友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ルーフバルコニーを夏模様にする

2019年05月31日 17時41分41秒 | Weblog

 朝早く、外で大人の男性の大きな声がする。先日もマンションで、事故か自殺か分からないが、人が飛び降り救急車の他にパトカーが3台も続けて来たし、川崎市での無差別殺戮事件があったので、何事なのかと耳を澄ますと、野外学習に出かける5年生に対する校長の見送りのあいさつだった。

 私も5年生の時、あの頃は林間学習と呼んでいた気がするが、豊川の奥の鳳来寺へ出かけた。今日の子どもたちのようにバスではなかった気がするが、ほとんど何も覚えていない。覚えているのは米を袋に入れて持って行ったこと、鳳来寺の坂道がとても長かったこと、雑魚寝で誰かが枕投げをして先生に叱られたことの3点くらいだ。

 午後から雨が降るかも知れない予報だったので、午前中に花を買いに出かけた。珍しくカミさんが「お昼はどこかで食べよう」と言う。目当ての和食の店に行くが閉まっている。イタリア料理の店の前にうなぎ屋があり、その方が車で入りやすいということもあって、ウナギを食べることになった。イタリア料理の倍はかかったはずだ。私たちの後から若い男女が入って来て、「ウナ重の上」を注文した。ふたりで8千円はかかるのに気前がいい。

 午後、早速買ってきた花を植える。私はサルビアの花の赤と葉の緑が好きだが、このところ時期が悪いのか人気がないのか、真っ赤な花で緑の濃い葉のサルビアが見当たらない。チューリップは400球買っても1万円以内なのに、夏の花は2万円くらいになる。それでもルーフバルコニーに花があると、夏の朝らしい気がするのは、そんな夏を何年も過ごしてきたからだろう。

 慣れてしまうと、なかなかそうではない生活にするのは難しい。先ほど我が家の上に住む人が来て、ルーフバルコニーを眺め、「緑があるのはいいですね」と言う。「上の部屋からもバラがきれいに見えますよ。サルビアも植えられて大変ですね」と慰めてくれる。「きれい」と言っていただくだけで、うれしくなってしまう。残りの16鉢には何を植えようか。

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ウドンゲノハナ(優曇華)

2019年05月30日 17時23分43秒 | Weblog

 午前中はよく晴れて風もなく、作業するにはピッタリだった。私はルーフバルコニーに出て、咲き終わったバラの手入れに精を出した。去年の秋の土の入れ替えと肥料が効いたのか、今年のバラは花数が多い。せっかく咲いたのに、その時はメールがつながらなかったのでブログに載せることが出来なかった。1番バラは写せなかったが、2番バラに期待しよう。

 ひとりルーフバルコニーで作業をしていると、なぜか『黒の舟歌』を口ずさんでいることがある。リズムが単純作業に合っているのだろう。「恋の歌」は寂して悲しいものが多い。報われなくても求め続けるのが恋なのだから、当然のことだろう。高校の時、漢文で漢詩を学んだが、中国人はスケールの大きな歌を作ると感心した。漢詩を作れた明治までの教養人に脱帽と思った。

 父の書棚には漢詩の本もたくさん並んでいたが、果たして父は漢詩を作ることが出来たのだろうか。詩吟とか尺八とかをやっていたようだから、それなりの教養はあったのかも知れない。多分、小学校の高学年の時だったと思うが、母がけたたましい声で父に、蛍光灯のカバーの上のカビのようなものを指して、「これってウドンゲノハナじゃーない?」と聞いていた。父は否定も肯定もしなかった気がする。

 ウドンゲノハナは「3千年に1度しか花が咲かない」と母は言っていた。だから吉を呼ぶのか凶をもたらすのかと不安がっていた。ウドンゲノハナをインターネットで調べるとクサカゲロウの卵とある。私が中学3年になった頃、母は体調を崩し、高校1年の夏に亡くなった。母にとって、ウドンゲノハナは吉だったのか凶だったのか、そんなことを思い出すと、『無縁坂』や『吾亦紅』が流れ出す。

 

 

