友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

明日と明後日は夏祭り

2015年07月31日 17時47分16秒 | Weblog

 昨日も暑かったけれど、今日はもっと暑い。温度計を見ると、室内なのに35度もある。明日からの夏祭りが思いやられる。こんなに暑いから冷えたビールは絶対に売れるのに、今年はアルコール類の販売は禁止だ。祭りで酒が売れないというのだから、アルコール類は一切ダメなのかというと、持ち込むのは自由という。要するに何か問題があっても、市民屋台ではアルコールは販売していませんと逃れることが出来るということだ。

 鮎を焼く人たちも、焼き鳥や焼きそばの担当など、火の側での作業だから口が渇く。昨年まではビールを飲みながら作業をしていたけれど、今年は店内で飲むこともダメだというから地獄の2日間になるだろう。ギアチェンジの軽トラを運転できるのは私しかいないので、運搬係の私は祭りの間は1滴のビールも飲まない。全てが終って、「ご苦労さん」と言われて飲む冷たいビールは最高に美味しい。「皆さん、今年は我慢ですよ」。

 明日からの祭りに向けて準備をする。値札書きは先週の第1弾の時にしておいた。今日はグループの旗、ネームプレートなどの飾りを点検し、新しく用意するものを作った。カミさんが「そういうことが本当に好きなのね」と言う。そう言われてみると、誰かに頼まれたわけでもなく、絶対に必要というわけでもないのに、作っているのは確かに好きなのだろう。考えて、手を動かして、作り上げるのが楽しいのだ。

 東京オリンピックのシンボルマーク(エンブレム=標章)が「盗作では?」と話題になっている。ベルギーの劇場のロゴとよく似ていることや、スペインの作品と色合いが同じと指摘されている。東京オリンピックのデザイナーがどういう人なのか私は知らないが、デザインの世界ではよくあることだ。オリジナルな作品を作ったつもりでも、以前どこかで見た作品が頭にあって似たものになることはある。スペインのデザイン事務所は「ヒントになっていたなら、光栄です」と述べたそうだが、そうであって欲しいと思う。

 7月も今日で終る。歳を取ると時の流れが速いというが、何もしないうちに歳ばかり取ってしまう。大和塾の長老から「敗戦の経過やポツダム宣言の受託、国民がどう受け止めたか、知っている年寄りは伝えておく義務があるので、一度そういう機会を作ってくれないか」と言われた。願ってもないことだ。改めて、憲法論議をしてみたい。

 明日と明後日は夏祭りのため、ブログは休みます。

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虐殺は人間の本性なのか

2015年07月30日 19時10分28秒 | Weblog

 「人を殺す時は夢中だった」と、戦地に行った人は言う。殺していいのか?などと考えていたら逆に殺されてしまう。何も考えずに手当たり次第殺してしまったのだろう。人はどうして人を殺すことが出来るのだろう。殺すほどの憎悪はどこから来るのだろう。大量殺戮はなぜ止められなかったのだろう。そんなことが頭の隅にあり、日本モンキーセンターの講座『サルに学ぶ、人間の不思議』を聴きに行った。

 今日は、中部学院大学の公開講座で日本モンキーセンター所長の松沢哲郎教授の『知の探検 虐殺の成り立ち』を聴いて来た。松沢先生はいろんなサルの話とともに、実際に行って来たというアウシュビッツ、ルワンダ、クメールルージュの大量殺戮の写真などを見せ、「これは実際にあったことです」と前置きした後、虐殺がどうして行なわれるのかを推論していった。夏季の集中講義の1つなのか、大勢の大学生が聴講していたし、特別に県立高校の生徒も何人か聴きに来ていた。

 松沢先生の話は若い人たちにもよく分かるように、淡々と事実を見せながら、一挙に核心に迫る。私たちの仲間でもあるチンパンジーは仲間を殺さないかと言うと、実は縄張りを越えて入ってくるヨソのチンパンジーを7・8匹のチンパンジーが襲いかかり、喉を噛み切って殺してしまう。自分の血を受け継いでいない赤子も殺してしまう。人間が進化したものであるなら、その残虐性も受け継いでいると松沢先生は言う。

