友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

美濃加茂市長と朴大統領

2016年11月30日 18時03分42秒 | Weblog

 明日は雨降りらしいので、チューリップの球根を植え付けるには、今日しかないと朝から張り切って仕事をした。昼食も取らずに頑張ったから、ちょっと腰が痛い。昨年の球根の中から選んだ大きめなものが70球あったので、今年は全部で470球となり、これを大・中・小の鉢と大きなプランターに植えた。いつもは色別に鉢に植えるのだが、今年は何が咲くか分からないミックスを50球買ったことと、昨年の球根も何が咲くか分からないので、どんなチューリップ花壇になるのだろうと思う。

 美濃加茂市の市長に高裁は有罪判決を下した。一審では贈賄側の業者の供述は「不自然に変遷しており信用できない」と無罪であったが、高裁は「市長の証言は曖昧で不自然」「業者の話は具体的でかつ詳細で、特に不合理な点は見当たらない」と覆した。業者が別件の詐欺事件で軽い処分を受けるため、捜査機関に迎合したと言われている点については「その可能性は否定できない」としながらの判決にすっきりしないものを感じる。

 韓国の朴大統領が「国会で決めた日程と手続きに従って大統領の職を退く」と辞意を表明した。友人の事件が明るみに出て以来、心労が続く朴大統領は窮地に追い込まれ、とうとう辞任を口にしたように思うが、弾劾による罷免を逃れるための時間稼ぎとも言われている。しかし、そもそも何が罪なのかがよく分からない。財団をつくることやその財源を民間企業に求めることは、アメリカだって日本だって行われている。

 朴大統領のやつれようを見ていると何だか気の毒だ。抱いて慰めてあげたくなる。朴大統領にしても美濃加茂市長にしても、政治の世界にいるのに「脇が甘い」のではないのだろうか。政敵はいくらでもいるのだから、常に気を張っていなくてはならない。友人だろうとその知り合いであろうと、近づいてくる人の目的を見定める必要がある。「そんな、友人を疑うなんて」と私も思うが、政治の世界に身を置いている以上、それが支持してくれている人たちのためでもある。

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手づくりが疎かになっている

2016年11月29日 17時53分14秒 | Weblog

 昨日から急に寒くなった。今朝は冷え込んでいたけれど風はなく、ルーフバルコニーに出ても寒いとは思わなかったが、午後からは風が強く吹いてきて身震いするほどだった。それでもこれが平年並みということらしい。寒くなると外に出たくなくなる。家にいて用無しになった書類や資料を整理し破棄したり、思い出したように買っただけで置いてある古い本を読んだりしている。書棚に読まずに置いてある本がかなりある。

 「ほんとに無駄ばかりしている」とカミさんは言うけれど、それは好き嫌いのようなもので、どうしようもない違いである。「もっと運動したら」と注意してくれるカミさんより、私の方が体形は若い時と大きく変わらない。スポーツが嫌いというわけではないが、ジムへ行って身体を鍛えたい欲求がない。私は暗い部屋が好きではないのでつい電気を点けてしまうが、いつの間にか消されてしまう。暗くてゴミが見えなくていいのかも知れないが、どうも好き嫌いは歳と共に隔たりが大きくなった。

 小1の孫娘も2歳の孫娘もスマホの操作はできる。小1の孫娘はスマホがなければ生きていけないのではないかと思うほど密度が高い。こんなに指先で器用に操作するのに、中学生や高校生はハサミやナイフが使えないという。私が勤務していた高校のデザイン科も、デッサンやレタリングがなくなりパソコン操作が中心になっている。パソコンによって感性を磨くこともできるのかも知れないが、鉛筆や筆を使い身体で覚えて欲しいと思うのはやはり古いのだろうか。

 クラス会に来ていた教え子たちは今もトップで活躍しているが、手づくりを大事にしていた。パソコンはあくまで道具であり、どう使って作品にしていくのか、そこを忘れないで欲しいと思う。手の原始的な機能を疎かにしては、人間ではなくなるような気もする。孫娘たちが高校生になる頃、世界はどう変わっているのだろう。楽しみだけれど、怖い気もする。

