友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

孫たちに会える日までは

2022年07月31日 18時45分33秒 | Weblog

 カミさんに誘われてゴルフ用品の店に行き、カミさんたちゴルフ仲間でよく行くという喫茶店で昼食となった。昼を過ぎているというのに、店内は客で賑わっている。年寄りが圧倒的に多い。夫婦連れと思われるカップルが目立つ中、80歳過ぎのジイジ2人が50代の女性を囲んで話している。その女性の脚の組み方が妙に色っぽい。

 午後1時を過ぎると客の半分はいなくなった。この店は朝から夕方5時まで、「いつでもモーニング」という営業が人気で、大食漢ではない年寄りにはありがたい店なのだ。私の後ろの席の高齢の男女4人も常連なようで、「これくらいの量が丁度いい」と話していた。男性がもう一人の男性に「焼肉屋へは行っとるかん」と声をかける。

 男性が答える前に隣の女性が、「焼肉は月に1度くらいだね」と答えると、質問した男性が、「代がかわってからは行っとらんが、味はかわっとらんかね」と聞く。「あそこはホルモンが一番うまい」と聞かれた男性が答えていた。カミさん主導の家庭のようだ。

 注文を聞きに来た女店員にカミさんが、「アメリカンをホットで、それとアップルジュースはアイスで」と言うので、私が「アップルジュースのホットは無いよね」と女店員に言うとその子は笑ってうなずいた。私がカミさんに「あの子は高校生のバイトだね」と言うと、「また人間観察してるのね」と皮肉を言う。

 せっかくシャバに連れて来ていただいたんだから、いろいろ見ておきたい。どんな人がどんな人生を歩んできたのか、何に興味があって何に失敗したのか、他人の仕草や話していることにその片鱗が見えないかと思う。けれど、人の会話はどうでもいいことばかりで人生の教訓などを見つけることはない。

 帰りの車から沸き立つ入道雲を見た。夏の空だ。入道雲を見るのも久しぶりだ。まだまだ夏日が続くようだ。コロナの感染者はどんどん広がり、10人に1人が感染している。孫たちに会える日までは何事も起きませんようにと密かに祈る。

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「今日も野菜か」と思ってしまう

2022年07月30日 17時59分22秒 | Weblog

 真夏の太陽がギラギラと輝く、暑い日になった。私の子どもの頃は、7月の末から8月の初めが暑くて耐えられない期間だった。8月もお盆になると暑さが緩み、海に入るとご先祖様が足を引っ張りに来ると脅された。

 そんな真夏の陽を浴びて、高校野球の愛知県決勝戦が岡崎球場で行われた。愛知大会の決勝戦がナゴヤ球場で行われていたのはいつまでだったのだろう。こんな暑い日でも球児たちにとっては大切な決勝戦、私はクーラーの効いた部屋でテレビに見入った。

 名電は18安打を放ち、7点をもぎ取ったけれど、試合はジリジリする展開だった。東邦も塁を埋めるのに、なかなか決定打が出なかったし、長打の名電だったのに今日はヒットを重ねて点を取るが、試合が終わるまで安心できなかった。結局は名電が7-4で勝利したけれど、見ている私は疲れてしまった。

 今朝は友だちがグループでやっている畑へスイカをもらいに行った。スイカは終盤のようで、既に畑は耕されて肥料が撒かれ、秋野菜の準備がされていた。スイカは小玉で、「これが美味しいよ」と味見までさせてくれた。小玉スイカを3個買うつもりが4個になり、「おまけだ」と1個増やされ、ナスやキュウリやシシトウまでいっぱい頂いた。

 友だちはサラリーマンだったから農業などやったことが無いはずだが、何を思ったのか市の農業塾を受講し、以来農業に勤しんでいる。野菜の育て方の知識も豊富で、今ではグループのリーダー的な存在だ。的確な指示が仲間から信頼されているのだろう。

 生産された野菜は農協へ出荷し、活動資金に充てているようだが、規格外の野菜を知り合いに無償で配っている。我が家もよく頂くので、野菜料理が続く日がある。ただで貰っておいて文句は言えないが、我が家はふたりしかいないから「少しでいいよ」と伝えたい。