 人の殺戮には4つの要素がある。1)殺す人 2)殺される人 3)殺せと煽る人 4)傍観する人。1)と2)はチンパンジーに見られるが、3)と4)は人間社会だけに見られる特徴である。殺戮を「いじめ」に置き換えてもいい。煽ることと傍観することが、チンパンジーと違う人間の本性といえる。ところが同じ、仲間でもボノボはヨソの群れと争わないばかりかSEXしてしまう。ボノボも人間の仲間だから、ここに希望がある。

 松沢先生は、煽ったり傍観したりがなくなれば、殺戮もなくなるのではと考える。感情を伝達することや想像する力を高めることなど、人が持っている能力で虐殺を押さえ込むことが出来るだろうと結論する。教育と想像力こそが新しい世界を作り上げると私も賛同する。

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猛暑が続いている

2015年07月29日 18時21分40秒 | Weblog

 

 茹だるような暑さが続いている。幸いなことに、我が家のルーフバルコニーは西側にあるので、午前中は日陰で涼しいが、午後は日差しが強く、冬季は北西の風が強くて出ることも出来ない。午後からの日差しを避けるため、テントを張っている。午前中はここにテーブルとイスを出して、コーヒーを飲みながらの読書という贅沢を味合う。

 新国立競技場の建設は安倍首相の一言で白紙に戻ったけれど、競技場を1つ造るのに「2千5百億円だ」「いや3千億円以上かかる」と軽く言ってしまうのも、他人のお金つまり税金だからだろう。自分が出す時は、お金はかけないが自慢できるものをと智恵を絞るのに、税金の使い方は湯水のようだ。

 建設費で高すぎると言っていたマスコミが、オリンピックとなると「国威高揚」を騒ぎ立てる。地元開催のオリンピックだから、金は何個以上とメダルの数を口にする。オリンピックの意義はクーベルタンが言ったように「参加することにある」のであって、メダルの数ではないはずだ。メダルが取れた国は自慢だろうが、メダルのない国の方が多いだろう。

 「韓国にメダルの数で負けるのは悔しい」と敵対心を煽る。メダルを取るためには子どもの頃からの強化選手の育成が大事だと言い張る。そうして育てられて花開いた子を否定する気はない。自分の持っている才能が開花し、世界に通用するなんて素晴しいと思う。それでも、オリンピックのメダル獲得のためだけに育成していいのだろうかと思う。

 私は国別対抗のオリンピックに反対だ。世界一速い、世界一高い、世界一強い、それを決めたいという気持ちは分かるし、見ていてドキドキする。頑張れ、頑張れと応援したくなる。個人やチームの対抗ならこれほど過熱することはないだろうが、国対抗となると選手の育成に韓国は100億円かけているのに、日本の25億円は少な過ぎると言い出す。

 朝、目覚めて、「今日一日生きていられるだろうか?」と悩む貧困な人がいる国で、メダル獲得のため何百億円つぎ込み、競技場建設に何千億円つぎ込む。地方自治体の予算の10年分や20年分がいとも簡単に組まれていくが、本当にそんなことでいいのだろうか。暑さのせいで狂っているのは私の方なのだろうか。

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役に立たないものこそが大事なもの

2015年07月28日 17時51分19秒 | Weblog

 朝、6時半に起きてルーフバルコニーに出て、植木鉢の花たちを見て回る。咲き終わったサルビアや日日草を花の茎から取り除いていく。枯れた葉が次の葉の成長を妨げないように、黄色くなった葉を取り除く。そうすることで新しい花が咲き、新しい葉が育つ。草花の成長は手をかければかけただけ応えてくれる。

 「役に立たないものは見直したらどうか」と文部科学省は考えているようで、全国の国立大学に人文系学部の廃止や見直しを検討するように通知を出した。先回も全国の国立大学の学長を集め、式典で日の丸の掲揚と君が代の斉唱を要請している。「国立大学なら当然」ということらしいが、安保関連法案といい、安倍内閣の政策はどれも実利を求めキナ臭い。

