友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

梅雨の晴れ間

2013年05月31日 19時55分25秒 | Weblog

 今日は梅雨の晴れ間だというので、鉢の土の入れ換えに精を出した。一体何日間かかって作業をしているのだろう。午前9時から初めて正午まで、3時間で2鉢か3鉢がせいぜいである。そんなに丁寧な作業をしても結果は変わらないのかも知れないが、これが性分というもので、偏執狂的になってしまう。作業の時はラジオでも聞けばいいのだろうが、隣の小学校から聞こえてくる子どもたちの断片的な声だけが流れ、ああでもない、こうでもない、そんな夢想の世界にいる。

 ふと、人はよく、「この人なしに生きていけない」などと言うけれど、本当だろうかと思った。それくらい激しく熱烈に愛しているということなのだろう。「この人」から「嫌い」と言われたり、何かの理由で去ってしまっても、「生きていられない」のだから死ぬかといえば、そうではない。どんな恋愛小説でも、恋愛が成就するまでの紆余曲折を書き綴っているが、そこまでである。熱が冷めるのか、日常になれば何の変哲もないということなのか。

 大阪市議会で、橋下徹市長に対する問責決議案が、公明党が反対に回ったために否決された。可決して橋下さんを市長の座から降ろすのかと思ったけれど、提案した側にそれほどの決意はなかったようだ。「維新の会」の松井幹事長の「問責は不信任と同じ。可決されれば、民意を問うことになる」との発言に、尻尾を巻いてしまった。「噛み付くこともできないくせに、吠えるな」と大阪市民からも馬鹿にされていた。

 橋下市長の会見を見ると、これで「慰安婦発言」は収束したという顔をしていた。大阪堺といえば、千利休や与謝野晶子を輩出した地である。晶子は国中が強国ロシアとの戦争に舞い上がっていた時、『旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて』と題して、「君死にたもうことなかれ 旅順の城はほろぶとも ほろびずとても 何事か」と長詩を発表した。これには、橋下さんや石原さんに似た人たちが「非国民」とか「危険思想」と噛み付いた。

 晶子は「当節のように死ねよ死ねよと申し候こと、また何事にも忠君愛国などの文字や、おそれおおき教育勅語などを引きて論ずることの流行は、この方却って危険と申すものに候はずや」と撃破している。ここまで言える人が堺から生まれているのに、昨今の大阪人は寝た振りばかりのようだ。与謝野晶子の歌集『みだれ髪』には、「やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君」という歌がある。凄い人だ。

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ガンバレ、まともな議員たち

2013年05月30日 19時13分29秒 | Weblog

 地方議会を傍聴したことのある人がどれくらいいるだろう。傍聴した人の多くが、地方議会は国会よりも形式的だと実感する。「地方であっても議会は、国会のようになくてはならない」。私が議員の時も先輩議員はそう胸を張って言った。国会のどこを見習うというのかといえば、ただその形式である。形ばかりを真似してしまったので、全く儀式化した議会となってしまった。

 議員を呼ぶ時、女性議員にも「クン」付けしたり、「異議ありませんか」と議長が問い、「異議あり」などと発言すれば、「これにて暫時休憩と致します」と議長は言い、別室で「どうして異議ありなどと言うのか」と議員に取り下げるように迫る。要するに、事務局が作成した議事次第通りに進めることが最優先される。これが議会だと先輩議員も事務局も思い込んでいる。

 おかしいことはいっぱいある。議場を見るとそれがよく分かる。傍聴席は議員席の後にわずかな数しかない。真正面の高い席は議長席で隣りが事務長の席である。議長席の両翼が行政側の役職の席だ。議員と行政側は向かい合っているのに、なぜ議長席が行政側の中央にあるのだあろう。議長は司会役で、議員と行政の議論を進める役目であるなら、議員と行政側との中間に位置すればよいはずだ。

 発言者はどこで行うのか。国会に倣って、中央の議長席の前で行なう。議員と行政が対立した形にするなら、議員側の中央に席があってもよいと思うけれど、あくまでも国会と同じようにしたいということらしい。そのくせ、発言時間に制限を設けたり、発言回数も2回までと制限したり、形式ばかりが厳しくなっている。これは地方議会の議員が地域の長老とかボス的な人が担ってきたなごりである。行政からの提案に、賛成するために挙手をすればよかったから、質問したり、「異議あり」と言うこともなかった。国会と同じような形にして満足していたのだ。