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ますます人は孤独になっていく

2019年05月29日 17時18分18秒 | Weblog

 昨日の神奈川県川崎市での殺傷事件、加害者が自害してしまったから真相は分からない。私は昨日、「殺してやる」と加害者が言ったと書いたけれど、現場にいた教頭は「無言で次々と刺した」と述べていた。ほんのわずかな間に、大人2人と子ども17人も殺傷し、自らの首を切ったか刺したかして死んでいった。

 自分が死ぬことを想定し、そのために大勢の人、しかも子どもを巻き添えにしたようだ。どんな人物だったのか、日記や遺書はないか、警察は探しているという。スクールバスに先生が同乗するようにした学校もあるそうで、子どもたちの安全のためとはいえ、先生の負担はますます増えていく。

 テレビでは子どもたちの安全対策を急げという声が多い。昔、大阪教育大学の付属池田小学校で無差別殺戮事件があった。幼い子は足が遅いからと低学年の教室へ行き、次々と刺して回り児童8人が死亡、児童13人と教師2人が重軽傷を負った。加害者が車で学校へ乗り付けたことから、以後は学校の門は閉ざされ、防犯カメラが設置された。

 私が子どもの頃は、授業前も授業後も学校は遊び場だった。朝早くから夕方暗くなるまで、校内のどこかでウロウロしていた。「勉強が大切」と言われても、教室で座っていれば勉強しているのにと思っていた。学校にはどこからでも入ることが出来たが、今では出入り口は3か所くらいしかないし、外部の人が学校を訪れることはまずない。

 池田小学校や川崎市の事件は、なぜ起きたのだろう。無差別に人を殺す、そんな考えがどうして生まれてきたのだろう。問題はそこにあると思う。誰とも話すこともなく、寂しい思いをしている人はいる。けれどもどうすればいいというのだろう。人と人とのつながりが薄れ、ますます人は孤独になっていく。どうしようもないのだろうか。

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気が重い事件

2019年05月28日 17時30分14秒 | Weblog

 「ランタナが欲しい」と言う友だちに、「いつ持って行こうか?」とメールしたのに返事が来ない。今朝、改めてメールすると、「実は連休中に急に体調不良になり、検査を受けています。もっか自宅静養中です」と伝えてきた。生真面目な男なのに返事がないのはおかしいと思っていたが、そういうことだったのか。私は「気候の変動に影響を受けて、咳と痰がひどく続きました。今はもう回復しています。お大事にしてください」とメールした。

 昨日までの真夏のような日から、今日は少し肌寒い雨降りになったせいか、気持ちが大きく落ち込んでしまった。今年になって、友だちが次々に旅立った。私自身は75歳のうちに逝きたいと願っているのに、友だちの葬儀が続いて、気が滅入るという矛盾に陥っている。そこへ私よりも若い友だちが、「急激な腎機能と肝機能の低下で、大変です」とメールにあるから余計に気が塞ぐ。

 そこへ、神奈川県川崎市で19人を殺傷した事件が報じられた。19人のうち、小6の女の子と30代の男性が死亡、女の子2人と40代の女性が重傷と分かる。加害者は51歳の男で、その場で自らの首を刺し自害したという。こんな無差別な殺戮事件が日本でも起きるのかと驚愕する。しかも加害者は20代ではない、50代の男だ。真相は何も分からないが、「殺してやる」と叫んだという報道もあるから、根深い恨みでもあったのだろうか。

 トランプ大統領夫妻の帰国の日に、こんな陰惨な事件が起きるとはと危惧したら、トランプ大統領は早速、「被害者に祈りをささげる。アメリカ国民は日本国民そして被害者家族とともに悲しんでいる」と演説、さすがに政治家である。まるで「令和」が新しい時代の幕開けのような扱い方だったが、血なまぐさい事件が多発する時代にならないことを祈る。私たちのような年寄りでも身体の不調は心配なのだから、若い人たちは毎日が希望で満ちていて欲しいと願う。