 国益が強く言われる時は、いつも危険な国家が生まれる。反対に、「役に立たないもの」が蔓延った時は、平和な時代で文化が育つ。「役に立たないもの」の対極にあるのは「役に立つもの」で、科学や物理や医学で、その基礎は数学かも知れない。中学までの数学は、分かっている答を計算することだったが、高校で「数学は論理学だ」と教えられ、目からウロコだった。

 芸術、たとえば音楽は人の心を癒す働きがある。舞台や小説もいろいろと考える材料になる。考えること、人生についてあるいは恋愛について、本当に何の役にも立たないのかと言えば、私はそう思わない。文部科学省が「企業で即戦力となる人材を養成する」ことが教育の目的と考えているとしたら、そこには「効率」という価値観しかない。

 先日、カミさんの妹が「いろんなことがあって回り道もしたけど、幸せな人生だったと思う」とポツリと言った。まっしぐらに幸せな道だけを歩く人はいない。紆余曲折があり、どん底を見た人もいるだろう。それでも平和だからこそ、「幸せな人生」と言える。戦争体験が新聞に掲載されているけれど、戦争になれば「役に立つもの」は尊重され、「役に立たないもの」は切り捨てられる。役立たない人生を送ってきた私は実利には縁がないが幸せだった。

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母校の活躍を喜ぶ

2015年07月27日 18時21分02秒 | Weblog

 夏の甲子園大会に向け、各地方で熱戦が繰り広げられている。娘たちが卒業した高校は年を追う毎に野球部が強くなってきた。愛知県で一番甲子園大会に出場している中京大中京と戦い、結果は負けたけれどほぼ互角の対決だった。私の母校は元巨人の槙原寛己投手の母校と対戦し、延長11回サヨナラ勝ちをしている。私が在学していた頃は、野球部はカッコイイ男が多かったけれど、強い印象はなかった。

 母校はサッカーの名門校で、体育の授業もサッカーをすることが多かった。サッカー部の連中は学業の成績は振るわなかったけれど、ガッチリした身体で気のいい奴らだった。私が生徒会長を務めた2年の冬、中京高校を破り全国大会に出場することになった。しかし、全国大会出場は久しぶりのことで、応援団がなかったので、就職が決まっていた3年生の先輩に団長になってもらい、応援に行ってくれる生徒を募集し、即席の応援団を結成した。

 応援団づくりからバスの手配など、今思うと夢中になってよくやった。1回戦で負けたからよかったけれど、あれが勝ち進むことになったら、校長に談判して金を作らなければならなかっただろう。1月4日だったか、兵庫県西宮での戦いはとても寒い日だったということしか覚えていない。大学生になった時、高校の体操服で体育の授業にいくと教官が「サッカーが強いな」と言ってくれた。

 私は野球よりもどちらかと言えばサッカーの方が好きだ。足が速かったということもあるが、サッカーは格闘技に似たところがあって面白い。身体の小さな私でも走り回ればチャンスがやってくる。ただ、メガネがなければ何も見えないから、ぶつかってメガネが吹き飛んでしまうと何も出来なくなった。メガネを壊して父親に余分な出費をさせたことが気になり、思い切ったプレーが出来なかった。

 野球は兄が好きだったので、キャッチボールをさせられた。小学校の時は子ども会の軟式野球チームに無理やり入れられた。足が速かったので、指導していた「兄チャン」に見込まれて絞られたが、面白さが少しも感じられず、こんなに暑いのになぜやるんだと不満に思っていたから全く上達しなかったのに卒業するまで絞られ、本当に苦痛だった。

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人の心に寄り添うことは難しい

2015年07月26日 17時44分54秒 | Weblog

 暑い。疲れた。市内の小さな町内会の夏祭りに参加して3年目、今年は特に暑かった。祭りが始まるのは午後5時だが、準備もあって8時に集合し、軽トラックを借りてきて道具を載せ、祭り現場に行く。すこし、動くだけで汗が滴り落ちる。午後3時に女性軍と子どもたちを迎えに行き、それぞれが担当するメニューの準備にかかる。私たちのグループの名物、鮎の塩焼きの担当者はもう炭火を起し、鮎の串刺しを始めている。