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男も女もみんな美しくなっていた

2016年11月28日 18時10分21秒 | Weblog

 何年ぶりだろう。「昭和47年3月の卒業以来です」と言う子もいたから、44年ぶりの再会になる。何年だったか覚えていないけど、どこかで一度開かれたクラス会に出席したことがある、それも随分前のことだ。待ち合わせ場所でキレイな女の人が立っていたが、まさかと思って素通りしたら、「あのー、先生?」と向こうから声をかけてくれた。バスケット部のキョウコちゃんだった。

 次々と人が集まって来るけれど、「あれっ、誰だっけ」と思い出せない。「先生、変わらないねえ」と言ってくれるが、お世辞であることは私自身が分かっている。この子たちを担任した時は24歳で、長髪の若造だったのに、髪はすっかり寂しくなっている。それでも私よりも頭が禿げあがっている子もいるし、少なくとも男はみんな白髪交じりで、すっかりオジイさんだ。

 「先生はいくつになられたんですか」と聞くから、「72歳だよ。君たちは?」とたずねると「63歳ですよ」と答える。24歳と15歳の時は歳の差は大きかったけれど、こうしてジジババになってしまうと変わらない。それでも高校時代と全く変わらない髪型の女の子がふたりいて、あの頃が昨日のようだ。久しぶりの再会に、大いに話し、飲んで、笑った。

 デザイン会社の社長になった人、世界的な靴デザイナーになった人、山荘を持っている人、海外に出かける人、鎌倉の海でサーフィンを楽しんでいる人、63歳にもなるともうみんな立派な大人だ。女の子も美しく歳を取っていて、どの顔も高校生の時よりも品がある。クラス会には「成功していないと参加できない」という面はあるだろう。それでも歳を重ねてくればもう大差ない。

 私より2歳年上の先生が、「来年からは絵描きに専念する」と言われた。「75歳までに逝きたい」などと言っている私が恥ずかしい。そうか、まだまだ前を向いて生きていこう。結果なんてどうでもいい、生きていれば何かが生まれる、そんな気持ちにさせてくれたクラス会だった。ありがとう、みんな、またね。

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憂鬱な日々が続いてもいつかきっといい日が来る

2016年11月26日 15時51分13秒 | Weblog

 「ふれあいフェスタ」で古い知人に会った。私が国際交流グループを手伝っていた時、行事に参加してくれていた女の子だ。その頃は天真爛漫な明るい子だったのに、どういう訳か元気がない。「あれ、元気ないねえ」と言うと、「ちょっと聞いてくれますか」と言って一気に話し出した。

 結婚したこと、その家の義母と義理の姉が彼女のことを嫁として認めていないこと、話の内容はそういうことだった。義母は一日中家にいるのに、働いて帰るとすぐ「ご飯はまだ?」と言う。義理の姉はいつも子どもを連れて来て自分は遊びに行ってしまう。子どもは当然彼女になつくが、それが気に入らないから、彼女が遊んであげていると無理やり「帰るわよ」と子どもを取り上げてしまう。

 「わたし、女中に来たわけじゃーないのに、女中以下の扱いでこき使われている。町のドブ掃除や町内の仕事もみんな押し付けられて、いったい何なのと気が狂いそう」と愚痴る。典型的な嫁いびりの家庭だ。「ダンナさんはどうしているの?」と言い出しそうになるのを堪えて、「大変だね。嫌なことばっかりだけど、いつも笑顔でいてね。そのうちにきっといいこともあるから」と言う。

 耐えられそうもない日々が続いたとしても、必ずどこかで嬉しい時もあるはずだ。安倍首相が年金制度改革法案を審議していた衆議院で、「私が述べたことを全くご理解いただけないのであれば、何時間やっても同じですよ」と述べた。さらに「法案に対して不安を煽ることは出来ても、民進党の支持が上がるわけではない」とまで言う。地方議員だった時、理屈で相手を負かせても採決では勝てない。「議員同士で議論して採決」は全くの幻想だった。

 安倍政権下の国会審議を見ていると、民主主義って何だろうと思う。「民主主義は多数決」というなら議会での質問や議論はただのセレモニーだ。憂鬱な日々が続くけれど、きっとそのうち民主主義の在り方も変わるだろう。そう言い聞かせて、いい日が来るのを待っている。今晩は長女のダンナのお父さんとダンナのすぐ上の姉夫婦が遊びに来る。私の友だちにも来てもらい、みんなで飲む。明日は私が担任をしたクラスの生徒たちとの集まりに出かけるので、ブログは休みます。

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「勘違い」の多いのは昔から?

