友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

意図よりも映画は楽しむことにある

2023年08月31日 20時01分30秒 | Weblog

 名古屋空港に隣接する大型のスパーマーケット「エアポートウォーク名古屋」には、商業施設はもちろん、子どもたちの遊び場や食堂街あり、映画館も備わっている。カミさんが「今日は何も予定が無い」と言うので、昼食をとった後で映画を観ようということになった。

 とりあえず駐車して、映画館に行き、食事をした後で観られる映画を探した。綾瀬はるかさん主演の『リボルバーリリー』が、計画にぴったりだったのでチケットを買い、食堂街へと向かった。平日なのに意外に混み合っていて、回転すしが空いているのが目に留まったので入店した。

 ところが注文の仕方が分からない。女性店員に教えてもらいながら、何とか食べることが出来た。寿司は美味しかったが、何となく落ち着かなかった。若い女性がふたりで来て、刺身を食べながら生ビールを飲んでいる。高齢の夫婦が4組、家族連れも3組いた。パネル注文に戸惑っているのは私たちくらいだった。

 映画『リボルバーリリー』は、私にはよく分からない映画だった。明日は関東大震災から100年になるが、映画の舞台はそんな大正時代で、陸軍の兵士による一家皆殺しで始まった。ただ独り生き残った少年は、父親の言いつけ通りに東京へと向かう。綾瀬さんが演じるリリーに少年は出会い、ふたりで陸軍の兵士の執拗な追及の中、なんとか東京へ辿り着く。

 少年の父親は軍の金を使い、投資で巨額の富を得た。これを陸軍が取り返そうとしていることが徐々に分かってくる。少年の父親が、「軍拡では国は強くなれない。平和のために金が国に入る仕組みが必要だ」と言う、その考えを映画を観る人に伝えたかったのか。それにしては滅茶苦茶な殺し合いが続く映画だ。

 「よく、分からん映画だ」と私が言うと、「楽しめればいいのよ」とカミさんは諭す。確かに綾瀬さんのアクションが凄い。いつもはロングスカートの綾瀬さんだが、決闘場面ではスカートがめくれあがって白い太ももまで見える。銃で撃たれても、ナイフで刺されても、最後は相手をやっつけてしまう。傷は負うけれど、決して死なない。

 作品の意図を探すよりも、映画は楽しむことにあるようだ。

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じゃーまた来るから、いつでも電話して

2023年08月30日 17時27分15秒 | Weblog

 介護施設に入所している先輩から、「バナナとアイスクリームとヨーグルトを差し入れして欲しい」と電話があった。先輩は確か90歳になるはずだ。カミさんと長男の3人で暮らしていたが、カミさんはガンで名古屋の通院施設に通っている。送り迎えをしているのは次男のヨメで、先輩のところへ顔を出すのもこの人である。

 長男は会社の社長と言うから、金はあるのだろうが結婚もせず、家族のことにも無関心に徹しているようだ。従って、先輩の家の細かなことは全て次男のヨメが負っているらしい。施設に顔を出した時に、「バナナが食べたい」と頼んだが、「ヨメは『みんな我慢して暮らしているのに、お父さんは我儘だ』と言う」と嘆く。

 ヨメにしてみれば、家のこと夫のこと子どものこと、それに義父と義母の世話をし、「ありがとう」の言葉も無く、腹が立って仕方ないのだろう。先輩も気付かない訳ではないが、どうしても自分のことしか考えられない。今から思うと次男のヨメに、「ありがとうな」と言って、市に寄付したいと思っていた百万円を渡しておくべきだった。

 先輩は議員までした人なので、応援してくれたご近所の皆さんへの恩返しのつもりで、「市に寄付する」と言ったのだろう。次男のヨメが、「そんなお金がどこにあるの」と激怒したのも無理のないことだ。先輩は「自分と母ちゃんで稼いだ金。母ちゃんはいいと言ってる」と、まだ納得できないようだが、半分は諦めている様子だった。

 今日の先輩は胸と膝にコルセットを巻き、難聴はさらに進んでいた。「頭がボケている」と言うが、なんとか会話は出来るし、判断できないことも無いが、どうしても自分のことが先行してしまう。「歳を取ればみんな同じ、気にすることはないよ」と励ます。面会は3分までと決められているそうだが、職員も「時間ですよ」とは言って来なかった。

