTwitterで作品を発表しているようだ。「桜花散ってしまえば君にとって 僕の言葉は陽炎になる」。「ひと言で君と別れた夏の夜 行先決めずバスに乗りたき」。「悪いのはいつでも僕と決まってて 落ち込んでいる暇さえもない」。

 男と女の悲哀をテーマに歌を詠んでいる。言葉の使い方から察すると、まだ若い人のような気がする。Twitterを見ると、中日、朝日、毎日の各紙をはじめ、雑誌などにも投稿しているから、短歌や俳句が好きな人のようだ。

 言葉を使って、人や社会の深淵に迫ろうとしている。私も短歌を学ぼうとして教室に通ったことがあったが、少しも上達しなかった。学べばすぐにでも上手くなると思い込んでいたが、何事も継続しなければ上達はしない。

 このブログも、中学からの友だちとの約束で続けているが、約束していなかったらとっくにやめてしまっていたかも知れない。何年も続けているので、ネタが決まれば書けるようにはなったが、続けているだけのことなのかも知れない。

 月城さんの今日の俳句は、「これ以上省略できぬチューリップ」。チューリップに関心があることも、私と共通しているといい気になった。また別に、「雛の部屋のぞけば妻の唄ひおり」という俳句を見つけ、結婚し娘さんもいるんだと知った。

 「心の友」と勝手に慕うことにする。

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部活動は転換期にある

2023年04月22日 17時23分41秒 | Weblog

 小・中・高学校の部活動が指導者不足だとテレビが報じていた。「どうして部活動なんかやっているんだろう。止めればいいのに。今では地域に、クラブがあるじゃーないか」と、私が文句を言っていると、元小学校の教員だったカミさんが諭す。

 「学校教育の一環で行われているのに、廃止なんか出来ないわよ」と。「でもさ、中学校の時、好きな部に入れと言われたけど、先生に教えられたことは無かったよ」と私が反論すると、「自分の特殊な経験で、ものを言わないで」と叱られてしまった。

 部活動はいわば学校のサービス業のようなものだろう。子どもたちが「野球をやりたい」サッカーがしたい」「ブラスバンドがいい」、そんな授業後の要請に応えたものだ。だから、各学校の裁量に任された課外活動なのだ。

 しかし、長く続いてきたので、学校教育に欠かせないもののように思われている。朝練のある部の顧問になれば、学校が始まる1時間前に登校し、授業後も遅くまで練習するので先生は帰れない。部活が好きな先生もいるが、辞めたい先生もいるはずだ。

 教育課程外の学校教育活動なのだから、子どもたちの安全が守られればいい訳で、そんなに先生が必死になる必要はないはずだが、伝統的な強豪校や準強豪校ではそうはいかないし、先生もそれに応えようとしてしまう。

 文部省が「部活動は廃止」と宣言すれば、地域のクラブが受け皿となるだろう。けれど、私が所属していた「放送部」や「新聞部」は無くなってしまうことになる。顧問はいなくても、生徒の自主的な活動は出来るので残して欲しいと願う。

 強くなりたい、優勝したい、そんな「部」は地域から優秀な指導者を迎えればいい。自分たちが自由に活動する「部」は顧問の名前だけ借りればいい。学校の先生には、子どもたちの教育に尽力できる環境を保障してあげて欲しい。

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初めがあれば終わりもある

2023年04月21日 17時19分37秒 | Weblog

 中学3年の同級生のダンナが亡くなり、「励ましに行かない?」とトヨちゃんから電話があったのは6日だった。トヨちゃんの家やノリちゃんの家に、私たち男子ばかりが4・5人で遊びに行っていた。

 ノリちゃんの家では兄さんの3・4歳の子どもがいて、遊んだりしたことがあるのに、ノリちゃんと何していたのか思い出せない。思い出すのは3年の時の担任が、「ノリ子、廊下に出て、顔を洗って来い」とやたらに注意していたことだ。

 トヨちゃんもノリちゃんも、担任からよく叱られていたがふたり共、叱られても苦にしていないようだった。担任も叱るというより、可愛がっているようだった。担任は私たちの3年の時に結婚し、私たちは担任の家によく遊びに行った。

 ノリちゃんを励まそうと、今日は出かける予定だったが、「ノリちゃん、体調悪いみたいだから」と、トヨちゃんが言うので延期にした。おそらく、ダンナの葬儀や後始末のことで、疲れが出てしまったのだろう。元気なノリちゃんのことだ、すぐにまた会えるだろう。

 私はせっかく空いた時間だからと、ツツジを2鉢、友だちの所へ持って行った。友だちのカミさんが、「ワアーきれい。いいんですか?」と言うので、「貰っていただきたいのです」と事情を話す。真っ赤なツツジはもう花が終わるし、もう1つは既に葉が茂っている。

 「もっと前に見てもらえばよかったのに、ごめんなさい」と謝る。家に帰ってルーフバルコニーを眺めているとカミさんが、「本当に全部無くしちゃうの?」と言う。「ああ、そうするつもり」と答える。今、決心しなければ後で悔やむだろう。

 「何十年もかけて育てて来たのに、それでいいの?」と、友だちも心配してくれるが、初めがあれば終わりもある。どんなに引き延ばしてみても、必ず始末しなくてはならない時は来る。私が始めたことは、私が終わりにするのが責任を果たすことだろう。

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お祝いの時は、シャンパンがいい

2023年04月20日 18時22分19秒 | Weblog

 「お祝いの時は、シャンパンがいいわね」と、カミさんはゴールデンウィークを楽しみに、買い揃えた3本のシャンパンを眺めている。私はシャンパンが、お祝いの時に飲む酒とは知らなかった。

 『文豪たちが書いた 酒の名作短編集』(彩図社)に、宮本百合子さんの「三鞭酒」という作品があるが、「三鞭酒」をシャンパンとは読めなかった。高級ホテルのレストランに、著者は友だち3人で来ていて、外国人の客を観察している作品だ。

 ずんぐりで禿げ頭の男と、粗末な服装の女が入って来た。男の小指にはダイアモンドが光っているのに、女は水色格子木綿の単純な服。男が大切そうに、大仰に、腰をかがめんばかりにして女を席につけさせるを見て、「夫婦じゃーないわ」と3人は囁く。

 著者は、「恋人たち」と断言する。「人生はまだまだよいところだ。あのような禿でも、あのように恋愛できる」と喜ぶ。「だって、氷の中のは三鞭酒よ。細君と夕食を食べるからって三鞭酒を気張りゃあしない」と分析する。

 男は女のむきだしの腕を絶えず優しく撫でさすりながら、低い声で何かを言った。「アイ、ラブ、ユー」。著者は「字幕でなく、人間の声で『アイ、ラブ、ユー』というのをきいたのは、生まれてそれが始めてであった」と。

 宮本百合子さんはプロレタリア作家だが、こんな小気味のいい作品も書くのだと感心した。百合子さんは明治32年生まれだから、私の母よりも8歳年上。欧米の思想が溢れる家庭で育ち、日本女子大に入学して早々に、人道主義的な『貧しき人々の群』を発表している。

 遊学したアメリカで15歳年上の学者と結婚したが、帰国後に離婚。共産主義に傾倒していき、1931年に共産党に入党、9歳年下の宮本顕示と結婚したが、弾圧の中で必死に耐えた。終戦後の1951年、51歳の生涯を終えている。母は54歳の生涯だった。

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