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男の野心

2019年05月27日 18時41分00秒 | Weblog

 暑い日が続いている。テレビ各局はこの異常気象を取り上げているので、暑さの原因が気圧配置にあることまではよく分かった。でも、なぜそうなるのかは分からない。「たまたま」という答えがベストなのかも知れない。何もかも、数学を解くように整然とした答えになる訳ではないだろうし、文系の私としては分からない部分があった方がホッとする。

 大相撲の千秋楽を観たいと思っていたが、友だちがやって来たので見なかった。相撲の取り組みよりも、トランプ大統領と安倍首相の扱いがどうだったのか、興味があった。相撲の方は前日に平幕の朝乃山が優勝と決まってしまったから、後は大統領の前で誰が勝つのかだったが、朝乃山は負けてしまい、トランプ大統領はこの仕組みが理解できたのだろうかと余計なことを思ってしまった。

 大相撲は見損なったが、『白い巨塔』は見ることができた。見終わっても、「いったい何だったのか」とすっきりしない。『白い巨塔』が週刊誌に掲載されて話題になったのは、東大紛争が起きる前で、大学の医局制度が引き金になっていたと思う。東大紛争で活躍した助手や医局員は、東大を離れた地方で医療活動に尽力した。諏訪中央病院の鎌田医師はその典型だろう。

 野心家の財前医師も温情家の里見医師も、医師としての見識と技量に大きな差はないだろう。財前医師は外科医だから手術の技術が高く、それ故に彼は野心を抱いていくが、それは「たまたま」そういう立場にあったということだろう。組織は、トップに立ちたい人と、初めから無関心を装う人を創り出す。トップに立って何がしたいよりも、トップに立つこと自体が目的なのだ。

 財前医師は自らのガンによって死ぬけれど、どんな野心家であっても死を止めることは出来ない。人間の欲との戦いこそが感動のドラマということなのかも知れない。トランプ大統領は今晩、宮中での晩餐会でもてなしを受けるが、酒が飲めないのに楽しいのだろうかと、私はまた余計なことを思ってしまう。

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見事に咲いたサボテンの花

2019年05月26日 18時34分11秒 | Weblog

 昨夜、長女一家がやって来て、ダンナがメールを使えるようにしてくれた。これで写真を掲載できるはずだ。今朝7時過ぎに、友だちからケイタイに、「サボテンの花が20個位咲いています。もし、お時間がありましたらご覧ください」とメールが入った。彼女にしてみれば丹精込めて育てているサボテンの花をみんなに見てもらいたいのだろう。

 マンションの中庭の一角に、彼女が担当している花壇がある。私が写真を撮っていると、「キレイネ」と声がする。よく行く中華料理店の「社長」だ。「珍しい花なんだよ」と言うが、中国人の彼は興味なさそうだ。彼は日本にやって来て、店舗を2店まで増やした余裕からなのか、彼のカミさんは「パチンコやってこまる」と嘆いていた。

 「社長、ラクして儲かる道はないよ」と言った時、彼は「わかってる、わかってる」と苦笑いして逃げて行ったが、あれからギャンブルとは手を切っただろうか。私たちの仲間に、子どもの頃から輪の中にいて、今では立派な大人になった男は、子どもの頃は「料理人になる」と言い、大学生になった頃は「楽して儲ける」とよく口にしていた。今では夜遅くまで働いていると聞く。

 来日したトランプ大統領は朝から安倍首相とゴルフだ。ふたりのゴルフは「遊びだけれど遊びではない」、会談の成功へ向けての地ならしである。政治家が相手と何かを決める時、互いの親密度は大きな要素になる。政治家ばかりでなく、商売の取引も同じことだろう。中華料理店の社長が店を増やしてきたのは、1品の量が多いだけでなく、味が日本人の好みに合っているからだ。

 夕方、友だちが遊びに来て、「この先どうなるんだろう」と零す。どうなるのかは私には分からないが、目の前の課題をやり遂げていく以外にないだろう。イヤイヤやるような彼ではないが、彼の真剣度が先を切り開いていくことになるはずだ。社会がどんなに変わろうとも、人の生き方は変わりようがないと思う。