 先輩が時間を気にしていたので、私が立ち上げって職員に手を振った。「ちょっと我儘かも知れませんが、よろしくお願いします」と挨拶すると、「いいえ、そんなことありません。とても優しい方です」と言ってくれた。「じゃー、また来るから、いつでも電話して」と言って別れた。

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日々の変化は小さいが、いつか大きく変わる時が来る

2023年08月29日 17時16分03秒 | Weblog

 青い空に白い雲、陽射しは強いが風は爽やか。もう、8月も終わるというのに、残暑はまだ厳しい。我が家は2日前からエアコンの使用を止めた。昼間はエアコンを使いたい時もあるが、外から帰って来たカミさんが、「いい風が吹いているわね」と言うのに、スイッチを入れることは出来ない。

 新潟では田んぼに水が無く、稲が枯れていたり、北海道では農作物に日照り被害が生まれている。また、乳牛牧場では牧草に虫が発生して牛が草を食べないとか、牛舎が暑くて熱中症で死んでしまう牛までいるという。北海道がこれほど暑いのは滅多に無いことで、異常気象だと専門家も言う。

 地球温暖化は工業生産が進み、炭酸ガスの排出量が増えたことにあるようだが、私にはそれだけでは無い気がする。地球は、氷河期があったり、熱帯化したり、気候変動を繰り返してきたようだ。地球に宇宙から星が落ちて来たこともあり、地球を包む大気に変動が生じたのだろう。

 私の説は、「地球の軸が少しづつ変化している」というもので、理科の先生だったカミさんは、「よくそんなヘンなことを思いつくわね」笑う。人間の力ではどうすることも出来ないから、どう乗り切っていくかをみんなが知恵を出し合い、対処していかなくてはならない。アメリカだ、中国だ、ロシアだと、国がいがみ合う時代では無くなったのだ。

 マンションの近く、床を高く盛り上げた立派な2階建てのコンクリート住宅が、先日から壊されている。家主は警察署の署長を退かれ、自動車学校にも携われた人と聞く。亡くなられて何日にもなるが、どうやら更地にされてしまうようだ。この辺りは駅に近く、新しい家がどんどん建っている。

 マンションは紡績工場の跡地に建てられ、隣りの小学校は田んぼだった。夏には蛙が鳴き、蝉の声もよく聞こえた。昨日はトンボが飛んでいた。日々の変化は小さいが、いつか大きく変わる時が来るのだろう。

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若い人たちに伝える機会が欲しかった

2023年08月28日 17時59分48秒 | Weblog

 私たちが井戸掘りをするきっかけは、阪神淡路大震災の後、ボランティアで現地に出かけた仲間が、「飲み水は自衛隊がすぐに持ってきたが、手洗いなど日常で使う水が無くて困った」と言ったからだった。

 「この地域ならすぐに水は出る。下水管の工事などを見ると、水が溢れてきて困っている。防災に備えて、みんなで井戸掘りをやろうじゃーないか」ということになり、「それならNPOを立ち上げた方が信用度が高い」ということで、非営利活動法人を発足させた。

 私たちの活動が新聞にも取り上げられ、この地方だけでなく名古屋市やその近郊の市や町、あるいは知多半島に住む人からも依頼があった。この地域の成功体験でいい気になっていたが、地域によっては全く水を汲み上げることが出来なかった。

 しかしコロナ禍で、依頼は一気に無くなり、井戸掘りに出かける機会は減った。それにNPOを立ち上げたのが2008年だから、もう15年になる。当初はやる気満々の先輩たちもすでに80代半ばを超えた。

 まだまだ口は達者だが、身体は言うことを聞かない。「いよいよケリをつける時ですよ」と、代表理事の先輩に提案する。恐らく継続することは無理なので、社員総会を開催してみんなで協議し、解散を決議することになるだろう。

 今日、皆さんのところに社員総会の案内を送った。ワイワイガヤガヤ、「もっと力を入れて」などと、楽しみながらやって来たが、けじめをつけるとなるとちょっと寂しい。発足当時は皆、若かったから出来たが、やはり井戸掘りは体力が無ければ出来ない。