 余りの暑さは夕方になっても、陽が落ちて暗くなっても、少しも変わらない。暑さのせいなのか、人がなかなか集まってこない。「今年は凹むなあー」と話していると、いつの間にか狭い広場に人が繰り出して来ていた。「やっぱり、暗くならないと祭り気分にならないのかな」と先輩は言う。会場を見回すと、小学校の高学年から中学生が一番多い。その次は小さな子どもをつれた親子で、どこの祭り会場でも見られる年齢構成だ。

 日進市の高校生による高齢者の殺害事件が新聞に載っていた。昨日は「小遣いもらえず不満か」の見出しで、少年が友人に預けたサバイバルナイフに殺害された高齢者のDNAが付着していたこと、刃の形が遺体の傷口とほぼ一致したことが書かれていた。記事でビックリしたのは、ナイフで人を殺害する方法をインターネットで調べていたことや、捜査が自分に及んだ場合に備え、警察の追及をかわす想定問答を準備していたことだ。

 凶器に使ったサバイバルナイフを友人に預けたり、返り血を浴びたシャツやズボンを隠し、同じものを新しく買うなど、稚拙な証拠隠滅を図っている。また、今朝の新聞は「夕飯のことで叱られた」の見出しで、夕飯を全部食べたのに、捨てたのではないかと言われたと、「家族と仲が悪く、ストレスがたまっていた」ことの中身に触れていた。そして犯行後は、強盗殺人などの罪の重さや少年法の刑事手続きなどもインターネットで調べていたとある。

 両親が離婚したために祖父母と叔母の家に預けられた少年は、祖父母の真面目に育てなければという思いが重りになっていたことだろう。悩みを話す家族はいないばかりか、何かにつけて「指導」され続けてきたに違いない。思春期から青春期へと育っていく肉体と心の変化を受け止めるには祖父母では無理がある。愛情が憎悪のように少年は感じられただろう。人の心に寄り添うことは難しい。

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責任を取らないリーダー、強いリーダーに憧れる国民

2015年07月24日 18時21分29秒 | Weblog

 明日は夏祭りの第1弾。値札書きは私の担当なので、朝から書き初めて準備した。1年に1回、筆を持つが、やはり緊張する。それでも書いていくうちに慣れてきて、初めに書いたものより後で書いたものの方が文字の勢いがいい。天気が心配だったけれど、台風12号は西に逸れ、明日も明後日も快晴のようだ。それはそれで、熱中症を心配しなくてはならない。最近の私はどうも前向きさに欠けている。

 新国立競技場の建設が二転三転し、結局、安倍首相の「白紙に戻し、ゼロベースで見直す」ことになった。1300億円の予定が3000億円に膨れ上がり、一度は1625億円になったけれど、ゼネコン側が「それではラグビーW杯に間に合わない」と言い出し、再び3000億円が浮上。これが叩かれて2520億円に落ち着きかけたが、世論調査などで「高すぎる」と騒ぎ出され、安倍首相の決断となった。

 これだけを見ると、安倍首相は国民の不満を解消してくれたようにみえる。安保関連法案の審議で支持率が低下している安倍首相にとって、国立競技場問題は人気回復の絶好の機会であった。3000億円が話題となっていた時の安倍首相は全く関心がなかったのに、よく平気で豹変できると思う。何でも自分に都合よくするのが政治家の特技であることを安倍首相は見せてくれたが、これで本当に支持率が上がるなら、国民は何を考えているのかと思う。

 安保関連法案が衆議院を通過した後、小泉進次郎議員は早くも「国民の理解を得られていない原因をつくった一端は自民党自身にある」と発言したのも、先を見越した戦略だろう。お父さんの小泉純一郎氏が「自民党をぶ壊す」と発言したことに通じている。「改革者」ぶる姿に国民はすぐ騙される傾向にある。それに内容を吟味もせずに、強いリーダーに憧れるのも国民の傾向である。