 食べるものが無くて困っている人がいるのに、贅沢は言えない。「ありがとうございます」と感謝して食べるべきなのに、食欲の落ちた私は、「今日も野菜か」と思ってしまう。

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実感としてIT社会は遠くにある

2022年07月29日 17時20分06秒 | Weblog

 病院から請求書が届いたので、カミさんに運転してもらい私の口座預金がある銀行へ行ってきた。ところが私は、振り込みなどしたことが無いので、まず振り込み受付用紙に何をどう書いたらよいのか分からない。それで、送られてきた病院の振込口座を見ながら書き込み、現金とともに窓口の女性に、「これでいいですか?」と尋ねた。

 窓口の女性は一つひとつ丁寧に見て、「イリォウのォをョに訂正して印を押してください」と指摘する。送られてきた文書には、「振込人名義欄には、患者氏名、および患者番号を記入してください」とあるので、私は氏名の下に番号を書き加えたが、受付の女性は、「カタカナのお名前の後ろに1マス開けて番号をお書きください」と言う。

 「分かりました」と答えたのに、1マス開けることを忘れてしまった。窓口の女性はちょっと首を傾げたが、「ハイ」と受け取ってくれた。最初に「振り込みたいのですが」と言った時、「ATMの方が安いですよ」と教えてくれたのに、「めんどくさくて」と言った私の意味が理解できたという顔で、「ありがとうございました」と言ってくれた。

 通販で物を買えば、コンビニからの振込用紙が同封されてくる。病院の支払いもそんな風に出来たらと思う。カミさんがパソコンから、ワクチンの申し込みに四苦八苦して結局投げ出したのに、孫娘はアッという間に完了してしまった。我が家も長女からスマホを与えられているが、私はもっぱら孫たちとの間で使っているだけだ。

 コロナの再拡大を受けて、「ウェブで陽性登録」と新聞やテレビが報じるけれど、何をどうするのか私には分からない。パソコンでヤフーニュースを見れば、世間のことがよく分かる。コメント欄に書き込めば、ひょっとすると自分の意見が載るかも知れない。それくらい世間と密になっているのに、実感としてIT社会は遠くにある、そんな気がする。

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そんな時がどんどん遠のいている

2022年07月28日 17時45分48秒 | Weblog

 退院して5日目、まだ一度も家から出ていない。朝の涼しい時間はルーフバルコニーに出て花を見て回り、枯れた花や枝を切ったり混み合って咲いている花を他の鉢に植え替えたりしているが、今日はムッとする暑さだったので、見回りして掃除をしただけで終わることにした。

 中学からの友だちとの約束で始めたブログだけど、私が入院してブログの更新が出来なかったら、たくさんの人から「どうしたの?」とご心配していただいた。これはもう、書き続けなくてはなるまいと決心したものの、こうして一日中家に閉じ籠っていると、なかなか書くネタが浮かんでこない。

 花はこの暑さの中で、太陽の光を大好物のように浴びて活き活きしている。アリも相変わらず忙しく動いているが、決して無駄な行動はしていないように見える。私はクーラーの効いた部屋の中に居て、本を読むかテレビを見るか、本を読みながらテレビを見ている。気持ちが全く集中していない。

 昔、恋愛をしていた時は、彼女を連れてどこで何を見ようかと夢中で思い巡らしていた。彼女からいっぱい話が聞きたかったし、彼女の顔をいっぱい見ていたかった。子どもが生まれると、子どもたちを連れて、私が素敵だと思う景色や名所やコンサートなどへ無理やり連れ回し、見せたり聞かせたりした。

 私の美意識や価値観を伝えたかったし、共有したかったからだ。コロナが再び蔓延してきたので、また人の集いをどうしたものかと思ってしまう。この市の同年の人たちとの集いも、私の親戚筋の集まりも、延期に次ぐ延期で心が折れる。夏は海や山で、思いっきり声を上げたい。そんな時がどんどん遠のいている。

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誰もが愛を求めているのに

2022年07月27日 18時13分23秒 | Weblog

 2008年6月、東京の秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み、通行人をナイフで刺し、7人が死亡10人が負傷した事件の犯人に死刑が執行された。被害者のご家族の中には事件が終わって安堵されている方もあるかも知れないが、なぜこんな残虐な事件を起こしたのかは解明されていない。当時の私はブログにこんなことを書いていた。