 防災に備え、誰でも簡単に井戸が掘れる、そんな技術を伝えていきたい。若い人たちに引き継いでもらいたいが、仕事にはならないから、ボランティアでやるしかないだろう。本当は中学生か高校生、あるいは大学生に伝える機会が欲しかった。

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頑張れとムチ打つことも出来ない

2023年08月27日 17時39分45秒 | Weblog

 高校野球を観ていた時は、自然に「ガンバレ、ガンバレ」と口にしていた。でも、「ガンバレ」ってどこから生まれた言葉なんだろう。ガンバレを漢字で書くと、「頑張れ」になる。頑固にも頑強にも使われ、意志が固いことを指すようだ。

 しかし「張れ」は何かとまだ疑問が残る。調べると、一定の場所から動かずに「眼を張る」という説と、自分の考えを押し通す「我を張る」という説があり、いずれも比較的新しく生まれた言葉で、「頑張れ」になったようだ。

 言葉の乱れがマスコミなどで取り上げられるが、言葉は時代と共に変化するものだからやむを得ないだろう。この「やむを得ない」の「やむ」が、何を指しているのか知らずに使って来た。「やむ」は「止む」のこと、「得ない」は「出来ない」ことだから、「仕方がない」となるようだ。

 そんな細かなことを気にする必要は無いが、ブログを書いていても、こんな表記でよかったのかなと思う時がある。小説を読んでいて思うのは、最近の作家の本はスラスラ読めるのに、戦前の作家のものは漢字や言葉が分からない。

 新聞などは一般的な表記に基づいているはずだが、近頃はカタカナが多くて意味を理解するためにパソコンで調べなくてはならない。日本語でなぜ書かないのかと腹が立つが、カタカナ表記が一般的で理解しやすいということなのだろう。

 私はスマホを持つことを頑なに拒んでいる。周りはみんなスマホを使っているから、「便利だよ」と言ってくれるが、なかなか踏み切れないでいる。パソコンだって使い切れないのに、その上、スマホの操作が覚えられるのかと不安なのだ。

 昔は完璧主義で、いい加減なことが嫌いだったが、完璧にやり切っていたかと言えば、頑なだけが先行していた気がする。年寄りは頑固だからダメだと言っていたのに、私自身が頑固になっている。もう、頑張れとムチ打つことも出来ない。

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親の思いと子の願いは、時々すれ違う

2023年08月26日 17時22分03秒 | Weblog

 夏休みの最後の土曜日、この地域の夏祭りが小学校の運動場で開催されるため、朝から会場作りが行われている。昨日、名古屋へ出かけた時も、思った以上の人出だった。今朝も車を運転していたら、車列に入れない車がいたので、停車して前を空けてあげたら、入って来た車は秋田ナンバーだった。

 ノロノロ運転の私を追い越していった車は姫路ナンバーだったし、私の後ろの車は福井ナンバーだった。夏休みを利用しての帰省か、それとも旅行の途中なのだろうか。コロナ禍は収束した訳では無いが、もう我慢も限界なのかも知れない。私の父は教師だったので、夏休みはいろいろな所へ連れて行ってくれた。

 犬山城に行った時、三河線から知立で本線に乗り換え、名古屋駅からは犬山線だった。三河は広大な台地だが、尾張平野は水田が広がっていた。しかし、ところどころに低木が見える。「あれは何?」と父に訊くと、「桑の木だ。カイコの餌だよ」と教えてくれた。「農家が副業でカイコを育てて、絹糸を生産しているのだ」と言う。

 知多も三河も綿を育てて、木綿を生産していたが、地域によって違うことを知った。犬山城からの景色は絶景だった。母は怖がって身をかがめていた。桃太郎神社へも行ったが、どこでお昼を食べたのかは覚えていない。父が物知りで、子どもに伝えようとしていたことがよく分かる。

 私は親になると、父と同じことをしていた。修学旅行の前に、京都へ連れて行ったり、小さなマイカーを買ってからは、私が修学旅行で感激した富士山麓へは何度も出かけた。長女が「また!?」と言うまで私は、子どもたちは喜んでいると思い込んでいた。霧ヶ峰や八ヶ岳などの信州へと方向転換した。

 親の思いを子に伝えるのは親の務めと思っていたが、子どもたちには迷惑だったのだろうか。押し付けたり、縛るようなことはしなかったはずだが、親の思いと子どもの願いは、時々すれ違う。そんな投書を新聞で見て、そう思った。

