友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

星占いは絶好調

2008年01月31日 19時22分04秒 | Weblog
 今日で1月も終わりだ。2008年も12分の1が過ぎた。私は運勢とか星占いとか、全く信じないのだが、孫娘が星占いを見ていて、「1月10日から2月9日まで、絶好調だね」と教えてくれた。それによると「新年早々、運気好調。長年の夢がかないそう。仕事は欲張らず堅実な目標設定で1年間頑張り抜きましょう。パーティー、勉強会などすてきな出会いがある予感」とあり、「恋愛運は絶好調」とある。

 信じるとか信じないとかにかかわらず、毎日の新聞の運勢欄を見て、よいことが書かれていれば気をよくして働き、悪いことが書かれていれば気を引き締めて働く、そんなことを話していた人がいたが、それは占いの大きな効果だろうと思う。私は今年もよいことばかりが続いていると思っている。1月の半ばに中学時代からの友だち5人で新年会を行ったが、その席で、私は友だちに「俺たちを信じられないという発言は絶対許さん」と怒鳴ってしまったけれど、こんな63歳にもなってなお友情にこだわっていることが明らかになった。

 そればかりか、友だちの一人は薬剤師なので、私は「180とか190というような数値ではないのに、高血圧だと診断されて薬を飲まされている」と言って薬のパッケージを見せたところ、「この病院は開院したばかりではないか?」と聞くので、「そのとおりだが‥」と答えると、「馬鹿に高い薬を出している。私のカンだが病院を変えて診察してもらうことを勧めるね」と言う。ものは試しと思い、以来薬を飲むことを止めているが、これが吉となるか凶となるかは判らない。判らないが、星占いが「運気好調」というのであれば悪くはならないだろうなどと誠に勝手に解釈している。

 運勢とか星占いとかがどのような仕組みなのか知らないが、人間をよく観察してきた者ならそんなに大きく外れずにアドバイスはできるだろう。自分自身のことは意外にわからなくても、他人のことは案外わかるものだ。自分のことは他人のことのようにズバリと言い切れないのは、いろんなものがかかわりあっているのを知っているからだが、他人のことはただその一面だけを見ているから、適当なことが言えるということだと思う。

 人にはそれぞれ、歴史があり好みがあり価値観がある。実はたとえ夫婦であっても、他人が口出しできるものではない。それでもいろいろと話したり喧嘩したりしてものを言うのは、共有できる部分を探しているのであり、そしてまた、自分を確認することではないだろうかと思う。人間はとても孤独だけれど、だからこそ繋がりを求めているし、そうしなくては生きていけないのだ。

 今月が絶好調ということは、来月からは絶不調なのかと、ちょっと心配して、本当は何も心配なんかしていないのに、2月10日からの星占いを見ると、全体運は1ポイント下がっているが、そんなに大きな変化はない。ところが「恋愛は家庭的なところをアピールすれば好感度アップ」とある。何をどうするんだろうと一瞬考えてしまった。アレ?信じないとか言いながら信じている!? おーい、ボクの好きな人、ボクを愛して!
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「ワンハンドレッド アンサーズ」

2008年01月27日 22時20分04秒 | Weblog
 今朝の朝日新聞には「ワンハンドレッド アンサーズ」というページがある。各界で活躍する100人に質問してその回答を元に書いた記事だ。今日の質問は「アメリカは好き?嫌い?」というもの。答えは「はい27人、いいえ21人、その他・無回答52人」と記されていた。

 私はここでは多数派のその他に入る。アメリカは好き?と聞かれたら、最初に浮んでくるのはアメリカの風景であり、そして私が目にした人たちである。私はアメリカの東海岸には行ったことが無いし、アメリカは西海岸をホンの少しかすめたに過ぎない。真冬のロッキー山脈の中の小さな街の商店街はまるで、開拓時代のような町だった。隣町まで何十キロと離れていて、その間に1軒あるコーヒーショップでは老人夫婦が愛想のよく応対してくれた。

 9月のサンフランシスコはとても寒かった。ベトナム人のガイドは「日本のトヨタが世界一になる」と話していたが、そのとおりになった。彼は私たちのためにコースを変えてツインヒルから街全体を見せてくれた。カリフォルニアの首都サクラメントでは普通の家庭のパーティに参加したが、言葉の壁はあっても人種の壁は感じなかった。どこにいってもアメリカ人は愛想がよく親切だった。とにかくアメリカは広すぎる。人々はルールを大切にしているが、それだけに個人主義であることも確かだ。おせっかいなくらい親切だが、自分に干渉されることを嫌う。