 「人をたくさん殺せば確実に死刑になれる。できるだけ多くの人を殺せば、マスコミは確実に取り上げる。小中学校時代は成績優秀で、両親も誇りに思い、ちやほやされたに違いない。それが進学で有名な高校へ入学したことで、そのこと事態は親の期待に報いたことであったはずなのに、現実の厳しさに打ちのめされ、自分で自分を“負け犬”にしてしまった。

 そういう人はいくらでもいるはずだ。彼のように、だからといって人殺しをしようと考え付く人は余りいない。しかし、ネット社会では犯人の彼を、「よくやった」と英雄に祭り上げる人たちがいると週刊誌が報じていたから同類はいる。なるほど、自分では人殺しなどできないが、やってしまいたいという彼の気持ちと共通するものがある人たちだ。

 世の中、そんなに面白いわけはない。けれど、面白いか面白くないか、幸せか不幸せかも生きてみなければ結論なんか出せない。愛する人ができても、一生涯愛し続けることができるか、それもわからない。わかっているのは死ぬ時になってしか、出せない結論ばかりだということではないだろうか。生きてみる、それから考えてみようと私は言いたい」。

 それにしても、どうしてこのような無差別な殺戮が生まれてしまうのだろう。命の尊さが軽んじられるのは、なぜなのだろう。自分を愛してくれる人に出会うことができたなら、きっと彼の運命も違ったはずだ。人はいつも愛に飢えている。誰もが愛を求めているのに、どうして自ら与えてあげられないのだろう。

 

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アスリートの個人名を上げて応援する時代になりつつある

2022年07月26日 17時27分37秒 | Weblog

 入院中は「世界陸上オレゴン大会」を見ていた。陸上競技だからリレー以外は全て個人の身体能力を競うものだ。野球やサッカーのような団体競技は、個人技も魅力があるがどちらか言えば、チームプレイが見事に実現された時に大喝采が沸き上がる。

 陸上競技のように、個人が走ったり、跳んだり、投げたりして、競っているだけなのに、なぜ見ている人を興奮させるのだろうと思った。テレビを見ていて、その理由が分かった気がした。個々のアスリートが必死に頑張る姿に興奮しているのだ。思わず、ガンバレと応援している、それが心に何かを伝えているようだ。

 大相撲にしても、どうしてあんなにブヨブヨに太った奇形の1対1の取り組みに興奮してしまうのか。ボクシングのような野蛮な殴り合いに、必死になって見入ってしまうのか。見せるスポーツは、やっている本人よりも見ている個人が興奮している気がする。

 世界陸上やサッカーの親善試合(?)を見ていたら、スポーツに国境は無用だと思った。紹介される選手を見ても、何処の国なのかは胸の国家名でしか分からない。フランスチームなのに、ブラジルやアルゼンチンや他国出身の選手なのだ。日本人が欧州を旅行していても、チャイニーズと間違えられるように、顔や肌の色で判断できなくなっている。

 世界はどんどん混血が進んでいる。それでいいと思う。人類はもともと混ざりあって生き延びてきた。純潔種などは進化を妨げる価値観なのだ。グローバル化が進めば、人の交わりも盛んになり、人類の混血はいっそう強まるだろう。きっとそれが人類の宿命なのかも知れない。

 アスリートの体形は実に美しい。長い手足、縊れた腰、艶々した肌、絵描きは筆を執り、写真家はシャッターを押し、凡人はただただ見とれる。国家対抗よりも個人がいかに記録を残すかに競技大会の意義がある。ガンバレニッポンではなく、アスリートの個人名を上げて応援する時代になりつつある。

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最後の恋こそが大切なのかも知れない

2022年07月25日 18時05分07秒 | Weblog

 ペースメーカー埋め込みの時、点滴などもなくなった私は、「病院内なら歩いてもいい」と言われた。その時も退屈だったのか、必要な物があったのか、パジャマを脱いで普段の服に着替え、コンビニへ買い物に出かけたらしい(記憶にない)。次女が「今回も着替えて行ったの?」と聞くので、「一歩も病室から出なかったよ」と答えた。

 どうしてそんなことを聞くのかと思ったら、「パパのことだから、また着替えて行ったんじゃーないのかとみんなで話していたの」と言う。「病室から出てコンビニへ行くのなら、着替えるのが常識でしょう」と言うと、「そらね」と次女が娘と大笑いしている。どうも私はヘンなところにこだわる性格のようだ。