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ようやく決断が出来た感じ

2023年08月25日 18時28分27秒 | Weblog

 午前中の一時期に激しく雨が降ったのに、気温はそんなに下がらず、相変わらず暑い日が続いている。私は午後、ペースメーカーのチェックのため、名古屋の中村日赤へ出かけた。暑い中でも、電車に乗る人、地下鉄に乗る人は、結構いる。どの人も自分のスマホ以外に興味がないのか、ジッと画面を見つめている。

 初めに心電図の検査を受ける。電極をセットして、10秒もかからずに終わる。本当にこんなことで何が分かるのかと思うけど、いつも「異常ありません」と検査室から送られて来た資料を眺めて医師は言う。ペースメーカーの上に丸い虫眼鏡のような形のものを近づけ、技師が数値を読み上げる。

 すると医師はやっと私に向かって、「問題無いですね」と言う。私はどうしても相談したかったことがあったので、「ひとつお聞きしてもいいですか?」と前置きし、昨年の7月にここの日赤病院に十二指腸潰瘍で入院して以来、血圧を下げる薬を飲んでいないこと、それでも血圧は朝は平均140-80、夜は一杯飲むので120-60で安定していると話す。

 「このまま血圧の薬は止めてしまってもいいですか?」と尋ねた。すると医師は「130あれば高血圧ですよ」と笑顔で言う。1年間も血圧を下げる薬を飲まなかったのに、血圧は安定しているのに、それではダメなのか。これまで通っていた医院は岩倉なので、車で出かけていたが、近くの医院に変わった方がいいのだろうか。

 私を日赤に、救急車で送り込んでくれた医師に感謝を告げて、これまでのことを話し、医院を変わる旨も伝えなくてはならない。ズーと気になっていたことなので、来週の月曜日にでも菓子を持って出かけよう。先生もどうなったのかと気にしてみえるかも知れないし、医院のスタッフの皆さんの顔も見たい。

 私は、「看取り」の医院は近い方がいいと思っていたから、ようやく決断が出来た感じだ。

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「自分で掴んだものが、真の力になる」

2023年08月24日 17時31分48秒 | Weblog

 薄い雲が空を被い、雨が降ったり止んだりを繰り返している。部屋の温度計は、気温28度 湿度79%。朝からエアコンは止めている。暑くは無いが湿気の多くて気持ち悪い。今朝、茨城の小3の孫娘からカミさんのところにボイスメッセージが届いた。体操教室で伊豆半島へキャンプに行ってたが、昨日、帰って来たという内容だった。

 孫娘は次女が40歳になる直前に生まれた一人っ子なので、身体は大きくなっても甘えん坊である。楽しかったと言いながら、「夜一人で泣いちゃった」と告白している。何事にも慎重で怖がりなところは、次女にそっくりだ。それが次女も気になるようで、娘には厳しく当たっているが、母と娘の気質は変わらないだろう。

 仙台育英の野球部の監督は、「人生はいつも敗者復活戦」と気の利いたことを言う。負けたらそれで終わりではない、そこからがまた新たな出発である。そんな監督に指導されてきた選手たちは、慶応の選手たちに拍手を送り、笑顔で称えていた。人生はいつでもやり直しが出来る。そう思って生きていって欲しい。

 私は自分では意識してこなかったが、やり直してばかりだった。思いがけず高校の教師になったが、組合の活動で知り合った仲間のひとりと見られ、鉄パイプで滅多打ちにされた。教師を辞めて調理師免許を取り、叔父の日本料理店で働いたり、歯科技工の仕事をしたりした後、自分で地域新聞を立ち上げた。

 「一緒にやろう」と言ってくれたのに、経理を見せてくれなかった社長に、「首長選挙に出馬します」と告げたら、「代わりはいくらでもいるから辞めてもらう」と言われ退職した。地域新聞は広告収入だけで運営していたが、広告収入は増える一方で、年間3千万円以上になっていた。さらに収入を増やすため、冊子も作った。

 どこの馬の骨だか分からない私を拾ってくれたのだから、感謝しなくてはならないのに、自分の意地を通してしまった。もっと上手くやることは出来ただろうが、変なところで意固地になっていた。それでも振り返ってみれば、充分に楽しく生きて来た。慶応義塾の野球部の監督は、「自分で掴んだものが、真の力になる」と言う。