 私は子どもの頃から映画が好きだった。映画といえばアメリカ映画ばかりだったから、アメリカ人の生活は映画を通して知ることが多かった。プールのある家、車、大きな冷蔵庫、そして1000CCはあるだろう牛乳をガブガブと飲む姿に憧れた。アメリカを嫌いだと思ったことは一度も無い。アメリカ政府の政策に「反対!」してデモ行進をしたが、アメリカを憎いと思ったこともない。アメリカ人の小説を馬鹿にしたこともない。アメリカという国家が国民と世界の人々に対して行っていることについて、アメリカ人の中にも批判的な人はたくさんいる。アメリカ政府の政策を転換させるだけの関心と力はまだ大きくない。

 多分どこの国の人々も、毎日の生活に流され、よほどのことが無い限り、現状に異議を唱えることはない。たとえどんなに自分が生み出した価値がピンハネされていると知っても、生活ができていれば、お上に逆らったりはしない。逆らうということは勇気がいるし、エネルギーがいる。流されていくことは、時には腹が立つことや空しく思うこともあるだろうが、逆らうためにはもっともっと大きな力が要る。ひとりの力では何もできないから、共鳴してもらうための努力が要る。

 質問の2つ目は、「あなたが大統領になったら」というものだった。その答えは十人十色であったが、高木博志・京都大学准教授の「(合衆国)憲法に『戦争の放棄』をうたい、地球規模の新たな不戦条約を提唱」に私は賛成する。100人の中の多くの人がアメリカ政府の政策転換を求めるような内容であったことは、それだけ日本人の私たちがアメリカ政府の政策に異議を唱えていることでもある。ではまた、日本政府の政策にはどうなのだろうかとも思った。

 さてさて、私は明日から九州へ出かけるので、このブログは30日まで休みます。
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現代社会の特徴

2008年01月26日 19時18分06秒 | Weblog
 夢を見たのか、現実だったのか、定かではないが、中学か高校の社会科の問題で「現代社会の特徴を述べよ」というものがあった。1917年のロシア革命で世界は大きく変わろうとしたが、1991年のソ連邦の崩壊以後、世界はアメリカを頂点とする同一経済となった。中国もベトナムもキューバも「社会主義国」と言うけれど、アメリカ経済に依存した国家となっている。

 中国を訪れた時、大都市にはマクドナルドがあり、若者たちの服装は日本や韓国の若者と変らなかった。けれども農村は昔ながらの生活であり、その差の大きさには驚いた。日本に働きに来ている中国人やベトナム人に、社会主義国家建設の意気込みを聞いたことはなく、彼らの関心はいかにして働いてお金を貯めるか、ということだった。

 世界経済はどうやら曲がり角に来ているようだ。アメリカ経済が思わしくない。その影響が出てきているという。アメリカが悪くても中国やインドが急成長しているから、まだまだ経済活動は伸びると見ている人もいる。私は経済について全くわからない。お金を預けただけで、なぜ利子がつくのか、理解できない。物を売ってなぜ利益が出るのかがわからない。お金を貸してくれた人、物を売ってくれた人への感謝をお金にして返すということなのだろうか、と考えたが、交換の証であったお金とは何なのか、わからないままだ。

 日本国内の経済活動が減速するのは当然だと私は思っている。どんなに生産を上げても、物を買う人がいなければ、経済は成り立たない。日本は人口減にあるのだから、物を買う人が少なくなっているということだ。そこで、少子化はダメだと産めよ増やせよとやるか、日本がダメなら外国があると輸出に力を入れるか、その二通りしかない。でも、地球の人口は爆発的に増えている。このまま、人口が増え続ければ、その分の食料や水をまかないきれるか心配されている。先進各国が国内経済の停滞から競って輸出に力を入れているのだから、摩擦は相当大きくなるだろう。それにエネルギーである原油や天然ガス、資材である鉱物資源、これらには限りがあるから争奪戦が始まっている。