 けれど、国会と違って地方は、首長も議員も選挙で選ぶ。大統領と議員を選ぶ形なのである。国会のような政治思想による政策論議よりも、議会は具体的な市民自治をどう進めるかを議論する場というわけである。だから会派を作る意味もないし、ましてや政党の主張を持ち込む必要もない。必要なのは議員同士が議論することであり、議員と首長が議論することだ。ところが今の地方議会にはその基本が抜けている。

 「多数決が民主主義の基本ではありません。ひとりでもまともな議員が議会にいれば、議会も行政も変わっていきます」。昨夜、私の友人らがそう強く呼びかけていた。まともな議員とは、自ら調べ、根拠を示して議論できる人のことだ。ガンバレ!

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心の穴は埋められない

2013年05月29日 15時31分10秒 | Weblog

 作家の水上勉さんのことが話題になった時、「随分、女性遍歴の多い人ですね」と指摘された。小説家ばかりでなく、画家や音楽家にもそういう人は多い。画家の中には常識では考えられない奇行に走る人もいる。私の好きなダリは、同じシュールリアリストの詩人エリュアールの夫人に恋してしまい、(本当か嘘か定かではないが)ウンコを塗りたくって夫人に求愛したという。もちろん夫人はエリェアールを捨ててダリと結婚した。ダリの絵によく登場するガラ夫人である。

 表現を使命とする芸術家たちには、狂人に近い奇行の主が多い。芸術家は他人と同じものを創ることは出来ないので、他人とは違う人物にならなくてはならない。芸術家が極端で奇抜な行為に走るのもそのためだろう。絵描きのスタイルといえば、ベレー帽という時があったけれど、身なりから入るのも自らを奮い立たせるためだ。軍人が軍服を着れば戦闘精神に燃えるように、神主が白い衣を着れば清々しい気持ちになるように、芸術家になろうとする者は他人と違うことを行なうことで自らを追い込むのだと思う。

 私は行くところがなくて大学の美術科に入ったが、次第に本当に絵描きになろうとしていたのか、3年の教育実習で行った中学校の美術の先生から、「かみそりのような感性だな」と言われた。鋭いという意味だったのか、脆いという意味だったのか、その両方だったのかも知れない。高校の先生になった時、美術の先生らしく個展を開いたが、先輩の先生から「芸術家になるのか、教師を務めるのか、ハッキリしないといけない」と忠告を受けた。結婚もし、子どもも生まれていたので、私は普通の安定した生活を選んだ。

 芸術家が全て、非日常的な生活に身を置いているわけではないが、安定した生活の中から人を驚かせるような芸術が生まれてくるはずがない。他人から見れば狂人のような非常識の中に身を投げ出さなければ、本物は作り出せないだろうと思っていた。その勇気と自信が私にはなかった。これは私の推測だけれど、非日常の中に身を置くことの苦しさが、異性を求めてしまうのだろう。たまたま作品がヒットしたところで名誉は手に入れても、心の穴は埋まることはない。人は人によってしか満たされない。芸術家に女性遍歴や男性遍歴が多いのはそのためではないだろうか。

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正直な発言

2013年05月28日 19時27分55秒 | Weblog

 職場が忙しすぎて、働いている人たちは仕事をこなすことで精一杯なのに、上の人は「リーダーは徹底的に部下を指導せよ」と言う。辞めていく者が多いのは、指導が徹底されていないからだという指摘である。辞めていく者が多いのも、指導が徹底されないのも、余りに忙しすぎることに原因がある。「会社が助けてくれたことは一度もない」と正直に発言したら、上司は絶句したと言う。

 この人は余りにも正直者だが、何でも正直に言ってしまう人が誠実な人とは限らないと、大阪市長の橋下徹さんの外国特派員協会での会見を見てそう思った。橋下さんは何でもストレートに発言し、それがこれまでにない政治家として受け入れられてきた。慰安婦問題では、戦争なら軍隊の規律を維持するために必要だったと述べ、さらにどこの国も同じなのに日本だけを非難するのはおかしいと、国民の受けを狙った。ところが、「策士、策に溺れる」ということわざ通り、自ら泥沼に入り込んでしまった。