2016年11月25日 17時26分49秒 | Weblog

 「タイトルが岡崎市美術博物館と安城市歴史博物館となっているのに、安城市歴史博物館のことは何も書いてないわよ」と指摘された。その通りで、安城市歴史博物館で行われていた『若冲と京の絵師』まで書くつもりだったのに時間切れで中途半端になってしまった。

 車で岡崎まで行くのだから、安城市中央図書館に展示されている教え子の作品を見て、図書館でボランティアをしている長女のダンナのお母さんにも会って帰ろうと思っていた。お母さんから若冲展の話を聞き、一緒に観てきた。土曜日には若冲のコレクターである細見吉行氏の記念講演もある。安城市は中央図書館を閉館し、もっと大きな複合体の図書館を創る計画だという。

 昼食のためにモスバーガーに入った。大学4年の孫娘がいた時は、書店に行きモスに寄るのがふたりのデート・コースだった。注文はいつも孫娘がしてくれたから、ひとりで注文できるのかとちょっと緊張した。お客が少ないためか、店員さんがアルバイトの女学生だったからか、ジイジがひとりで来たからか、ゆったりと接客してくれた。

 店に置かれた雑誌『サライ』を読んでいて、童謡の「勘違い」に気付いた。三木露風の『あかとんぼ』は誰でも知っている歌だが、「おわれてみたのはいつの日か」を、私は恥ずかしいことに「追われてみた」と思っていた。ところが「負われて見た」と知った。15歳で嫁にいった「ねいや」におんぶされた三木の、子どもの頃に見た光景だったのだ。

 野口雨情の『シャボン玉』についても、「夭折した子どもを悲しんだ歌」と国語の先生が教えてもらったのは教員になった時だった。先日も映画で『はないちもんめ』が人買いの歌と知って驚いた。「勝ってうれしい」「負けてくやしい」と歌うからジャンケンの勝ち負けだと思っていたが、「買ってうれしい」「まけてくやしい」のことだという。

 童謡には悲しい歌や恐ろしい歌があるようだ。『赤トンボ』は音楽の教科書に載っていたように思っていたが、「15で嫁にいく」のは法律違反というので載せていないらしい。それにしても「勘違い」が多い私である。だから良かったのかも知れない。

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岡崎市美術博物館と安城市歴史博物館

2016年11月24日 18時07分29秒 | Weblog

 カミさんたちは誕生日会ゴルフに出かけた。朝まで雨が降っていたのに、出かける時は止んでしまい、またしても晴れ男の神通力を見せてもらった。せっかく車があるのだからと思い立って、岡崎美術博物館で行われている『ブリューゲルとバロックの巨匠』展を観に出かけた。ひとりで車の乗って出かけることはなかったので、実際に出てみるとやっぱり寂しいものがある。

 岡崎市美術博物館は大きな公園の中の一角にあり、いつもユニークな展覧会を企画する。美術館は地下の方だが、建物から見える景色は素晴らしい。「レストランもメニューが豊富になっていいよ」と友だちが教えてくれたが、流石にひとりで入る気がしなかった。絵画は伝えるために書かれたから中世までは宗教画が多い。王侯や身分のたかい宗教家の肖像画は写真と同じ記録の意味が深い。ところが中世からは風俗画が生まれてくる。宗教改革で宗教と生活とが切り開かれたためだ。

 特にスペインの支配下にあったオランダやベルギー、そしてプロテスタントの勢力下にあったドイツやフランス北部では生活を描く画家が出てきた。そんな時代の変化を見ることのできる展覧会であった。ここの美術館はほとんど黒一色の中で展示が行われている。落ち着いているし、見やすい。ところが今日は、併設されているミーテングルームでセミナーが開かれるようで、黒っぽい背広のいかにも経営者と思われる紳士が集まっていて、とても喧しかった。

 カミさんたちが帰ってきた。これから反省会に私も参加するので、今日はここまで。

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魅力と必要性がなければ廃れていく

2016年11月23日 18時31分58秒 | Weblog

 「やあ、元気?」「久しぶり、元気そうだね」「今は何やっているの?」、そんな言葉が飛び交った。社会福祉協議会が行う『ふれあいフェスタ』の手伝いに行って来た。久しぶりといっても、9月末に大和塾の市民講座を終えてから公の場に出ることがなかったので、会う人たちからこんな声をかけられた。