 新国立競技場の建設が3000億円に膨れ上がった責任はどこにあるのかとなると、日本スポーツ振興センターも監督する文部科学省も五輪組織委員会も有識者会議も、「ウチではない」と言う。五輪組織委員会の森喜朗会長は「私は大変迷惑している」「私はあのデザインは嫌いだった」とか言い、責任はどこにもないような発言さえしている。日本人のリーダーは昔から責任を取らない。先の大戦でも責任は結局ウヤムヤのままだ。国民の傾向とリーダーの体質はリンクしているのだろう。

 明日は夏祭りのためブログを休みます。

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ロック歌舞伎?『新版 義経千本桜』を観る

2015年07月23日 19時18分41秒 | Weblog

 『新版 義経千本桜』を観て来た。歌舞伎の十八番を現代風に解釈し、ロックミュージカルのような仕立てだった。姪っ子の3男は声優志望だったが、上京して舞台俳優の仕事をするようになった。東京での公演が多いが、今回は名古屋市北文化小劇場で演じるというのでぜひ観に行きたいと思った。北小劇場は数ある中でも花道を有していて、歌舞伎もどきの芝居には向いている。客席は300席を切るけれど、花道の横には升席もあり、昔懐かしい感じもする。

 歌舞伎の『義経千本桜』は平知盛や維盛の悲劇が中心だが、30-DELUX主催のこの新版はこれに義経と弁慶の互いの思いを絡ませ、さらになお、『ベルサイユのバラ』にも通じ、義経は女性だったという設定になっていた。義経は後白河法皇から頼朝を討てと鼓を授かるが、兄に刃を向けられないと拒否する。しかし、頼朝の手の者が義経に襲い掛かる。弁慶は義経こそ源氏の頭領になるべきだと主張するが義経は受け入れず、落ち延びる道を選ぶ。

 ここでの会話が面白い。義経は弁慶に「なぜ、兄を討つのか?私を頭領にして歴史に自分の名を残したいのか?何がしたいのだ?」と迫る。弁慶はただ義経を守り、義経に従うことが自分の使命と思ってきたが、そんな自分の中に世間を見返したいという野心のあることに気付かされる。そして最後は無心で義経に従う。泣かせてもらったのは吉野の地で、強請り騙りの悪行を繰り返す権太が最後によいことをするのだが、これが裏目になって死ぬ場面で、分かっていても涙がこぼれるから不思議だ。

 義経は女性だったということから、義経役を演じたのは元宝塚の女優の水夏希さんで、弁慶も静御前も佐藤忠信も若い俳優さんだった。2時間半に及ぶ芝居だが、その半分以上が乱闘シーンで、あんなに動くことが出来るのは若くなければ絶対無理だと思った。それにしても義経も弁慶もよく切り合いが続けられる。殺陣はチームワークというが、一歩間違えたなら大怪我になる。何度も練習を繰り返してきたのだろう、その成果は充分に発揮されていた。

 俳優が若いためか、観客も圧倒的に若い。それに何と言っても女性が多い。宝塚ファンのように好きな俳優の追いかけをしている。「2時間も車を走らせて来た甲斐があった」と後の席の女性は話していた。グッズの販売に列が出来て、ブロマイドやパンフレット、ポスターや冠バッチなどを買い求めていた。姪っ子の3男はまだ固定ファンはいないと言うが、熱狂的な女性ファンが出て来たら姪夫婦はどう反応するのだろう。楽しみだ。

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映画『愛を積むひと』

2015年07月22日 18時27分50秒 | Weblog

 映画『愛を積むひと』を観て来た。少し前に「話題の映画」というので、朝のテレビ番組で取り上げられていた。映画の公開に先立って催された挨拶で、主演の佐藤浩市さんが涙ぐむ姿を偶然に見て、どんな映画なのかと興味を持った。佐藤さんが涙ぐんだのは、妻役の樋口可南子さんが浩市さんの妻の手紙を読み上げたためだった。この映画は手紙が大きな役割をしているという。亡くなった妻の手紙を題材にした高倉健さんの映画を思い出したが全く違っていた。