 昨日の記者会見は、これまでのケンカ腰スタイルではなく、丁寧に答えていた。ケンカスタイルが好きだった人はガッカリしたことだろう。私は橋下さんがどのような論理を展開して、「議論しましょう」と言ってきたことを成し遂げるのかと思ったが、まるっきり議論にはならなかった。橋下さんは「女性の権利侵害を世界から無くそう」とは言わずに、「世界で戦場の性の問題をきちんと議論する必要がある」と提起する。それならば、戦場をつくらない、もっと言えば、戦争のない世界をつくるにはどうすべきかと提案すべきだ。

 橋下さんは先の戦争を侵略戦争であったと言うが、共同代表の石原慎太郎さんは侵略戦争ではないと言っている。そしてふたりとも、他国に舐められないためには強い軍隊が必要だという点では一致している。そんな人だから、戦争のない世界をつくっていく思考など持ち合わせているはずがない。正直に言うか言わないかが問題ではなく、結局その中身が問われるのだが、究極のところではその人間性にあるようだ。

 ある人が言う。「毎日をどう生きるのか。ちゃらちゃら生きるのか、深く生きるのか」。私にはその意味が分からないけれど、人生は罪深く、そして意外に短いと思う。「人間の意識とは、いろいろな妄想や渇望や企てが混沌と雑居しているところであり、夢想のるつぼであり、恥ずべき考え方の巣窟なのだ。それは屁理屈の伏魔殿であり、欲情の戦場なのだ」(ヴィクトル・ユーゴー)。

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友情と恋愛の狭間で

2013年05月27日 21時26分06秒 | Weblog

 白鵬が全勝優勝した。日本ハムの大谷選手が、阪神の藤浪投手からヒット2本を打った。けれど、試合は7対1で阪神が勝った。相撲は若手の活躍が目立たないが、それでも知らない名前の力士が誕生してきている。プロ野球は、楽天の田中投手や巨人の坂本選手など若手の活躍が目立つ。このふたりが小学校時代にバッテリーを組んでいて、田中が捕手で坂本が投手だったとは面白い。千葉県千葉市の市長選挙で、31歳で市長になった現職が再当選した。

 NHKの朝の連続ドラマ『あまちゃん』は高い視聴率だという。確かに私も見ていて面白いと思い、ドラマのテーマは何だろうかと思いながら見ている。この前のドラマ『純と愛』も面白かったし、家族愛や努力が何を生み出すのか、考えさせられた。今回の『あまちゃん』は軽快なテンポで小気味よく展開しているので、爽やかな気分で見ていられる。祖母役の宮本信子、母親役の小泉今日子が光っていて、主人公の女子高生は全力の演技で張り切っている。

 主人公の女子高生は、影が薄いとか個性がないとか、さんざんなことを母親から言われ続けてきた。その彼女は1年上の先輩を好きになり、彼は卒業すると東京で働くことになっているので、「遠距離恋愛でもいいから付き合ってください」と告白する。ところが「好きな人が他にいる」と振られてしまう。しかも好きだという相手は彼女の親友で、その衝撃は隠しきれない。三角関係は夏目漱石が得意としたテーマで、平成の今も変わらない課題なのだと思った。

 私は高校3年の卒業間近な時に、2年の女の子から「家に遊びに来てください」と言われたことがある。色の白い子で、自転車通学していたから、かわいそうなくらい手が真っ赤だった。私は好きだった女の子に振られた直後だったが、中学からの友だちに「俺はあの子が好きだ」と、その女の子について告白されていた。彼女の家が新築され、茶室もあるからお茶を飲ませたいという誘いだった。私は「友だちを連れて行ってもいいか」と彼女に言い、彼と一緒に家まで行った。彼には「後は自分で話せ」と言い、女の子には「用事が出来たので先に帰る」と言って、一人で帰って来てしまった。

 武者小路実篤の小説『友情』そのもののようだった。多分、私は自信がなかったのだ。初恋の人から、「あなたが恋しているのは私ではなく、あなたが作り上げた私なのよ」と言われたことが余りにもショックだったのだ。着物姿で迎えてくれた彼女は今、何をしているだろう。