 『ふれあいフェスタ』はボランティアの人たちの集まりだから顔見知りが多い。私たちはここで写真を撮って、缶バッチを作る。その缶バッチを作る道具の調子が悪くて、なかなか作業が出来ない。70過ぎのジイジが頭を抱えて悪戦苦闘するが、どうしてもシワが寄ってしまう。「おもちゃの病院」の人に診てもらってもダメだった。道具は壊れるようなものではないので、微調整がうまく出来ていないだけだと思うが、船頭が多ければますます混乱するので私は口を出さない。

 結論からすれば、「何とかできるようになった」が、以前のようにきれいな仕上がりでないことが気になる。「無料だから多少のことは勘弁して」と言う人もいるが、仕上がりは大事だ。それにしても、各ブースに居るボランティアはいつもと変わらない顔ぶれだ。来場者の方は、舞台で演じるものによって変わる。幼稚園児の演技となると若い両親とその2組のジジババが舞台を囲むから一気に人出が多くなる。

 私を含めて、ジジババはみんな元気だ。けれどふと、ジジババばかりが元気でよいのだろうかと思ってしまった。「バリバリの現役世代がこうした行事に来ない」と嘆く人もいる。必要性と魅力がなければ人は関心を示さない。新聞の購読者が減っているのもスマホなどで見ることが出来るからだが、買ってまで読みたい必要性を感じないのだろう。友だちが「小説を読むときはやはり紙の文字の方がいい」と言っていた。

 どんなことでも、そこに魅力や必要性がなければ廃れていく。けれどまた、新しい事業を思いつく人が必ずいる。「自分がやりたいことをやる」、それが原動力で、それが他に受け入れられれば、魅力と必要性へとつながっていく。やる前に考えても仕方ない。やってみなければ結論は出ない。

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街にはイルミネーションが

2016年11月22日 19時11分01秒 | Weblog

 夜に出かけることはなかったのに、今晩は用事が出来て街に出た。まだ、11月だというのにあちこちでイルミネーションを見かけた。もうクリスマスの電飾ではなく、冬の風物詩になっている。1994年に、研究のためにアメリカの大学に留学していた友だちを訪ねてロッキー山脈の中の街へ出かけたことがあった。12月末から1月の初めの機関だったので、シアトルの街はクリスマスの飾りで一杯だった。

 シアトルは都会だから、ホテルもデパートも商店もクリスマスの飾りは当然と思っていたが、ロッキー山脈の中の一軒家でも、家の周りにいろんな電飾を施していた。日本人が正月に門松を飾るように、アメリカ人はクリスマスを心から祝っているのだと思った。ところが最近、日本でも冬になるとイルミネーションの名所が出来るほどだ。この街でも各家がそれぞれに電飾を行っている。なるほど、クリスマスという信仰の行事とは関係なく、人は祭り事が好きなのだ。

 施設に居る姉を妹夫婦と一緒に見舞いに行って来た。この施設に入所して1年以上になると思うが、病院にいた時のことを思うと随分穏やかな顔になっている。けれども姪っ子から、「食事を食べなくて職員の人が困っている」と聞く。野菜の煮物が嫌いで肉類が好きという姉がワガママに見えるらしい。姉は来年3月で88歳になるが、この世代の人なら好き嫌いなく何でも食べそうなのに、昔からハイカラなものが好きだった。

 その姉が私を見て、「あんたは長男だったかねえ」と言う。「僕は3男で、姉さんにはお世話になってきました」と答えると、「そうかね、3男なのに大変だねえ」と言う。「兄貴はいたけど、おじいさんの養子になってしまったので急に長男みたいになったけど、本当は3男の要らない子だったんです」と皮肉を言うと、姪っ子が「ウチの3男もそうだけど、やっぱり3男はちょっと変わっている」と付け加える。姪っ子の3男は声優を目指していたが、今は舞台俳優で頑張っている。