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トランプ大統領が「国賓」としてやって来た

2019年05月25日 18時41分31秒 | Weblog

 日差しは強いが風はなく、真夏日になった。午前中にルーフバルコニーで掃除や水遣りをする。ルーフバルコニーが西を向いているおかげで、夏の期間の午前中は陰になって気持ちがいい。友だちが「欲しい」と言っていたランタナの嫁入り支度をする。貰い手のある鉢はいいが、この先どうなるのだろうと、水遣りをしながら思う。

 考えたところで仕方のないこと、なるようにしかならない。家から一歩も出ない日は、ブログのネタ探しに困る。昨日に続いて今日も、まとまりのない文章になりそうだ。ここまで来てもまだテーマが決まらない。カミさんは送別会に出かけて行った。私はスーパーで刺身を買い、今晩は冷酒を飲もうと決めた。

 トランプ大統領が「国賓」としてやって来た。どんなに品格のない人でも、大統領なのだから「おもてなし」はやむを得ないだろう。外交は商売なのだから、駆け引きはつきものだが、トランプ大統領は悪徳商人のように誠意がない。安倍首相も大変だなと思ったら、「安倍さんだって変わらない」と友だちは言う。

 イギリスのメイ首相が辞任を明らかにした。サッチャー首相を超える女性首相を目指したのに、結局は議会を制することができなかった。インターナショナルと言う言葉に代わってグローバルが蔓延したが、地球的な規模で「わが国第一主義」が支配する結果になって来ている。どこの国の選挙でも「みんなで仲良くやろう」と主張する候補者は当選出来ない。

 他の地域の人、他の国の人、他の民族、他の宗教の人、自分たち以外は「敵」と見て、追い出してしまう。何という息苦しい時代なのか。男が女を、女が男を、あるいは性の境を超え、求め合い慰め合い愛しみ合うことは出来ないのだろうか。テレビが平幕の朝乃山が優勝したと言う。相撲の世界も新しい力士が出てきている。どんどん世界は変わっている。

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夏日なのに冬のような強い西風

2019年05月24日 17時58分29秒 | Weblog

 強い日差しが夏になったと実感するのに、西からの強い風が吹き荒れ、まるで冬の嵐のようだ。熱射病を心配してか、小学校の運動場では子どもたちの姿が見えない。気候の変化、朝晩の寒暖の差、異常な気象が続いている。連休明けから咳き込み痰も出たが、症状はすっかり治まった。幾人かの友だちも私と同じ症状だったが、もうよくなっているだろうか。

 熱中症の原因が暑さに慣れないためであるように、咳や痰もこの気候の変化に身体がついていけないからではないだろうか。成人よりも年寄りに多いのだから。歳を取るのは本当につまらない。何か良いことはないのだろうか。そう思って新聞を読んだり、テレビを見たりするが、どうでもいいことばかりである。

 NHKの女性アナウンサーがずいぶん変わった。私が好きだった鈴木奈穂子さんは、妊娠していても頑張っていたのに、5月からいなくなった。後任の和久田麻由子さんは若く、鈴木さんに似た雰囲気の美貌で、目がきれいだ。祖父がフランス人とどこかにあった。最近のテレビの女性アナウンサーはロングスカートであったり、パンツ姿であったりで、美しいものを見たい男性視聴者としては面白くない。

 岡田准一さん主演の『白い巨頭』を観たが、大学の医学部も会社も政治家の世界も、どこも同じだ。男は組織の頂点に立ちたい意識が強い。何としてでも競争相手を蹴落とし、上り詰めたいのだ。これを脳科学者の中野信子さんは、「進化の過程で身に着けた機能」と分析している。私は原作も、以前のドラマも見ていないので、この先どうなっていくのか不安に思いながら観ている。

 ドラマの中、岡田准一さんの愛人役の沢尻エリカさんの脚がとてもきれいだ。ベッドでプールで、美しい脚を見せてくれる。時にはストーリーよりも楽しみに思えてくる。男はいくつになっても男である。だからと言って、「ロシア女を抱かせろ」と要求した丸山穂高衆議院議員を擁護することは全くない。男は「密か」に思うものだから。