 大変な時代だと思う。世界中の人々が、少なくとも世界の国家の指導的な役割を担っている人々が、時刻の利益だけでなく、50年後百年後の世界のために政治を実行してほしいと思う。片島紀男さんという人が書いた『トロツキーの挽歌』はまだ半分ほどしか読めていないが、トロツキーがスターリンとの闘いに勝利していたなら、世界はどのようになっていただろうと思ってしまった。歴史に「なら」はなく、トロツキーの暗殺を打ち消すことはできない。けれども、トロツキーに限りない敬愛と哀惜を抱いた人物が元NHKディレクターだったということは興味深い。

 今朝の中日新聞を見ると、犬山市の田中市長は瀬見井教育長を辞任に追い込もうとしている。大衆に目先の利益でなく、人の社会の理想を語ることは難しい。キリスト教でいう「原罪」というのは、実はこのような人間そのものの存在を言っているのかもしれない。
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日本語教室

2008年01月25日 21時29分08秒 | Weblog
 私は日本にいる外国人に、日本語を教えるボランティアをしている。昨年末までは週に2日、活動していたがそのうちの1日が今年から無くなった。会社で働くベトナム人に、日本語を教えてくれと言われて毎週も木曜日に出かけていた。それが会社の都合で就業時間内ではなく、午後5時30分からに変更になった。すると、日本語教室にやってくる人が減り始めた。多い時は7人も教室に来ていたのに、昨年の12月は2人の時が多くなった。今年の初めに会社から「しばらく休ませて欲しい」と電話が入った。ベトナム人は午後5時30分からでは残業手当が減ってしまうので、勉強よりも働きたいと言っているとのことだった。

 金曜日の夜も公共施設で、国際交流「マインド」の日本語教室があり、私はその責任者だから毎週必ず出かけている。こちらの教室も7・8人と多い時があるかと思えば、いくら待っても誰一人来ない時もある。何年か前までは南米からやってきた人たちが多かったが、最近ではトルコ人、ベトナム人が多くなった。この教室にもベトナム人が3人来ていたが、今はフィリッピン人の男女2人になっている。先週からネパール人が1人来ているので、3人だが、ネパール人の人は全く日本語ができない。そうなると先生は二人要るが、いつも必ず来てくれると限らないのに、もうひとりに来てくださいと頼みにくい。

 私がこれまでに接した外国人はみんないい人だった。「ふざけんな!」などと怒鳴りたくなるような人は一人もいなかった。みんな熱心に日本語を勉強していたし、真面目で、やる気もあった。しかし、仕事の都合や会社の都合や諸々の都合で、勉強を続けることができない場合が多い。仕事のことや会社のことには立ち入らないようにしているので、実際に彼らがどのようなことで悩み、なぜ勉強が続けられないのか、詳しいことはわからないが、兄弟や親子のように親しくなっても、ある日突然に来なくなってしまう。

 私が外国に行って、言葉が話せないと困ったように、ましてや彼らは旅行者ではなく、働くために日本に来たのだから、そのために勉強しようとするとても意欲のある人たちだから、私はなんとしても彼らの希望に応えたいと思う。日本語をどのように教えることがキチンと確実にマスターできるのか、そのためのカリキュラムはできないのか、思案している。

 私の知り合いも各地で日本語を教えるボランティ活動を行っているが、実際に見せてもらったけれど、来ている外国人の国や日本語の習得レベルや意欲やお金や、いろんな要因でやり方も違い、一律にはできないと感じた。教える側の人も、どこでもみんな悩みながらやっていることもよくわかった。私を日本の「お父さん」にして結婚したトルコ人から、可愛い赤ちゃんの年賀状が届いた。みんなが彼のように幸せな家庭を作られるように、力を貸せたらいいなと思う。
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「天国までの百マイル」

2008年01月24日 23時20分56秒 | Weblog
 昨夜は名演の例会で、劇団文化座による『天国までの百マイル』を観た。原作は浅田次郎、脚本が八木柊一郎、演出は原田一樹。浅田さんの原作だから、泣けるだろうなとは思っていたが、泣けた。本当によく泣けた。私以外は女性ばかりの4人で出かけたが、恥ずかしいかな私が一番泣いたようだった。アメリカ映画『再会の街で』を観た時も泣いてしまって恥ずかしかったが、近頃は本当に涙腺が弱くなった。