 長男は責任感が強いし、長女は目立ちたがる。人はそれぞれ背負っているものが違う。だからこそ楽しくもあり苦しくもあるが、受け止めていくしかない。

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いじめとキングコングの西野克廣さん

2016年11月21日 18時22分52秒 | Weblog

 全国に先駆けて「いじめ防止条例」を制定した岐阜県可児市で昨日、『いじめ防止自治体サミットin可児』が開かれた。尾木直樹さんが基調講演を行い、大津市長や箕面市長、文部科学省の担当者、可児市長がパネルディスカッションを行ったという。どんなことが話されたのか知らないが、自治体サミットというにはちょっと寂しい。いじめで自殺のあった全国の自治体の首長が集まって、どのような取り組みをしているのか明らかにして欲しいと思う。

 原発被害から逃れて横浜市に転校してきた子どもが、いじめられ、お金や物を取られ、先生に相談しても、「忙しい」とか「管理が悪かったのでは?」とか、「そういうことは警察に」と言われたと報じられていた。学校が調査してくれなかったので、両親は教育委員会に訴えたが、「介入はできない」と言われたとある。その子は「死んでしまいたいと思ったが、津波でたくさんの人が死んでいる。生きなくてはと決意した」ようだ。

 どうして人間社会はこんなにも理不尽なことが多いのだろう。私は西野克廣さんを画家だと思っていた。彼の絵が高額で買われたという。いくらなのか知らないが、絵は緻密でファンタジーで迫力があって素晴らしい。西野さんは画家でも絵本作家でもないお笑いコンビの人だという。最近のお笑い系の人は多芸だ、しかも相当な実力派だ。その西野さんは「『イジメと戦争は』この世から絶対にきえない それでもタモリさんと考えた」解決法があるという。

 「いじめをやめよう」とキャンペーンしてもなかなか無くならない。いじめられた側からではなく、いじめた側から見ると、「楽しんでいる」つまり娯楽なのだ。「戦争反対」と叫んでも無くならないが、「娯楽」をしている時、戦争はしない。要するに「いじめ」や「戦争」よりももっと楽しい「娯楽」をいっぱい広げれば、「無くす」ことは出来なくても「止める」ことは出来るだろうと言う。さすが「お笑い」の人だけある。西野さんの本物の絵が見たくなった。

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若い時は年寄りが大嫌いだった

2016年11月20日 17時31分15秒 | Weblog

 チューリップのための土作りは全て終わったので、今度はバラの鉢の土を入れ替えようと思っている。最近になってバラの鉢の土を入れ替えることを覚えた。それまでは植えっぱなしで、肥料を時々与え、2月の寒い時に選定する程度だった。何かで、12月に鉢の土を入れ替えるとよいと知り、やってみたら春の花が大きく咲いた。四季咲きのものが多いから秋にも花は咲くけれど、春に比べると花は小さい。

 昨日、訪ねてきた友人が「もう一度議員をされたらいいのに」と言った。私は「それは絶対にありません」と答えた。その理由を彼女に話した。私が社会に関心を持つようになったのは多分、中学生になってからだと思う。その前にどういう訳か、「心の問題」には関心があった。日曜の夜に放送されていた「ルーテルアワー」を聞いていたせいかも知れないが、「人は何のために生きているのだろう」と思うことがあった。

 戦争でたくさんの人が死んだのにその責任はあいまいなままだった。いやそれよりも、戦争に加担した人が政治家となっている。投票する人がいるのはどうしてなのだろうと思った。中学、高校と進むにつれて、「大人はずるい。自分の都合ばかり考えている」と思うようになった。年老いた人々こそが責任者なのに、その人たちが日本の国を動かしている。若い人たちの声はどこでも潰されてしまう。

 大人は嫌いだ。特に年寄りは大嫌いだ。政治家を見ても、社会を見ても、学校を見ても、トップに居るのは年寄りだ。今から思えば、それは当然なことだけれど、若い時は年寄りが若者を潰していると思っていた。自分が年寄りになることなど考えられなかったが、次第に歳を重ねてきて、「70歳までは社会とかかわるが、それを過ぎたら一切しない」と決めた。あいにく72歳までかかわってしまったが、そういう訳で「政治の世界に戻ることはありません」と話した。

 「悪い年寄りばかりではないのに」と彼女は言うが、そうであっても私の意志は変わらない。このブログで政治のことや社会のことを取り上げても、それはただ年寄りの呟きに過ぎない。私がブログを続けているのは、読んで欲しい人へのラブレターだから。

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