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からくり人形と空人間

2013年05月26日 19時29分06秒 | Weblog

 昨日の市民講座『からくりに学ぶ』は面白かった。日本人はかなり昔から「からくり」に関心があったことを知った。本格的な「からくり人形」が出現したのは江戸時代で、庶民の間にまで広がったようだ。講師の末松良一先生の話では、今日まで「からくり人形」が伝承されているのは、山車からくり祭りのおかげだという。山車からくり祭りは、北は新潟県小千谷、東は茨城県日立、西は福岡県八女、南は鹿児島県加世田と幅広く行なわれているが、最も多いのは愛知県で、名古屋を中心に尾張に集中している。尾張が全体の6割を占めるという。

 実際に「茶運び人形」と「弓曳童子」を見せていただいたが、江戸時代にこんなにも精巧なものが作られたのかと感心した。ほとんどが木と糸によって動くように作られている。その木も用途によって素材を変え、歯車のような高度な精密さを要する部分は硬いツゲを8枚組み合わせて作っている。それだけでも感心するが、それらの細かな部品を組み合わせて、直進ばかりか右回り左回りが出来ることや、ちょっとした動作なのに人形の顔が表情豊に見えるから不思議だ。

 今回は高齢の男性が多かったけれど、これはぜひ子どもたちに聞かせたかった。小刀で鉛筆を削ることもしない今の子どもたちがこんな人形を見たらビックリするだろう。ものを作ることの喜びを知って欲しいと思う。子どもたちが夢中になっていることといえば、なにやら小さな画面でピコピコやっているパソコンゲームだが、身体を使ってものを作るとか、何人かで身体を使って遊ぶものはないのだろうか。

 このところ天気が良いので、出来るだけ早く鉢の土の入れ替えをしようと朝から晩まで頑張っている。とはいえ、午後2時過ぎると、テントを張って日陰を作っていても西日が差し込んでくるので、夕方になるまでは作業は中止である。長さ30センチほどのステンレス製スコップをコツコツと小刻みに動かして、古い土にバーク堆肥を混ぜ、それが終わると赤玉土の小粒のものを混ぜ合わせていく。じっと下を向いたまま、こんな作業を延々と行なっている。私の作業姿を客観的に見たのなら、きっと偏執狂としか見えないだろう。

 一言もしゃべらず、屈み込んで、同じ動作を繰り返しながら、未来のことなど考えられないから自ずと昔のことを、ああでもないこうでもないと思い出し、もし、あの時ああしなかったらなどととんでもない方向へと夢想していく。「からくり」のひとつでも考えればよいのに、いつも全く非生産的な思いを廻らし、結局、腰が痛くて立てないほどになってしまい、やっとこさと背伸びをひとつする。「あっ、痛たった!」。

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三浦雄一郎さんの快挙

2013年05月24日 19時21分09秒 | Weblog

 新聞もテレビも、三浦雄一郎さんが世界最高峰エレベスト登頂に成功した話題で持ちきりである。史上最高年齢の80歳での快挙に驚きと賞賛が溢れていた。65歳でエベレスト登頂の最高齢記録を作った愛知県山岳連盟の元会長も「すごいの一言。脱帽だ」(中日新聞)と賛辞を送る。三浦さんは70歳でこの記録を塗り替え、おそらく不動の80歳記録を打ち立てた。三浦さんは76歳の時にスキー事故で、骨盤と大腿骨を折る大怪我をしているという。さらに、不整脈の持病があり、昨年秋に2回の心臓手術も受けている。

 史上最高年齢でのエレベスト登頂を成功させるために、両足に4キロの重りをつけ、20キロのリックを背負って歩く訓練を欠かさなかったという。怠け者の私は、どうしてそんな苦しい思いをしてまでも登りたいのかと思ってしまうが、カミさんは「そう言う人は絶対に成功しない」と断言する。「富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです。散歩のついでに登った人はひとりもいません」とジョージ秋山さんのマンガ『浮浪雲』にあるそうだ。何となく、あの粋な浪人の姿が目に浮かぶ。

 目標を持った人だけが目標を成就させるために、どのような準備や過程が必要かを考え、それに向けて努力する。いかにも天才的なひらめきがあったと思われる人でも、何かを成し遂げたということは、そういう努力を努力と思わずに出来た人なのかも知れない。思えば私は努力の人ではなかった。仕事が嫌でサボりたいと思ったことだけはないような気がする。面白かったし楽しかったから夢中でやってきたけれど、目標はいつも出来そうなところのちょっと上だったのではないだろうか。