 『天国までの百マイル』は、4人兄弟の末っ子が心臓の悪い母親を東京から160キロつまり百マイル離れた千葉県鴨浦の病院へ、一人で連れて行く話である。これだけでは何もおもしろくないけれど、3人の兄姉はそれぞれ成功し、社会的にも経済的にも恵まれた地位を得ている。それは早くに父親を亡くし、懸命な努力をして得たものだ。末っ子の安男はバブル華やかな頃は、何億円もの金を動かし、銀座で豪遊していたのだが、バブルの崩壊で会社は倒産し、妻子とも別れて暮らす厄介者となった。こういう設定で話が進む。

 無気力でどうしようもない男の安男と暮らしているのがキャバレーに勤めるマリという女で、この女はまるで天子か女神のような存在だ。安男が別れた妻に仕送りしているお金もどうやらこのマリが工面しているようだ。彼女は自分のつらい過去がそうさせるのか、「落ちぶれ、惨めになった」男を放っておけない。せっせと面倒を見るが、男たちは2年もすると「みんな元気になって出て行く」とマリは言う。

 兄弟が誰も面倒を見ない母親を鴨浦の病院へ連れて行けば「きっとあなたの人生は変る」と、マリに励まされて安男は決心する。おんぼろ車にマットを敷き、ずれないようにしっかりと留め、隙間風が入り込まないように目張りもして、母親を助けるのは自分だという強い決意で百マイルただひたすら前へと走る。病院へ無事に到着し、母親は手術する医師に「手術が成功しなかったら、自信を取り戻そうと私をここまで連れてきたあの子がかわいそう」と訴える。

 無関心あるいは冷静な人、それに対して人に厚くおせっかいなくらいおひとよしな人、浅田作品が描く人間模様だ。わかっているのにやはり泣けてしまった。マリは、安男が元の妻と仲良くやれるように段取りをして、自分は安男の見えないところへと去ってしまう。『天国までの百マイル』は、百マイルを運転した安男が主人公ではなく、そうさせた、安男を立ち直らせたばかりか元の家族で暮らせるようにさせた、マリが主人公だったのかと最後にわかった。

 うらぶれて、どうしようもない、家族みんなの厄介者だが、マリは安男が好きだから、好きな男に幸せになってもらいたかったのだ。女性群に言わせると「そんな男に都合のいい女なんていないわよ。男のエゴ!男の願望!」と切り捨てられてしまった。無念!でも男はあきらめずに探し求めるだろう。
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未熟の晩鐘

2008年01月23日 23時15分04秒 | Weblog
 テレビから流れてくる若い歌手の歌を聴くと、歌もうまいけれど、本当にいい詩を作るなと感心する。まだ名前が覚えられないが、たとえばレコード大賞をとったコブクロの歌も、紅白に出ていた何人かの女性シンガーの歌も、心に響いてくる。以前、ここで書いたことのある『哀愁(エレジー)』は、歌っている平井堅の作詞と知って驚いた。

 長女から聞いた話では、私が「この詩はいいね」と言ったものの大半は、歌っている本人が作ったシンガーソングだそうだ。シンガーソングライターは昔からいた。私たちの若い頃はフォークソングが流行っていたけれど、彼らも自ら作詞作曲をしていた。考えてみれば歌が庶民のものになった時から、みんな自分たちで作り上げて歌っていたのではないだろうか。そうしてビートルズはイギリスの港町に留まらず、世界を風靡してしまった。

 中村中が15歳の時に作ったという『友達の詩』を聞いて、私は彼女(?)の足元にも及ばないなと思った。「大切な人は友だちくらいでいい 手をつなぐくらいでいい 並んで歩くくらいでいい」。これが15歳の詩かと感心した。どうしてこんな素敵に、恋の歌や悲しみや喜びの歌を今の若い人たちは作ることができるのだろうか。その感性の鋭さが胸を打つ。

 そんなことを思っていたら、小椋佳の最新アルバムが聞きたくなった。『未熟の晩鐘』の題名どおり、収められた歌はどれも人生の終末を感じさせる。タイトルとなった『未熟の晩鐘』では、「落日の影 否めず 残照か薄暮か」とあり、「悟りより 迷いを 背負う道の果て」「悟りとは 無縁の 未熟を愉しむ」と続く。『もうと言い、まだと思う』では、「もう やるべき事は何もかもやってしまったと言い まだ やりたい事のいくつかは果たしていないと 思う」「命の立ち位置 いつも坂道 もうと思えば下り坂 まだと思えば上り坂」と歌う。