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責任を負えない人はトップに立つべきではない

2023年08月23日 18時28分07秒 | Weblog

 甲子園大会は神奈川の慶応義塾が、宮城の仙台育英に8対2で打ち勝ち、107年ぶりの優勝に輝いた。我が家での予想は、仙台育英が小差で勝つだろうだったのでビックリした。初回に慶応の先頭打者、話題の色白イケメンの丸田選手がいきなりホームランを放ち、慶応の優勝を予感させた。

 夏の大会での先頭打者ホームランは、丸田選手が初めてという。優勝が決まった後、丸田選手の目には涙が溢れていた。選手も応援の人も、勝った方も負けた方も、みんな泣いている姿は高校野球ならではの光景だ。応援では慶応が圧倒的な盛り上がりを見せたが、仙台も負けじと応援し見応えがあった。

 勝敗は先発投手の起用にあったと、私は分析している。仙台が初回から高橋投手でいけば、展開は変わっていただろうと思うが、そんなことは終わったから言えることだ。先日のNHK大河ドラマ『どうする家康』は、小牧・長久手の戦いだったが、圧倒的な秀吉軍に対して数で劣る家康軍の戦いが焦点だったのに、よく分からない展開だった。

 よく分からないと言えば、名古屋市の河村市長の名古屋城の木造再建策である。確かに名古屋城は戦後、コンクリート造りで再建されたものだが、それを壊してなぜ今、木造で江戸時代の城を再現するのか、意味が分からない。河村市長は城主になったつもりかも知れないが、江戸時代からの城は全国にいくつもある。

 何もわざわざ木造で再建しなくても、充分に見学できる。障害のある人たちはエレベーターの設置を求めているが、「その費用は誰が負担するのか」と発言する不埒な人までいる。木造再建には莫大な費用がかかるが、税金をそんな河村市長の個人的な満足のために使うことの方が問題である。再建反対する市民の声もあるだろう。

 トップに立つ人は、全てに責任を負わなくてはならない。責任を負えない人はトップに立つべきではない。けれど、自分では意外に自分のことは分析出来ない。周りに言える人がいないと失敗する。今晩は慶応の優勝を祝って乾杯しよう。

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自分で始末も出来ないことには手を出さない

2023年08月22日 17時23分11秒 | Weblog

 いよいよ福島原発の処理水が海に放出される。福島原発事故から12年が経過し、原発を冷却する水や、原発に降り込んだ雨水や地下水から、放射性物質を除去してタンクに貯めてきたが、いよいよ限界に達したようだ。

 原発も完全に廃炉にすることも出来ない。原子炉から出た物質も完全に処理出来ない。そういうものを人間は各地に造った。電力を生み出す新しい仕組みと飛びついたのはなぜだろう。「儲かる」ことなら、後先を考えなかった結果である。

 「儲けなくてもいい」という思想は、人間には定着しないのだろうか。キリストだって釈迦だって、欲を持たないようにと教えたのに。どんどん人間は欲深くなっている。ドイツは原発を無くす方向に進んでいるが、各国はまだまだ損得が支配している。

 政府が処理水を海に放出する根拠は、国際原子力機関(IAEA)が「国際的な安全基準に合致」と評価しているからだ。中国や韓国は後ろ向きだが、アメリカをはじめとする先進国は海洋放出を認めているという。

 だったら、福島原発の沖の海に放出するのではなく、太平洋や大西洋あるいはインド洋や南極の公海へ、タンカーに積んで行って放出すればいい。そうすればきっと、日本人は何とという野蛮人かと非難されるだろう。

 いずれにしても、処理水は放出しなくてはならないのなら、世界中から非難を浴びても、世界中の海に放出する以外にないだろう。絶対に儲かることにも裏表があり、絶対に安全なことにも欠点はある。

 誰かが責任を取らなければならない。けれど、そういう人はいない。NHK大河ドラマ『どうする家康』を観ていても、責任を押し付けられる武将はいても、自ら責任を取るような武将はいない。自分で始末も出来ないことには手を出さないことだ。

 午後3時、南の空、名古屋駅前の辺りだけが晴れていた。すると雷が鳴り、雨が降って来た。

 

 

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