 みんながみんな、三浦さんのようにはなれないし、まあそれでいいのではないか。子育てが一段落して、ピアノやフルートを習いだした人もいるし、一度聞いた朗読が心に残り、朗読の会に入って本を読み続けている人もいる。仕事は仕事、趣味は趣味と、忙しい日々を送っている人もいる。三浦さんのように慎重に計画的に目標へと進む人もいれば、毎日を面白おかしく生きているような人もいる。自分の人生は自分でしか生きることはできない。評価があったとしても、評価するのも自分でしかない。

 明日は大和塾の第31回市民講座『からくりに学ぶ』、講師は名古屋大学の名誉教授の末松良一先生。夜は、誕生日会。そのため明日はブログを休みます。

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名演『モリー先生との火曜日』

2013年05月23日 17時02分44秒 | Weblog

 昨日の名演は、加藤健一事務所の『モリー先生との火曜日』であった。加藤健一事務所による芝居はいつも面白く、期待していたが、やはり期待通りだった。原作者はアメリカのジャーナリストで、1997年に出版されるとたちまちベストセラーになったという。こんな哲学書のような小説が人々の気を引いたのであれば、やはりアメリカは捨てたものではないと思った。

 スポーツライターとして人気のあるミッチは、複数の新聞やラジオ、テレビで活躍し、多忙な日々を充実感を持って送っていた。そんな彼が深夜のニュース番組で大学時代の恩師、モリー先生を見て驚いた。先生が筋萎縮性側索硬化症という難病であることを知った。そして、大学での先生との出会い、先生の講義を思い出し、大学を卒業してから初めて先生の自宅を訪ねる。そこは16年前、先生から1対1で講義を受けたところだ。

 モリー先生はミッチのことを覚えていて、学生の時と変わりなく迎えてくれた。しかし、ミッチはもうすぐ死ぬかも知れない恩師を見舞う義理を果たすための訪問だったのだろう。先生の質問に、学生時代と同じように、「ええー、まあー」と答えていた。けれど、話していくうちに彼の中で何か小さな変化が生まれていた。先生が「来週も来てくれるのかね」と言うのに対し、忙しく働いている彼には無理なのに、「ええー、まあー」と言ってしまい、そして火曜日毎に見舞いに来るようになる。

 ここからまた、先生とミッチの火曜日の講義が再開する。スポーツライターとして忙しく飛び回っているミッチだけれど、読者や視聴者を意識して面白くしてしまうことばかりに気が入っていることを先生は見通していた。そしてミッチ自身も、そんな自分に気付いていた。ミッチは売れっ子で、デトロイトの住宅には自動車が2台あり、優雅な生活を送っている。仕事は何でもこなす。いや、休んだり、他人に任せて、仕事が取られることを恐れている。ちょっとお金持ちの典型的な中流階級というところだろう。

 先生は言う。「君は自分自身に満足しているかい?」。「いかに死ぬべきかを学べば、いかに生きるべきかがわかる」。芝居の中ではかなりの名文句がいくつかあった。私が一番心引かれた場面は、先生がミッチに「君を息子にしたい」と言い、ミッチが泣くところだ。父親と息子はこんな風に心を開き溶け合うことはまずないだろう。母親と娘は女同士になった時は友だちになれるのに、父親と息子が男同士になった時は対立してしまう。モリー先生に感化されていくミッチが自分を取り戻していくのがよくわかった。

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原理が分かっていない

2013年05月21日 18時33分43秒 | Weblog

 アメリカで竜巻が起きて、小学校が孤立しているという。朝は肌寒いくらいだったのに、強い日差しが降り注ぎ気温はグングン上がった。しかし、風が強くてルーフバルコニーで作業が出来ない。仕方がないので、県に報告するNPOの書類を作るためパソコンに向かう。収支報告書とか貸借対照表とか財産目録とか、会計関連の書類はよく分からない。県の書類を元に打ち込めば自動的に計算してくれるのだが、その原理が分かっていない。

 今更、簿記を習うのも億劫であるし恥ずかしい気もする。会計事務所に勤める監査の担当者に見てもらうのだが、彼は忙しいので自分で計算して書類を整えてくれる。結局いつまで経っても、どうしてこうなるかという肝心の部分が理解できない。中学校の「職業」の授業で、簿記を習った。あの時は、テストを受けても完璧だったのに、今は何も覚えていない。恥ずかしくなる。試験のために覚えたことは試験が終われば、水のように引いてしまう。そのくせ、習ったわけでもない、どうでもいい雑学は不思議なことによく覚えている。