 老年でありながらも、たとえば『自由と孤独』では、「自由のベクトル高く伸ばせば 孤独のベクトルより深み増す 自由と孤独 一枚の金のコインの裏表」と看破する。だからこそ『岩漿(マグマ)』ではどうしようもない心の動きを歌っている。「知性も理性も関わるのはほんの一部 意識の制御の及ばぬもの マグマの技 私の知らないそのマグマも私自身 欲望 情念 衝動など 胸底から休まず私を突き動かすマグマの熱」「そもそも理性や意志の働きでなく どうしようもなく人が恋しくなり マグマの力で人を愛し始める」。

 これも倫理を超えた歌だと推測しているのだが、『美味しい時間』では、「君に逢いたい 逢いたいと 動く心が今嬉しくて」「君に触れたい 触れたいと騒ぐ心が今嬉しくて」「君を讃えたい 讃えたいとはしゃぐ心が今嬉しくて」と吐露している。どうも人は年齢に関係なく、恋する人を追い求めてしまうもののようだ。理性と常識でこの気持ちを制御しているのだろうが、どうしようもなく狭間で揺れ動いてしまう。神に許しを乞うこと自体はおかしなことであっても、そう願わずにいられないのだと思う。
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自分の世界へ戻ろう

2008年01月22日 22時49分07秒 | Weblog
 最善を尽くしたつもりでも、人から見れば却ってそれは腹立たしいことだってある。私は近頃、腹立つことが無くなってしまった。むしろ、心の行き違いの悲しい思いが強い。政治のことでも、制度のことでも、腹が立つというより何だか悲しいね、そんな気持ちの方が強くなった。

 愛知万博がまだ決定される以前のことだが、反対派の人々が万博事務局の現地視察の際に、その人たちが乗ったバスの前に立ちふさがり、横になって運行を妨害したことがあった。新聞は「反対派の非常な行為だ」と報じたが、私はこの記者をよく知っていたから余計に、この記事には腹が立った。

 力の無い者が力の有る者に、自分のあるいは自分たちの意思を伝えようとする時、非常な行為のほかにどんな方法があるとこの記者は考えたのか。新聞は力の有る者よりも力の無い者に手を貸すべきではないのか。そもそも新聞の果たしてきた役割は、事実を報道するだけでなく、事実の奥にある問題を解き明かすことのはずだ。

 親しかったその記者が、問題を掘り下げるのではなく、一刀両断に反対派の行為を非常と決め付けたことが腹立たしかった。自治体が市民のためにあるのではなく、力を持った一部の人々のために運営されてしまっている現実に腹が立った。それは故意というよりも知らず知らずのうちに、円滑に運営していくための方策となってしまったがために、甘い蜜となり、それをよいことに意識して集まってくるものがいることに腹が立った。

 けれども今、新聞記者は彼なりに問題を掘り下げた上で、やはり反対派の行為は非常なものだと考えたのかもしれないと思っている。なぜなら実力行使による阻止行動は、テロと同じ構図だと考えているようだから。行動ではなく思考でものごとの解決を図るべきだと主張しているから。

 私もただの一人の市民となり、年老いたせいもあって、何事にも無頓着になりつつある。腹が立つことがだんだんとなくなってきている。私の小さな世界、私だけの世界に舞い戻ろうとしている。子どもの頃のように、何事にも自信が無く、引っ込み思案で、自分だけの世界に引きこもろうとしている。
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信頼するしかない

2008年01月21日 17時12分20秒 | Weblog
 もう4日間も、年老いた大人が3人、角つき合わせて「これはこうした方がいい」とか「この表現はわかりにくい」とか、1日平均でも5時間ほどだから、もう20時間もやっている。今日もこれから最後の仕上げだというので、少々頭が痛い。けれども、夢中になれる人は強いと思う。

 私よりも10歳と4歳年上の方たちだが、実にエネルギッシュだ。それにやはり年寄りは頑固である。私自身も人から口出しされると、つい反論したくなってしまうが、頑固な人はおおむねその傾向が強い。私は否定するつもりはないけれど、「それは独りよがりではないかな」と発言したところ、「あんたがわかっていないからだ」と逆にやり込められてしまった。