 東京から北海道の美瑛に越してきた夫婦を中心に、親子や若い男女の愛憎が美しい美瑛を舞台に描かれていく。「泣かせてくれます」の評判どおり、私はずーとハンカチが離せなかった。映画の主題は夫婦の愛なのだろうけれど、樋口さんが演じる女性は余りにもよい妻過ぎるように思った。妻任せの夫と夫を思いやる妻というどこにでも居そうな夫婦だが、亡くなってもなお夫のことを妻は心配するけれど、もういい加減に肩の荷を降ろしてもいいのではないのかと思う。

 妻の願いで石塀を造る。造園業者から男の子が派遣されるが、黙々とよく働く彼は不良仲間に誘われ夫婦の家に盗みに入る。男の子は中学の同級生の女の子と恋仲で女の子は妊娠してしまう。女の子は牧場主の妻の連れ子で、母親は「不良との結婚は許さない」と娘に言う。牧場主は娘が望むようにしてやろうと男の子を牧場の跡取りにするため、1年間他の牧場で働くように言う。女の子に男子が誕生し、牧場主は大喜びだが「血が繋がっていたならどんな気持ちだろう」と言う。

 血が繋がっている主人公の娘は妻子のある男性と恋に落ち、相手の女性は自殺未遂まで起し、主人公は娘とは交流を絶っている。上京した折に娘を訪ねるが、娘から子どものある男に「結婚しよう」と言われていると聞き、妻の形見の品を渡すことが出来ない。血は繋がっていなくても娘を愛する男と、繋がっていても愛せない男だが、ふたりは何かを感じ合う。北海道の美しい風景にふさわしく、美しい物語だ。それでよいとも思うし、そんな風にピッタリ納まることが幸せなのかとも思う。

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よこしまな心の持ち主

2015年07月21日 18時49分12秒 | Weblog

 愛知県日進市で、65歳の男性が17歳の男子高校生に殺害された。男性が持っていたバックが少年の供述した場所から見つかったが、中身を物色した形跡があるのに現金は残っていた。男性は顔、首、背中など10箇所以上の刺し傷や切り傷があり、警察は強い殺意が感じられると発表した。ところが少年は、刺したことは認めているが強盗は否定、殺意についても否認しているという。

 少年は男性と面識はないと言う。なのに、どうして殺害したのだろう。ふたりの間にはトラブルがあったと推測している人もいる。少年はどういう理由か知らないが、両親と別居して祖父母と叔母の4人で暮らしている。こうした自分が置かれた環境から脱出したかったとも考えられるが、高校3年生なら卒業と共に環境は大きく変えられるはずなのに、なぜ待てなかったのだろう。

 昨日、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんや東大の上野千鶴子さんら学者150人が参加し、安保関連法案の廃案を求める声明を発表した。呼びかけた「安保関連法案に反対する学者の会」には、全国で1万1千人の学者・研究者が賛同しているという。そんなニュースを見ると、1960年の安保闘争を思い出す。私は高校1年生で、テレビや新聞で知ったことだが、演劇や映画の関係者やマスコミで働く人々あるいは文化人など、労働組合に属していない著名な人びとがデモに参加していた。

 益川さんが言うように、「時の首相が『有事』と思ったら戦闘できるとんでもない法案だ」と私も思う。「絶対に廃案」にしたいけれど、具体的に何をどうするのだろう。安倍首相は「わが国を取り巻く環境は厳しくなっている。よこしまな考えがはびこってきている」と強調するが、日本によこしまな考えはないのか。「よこしまな国が無茶しそうなので、武装しないと危ない」と安倍首相は力説するが、国益を優先すれば、どこの国も同じことになる。

 「ただ、殺してみたかった」などと理解不可能な子どもたちがいる。安倍首相のていねいな説明も私には理解できない。それより戦争をしない世界に向かうプランが聞きたい。日進市の高校生からも本当のことが聞きたい。

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