 人類の進化と病気をテーマにしたNHKの特集を見ていたら、人類は700万年前に2足歩行を行なうようになって、大きな変化を遂げたという。脳は2倍の大きさになり、道具を作り出し食糧の確保が容易になった。そのため、いつでも交尾が出来るようになり、発情期が無くなった。常時に交尾するので、オスは絶えず新しい精子を作るようになった。精子の増殖の仕組みとガン細胞の増殖の仕組みは同じ構造だという。「人類は知性と引き換えにガンになりやすい体質になった」らしい。

 「ガンは最も自然死に適した病気」と聞いて、願うことならガンと診断されたいのだが、今のところは心臓関係の病気しかない。6月には中学の時のミニクラス会をしなくてはならないし、来年2月にはこの街の同年の人たちと『古希を祝う会』を行なわなくてはならない。ここまでは私の責任で、従って途中で放棄することは許されない。ミニクラス会の返事はまだ、4枚しか来ていないところへ、昨夜は「どうして温泉なの?温泉に入りたいの?」と電話をもらった。

 思いつくところがなかったからと弁明したけれど、よく考えれば、なぜ謝る必要があるのだろう。案内文は極めてあいまいだ。午前10時30分JR浜松駅集合だけがハッキリしているが、どこで何をするかは別に書いていない。だから、どこへ行こうが何を食べようが一向に構わない。集まってまた、おしゃべりでもしましょうという目的が果たせればそれでいい。明日は名演で、その後、チェロのコンサートに出かける。ブログは休みます。

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1枚のハガキと1通の手紙

2013年05月20日 19時35分24秒 | Weblog

 1枚のハガキと1通の手紙を受け取った。ハガキはミニクラス会への返信で、101歳になる父親の様態が思わしくないので参加できないというものだった。「頑固一徹、人に任せることのできない気性の父もひ孫だけには甘く満面の笑顔を見せます。(略)誰も踏み込めなかった父の領域に、いとも容易に踏み込むひ孫、それを受け入れた父。なんの変哲もない微笑ましい光景ですが、今まさに、人生のバトンを渡す瞬間を垣間見た思いです」とあった。

 手紙の方は、この春に神奈川県へ引っ越した井戸掘り仲間の長老からのものだ。「新しい連絡先、アドレスなど、別添の如くお届けします。NPOの皆さんについでの折、お渡し頂けると幸いです。(略)脊柱管狭窄手術の後遺症?で、歩行に少々困難を伴いますが、雑木林を縫って歩くことも覚えましたので、これからボツボツコミュニティとの接触をと思い、手だてを思案している処です」とある。長老は私の兄と同じ昭和6年生まれだから82歳になる。

 高齢になっても確固とした生き方を貫いているようでホッとする。それが周りの人からすれば、「頑固一徹」であり、「手だてを思案」する変わり者と見えるかも知れない。ここまで周りに迷惑をかけてきたのだから、最後まで貫いてもいいではないか。息子や娘からは「どうしようもないオヤジ」なのだろうけれど、「私はそうやって生きてきたんだ」と開き直った方が、納得してもらえるような気がする。

 井戸掘り仲間の長老は、いつも何か思案する人だ。井戸掘りの道具や工作の道具など、思案しては設計図を描き、どうだと言わんばかりに説明してくれる。「思案」することは生き甲斐であり、生活の一部である。長老のカミさんに言わせれば、「ろくでもないものばかり作って」と言うことだけれど、「女にはこの楽しみが分からん」のだろう。知り合いもいない土地で、カミさんとふたりだけの生活はかなり気苦労も多いことだろう。コミュニティに話し相手がいるといいが、相手の言うことに耳を貸す余裕があればいいのだがと、余分な心配をしている。

 自分ではまだまだ若いつもりでいても、私もきっと頑固一徹で融通の利かない老人になっていることだろう。長女夫婦と次女夫婦が我が家に来て、ワイワイガヤガヤ飲んで食べていた時、世代の違いは大きいなと感じた。多分、カミさんはそうでもないようだから、私ひとりの特有な考えなのか感性なのか、孤独感を噛み締めていた。今日、ハガキと手紙を読んで、老人は皆そんなものかと思った。

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