 言葉は相手に伝えなくてはならないから、こういう展開では説得力が弱いのではないか、そんなことを問題にしたかったのだが、なかなか受け入れてはもらえない。私も言い方をちょっと反省しなくてはいけないなと思うときがある。特に議論などした場合に、どうも極端なことを言うクセがある。極端なことを言うことで、ものごとの本質をハッキリさせたいと思うのだが、それが相手を傷つけてしまうことがよくある。

 先日のブログで「不倫の結末は悲しいね」と書き、「男は、私からすれば、どうしてこんなうすのろなアホな男に惚れるのか、と思うような中年男で」と続けた。私のブログを読んだ友だちが「彼からすれば、さしずめ、私も『どうしてこんなうすのろなアホな男』の一人なのだろう。私は、いつの間にか、他のカップルがどんな話をしようが、どんな行動をしようが余り気にならなくなってしまった。(略)相手を心底、愛し、今二人だけの時間を共有しているのであれば、尚更の事である」と、彼のブログに書いていた。

 私のブログの書き出しは「老いてからの恋は悲しい」と、同年代の同病者の呼びかけの形をとっている。彼も書いているように「人それぞれの付き合い方があり、愛し方がある」。私は極端に「どうしてこんなうすのろなアホな男」と書いたが、実際のその中年男性は男の私が見てももてそうなタイプだった。私としては、人それぞれの付き合い方があり、愛し方があると伝えたかったが、「彼からすれば、さしずめ、アホな男の一人」と書かれてしまったのはショックだった。

 友だちをそんな風に一度も思ったことはないのに、また傷つけたような気がして胸が痛い。いつだったかのミュージックフェアというテレビ番組で「恋愛は言葉である」と言っていた。言葉がなくては気持ちは伝えらないのに、その言葉が誤解を招いたり、人を傷つけたりしてしまう。怖いけれど、頼るしかない。
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「僕は妹に恋をした」

2008年01月20日 23時00分11秒 | Weblog
 孫娘が父親に買ってもらったDVD『僕は妹に恋をした』を、友だちみんなが我が家にやってきて見たという。「パパちゃんは見ると興奮するよ」と孫娘が言うので、「じゃあー、見てみようか」ということになり、晩御飯の後で見た。孫娘が「絶対見るといいよ」と言っていた『恋空』によく似ている。残念ながら私たちの高校時代とは全く違っていたが、だからといって「恋」を馬鹿にする気は全くない。「恋」は時代が違っていても同じだと思うからだ。

 『僕は妹に恋をした』は双子の男の子と女の子が互いを恋してしまう話だ。今、思い出せないが小説の中にも兄妹でありながら、恋してしまうものはあったように思うし、日本書紀でも兄妹が夫婦となり子どもをもうける話があったのではないか。兄妹であったとしても、男と女に変わりなく、他に心動かされる異性がいなければ、もっと言うならば、もっとも身近にいる異性なのだから、恋が生まれても不思議はない。それは、兄と妹だけに限らず、父と娘であることもあるし、子と母であることもある。

 あのギリシア悲劇『オイディプス王』は、子が生母と結婚している。もちろんこの話は親子と知らずに結婚してしまうのだが、それにしても恐ろしい悲劇だ。人はこのように空恐ろしい存在だということなのだろう。私は高校生の時、中学から好きだった女の子がいた。いたにもかかわらず、毎朝、私がいた新聞部の前を通って音楽室に通い、ピアノの練習をしている女の子が好きになった。そればかりか、スタンダールの『赤と黒』のように、成熟した女体に憧れていた。私はキリスト者になりたいと思っていたのに、自分が獣の本性であること悩んでいた。

 大学生になった時、高校時代の友だちで合宿を企画した。その時、私は自分がこのように矛盾した存在であることを、「人間は決してきれいな存在ではない。表と裏が共存する」というようなことを発言した。すると、友だちの一人が私に飛び掛ってきて、怒った。なぜ、彼が飛び掛ってきたのか、私には未だにわからないが、未だに私は罪深き人間から逃れることができずにいる。