 今朝、長い付き合いのある先輩から電話があった。コロナでどこへも行けず、息が詰まりそうで、「あんたの声が聴きたくなった」と言う。電話で話すことならいつでもどうぞと応対する。家には奥さんとふたりしかいないのに、奥さんとは話が出来ないと嘆く。その奥さんはデーサービス先で友だちができて行くことが楽しいのに、「自分は行っても面白くない」と言う。

 「奥さんが楽しいならヨシとしようよ」と励ます。議員までやった人だから、自分の存在を認めて欲しいのだ。しかし、ただのボケ老人となってしまえば、声もかけてもらえない。昔の栄光を求めてはダメだと思うが、「きっといいこともあるから、元気出していきましょう。なかなかコロナで会えないけど、必ず会えるようになるから」と言ってしまう。

 私を含めて、年寄りはどうしても孤独になる。先に希望が無いからだと思うが、嘆いていてもどうにもならない。今日出来ることを淡々とこなす他ない。彼が本好きなら読書を勧めるが、本など読んだことのない人だ。何がいいのか考えてみよう、いや、そんな余裕が私にあるのかと思った。確かに人は人の中でしか、喜びも生き甲斐も感じられない。先輩が言うように、最後の恋こそが大切なのかも知れない。今日、偶然に小栗旬主演の太宰治を観た。『鎌倉殿の13人』の北条義時より迫力があった。

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どうしてこんなに情けないのだろう

2022年07月24日 17時39分34秒 | Weblog

 入院した11日は参院選挙の結果が報じられていたので、やっぱりかという思いでテレビを見ていた。8日に銃撃されて亡くなった安部元首相の件も各局が取り上げていた。ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻が続いている様子も報道されていた。私は自分の身体のこともあり、この先どうなるのだろうと漠然とした不安を感じていた。

 「あのまま放っておいたら危なかったですよ」と医師に言われ、出血死だったのかと想像した。九死に一生を得て、毎日快適な静かな病室で、やることが無いので持ってきた月刊誌『文藝春秋』8月号を読んで時間を潰していた。雑誌は気になるところだけ読めばあとは素通りなのに、今回はかなり読み込んだ。

 特集は池上彰氏と佐藤優氏の対談「日本左翼100年の総括」で、続いて「重信房子と日本赤軍」、「日本共産党と文藝春秋の100年」、樋田毅氏の「左翼的な気分は何処へ」が組まれていた。その他にも「自民京都府連がまた選挙買収」「ウクライナ戦争の終わらせ方」「エリザベス女王愛される理由」「俳句脳の鍛え方」「新世界地政学」「古川ロッパと映画時代」「文藝春秋が報じた映画の肉声」「鎌倉殿の死生観」「菊池寛アンド・カンパニー」そしてコラム欄など、退屈することがなかった。

 私の治療に当たってくれた人たちや心配してくれた皆さんには申し訳ないけど、入院中は私にとっては快適な毎日だった。いろいろ考えることもでき、ありがたい時間だった。安部元首相を襲った男が「統一教会に恨みがあった」と述べたことで、私に「この本を読んで、あなたなら分かると思うわ」と1冊の本を渡してくれた知人の女性を思った。韓鶴子著『人類の涙をぬぐう平和の母』、どんな思いでどんな風に統一教会を立ち上げてきたかという自叙伝である。

 少しばかりキリスト教を知っている私には、朝鮮の土着宗教がキリスト教の変種となったとしか思えなかった。日本でどうして統一教会が信者を増やしたのか、キリスト教にシンパシーを感じる私には理解できない。統一教会が広がる前、創価学会が信者を増やしていた。私も誘われて集会に参加したことがあるが、恐ろしく感じて断った。財産を寄進する人もいた。

 人間は弱い。何かに頼ろうとする。仲間を求めようとする。仲間ができると他は、不要な存在かあるいは敵に見えてしまう。孤立化が進めばますます排他的になる。どうしてこんなに情けないのだろう。

 

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退院してきました

2022年07月23日 16時33分53秒 | Weblog

 お待たせしました。7月11日以来12日間もブログを休んでしまいごめんなさい。今日からまた、再開します。

 体調がおかしいと10日のブログに書きました。ワインを飲んで、上牛肉を食べて、とてもいい気持ちで寝たのに、10日の午前1時過ぎから水のような便が何度も出ました。11日の朝になっても黒色の水便は止まりません。頭が痛いとかお腹が痛いとか、そういうことは無かったけど、ただ横になってばかりいました。