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「サポート企画カフェ」に出席した

2019年05月23日 17時21分22秒 | Weblog

 市内の市民活動団体を集めた、「サポート企画カフェ」に出席した。案内文書には、「市民協働によるまちづくりを進めるにあたり、活動団体の現状を把握・共有し、活動団体が必要としている支援を進めるため、直接各団体における情報共有及び活動団体間の交流を促し、活動現場の活性化に必要な企画を検討するとともに、実施に向けた意見交換を行う」とある。

 主催した市側としても、「とにかく呼びかけてみよう」ということのようだ。集まったのは私たちのようなNPO、ボランティア団体、そしてユニークな自治活動をしている団体など様々だった。これまでの自治活動は先例を踏襲することが主であったのに、新しい取り組みをいくつも行っていて、古い習慣にとらわれない新しい住民が自治会の役員になっていることがよくわかる。

 ボランティア団体は自分たちの活動を知ってもらい、仲間を増やしたいと思っているが、その機会や方法がないと言う。私たちはNPOにはしたものの、収益を上げる必要がないから気楽な活動でいいが、収益を上げていかなくてはならない保育や学童の見守りあるいは教育にかかわる活動をしている団体は、メンバー不足や高齢化が悩みとなっている。各市民団体の現状も様々であり、したがって要望も様々である。

 考えてみれば、いろんな市民団体が活動していることは市の宝で、支援に向けて行政は知恵を絞らなくてはならない。上から目線で「与える行政」から、協働して「支える行政」へと転換する時期にある。市民団体の活動の相談窓口は、市民活動推進課にあるのだろうが、各市民団体をまとめるような中間支援センターの働きをする市民団体が生まれるとよいと思う。

 私は指名されて、「今日のサポート企画カフェでの意見を集約して、次にどんな呼びかけが来るのか、楽しみにしています」と言った。ただ、「集まった、話し合った」で終わって欲しくない。市民のやる気がさらに燃えていく、第2回カフェを期待している。

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願いと欲は矛盾するようだ

2019年05月22日 17時38分02秒 | Weblog

 姉の表情は義弟が言うように、「先月とは違って、厳しい顔つきになっていた」。介護する姪っ子もかなり疲れた様子だった。「もう死ぬ、もう死ぬってばかり口にする」と暗い顔で零す。母ひとり子ひとりで60年間生きてきて、今は母親の最期を自分ひとりで受け取らなくてはならず、気持ちが大きく落ち込んでいる。

 確かに今日の姉は、「バカだね」とか「頭悪い」とか人格を傷つけるような言葉が多かった。車イスに座っていても身体が痛むようで、姪っ子に「背中が痛い」と訴える。「みんなと一緒の広間にいる時も、こうなの?」と聞くと、「向こうにいる時は全然言わないのに、この部屋に入ると言い出す」と言う。甘えられるのは娘しかないのだから、仕方ないのかも知れない。

 「お父さんはどこ?」と姉が言う。「お父さんはもう亡くなってしまったよ」と答えると、「お父さんが一番好き」と少女のように目を輝かせて言う。娘のことは心配なのに甘えて困らせ、父親はもう半世紀以上も前に亡くなっているのに「好き」と嬉しそうに言う。矛盾していると思うが、人の末路はそういうものかも知れない。

 トランプ大統領は「誰も争いを好まない」と言う。じゃーなぜ、空母をペルシャ湾に集結させ、一発触発も辞さないと脅すのか。中国からの輸入が輸出を上回って「不公平だ」と、関税を引き上げる。中国もイランも、「目には目、歯には歯」とばかりに報復措置を取ると宣言する。世界中がイライラしているように見えるのは、そんな報道ばかりだからだろうか。

 ルーフバルコニーのバラが最盛期を迎えている。花を眺めていれば、心は和む。花園にいて、美しい女性を眺めるなら、きっと世の中は平和になるはずだ。ところが皮肉屋の友人は、「トランプも習近平も、周りにはずらりと美女がいるゾ」と言う。美女では、花のような穏やかな気持ちよりも世俗的な欲望が先走るのか。願いと欲とはやっぱり矛盾するようだ。

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