 『僕は妹に恋をした』を孫娘はどのように受け止めたのだろう。「兄弟ではいやだけど、こんな恋ができたらいい」などと、中学1年生のクセに言う。こんな恋とは好きだとはっきりいってくれる、相思相愛ということなのかもしれないが、「恋」はお互いが求め合い、そしてそれゆえに傷つけあうこともまたその範疇にある。それを知るようになるのはいつのことなのだろう。

 それにしても、高校生でキスしたり、肉体の喜びを知る今時の若者はうらやましい。決して踏み外してはいけないということであっても、欲望は大きな力で人の倫理を破壊していく。悪魔は神よりも巧みなのだ。それにしても、『僕は妹に恋をした』の母親は高校生になった子どもを二人だけの部屋に置くことの危険がなぜわからないのか。悪魔に手を貸すようなものだ。高校生なら当然の結果ではないかとさえ思える。

 孫娘が「これでどうなるの。結末がわからん」と言う。私はあえて解説はしなかったけれど、映画では男の子が女の子を負ぶって歩き、10歩目に来て、「これで終わりだよ」と言うが、二人の恋もこれで終わりだよということだろう。倫理を超えた「恋」は、いつか終わりが来る。いういやそもそも「恋」には、いつも終わりがある。終わりが来るまで、恋におぼれなさい、恋に甘えなさい、それが恋というものだと思う。

 私には退屈な映画だったけど、孫娘たちには心躍る映画だったとしたら、やはりそれは歳のせいでしょう。
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幸福論

2008年01月19日 18時36分30秒 | Weblog
 『高蔵寺ニュータウン夫婦物語』の著者、津端修一さんご夫妻からいただいた今年の年賀状は次のようだった。

 「○ 高蔵寺ニュータウンの開村を、ご縁があってお手伝いして、もう45年。その中に、30余年かけて育てた、私たちの雑木林が一際目立ちます。300坪の土地に、レーモンドさんの丸太小屋をたて、200坪のキッチンガーデンでは毎年120種以上の野菜・果物づくりを楽しんでいる暮らし。種をまいて収穫しては、「よくできたなあ」と上機嫌な私たち。それを友人たちにプレゼントできるなんて、キッチンガーデンがあればこそ。「贈ったり、貰ったりするものの中では、“上機嫌”がおすすめ。これは、何よりも贈り主をゆたかにするからです」と、アランの『幸福論』にありました。

 ○ 歳をとれば、若いころの友人たちが、だんだんと少なくなるのは当たり前。だから、プレゼント大好きになって、新しい友人を増やす工夫も大切です。「ああ、だんだん若く美しくなっていくような、そんな人生があったら、さぞいいでしょうねえ」と、『チェーホフの手帖』に見つけました。でも、「だんだん美しくなる人生」を設計するのは夢ではないと、プレゼント大好きになった私たちは、本気で思っています。今年、83歳・80歳になる二人。さあ、もっと上機嫌で暮らすことにしましょう。」

 お二人の生活ぶりが目に見えるようです。“縁”あって、私も一度ご夫妻の家を訪ねたことがあります。山の中のような静かなたたずまいで、お二人の生活が積み重なった安心感というのか、懐かしさというものが漂っていました。私は大学生の時、私の指導教官であった家で書生のような暮らしをしたことがあります。津端先生も大学の先生であっただけに、そうした文化が熟成されていく重厚な雰囲気があり、それが私に懐かしく感じられたのだと思います。

 アランの『幸福論』は、大学生の時、指導教官の女子大生の姪っ子のレポートを手伝った時に読みましたが、そんなことが書いてあったのですね。物を頂くことは確かにうれしいし、私は贈り物をして相手が喜んでくれた時は、頂いたとき以上にうれしくなってしまいます。物よりも、そこに漂う“上機嫌”がおすすめなのですね。『チェーホフの手帖』の「だんだん若く美しくなっていくような人生」は、もちろん人間の願いでしょうが、私は池田晶子説です。人はいつか朽ち果てます。それを拒否することはできないのだから、生きていることを大切にしたいと思います。

 さて、今晩は男どもが集まって、これからのリサイクル社会の在り方について論議することになっています。飲みながら話すことが一番よいアイディアが生まれると信じる人たちの集まりですが、果たして何が生まれるのかと私は危惧しています。もう時間がないので、これで失礼します。
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