 それで、いつも通っている医院の午後の診察を受けようと思い、これまでの経過と症状をレポート用紙に記し、同じものを飲み食いしているのにカミさんは症状が無いことも付け加えました。医者は私にベッドで横になるように言い、下着を下げて肛門から何かを入れて腸を見て、「お腹の中、真っ黒だよ。これはもう緊急搬送だね」と言いました。

 救急車に乗せられて、名古屋の日赤病院へ送ってもらいました。長女が勤めているし、カミさんが通うにも都合がよいと思ったからですが、知り合いが居ることはとても心強かった。病院に着くと、4人ほどの医師が私の症状について話し合い、すぐさま口から内視鏡での診察と治療になりました。

 これまでも内視鏡検診を受けたことはあったけど、こんなに苦しい思いをしたのは初めて。モニターの画面を見ながら医師たちが、「もう少し右」とか「奥へ」とか勝手なことを言い合いながら器具を操作し、その度に私は地獄の苦しみです。「洗浄してクリップ(?)で留めます」とか、もう勝手にしてくれというより、もう殺してくれと願うばかりでした。後日の病名欄に十二指腸潰瘍とありました。

 翌日も、「昨日の治療の結果を見ます」とまた内視鏡を入れられ、「出血は止まっていますね」と声を掛けられ、採血されたり、CTで検査されたり、輸血されたり、とにかく医師の指示に従い、病室でジッとしていました。病室は快適です。本を読んだり、テレビを見たり、眠ったり、好きなように暮らせます。若くてかわいい看護師さんが入れ替わりやって来て、優しく声をかけてくれます。ズーとここに居たいと思うほどでした。

 今朝、退院が認められ、医師から「脂っこいものや繊維の多いものは避けてください。コーヒーとお酒も次の診察まではダメです」と言い渡された。コーヒーを飲みながらのショートケーキも、お酒を飲みながらのマグロも、ワインでステーキもしばらくはダメです。家に戻ると玄関に花が活けてあった。カミさんが「退院祝いよ」と言う。えっ、粋なことをやるじゃんと驚く。病室に比べ、やっぱり我が家は暑い。

 

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ブツブツ言いながらも未来に期待するしかない

2022年07月10日 17時17分29秒 | Weblog

 体調不良。金曜日のゴルフでカミさんが、ブービー賞でしゃぶしゃぶ用の上牛肉とメロンをもらってきた。金曜の夜は検査のため食べられなかったので昨夜、赤ワインでしゃぶしゃぶをいただいた。粗食が続いていたので、喜んで多めに食べさせてもらった。

 夜中にトイレに入った。固形物のない水便だった。お腹は痛くないが、汗でパジャマがべっとりと濡れている。パジャマを着替えてしばらく眠ったのに、またトイレに行きたくなる。今日のお昼まで7回もトイレに立ったが、水便しか出てこない。

 午前4時頃に、念のためにと思って百草丸を飲んだ。するとその後の弁は真っ黒な水便に変わった。お腹が痛いわけでもなく、別に食べられないわけでもない。ただ、何となく元気が出なくて、すぐに横になりたくなる。カミさんも同じ症状かと尋ねると、「私は普通だけど」と言う。

 あまり喜んで上牛肉など食べたから、お腹がビックリしたのだろうか。それにこの暑さで、熱中症にでもなっているのだろうか。暑さに対する感覚は違うようで、私が「暑い」とクーラーを点けても、カミさんは「外の空気の方が涼しいから」と、クーラーを止めて窓ガラスを開ける。

 クーラーの使い方もカミさんは温度設定よりも除湿を優先する。そんなこんなが重なって体調不良を招いたのだろう。それでも午後3時過ぎ、ふたり揃って投票場へ行ってきた。人が途切れることは無かったが、投票率はどのくらいになるのだろう。

 どんなにこの国を憂いても、1票で変わるとは思えなくても、出来ることは投票することしかない。投票率が低ければ、政権には有利になるだろう。結果はこの国の民度というか、国民の実態なのだ。ブツブツ言いながらも未来に期待するしかない。

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